そうして男は愚行を犯す


 シェルターをドーム状に覆う膜を通して、新鮮な太陽光がアーリデイズに取り込まれていた。

 燦々と降り注ぐ陽の光、企業ビルや軍事施設は眩しく光を反射し、シェルター都市の経済力や軍事力を形として示していた。

 同盟暦2088年10月2日午前8時。

 アーリデイズ学園の地下、日光の届かぬアリアスレウズ地下一階層、ダンジョン課の受付に火神浩一はいた。

『ご、ごめんね。お母さんが倒れたって聞いて、今、ターミナルにいるの!』

 受付カウンターから離れた位置にある、大きめの支柱に背を預けた浩一。

 彼の目の前にはPADの通信機能を用いたウィンドウが宙空に表示されている。

 通信相手は、共にダンジョンに潜る予定だった東雲しののめ・ウィリア・雪だ。

 通信ウィンドウの片隅の位置情報欄には、軍の管理区画からの通信を示すアイコンと『弐百壱拾参號区画』の文字が表示されている。

 金髪のポニーテールを慌てた様子で乱し、早歩きでホームを移動する雪の背後には、アーリデイズ九大衛生シェルターのひとつ、研究都市『ウィングラン』直通の武装列車が映し出されている。

「気にするな。雪には俺の方が世話になってるんだ。本当に、気にしなくていい。雪はおばさんについててやりな。俺は適当に予定の空いている奴と組むさ」

『ホントごめんね、浩一。浩一はあんまり一緒に組んでくれる友だちいないのに』

「かまわん。これも良い機会だ。他の連中と組んで新しい戦闘テクニックでも見せてもらうことにするさ」

 浩一の気遣いに雪は申し訳なさそうな顔をする。

 再度浩一が「気にするな。それより前を見て歩けよ」と忠告すれば、雪は小さく口角を上げ、浩一の優しさに微笑んでみせた。

 それは東雲・ウィリア・雪が心の底から信頼している人間にしか見せない微笑だ。

『ありがとう……でも』

 嘘つき、と唇だけで雪は呟いた。無改造・・・の浩一と組むような自殺志願者はいない。

 その事実を知っているからこそ、誤魔化されない雪だった。

「でも? なんだよ」

 同時に、そんな嘘で雪を騙せると思っている浩一を恨みに思うものの。

『なんでもないよ。私がいない間に、無茶したり、怪我したり、死んだりしないでね』

 組んでくれる仲間がいない事実に苦悩しているのは自分ではないことを思い出し、それ以上恨み言を重ねることをやめてしまう。

「ああ、わかってるよ。雪」

 そうして、何度かの会話の応酬の後、通信は切られる。残光をうっすらと残して消えていくウィンドウを見ながら浩一は思い出したように呟く。

「そういや雪の母親も色属性の事故で身体を悪くした研究者だったな……」

 この学園都市の最新の技術ですら、治療が不可能な怪我をしている雪の母を思い出す浩一。

(何もできない、俺がいろいろ考えてもしょうがないか)

 心配ではあったが、浩一は自分自身のことを考えなければならなかった。

 気を取られてヘマをし、大怪我でもしたら雪にも雪の母親にも顔向けができない。

 気を取り直してダンジョン実習に向かうために受付へと歩いて行く。


 ――浩一一人での攻略はさすがに危険が過ぎた。


 B+ランクは学園都市でも平均的な部類だ。弱いわけではない。

 そして浩一自身も友人がいないわけでもない。

 だが、ランクと身体能力は別だ。通常の学生よりも格段に身体能力が低い浩一の探索は通常では考えられないほどに危険なものになる。

 そんな危険な探索を一緒にしてくれる奇特な知り合いは浩一にはいない。

(いや、むしろ知り合いだからこそ)

 頼めばきっと共に探索を行ってくれる知人はきっといた。だけれど、だからこそ――。

(頼むわけにはいかない。好意を利用するなんて真似、できるわけがない)

