結末と講義と馬鹿話(3)


 雄大過ぎる景色を見たときに見入ってしまうように、人は自然物の中に神を見出す。

 アリシアス・リフィヌスという少女が備える美とはそういうもので、黄金剣が閃光を放ち、ほんの刹那だけ目が眩んでも、彼女の美は小揺るぎもしなかった。

「おおおおおおおおおおおぉぉおおおおおおお!!」

 咆哮と共にアリシアスを殺そうと突撃しようとする騎士の姿を見ても、アリシアスの人形のような白皙はくせきの顔には焦り一つ浮かばない。

 浮かんだ表情は危機とは真逆の、億劫そうな、鬱陶しそうなもの。


 ――これはよくない・・・・男ですわね。


 ある種の狙いもあって、こうして男と接触したが、こう何度も何度も行動を邪魔されればアリシアスの考えも変わってくる。

(この男、わたくしと絶妙に相性が悪いですわね)

 この男の存在の規模は道端の小石程度のものだ。だがその小石もたとえば重い荷物を背負ったとき、たとえば長い道程を歩き、疲れ果てたとき。

 そんなときに当たればどうだろう? 普段ならば気にも留めないような小石が全存在をかけて牙を向いてくる、そんなタイミングにこの男と接触したならば……。

(いくらか面倒ですけれど、殺しておくべきですわね)

 アリシアスは男を使って行おうとしていた本来の予定・・・・・を即座に変更した。


 ――分をわきまえぬ駄犬は処分・・すべきですわ。


 思考時間は一秒にも満たなかった。これは騎士の男がアリシアスを殺そうと考えた思考時間とほぼ同じだった。

 アリシアスは色気のある仕草で唇を湿らせると、あくまでも自然体に見えるよう、意匠も何もない杖を構えた。

 それは隠し刃があるとはいえ、持っている人物がアリシアスであるとはいえ、黄金色に輝くグライカリバーに対峙するには頼りない杖に見えただろう。

 この杖の名は『聖杖ゼクトバルスレイヤ』。

 四鳳八院が一院、聖堂院の当主が持っていたEXランクの武具の一つだ。

 EXエクストラ。それはSSを越えた先の、測定外を示すランク。

 現在の人類の技術でも作製するのに、匠を極めた職人が一生を悩み、苦悩し、それでも作れるか否かという、人類圏でも最高位の武具に与えられる位階ランク

 聖杖ゼクトバルスレイヤはアリシアスの思考を読み取り、内蔵された機能の一つ、あらゆる耐久値を接触した瞬間にDランクまで減衰させるスキル『装甲破壊S』が付与された隠し刃を音もなく展開した。

(この騎士の方、中々の速度と覚悟。敬意を込めて一撃は喰らいましょう。下等で惰弱な生き物の研鑽。余すことなく味わってあげましょう。でも、ふふッ)

 さすがに近接職と後衛支援職の差がある。身体能力は僅か以上にアリシアスより男の方が上だ。

 だが、とアリシアスは無意識に男を嘲笑うように口角を釣り上げた。

 アリシアスは四鳳八院だ。このシェルター国家の上流階級で、持っている杖を含めて全身を規格外の装備で固めている。

 だからこの日用品として使っている粗末にしか見えないローブもまた現在の人類が苦心して作り上げた最高位の防具のひとつだった。

 だからいかに男が必殺の一撃を放とうとも、ただの店売りの武具ごときには、千にひとつ、万にひとつもアリシアスを害すことなどできはしない。

 アリシアスの知覚に反応し、ローブがほとんど自動的に付与された機能『自動防御A』を発動させる。


 ――生み出されるのは不可視・・・障壁バリアだ。


 アリシアスと男の間に壁になるようにBランクの耐久を持つ障壁が三つ発生する。

 そしてダメ押しとばかりに、緊急時の機能である一時的な身体能力の増強『全能力上昇S』を発動した。

 刹那の間に迎撃準備を整えたアリシアスは心中で舌なめずりした。


 ――さぁ、あと距離は一歩・・。一撃を受け、反撃で殺す。時間は一秒もあれば十分。


 アリシアスは男に集中していた。男もまた、アリシアスしか見ていなかった。

 だから、それに気づかなかった。

 目の前に袋が投げ入れられ、後方からアリシアスはその華奢で理想的な曲線を描く腰を横抱きにされた。

 結末の決まっていた刃と刃の戦場から当事者の一人アリシアスが引きずり出された。

「な……」

 アリシアスが激怒し、自分の腰を抱く相手を見上げる。

 相手を見た瞬間、表情が固まった。


 ――奇妙な感覚・・・・・だった。


 身体から力が抜ける。自らのランク差を思えば、アリシアスは乙女の身体に無作法にも触れた相手を素手で藁束のように引き裂ける・・・・・というのに!

