結末と講義と馬鹿話(2)


 場は強い血臭で満たされていた。

 舌の広がる血の味。誰もが緊張しているのか、その場にいるだけで空気に圧力が混じっているようにも感じられた。

「手遅れ、だったか……」

 浩一がアクセサリー店で目的のものを手に入れ、この場に戻ってきたとき、大通りはとてもひどい状態になっていた。

 自らの手で自らの心臓に剣を突き刺し、口と胸から血を噴出し、息絶えかけている男が三人いた。

 その死にかけている男たちの前で自らの頭を抱えながら呻いている男がいた。


 ――そしてローブの少女は、ただただつまらなそうにそれら・・・をフードに隠された顔で見下ろしていた。


 自らがさせたというのに、少女がそれらを省みることはない。

「やっと戻りましたか。黒いお侍様」

 戻ってきた浩一へ視線を向けて、男たちはそれまでだ。

 展開の早い。だが浩一は怯みそうになる心に喝を入れ、歩き出す。

 男たちは無視だ。まずは事態を単純化させなければならない。

 この場を収めるにはこの問題の原因を解決しておく必要があった。

 浩一は少女へ向かって歩きつつも懐のPADを操作し、治安部隊と救急隊に通報をする。

 常識的に考えれば誰かがやっているだろうが、どうにも到着が遅い。

 この場の空気に飲まれて誰もやっていないかもしれないことを考えればやっておくべきだろう。


 ――それとも何かしらの忖度が働いているのか?


 適当な応答をして浩一は通話を切ると、アクセサリー店で手に入れた小袋を浩一は少女に投げつけた。

 それは中身を全く損壊させることなく少女の手に収まるも、少女は袋の中身を見ることなく浩一へ問う。 

「いきなりですわねぇ。それでこれは一体?」

「ツーザイラル製の香水だ。名前はスターライトだったか? すごいな。100mlで十万ゴールドだとさ。店員に表の騒ぎをどうにかするから寄越せって言ったら簡単に寄越してくれたぜ」

 にやりと、浩一は笑みを浮かべ、少女の手の中の袋を一瞥する。

「そうではなく、何故これを?」

「さてな。どちらにせよそれが理由だろう? ぶつかって、落として、割れた。それが理由だろう?」

 浩一の言葉に反応して、少女の背後の黄金鎧の男は抱えていた己の頭部から手を離し、二人を見上げた。

 もはや男には誰も注目していなかった。浩一も少女も、お互いしか見ていなかった。

 ぼそりと男が何かを呟くも、誰にもその言葉は届かない。

「ふふ。あはは。うふふふ」

 少女が自身の口元に手を持っていき「はしたなかったですわね」とぺろり、と舌を出してみせる。

 その顔はいまだにフードに包まれていてこの場の誰にもわからない。

「ふふ。おかしいですわね。本当に。本当に」

 少女のその手に包みはない。転送したのだ。

 杖を持っていないほうの手、その細く美しい傷一つない指に嵌まった指輪型PADが少女の思考に反応し、アイテムの所有者登録と転送を行なったのだ。

「くすくす。ふふ、ふふふふふ」

 少女は楽しそうに笑っていた。憮然とした顔の浩一を見て楽しそうに笑っていた。

 浩一は少女の反応を無視し、揺らすとガラス同士がぶつかり合う音や水音を立てる包みを懐から取り出した。

 先程拾った、薄汚れた小袋だった。

「そこの店先に落ちてたもの。こいつとアクセサリー店の店員の証言。アンタがこれを買ったことの証明はそれで十分だろ?」

「ええ、そちらの男性方がわたくしにぶつかった際に、手元から零れて落ちて壊れてしまったんですの」

 瀕死の三人を指さして、くすりとフードの下の口元が笑う。浩一がつまらなそうに鼻を鳴らした。

「それについてだが、今回はそこの死に掛け三人組とアンタに渡した新品で手打ちにしようぜ。なぁ・・それで・・・いいだろう・・・・・?」

 剣を突き刺した三人組。その背中からは精緻な剣身を露にした黄金剣が見える。所有者の血に濡れたその剣が、三人の命を奪うのは僅かな時間があれば十分だろう。

 三人が三人とも表情に苦悶を載せ、か細い呼吸を繰り返す様は、助けるのが目的ではない浩一にしても見ていて面白いものではない。

 とはいえ少女の方は自らが命じた顛末に快も不快も浮かべることはしない。

 剣が鞘に納まるように、砲身から弾丸が射出されるように、少女にとってこれは当たり前のことだった。

「それは貴方様が決めることではありません。ですけれど……そうですわね。貴方様のお名前を教えてくださいませんか? それなら考えてもいいですわ」

「火神、浩一。所属はアーリデイズ学園。学年は十八だ。ランクはB+」

 即座の返答に少女が首を横に傾けた。

 疑問は名前や学年ではない。浩一の言葉には嘘の臭いがしない。それは確かだ。だから首を傾げた理由は別だ。

「なんですって? もう一度お願いしますわ」

「火神浩一。アーリデイズ学園の学年十八。ランクは公式、戦技共にB+。これで満足か?」

「戦技B+?」

「ああ。そう不思議そうに首を傾げなくても嘘は言っていない。俺の戦技ランクはB+だよ」

「ふ――」

 ふ? と少女の様子に今度は浩一が首を横に傾げる。

「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ。ふふふふ。び、B+。B+が。そう、そうですの? B+が、Aの勝てなかった事象に挑み、打破し、解決する。ふふ、ふふふふ。そう、貴方様・・・が」