 浩一は周囲を見渡した。早朝とは言い難いが、まだ他の学生も探索に出発しきっていない受付フロアには様々な学生がいる。

 その中に目当ての学生を見つけ、しかし、と内心のみで首を横に振った。

 学園には学内通貨を払うことで護衛を行ってくれる傭兵紛いの学生もいるが、そういう学生を浩一のような、ある種の悪い評判が知れ渡っている学生が雇うにはそれなりの資金が必要だ。

(だが探索をキャンセル……キャンセルなぁ……)

 予約している探索を中止することも考える。

 だが、ダンジョン実習は遊びではない。

 ダンジョン内で起こる様々なことに自己責任を求める、多くの書類にサインをしてまでやっていることだ。

 だから死んだり怪我をしても文句を言うことはできない。一度探索に入ってしまえばそこから先に起こることはすべて自分の責任だ。

(しかし、キャンセルは罰則・・が痛い……)

 だが、その中で学校側から圧力が掛かりながらも学生が文句を言い続け、それでも絶対に変更が加えられないのがダンジョン実習の罰則に関わる項目だった。

 ダンジョン実習は死亡する危険性や大怪我をする恐れのある危険な授業だったが、いくつかの目標を達成すれば即座に単位が取れ、なおかつ実習という授業の一種ながらも、アイテムや通貨などが強ささえあれば容易に手に入るために学生たちの中では特に人気のある科目だ。

 そしてダンジョンは基本的に予約制・・・だ。

 だから一日にアタックできる定員も限られている。

 ゆえに浩一の学園や他の学園のダンジョン、学園都市の施設である有料ダンジョンなどは迷宮構造の変わる定休日を除いて連日利用する人間が絶えることがない。

 だからこそ、見せしめ・・・・のためにも予約していながら来ない学生には厳しい処置をとる必要があった。

 連絡もなし、特別な事情もなしに当日来なかった学生については長期のダンジョン実習禁止措置がとられ、ダンジョン実習で得た単位の一部も没収される。

 また、ダンジョン内で犯罪を行ったり、遅刻したりしてもそれなりに重いペナルティが課せられる。

 過去にダンジョン実習の時間をうっかり忘れていた学生が罰則で単位を没収され、卒業できなかったという逸話は学生たちの中では有名な話だ。

 事前連絡を入れたキャンセルに対してもそれほど良い見方がされることはない。浩一のなど今回は直前のキャンセルだ。学園からの評価も下がるだろう。

 とはいえ、特別な理由がある以上、キャンセル料金を払えばそれほど厳しい罰を与えられることはない。

 そう、学園側からの信用を多少失い、今後実習の予約をとるのに苦労をするだけだ。

(ぐぬ、探索が難しくなるのは十分痛い……)

 だからパーティーメンバーが来なかった程度なら潜っていく学生は多い。

 多いのだが、ダンジョン実習にはいろいろと厳しい規則がある。

 それがダンジョン内規則七条『必ず前回潜った地点より二階以上のマイナスを出さぬこと』だ。

 安定狩り・・・・という、強い生徒が弱いモンスターを狩り続けることで学内通貨を荒稼ぎすることを防ぐためのルールでもある。

 つまり前回二十階に達した浩一は十八階まで単独で潜らなければならないのだ。

 もちろん規則であるから探索に失敗すれば罰則を食らう。単位の没収などの厳しい罰を。

 だが仕方ないことだった。

 浩一自身はアーリデイズ学園を剣腕を振るい、敵と戦って研鑽する場所程度にしか思っていないが、このアーリデイズ学園はシェルターを統括する政府が直接運営するエリート名門校なのだ。

 ゆえに所属生徒の失態は許されず、常に最高の能力を発揮することを期待される。


                ◇◆◇◆◇


 とはいえさすがに一人でダンジョンに潜るのは無謀だった。


 ――この都市では魔法だの科学だのと研究が進んでいるが死を覆す方法はいまだ発見されていない。


 探索予約をキャンセルし、キャンセル料金を払おうとした浩一の前に、現実が壁となって立ち塞がる。

「足りてません。潜って下さい」

 受付の強化魔導硝子越しに浩一をジト目で見つめる赤髪翠眼の少女、イレン・ヤンスフィードの言葉に浩一は思わず首を傾げてしまった。

「あ? 待て、足りてないって何がだ」

「火神浩一、探索のキャンセル金額に100ゴールド足りていません」

 イレンはにやにやと嗤っていた。わざわざ旧式のPADを扱うための機械をこれ見よがしに見せ付けながら「せっかく用意したのにもったいないわねぇ」なんて言っている。

(な、なんでだ。確かキャンセル料には十分な金があったはずだが)