 だけれどアリシアスは、自らが個人・・として認めてしまった相手が何かをしようとしている姿を見た瞬間に、不思議と全身から抵抗が失われたことに気づく。

 どうしてだろう。なぜわたくしはこんなことを思うのだろうか。

 疑念は晴れない。だけれど自分を抱く、無礼な男ひかみこういちに対して、Sランク神術師、アリシアス・リフィヌスはこの瞬間、とても強い興味を抱くのだった。


                ◇◆◇◆◇


 火神浩一はこの場の全員に対して何か強い感情を持っていたわけではなかった。

 だがその瞬間、刹那の戸惑いもなく肉体は動いていた。それらはアリシアスと男が殺し合いを決意するよりも即座の決断だった。

 それがどうしてなのかは浩一本人にもわからなかった。

 そしてそのとき浩一の視覚は、閃光で眼を潰され機能していなかった。

 身体改造をしていない浩一の視覚はすぐには回復しない。

(それがどうした? やるべきことは決まっている。何も問題はない)

 アリシアスもあの男も強い殺意を周囲に発散している。位置などわかりきっていることだ。

 そして、どうにかすべきは先に動いた男の方だ。

(だが、片腕を失っていようがあの男は俺よりも上の位階だ。無策では勝てまい)

 当初の計画はとうに狂いまくっている。最初はただ争いを止めるためだった。

 問答を始めたのは、それをやってみたかったということもあるが、アリシアスの注意を自身に向け、さっさと男たちに場から消えてもらうためだった。

 だけれど全ては失敗した。

 それは男達の危機感が鈍かったことや、浩一自身が、自分が何を望んでいるかわかっていなかったからだ。

(そうだ。俺は、誰かを救いたいわけじゃなかった)

 だが、このまま放っておいたらアリシアスは男を殺すだろう。

 SランクとAランクの差は絶望的なまでに隔たっている。万にひとつも、億にひとつも男にアリシアスを殺せる可能性はない。

 だが、アリシアスはそうなれば浩一から興味を外すかもしれない。

 血に酔って、浩一を忘れる・・・・・・かもしれない。


 ――それは浩一にとって、少し以上に残念なことだ。


 せっかく出会えたSランク・・・・が。

 そこそこ浩一に興味を持ち、敵対でも友誼でもなんでも結べる程度には興味を抱いてくれたSランクが。


 ――浩一から興味を失うのだ。


 以後決してないだろうこの絶好の機会が、一切に渡って失われることになる。

 後日、Sランクが自分から浩一に会おうと考えてくれるとは思えないし、浩一が会おうと動いても会ってはくれないだろう。

 だから、具体的に何をすべきか。

 浩一は全てが終わろうとしているこの一瞬の中で、動きながらそれだけを求め、考えた。

(大前提として、アリシアスから手を出させない)

 アリシアスが動けば男は死ぬだろう。それは絶対だ。

(だから男は俺が制圧する)


 ――浩一は未だに持っていた液体入の袋を殺気の方向に投げつけた。


 騎士の男の身長は覚えている。

 戦闘スタイルもだ。以前、雑誌で流し見ただけだがしっかりと覚えていた。

(アーリデイズ近接四ノ型、騎士ジョブの学生が自然と使う戦闘スタイルだ)

 近接四ノ型は本来は片手に盾、片手に剣を持ちながら高速移動し、防御と攻撃を同時に行いながら敵の撃滅を狙う戦闘スタイルだ。

(だが、男は片腕を失っている。戦闘スタイルに修正は加えているだろう)