 喜悦で歪む口角を下品だと言わんばかりに押さえながら、衝動により身体を折り曲げた少女のフードがふわりと背に落ちた。


 ――それは、少女の素顔があらわになった瞬間だった。


 まず目に入ったのは、空と同じ色の、いつまでも見ていたくなるような、心が吸い込まれそうな美しい蒼髪だった。

 そしていつまでも心を捕らえて離さない誘惑を払い、顔を見ようと思えばその肌の白さや鼻や口の形や配置、そして深海の深さと暗さを秘めた蒼眼に心を囚われる。


 ――美しすぎて人の顔ではない。


 これは至高の芸術品に命を吹き込んだようなものだった。

 魔性とはまた違う美しさ。ただいるだけで天に感謝を覚えるような感覚に人々は陥ってしまう。

 なんでもない粗末な修道服に見を包んでいる少女は、左手の人差し指にある指輪型PADと結い上げた髪を留める飾り気のないバレッタを除けばなんら着飾っているわけでもないのに。

 群衆は状況を忘れて見入ってしまう。

 少女が素顔を隠していた理由がわかる。

 確かにこれは隠す必要があった。整いすぎた容姿は神の造形物そのもので、美しすぎて、逆に人間味がないと思えるほどにただ美しい。

 一方、侍の専攻科コースによって覚える技能によって自らの精神を操作している浩一は群衆とは逆の考えを持っていた。

 確かに少女は美しい。

 だがその容姿に反して、その中身は醜悪だ。血溜りを侍らせ、威圧を放ち、涼しげに楽しげに嗤っている。

 自らの感情を放埒に周囲に発散し、暗く淀んだ残酷さに満ちた傾国の魅力を放っている。


 ――危険な少女だった。


「ええ、ええ。楽しませていただきましたわ。浩一様。どうぞ、わたくしの名はアリシアス・リフィヌス。四鳳が八院のひとつ、リフィヌス家が誇る『青の癒し手』とはわたくしのことですわ。どうぞ、気軽にアリシアスとでもお呼びくださいませ」

 四鳳八院。その単語に浩一の頭の芯がすぅっと冷える。周囲の人々も感嘆ではなく、恐怖で押し黙る。

 アリシアスが隠していたのは顔ではなかったのだ。その素顔から容易に辿ることのできる家名だったのだ。

(リフィヌス……有名な家だ)

 それは元々は四鳳八院の八院のひとつ、聖堂院家の分家だった。

 しかし十二年前にシェルター国家ゼネラウスにて起こった反乱『チェス盤の戦争』にて乱を起こした聖堂院家につきながらも、聖堂院家を裏切り、聖堂院家の当主を殺害して四鳳八院の勝利に一役買ったことから聖堂院の全てを手に入れた。