 にやにや笑いのイレンから顔を背け、浩一はPADを操作すると自身の口座を呼び出し貯金残高を確かめている。

 明らかに・・・・少なかった・・・・・。最後に残高を見たときには十分にあったはずの金がなくなっている。

 誰かに勝手におろされた? ハッキングなどの疑念から武具購入用に隔離している口座を開いてみるがそちらに変化はない。

(なんでだ? 金が。きっちり五万なくなって。五万? あ、ああ、そうか。家賃・・か)

 そういえばこの三日で月が替わっていた。浩一が居住しているアパートは二十五日ではなく月初めに家賃を引き落とす形式だったのをすっかり忘れていたせいだ。

 だから浩一は最後に口座を確認した金額がそっくりあるものだと思っていたのだ。

「ぐぬ、なんとかならんか」

「そんな情けない声で言ってもなりませんよ。ご自分でなんとかして下さーい」

 なんとかと言われ、浩一の眉が歪んだ。

 ここは名門学園のダンジョン受付であり、当然、金を持った学生が多く訪れる。

 つまり付属の施設として多数の商店が小規模ながらも店を出しているのだ。

 そして名門とはいえここは人の世だ。今現在の浩一のような境遇の人間が必ず発生し、それを狙った金貸しも存在する。

 主に、浩一の背後で手招きしている額に大きな刀傷を作ったムキムキの黒服が経営する店とか。受付に隣接した老舗のショップでにやにや嗤っている婆さんとかのことだ。

 もちろんそれだけでは場所がもったいないので彼らはアイテムショップの副業・・もしていた。

 金貸しではなくアイテムショップが副業という時点で間違っている気がしないでもないが、自分のような人間が多いのだろうと浩一は諦めている。

「なんともできねぇよな」

 常ならば借りる。問答無用で借りる。金利が高かろうが暴利だろうがなんだろうが借りていた。

 だが今回は具合が悪い。なにしろパートナーが実家に帰っているのだ。雪も母親の病状が悪ければ何週間は帰って来ないに違いない。

 そうなれば借金は増え続ける。ゆえあって親兄弟も親類もいない浩一は自分で稼ぐ意外に収入が存在していない。

 唯一のアルバイトすら二束三文の子供の駄賃程度の収入なので浩一はダンジョンで稼ぐしかないのだ。

 それに今は貯金もぜろに近い。武具購入用の隔離口座もあるが、あれには飢餓病気怪我の三重苦が迫る最悪以下の状況になろうとも武具購入以外で手をつける気にはなれなかった。

(金を借りずとも質屋に探索道具を入れれば最悪キャンセル料金は払える。だが今後の生活がまずいな。今の状況じゃ飯も食えないぞ)

 正式なシェルター国民である浩一にはある種の錠剤にも似た食料・・が配給されているが、あんなもので強い肉体は作れない。

 強くなるにも金は必要なのだ。

 となればだ、金欠で餓死しないためにもダンジョンに潜るしかない。

 雪が帰ってくるのは当分後になるのだから金欠栄養失調心労の三段苦のバッドステータスで潜るより探索準備をきっちりと行っている今の状態で潜るほうが吉だ。

 うむ、と目を瞑って考え込む浩一を見ながらイレンは探索手続きを行っていた。なんだかんだと付き合いは長い。

「決定だ。受けるぞ。なんとかなるだろうしな」

「なんとかできるんですか。ま、知ってましたけど」

「なんか言ったか?」

「別に。ただ、あなたらしいと思っただけです」

「よくわからんが手続きのほうはできてるのか?」

 相も変わらず他人の感情に鈍い浩一だ。

 慣れているとばかりにイレンは無愛想に、浩一が差し出したPADを受け取り、最終的な認証だけ行う。

「とっくに済んでますよ。確認、パーティー名『ヘリオルス』。メンバー一名。到達予定階『二十階層』。滞在予定時間十二時間。たった一人でのアタックだから気をつけなさい。毒に犯されたり、炎で焼かれたりしたら、面倒臭がらずに薬で回復しなさいよ」