 当然それ以外にも秘奥とも言うべき技を持っている可能性もあったが、こんな観衆の多い場所で自身の秘奥を出そうなんて考える人間はいない。

 それが命の危機であろうとも、だ。どこで映像を撮られているかもわからないからだ。


 ――緊急時だからこそ、そういうが出る。


 それに騎士専攻科コースの攻撃秘奥には少なからず準備がかかる傾向がある。

 具体的にはオーラを溜めたり、道具を使ったりでだ。

 こんな場当たり的な戦場で、一秒二秒で勝負を決める場で使用できるものではない。

 ゆえに浩一は、男が最も自信を持っているだろう一般的な戦闘スタイルを使用するだろうと推測ができた。

 浩一の視覚は回復していないが、これで男の正確な位置・・・・・に見当は付く。


 ――だから結果は確認しなかった。


 投げた香水袋・・・が着弾するより速く、浩一はアリシアスに向かって勢いよく踏み込んだ。

 そうして利き腕ではない右腕で、アリシアスの細い腰を横抱きに抱えた。

 アリシアスを戦場から遠ざけるのだ。もちろん守るためではない。手を出させないためにだ。

「俺もアレも、どちらも殺すなよ」

 Sクラスの少女を腕に抱えた浩一は腹の底に湧いたアリシアスへの恐怖を胆力で責め殺し、アリシアスの耳に唇を寄せ、囁いた。

 アリシアスが、己に気安く触れた浩一を衝動的に殺害するかもしれないということは、考えないようにしながら。


                ◇◆◇◆◇


「く、臭ぇッ、臭ぇぞッ! 糞ッ! 糞ッ! 糞ッたれェアァア!」

 アリシアスへと突進していた男の顔面に着弾したものは、大げさすぎるほどに甘ったるい臭いのする液体で満たされた小さな袋だった。

 男は叫ぶ。刺激物だ。眼球にぶつけられ、目を潰された。垂れた液体が鼻を刺激し、口内へと入る。

 香水とは本来、少量を身体に振りかけるためのものだ。

 それを顔面に直撃されたのだ。

 強烈な刺激に男は思わず剣を取り落とした。衝動で顔面をかきむしってしまう。

(香水かッ。糞、誰だッ。誰がやったッ。俺に、Aランクの俺に手を出す奴ァ。この場にはッ!)

 男の体内の解毒作用がすぐさま働き、飲み込んだ香水が無害化される。

 とはいえ喉越しは最悪だ。腹の底にタールでも飲み込んだかのような違和感がじっとりと男に不快感を与えてくる。

 刺激により涙腺が緩む。涙で視界が滲んでいく。鼻を啜る。

 多少の毒性など鼻歌まじりに無効化するSランクが使う香水のためか、根本的に人体への安全が考えられていないッ。


 ――体内の機能が全てを正常にするまでには数秒かかる。


 Sランクに斬りかかろうとしていた集中が霧散していく。

 最大の好機を失ったことを理解し、男の身体から反抗する気力が消失していく。

 だからこそと言うべきか。

 奇襲に失敗した現状を男が理解すると共に、アリシアスに対するものとは違う別の怒りが身体中に満ちていく。

(誰だッ! 俺の! 俺の、チャンスをッッ! あの小娘を殺す機会を奪った奴はッ……!)

 数秒――涙と香水で濁った視界が元に戻る。刺激臭の排除も完了した。だが何よりにも勝る貴重な三秒が失われた。「糞ったれがッ」男の中で殺意が渦巻く。

 男は激昂しながらも足元の剣を拾い、周囲に対して警戒を――「あ?」――気づけなかった。

 男の顎は、死角から放たれた掌打によって正確に打ち抜かれていた。

 強烈な打撃を受け、脳が綺麗に頭蓋骨の中で揺れた。

 それは防御に優れた騎士専攻科コースでさえ防げない一撃だった。

 そう、いかに人類が身体を改造し、その身体から弱さを殺していったとしても構造的な弱点だけは消すことが出来ない。

「ば、か、な。おれ、が?」

 膝から地面に崩れ落ちた男がその日最後に見た光景は、刀を一本だけ佩いた着流しの男、火神浩一と名乗った奇妙な学生が自分を見下ろす姿だった。

(そう、か……お前が……)