 『主君殺し』の家。八院の座をかすめ取った不忠者。

 そんな風評に対してリフィヌスは、ゼネラウスという聖堂院よりも上位の存在に対して忠誠を誓っただけ、と釈明するのみだった。


 ――こうして正体不明は暴かれた。


「アリシアス・リフィヌス。アンタ、何を考えてる? こんな、こんな弱い物虐めがお前の望みなのか?」

 浩一は話しかけながら頭の中で情報パラメーターを並べていく。

 少女の名前はアリシアス・リフィヌス。

 浩一と同じアーリデイズ学園にて、浩一の一学年下、学年十七の主席だ。

 戦技ランクはS。主席によるランク補正含め、公式ランクもS。

 専攻科は回復と攻撃のバランスがいい神術師。そして色属性の中でも治癒と再生である青属性の使い手。

 彼女の持つ青属性と回復神術の腕は、この若さながら神域にも達し、致死寸前の人間すら蘇生できたことから、ついた二つ名が『青の癒し手』。

 だがアリシアス自身の苛烈な性格からか、その恩恵を受けることのできる者は稀だ。

 それはたとえばリフィヌスにとっての縁者や支援者。そしてパーティーメンバー。その程度であると噂されている。

 ゆえに、青の癒し手と呼ばれることはなく、その苛烈な精神性からか、ついた通り名が『唯我独尊』。

 そのアリシアスは浩一の問いに答えず、不吉に嗤っている。何を考えている? と浩一は思いながらも一歩踏み込むように要求を伝える。

「俺は名前を答えた。これで満足だろう? アリシ――「ふッ、ふざけ、ふざけるなッッッッッッ!!」

 乱入者。いや、当事者だった者・・・・・・・が立ち上がっていた。

「香水だとッ。たかが香水程度で俺は、俺の仲間はこんな目にあってるのかッ!」

 許せん、と男は呟いた。そうして剣を引き抜いた。アリシアスは嗤っていた。

「リフィヌスの成り上がりめ。この俺が殺してやる!!」

 空間に殺意が満ちる。「おい、アンタ――」浩一が制止しようと手を上げた瞬間。

「眩ませろ! グライカリバー!!」

 男の抜いた黄金剣から目を焼くような閃光が発せられた。


                ◇◆◇◆◇


 ――黄金剣グライカリバーから放たれた閃光はこの場の全員の視界を(アリシアスを除いて)眩ませていた。


 香水フレグランス。割れたビンの入った袋。アリシアスと男がぶつかった際に少しだけ聞こえた異音。

 剣を抜いた男の脳裏に鮮明に記憶が蘇っていく。

 そうだったのか。そうなのか。自分達は、自分の仲間は、たった、たった十万ゴールドの品のために、死ぬ。殺される・・・・

 許せるのか? 志を共にした仲間が。共に剣を握り、精進し、笑い、悲しみ、苦しみを乗り越えてきた仲間が、こんなことで死んでいいのか?

(いいわけがあるかッ! 許せるものかッ! 許してたまるものかッ!!)

 グライカリバーの柄を握る。一流の職人の手によって作られた剣だ。メンテナンスも欠かしていない。抜群の握り心地がいつでも十全に機能を発揮できることを伝えてくれる。

 ああ、そうだ。俺は万全・・だ。片腕がなくとも、たかがSランク。自分より2ランク強いだけ。たったそれだけだ。

 ならば、怯える必要など、殺されてやる必要などない。あるわけがない。

 それに自分は戦士だ。アリシアス・リフィヌスはSランクだが回復を行動の主体にする神術師ヒーラーだ。

 この間合なら神術の間合いではない。近接戦闘だ。一足一刀。自分の間合いだ。勝てる。勝ってやる。勝って、仲間を助けるのだ。

「おおおおおおぉぉぉぉおおおおおおッッ!!」

 これは男にとって、最初で最後の好機だった。

 グライカリバーの閃光によってこの場の全員の視界が潰れているこの一瞬のみが勝機だった。

 踏み込む。距離を詰める。たった二メートルも離れていない敵へと肉薄する。接敵し、傷を与えるために。

 アリシアスへと、修道女アリシアスへと、悪魔アリシアスへと近づいていく。男の知覚が最大の敵を前にして、広く、長く、増大していく。

 一秒が長い。一歩が遠い。だが男はこの何度も、何度も死線を潜る度に覚えるこの感覚を信用していた。

 周囲が眩んだ目で何も見えなくなっている中、当のアリシアスだけは何の異常も受けていない。

 グライカリバーは対モンスター用の兵器・・だ。至近距離で人間が受ければ軽く失明するが、それに耐えている。

 さすがは八院ばけものだと感心しながらも男は突撃を止めない。

 アリシアスは瞬時に隠し刃を展開した杖を構えていた。

 閃光を放ってから突撃するまでほんの数秒だというのに、男のような一流の戦士から見ても早すぎるその動きは、この少女が並の戦士では歯がたたない程度に近接戦闘に習熟している証拠だ。

 後衛職がそこまでの強さを持っていることに男は驚かない。

 先程腕を斬り飛ばされた一撃にしてもそうだ。知覚することもできず、受けてしまった。だから、驚かない。

(あの女の刃は腹で受ける。受けて、そのまま斬り捨てる)

 加速された知覚の中、戦闘の算段をつける。もとより無傷で勝てるとは思っていない。勝つために最善の行動は敵の刃を封じ、そうしてから最大の一撃を与えることだ。

 相打ち? そんなわけがあるか。たかが刃一つだ。腹で受け止める。背骨さえ斬られなければいい。臓器のひとつやふたつ。アリシアスに勝つためならば惜しくはない。

 男はアリシアスを見ていた。たった一人の敵を一心に見ていた。だから、気づかなかった。

 男の足が一歩を踏み込んだ。よし、そうだ。アリシアスまであと一歩。一歩だ。一歩なんだ。

 相手の攻撃に構わず、自身の最大の一撃を、女の胴体に袈裟懸けに打ち込む。それで勝てる。

「おおおおおおおおおおおおおおおぉおぉぉぉおおッッッ!!!!!!!!」

 この場の全ての生命よ、我が咆哮に怯えよ、と男は咆哮する。

 そうして最後の一歩を男が踏み出した瞬間だった。

 ぱしゃん、と。

 男の顔面に、液体の詰まった袋がぶつけられたのは。


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