 浩一が返却されたPADを受け取れば、イレンはその浩一の手を握って忠告をする。

「ああ、素人じゃないんだ。わかってるよ。なんだ? 随分と優しいな?」

 茶化されて、頬を赤くしたイレンが唇を尖らせる。

「死なれたら寝覚めが悪いだけよッ!」

 東雲・ウィリア・雪が既に知っていたこと。

 イレン・ヤンスフィードが少しづつ知っていったこと。


 ――火神浩一は自力の人だった。


 借りを作ることを良しとしない気風の持ち主であるから金を借りるなどもっての他だと彼は考えている。

 状況が状況なら躊躇なく借りる生き汚さを持っていることまではイレンは知らなかったが、浩一は今回程度ならどうにか切り抜けられると考えていた。

 それに金欠が原因でダンジョンに潜るのは浩一も初めてではない。

 浩一のような境遇で、十年も学園都市にいればさまざまな苦境を独力で切り抜ける才覚が必要になる。

「怒るな怒るな。そういえば嫌に静かだが、ザインはどうした?」

 浩一はPADが正常にダンジョン実習の準備モードに移行したのを確認すると、イレンの仕事の早さに感嘆の表情を向けながら問う。

 並のオペレーターならアイテム転移システムなどの確認作業で時間を食っていたはずだ。

ザインはいませんよ。今日はちょっと三十階層辺りで大捕り物がありますから。そのサポートでちょっと出てます。ああ、はいれるとは思いませんけど、三十階層から下は今回は立ち入り禁止階層ですから、気をつけてくださいね」

「入れないって、はっきり言うなぁお前も。だが、ま、忠告は聞いた」

 そうして真っ直ぐにイレンを見ながら。

「ありがとな」

「う、うん―――っ、じゃ、じゃなくてッ」

 真っ直ぐすぎる好意。特に微笑んでいるわけでも、美形というわけでもない。浩一の顔の造形は男性平均の少し上程度だ。

 しかし純粋な好意の篭もった言葉。しかも真っ直ぐすぎるそれを正面から聞き、イレンは少しだけ顔を背けて、それでも、と思い直し。

「はい、そちらも気をつけて。実習、頑張ってください」

 まっすぐな気持ちで応援することにした。

「おぅ、行ってくるわ」

 そうして浩一は一人でダンジョンへと潜るための準備を行なうために売店へと歩いていく。

 単独探索である以上、雪の代わりにはならないがいくつかの道具を買っておく必要があった。

 ちなみに、浩一が金を借りないことを察した商人たちであるが、舌打ちをしながらも笑顔を顔面に貼り付けてアイテムを買いにきた浩一に接してくる。

(そういう素敵な根性も大好きだがな。守銭奴共ッ!!)

 当然、浩一もいい笑顔で値切りを敢行するのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ダンジョンの構造は週に一度更新が行われる。

 ちなみに週は七日で一週間だ。曜日は七曜を用いた大崩壊以前にこの土地にあった日本と呼ばれた国家の方式を採用している。

 これはアーリデイズの人工知能群の基礎情報に日本のものが多かったことから自然と採用されたものだ。

 構造更新中のダンジョンは当然、壁や階段、出現モンスターの配置を変えるために半日から一日程度閉鎖される。

 更新後の構造はイベントの重要地点以外はランダムのため、前日までのマップデータは役に立たなくなる。

 そのためマッピングは潜るたびに行わなくてはならないし、地図の再購入も必須だ。

 また夜間や朝方、誰も潜っていないエリアなどでは小規模な更新が常に行われているため、この大規模更新がなくても以前のマップはあまり役に立たないことも多い。

 また大規模改装の時間帯でも潜っている学生もいるが、彼らは巻き込まれない様にダンジョンの階段脇にある安全地帯に逃げ込むように事前通達されていたりもする。

 PADに警告も出る。それでも気づかない馬鹿学生のためにダンジョン全体が赤色に光るようになってもいる。それでも巻き込まれた人間は運がない以前に生きる価値がないと判断されている。