 何が起こったのか目の前で見てもなお、理解できていないのかきょとんとした顔のSランクアリシアスを小脇に抱えたB+ランクこういちは、自身より上のランクである男を打倒したにも関わらず、関心のない目で男を見下ろしている。

 消える意識の中で募るのは、果てのない憎悪。

(絶対……許し……る……も………か)

 意識は途絶える。


                ◇◆◇◆◇


 ランクAをランクB+が倒した。

 いまだ小脇に抱えられているという事実すら忘れて、あり得ない事実にアリシアスは茫然としていた。


 ――アリシアスは奇跡を見た。


 戦闘用のアイテムですらない日用品である香水。そんなもので格上を打破したのだ。

 アリシアスが事前に片腕を奪って戦闘能力を削いでいた。

 アリシアスが男の注意を引いていた。その前提があったとはいえ、火神浩一という男はランク差を覆したのだ。

 それも武装をしていた相手に武装もなしに、近接戦闘で打ち負かしたのだ。

 アリシアスのインパクトが強すぎたのか、アリシアス以外に、この場の誰もがその事実に気がついていない。

 己の腰に手を回している男を腕の中から見上げてしまうアリシアス。

 腰に回った腕は筋肉質で、こうもがっしりと抱えられるのは初めてなためか、それとも素晴らしいものを見たためか、どうしてか心臓がドクドクと早鐘のように激しくなっている。

「手ごたえはあったが……」

 閃光に焼かれた浩一の視点ははっきりしていない。

 黄金剣の閃光によって眼球を焼かれてしまったためだ。

 それは浩一の体内ナノマシンの自動治療の範囲を越えた重症だった。

(浩一様は、近接戦闘専攻科だから治療特化の体内ナノマシンぐらいありそうなものですけれど)

 負傷の多い近接戦闘職である侍ならばそれぐらい持っているはず、と考えるアリシアスは、浩一が『刀だけイクイップスワン』などという通り名を持つほどの異端者であり、この世界で戦闘を行う者にとって重要な体内ナノマシンすら、生存に不可欠な分だけをカバーする最低ランクだということを知らなかった。

 その浩一は、アリシアスが自分を見ていることに気づいていないのか。

 目を執拗にぱちぱちと見開きしながら、丁寧にアリシアスを地面へと降ろしていた。

「まぁまぁ浩一様、なんとも無骨なダンスでしたわね」

「そう言うな。マナーを知らないって言っただろう?」

「そうでしたわね。とても野蛮でしたわ。それで浩一様、わたくしにこれで恩を売ったとお思いですか?」

 しぱしぱと眼を閉じたり開いたりしながら浩一は首をゆっくりと傾げてみせた。恩を売るだと? 呆然とそう呟いたあと、首を横に振った。

「いや、あんた――」

 涼やかに「アリシアス」とアリシアスが言葉を被せる。

「どうぞ、わたくしのことは気楽にアリシアスとお呼びください。浩一様」

「……アリシアス」

「はい、なんでしょうか?」

 一切の悪感情も含まれていない優しげな笑みを数年ぶりに浮かべたアリシアスの可憐さに、ようやく視覚を回復したらしき周囲の観衆が今起きている現実を忘れ、どよめいてしまう。

 ただ有るだけで現実を歪めるほどの美しさを持つアリシアスはそんな周囲のことなど気にせずに、それで、と浩一に問いかける。

「アリシアス、わかってると思うが俺はアンタが殺されると思ってあの男を止めたわけじゃない。あんたの腕なら男を殺し返せたからな。だから、これは恩にはならない。むしろあんたはアレを殺す機会を奪った俺を恨む立場だろうさ」

「まぁまぁまぁ、浩一様。わたくし、恨むなんて迂遠なことは一切しない主義ですの。不快に思ったなら即座に相応の返礼をするだけですから。それよりもわたくし気になるのですが」

 アリシアスの言葉に浩一は目を閉じたり開いたりしながら「なんだ?」と言葉を返す。

 いまだに浩一の目は見えていない。どこかで治療すべきだと浩一も考えているが迂闊にこの場を離れるわけにもいかない。

 だから、そんなことを浩一が考えているとは露とも知らないアリシアスは純粋な目で問うのだった。

「どうして先ほどから目をぱちぱちさせてるんですの?」


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