 そうして先日と多少なりと構造を変えたアリアスレウズの十一階にて浩一は新たに手に入れた毒刀、雲霞くもがすみ緑青ろくしょうを振るっていた。

 毒刀に秘められた神経毒の効果は凄まじく、切り結んだモンスターたち、コボルトやオーク、ホブゴブリンは一度斬り付けただけで動かなくなっていく。

 転送のための光に変わらなかったことから死んだわけではない。ダンジョン特有の乳白色の床の上に倒れたモンスターたちの胸が微かに呼吸のために上下している。だが、これでは死んだも同然だった。

 浩一のすることは簡単だ。ダンジョンを歩く。モンスターに出会う。そのまま刀を振るい、毒で行動を止め、首を切るだけ。

「これは……危険だな」

 錆色の刀身の毒刀を見ながら浩一は呟いた。これは刀の力・・・だ。浩一の力ではない。

武具屋ドイルめ。何が目的で俺にこんなものを)

 侮辱された気分で浩一は刀を握る。戦場であるダンジョン内のために握っているが、内心は今すぐにでもこの刀をドイルに叩き返したい気分だった。

 そうだ。他に集団がないなら命を失わないために扱える。

 だが、ダンジョン実習は命の危険はあるが、実戦・・ではないのだ。

 管理された世界だ。人類の未来のために学習期間モラトリアムを与える場所。

 何が起こるかわからないシェルター外とは違うのだ。

(これでは鍛錬にならんが……まぁ、いいさ。今日は一人だしな)

 むしろ一人で良かった。浩一は雪の姿を脳裏に描く。彼女がいれば戦闘はもっと楽になる。特殊な能力のある刀と魔法使いの援護。両方が揃ってしまっては自分は楽をしすぎてしまう。

 

 ――それでは経験を積めなくなる。浩一は強くなれなくなる。


 だから今日は目的の二十階に辿り着いたら即座に帰還しよう。

 浩一は一人心中で頷き、歩を進めるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 錆色の雲霞緑青は光を反射しない。

 二十階層、先日の探索と同じ階層で以前戦ったモンスター、ミノタウロスと切り結んだ浩一は唇を噛み締めていた。

 前回、飛燕で何度斬り付けても倒れなかった牛頭の亜人ミノタウロスは、神経毒を持つ刀で数度斬りつけただけで乳白色の床へと身体を崩れ落としていた。

 ミノタウロスはぴくりとも動かない。

 神経毒は肉体の機能を完全に奪っていた。

 雲霞緑青系列の毒刀を軍人ですら愛用しているのは当然だった。

 この刀ならば、刀の力・・・を使うだけで本来倒せないはずのモンスターすら倒すことができてしまう。

 武具の強さで力を得る。それは肉体を改造してモンスターを超越しようとする他の学生にとっては当然受け入れるべき考え方だ。

 しかし浩一は違った。浩一のように身体を強化できず、鍛錬のみで強さを向上していく人間に許される考え方ではない。

 浩一はこの刀が今の自分を損なうものだと確信してしまう。

(このためか? 俺が強い刀を買ったときに慢心しないようドイルは貸してくれたのか? それとも単純にもっと深い階で強い敵と殺せという事なのか?)

 ドイルの意図はわからない。浩一はミノタウロスに止めを刺す。

 楽だ。楽だが、浩一は反吐が出る思いだった。この刀を振るうたびに、自分が腐っていくような思いがした。

 武具の力に頼り切れば感覚が鈍る。戦闘勘が衰える。

「とにかく、ようやく二十階層か……」

 予定の階層には到達した。

 ダンジョン実習の規則にこれで反せず帰還が可能になった。

(とにかく、強い武器の力はわかった)

 浩一は、未熟な内にこの様な刀と出会えたことをドイルに感謝する。

 そして今日この刀を持っていたことも感謝する。あの男ドイルの意図はわからないが、とにかく怪我をせずに探索を終えられたのだ。

 雪がいなければ死んでいたかもしれない探索だ。それを無事に乗り越えられたことに感謝しなければならない。

、帰路を確認するためにPADを取り出し、そこでそういえばとが浮かんだ。

(もう少しこの階層で稼いでから戻るべきか……?)

 雪が帰ってくるのがいつごろになるかわからない今は、そう頻繁にダンジョンに挑戦できるわけではない。

 浩一は、自分の好みとは別に、稼げる・・・時に生活費を稼いでおく必要があった。

 光熱費や水道代にPADの通信料金も払わなければならない。

 現在浩一は、ダンジョンで得られる学内通貨と少額の奨学金だけで生活しており、ダンジョン実習はメインの収入源のひとつだ。

 浩一がミノタウロスのドロップの売却先を知っていたのも、一番高く売れる売却先を調べた結果に他ならなかった。

(気に食わねぇが、この刀があれば複数匹との戦闘でも深い傷は負わないだろう。それでも何かあった場合。俺だけなら対処は難しいが……)

 それでも戦った感覚として、下の階へ行かなければ対処は可能だろうという予想はあった。

 一人での探索に際して逃走用に購買で最新のMAP情報やけむり玉などのアイテムも購入してある。

 下手を打たなければ何事もなく帰還できる。自身の知らない領域に軽々しく足を突っ込むほど愚かにはなれないが、それでも多少の欲を出さなければ極貧のまま次の探索に突入しなければならなくなる。

(いや……だが……ぐぬ)


 ――浩一の選択は今後の生活を考えるならば妥当だった。


(稼ぐべきだろう。ここは……)

 しかし、今の浩一を考えると最良ではなかった。

 未だ歳若い浩一は無自覚の慢心に気づいていなかった。

 自分で思考し決着をつけていたはずだった。雲霞緑青は自分に過ぎた武具だと、腕前を勘違いするものだと。

 自分にはもったいないぐらいの刀だと。だから、つまり浩一は気づかない。気づけない。

 賢しらに考え、慢心を生み出してしまう。剣士の直感に頼ればよかったものに理屈をつけてしまう。

 つけてしまえば後はそれを自制させようという思考が働き、自制したと勘違いした思考は欲とつながってしまう。

 欲だ。欲が湧き出ていた。湧き出た欲は自制の方向を簡単に捻じ曲げる。浩一の剣士としての本能を捻じ曲げる。

 全ての前提は雲霞緑青だ。

 この刀があってこそだった。

 だが火神浩一よ、お前はこの刀がなければ、この階層では通用しないのだと理解していたのではなかったか。

(金は必要だ。まったくもう少し楽に暮らせればいいもんだが。いや、この俺に出資してくれる人間パトロンがいないんならこんなものか……)

 毒刀の柄に触れる。この刀は悪いものではない。もう少し付き合ってくれよ、と浩一は毒刀の柄を優しく撫でた。

「よし、いい子だ」

 雲霞緑青は実際の戦場で多くの軍人や学生に愛用されている刀だ。

 しかし大多数の扱う武器は、少数派には使われることがない。

 だが少数派というのはこの都市では一体どういった人物なのか。どうして彼らは扱わないのか。

 その理由を、浩一は身を持って知らされることになる。

 浩一にとって必要な行為は最良ではなかった。

 浩一にとっての最良とは。最善とは。行わなければならなかったこととは。

 そう、自分の実力を知っているのなら、即座にこの階層から立ち去るべきだったのだ。

 毒刀は実力を勘違いする刀だと、石ころに鍍金メッキを施すようなものだと確信できていたはずだったろうに。

 浩一はダンジョンを進んでいく。

 分不相応な力に溺れた愚者が、自滅への道を歩もうとしていた。


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