結末と講義と馬鹿話(1)


 名称:黄金剣グライカリバー

 ランク:A  分類:片手長剣

『同盟歴1000年頃に活躍した、かの名匠リッツヴァライが製作したEXランクの神器『聖王剣グライカリバー』の模造品レプリカ

 柄と剣身に、黄金色に輝く頑強な金属『フェアリーメタル』を使用している。

 リッツヴァライ工房の独自技術によって加工されたフェアリーメタルは、本来の硬度よりも非常に丈夫になっており、適正な使用を心がければまず折れることはない。

 また、柄に仕込まれた機構と剣身の金属の性質を利用することで使用者の思考を読み取り、体内のオーラを任意に収束することで、飛ぶ斬撃『ブレードハイロゥ』を放つことができる。

 威力も高く、遠距離攻撃が苦手な前衛剣士の諸君には嬉しい武具だろう。

 さて、現在、この剣は購入者の要望次第で剣身や柄に購入者の家紋や家名、家訓などの文字や図形を刻むことのサービスが通常料金の二割引で行われている。

 もちろん、家訓や紋章を持たないもののためにも、ドラゴンやユニコーンなどの意匠が用意されている。

 良い子の皆、かっこいいリッツヴァライ工房製の武器を装備してクラスの皆と差をつけよう!!』

          ――2088年度版『アーリデイズ武具カタログ』406ページより



 クラン『黄金騎士連合』のリーダー格の男が、最悪の神術師ヒーラーに腕を切り落とされるより数十秒前のことだった。

 神術師の少女が不自然に気配・・を向けた先を浩一は睨みつけるように注視していた。。

(なるほど、な)

 視線を戻す。少女の意識はリーダー格の男に向いていた。

 この場から離れるならともかく、近くをうろつく程度なら気づかれる恐れはないだろう。

 浩一は気配を殺し、その場から離れると目的の場所へと歩き、それ・・を拾い上げた。

(おいおい、こんなものがこの騒動の発端か)

 浩一が摘み上げたそれは小さな商品袋だった。


 ――ただし中身は壊れている・・・・・


 浩一が片手で袋の上部を摘み、ふるふると揺らせば、かちゃりかちゃりと硝子の破片が擦れる音が聞こえる。

 袋の下部では、ぽちゃりと中身が波打つ感触が指に伝わってくる。

(壊れている? 壊された? だからか? だから、それだけのためだけに? 本当にこんなもののために? いや、しかし……確認している時間はない、か)

 浩一は動くべきだと考えた・・・が、身体に躊躇を覚えて立ち止まった。

(待て俺よ。は、何を望んでる? この騒動を無事に収めて俺に何の得がある? 喧嘩を売る相手を間違えた馬鹿が死ぬなんていつもどおりの学園都市のはずだ)

 小さな違和感の浩一の中で主張を強くしている。

 浩一はどうしたいと思っていたのか。膝立ちのまま小さな袋を手に、あの少女が浩一から集中を外したほんの少しの時間で考える。

 袋を揺らす。かちゃりかちゃり、と硝子の破片が擦れる音が聞こえてくる。

 袋を揺らす。ぽちゃりぽちゃり、と袋の下部に溜まった液体が小さく波打つ。


 ――結論が出た。


 浩一は口角を釣り上げた。喜悦の笑みだった。

 目的を見定めることのできたことでようやくやる気が湧いてきたのだ。

(なるほどな。俺はどうにもやり難いと思っていたが。俺が俺自身の望みを勘違いしていたか。ああ、そうだ。人の命を助けるのは俺の目的じゃない)

 望みではない、とまでは言わない。命が助かるのは良いことだ。本当に、心の底から浩一はそう思う。


 ――だからといって自分の身を削ってまで助けたいとは思わない。


 浩一は悪人ではないが善人でもない。

 状況を見て、心情が惨劇が起こるのを止めたいのだと思っていると思考・・が勘違いしていたが、改めて考えれば、自分はそんなことを自発的にする人間ではない。

 以前、同じような状況を浩一より低ランクの学生が行なっていたとき自分はどうした?

 今の状況よりもずっと簡単に助けられたはずだ。

(なぁ、浩一。火神浩一よ。俺はそのときに助けようとか、可哀想などという殊勝な感情を抱いたか?)

 否、だ。浩一はその場面を横目で見て、何も思わずにその場を去った。

 それを今回は、わざわざ足を止め、関わろうと考えたのは何が原因か。

(ランクだ。ランクだよ。そうだよなぁ。Sランクオーバーがどんなものか知りたかった、って所だろう。この心中に満ちる微かな高揚は)

 そう、そもそもの前提をはき違えていたのなら、やり方を勘違いするのも頷ける。

 浩一は調停を得意としない。そんなものは別の人間の仕事だ。

(で、だ。さっきの問答はいい感じに俺の琴線に触れていたみたいだが。うーむ……そういう方向が好みってことか?)

 このまま先の問答を続ける方向で進めるべきか。

 だが、それでは浩一の致死率が跳ね上がるだろう。

 そもそも下手を打つ打たない以前に、手札の少ない浩一で舌戦を行えば、どうやっても礼を失して、あの少女を敵に回すことになるだろう。

(叶うことならそれは避けたい)

 少女から決定的な怒りを買ってしまえば、この都市内で普通に生きていくことが困難になる。

(ふふッ、こんなくだらないことで、俺の今後が決まるのか。だが、そうだな。今ならば逃げることもできるか……)

 黄金騎士連合の者たちがいまだ残っている。少女は奴らへの制裁を優先するだろう。

 浩一が逃げ出せば追ってくることはないはずだ。写真や動画を撮られている可能性はあるかもしれないが、高位の者の興味がそこまで持続するとも思えない。


 ――だが、浩一はいまだこの場に留まり続けていた。


 心情はこの騒動の始まりから変わらぬ情動を示し続けている。

 身体を動かそうと、思考を誘導しようと微熱のように浩一に要求を伝え続けている。

 しかし、今はこの情動を理由に動くのは危険だった。

 先程とは違う。少女の正体不明は破られた。

 少女を相手にするならば確固とした理由もなしに逃亡も闘争も選んではいけない。肉体がどうであろうと思考が浩一の破滅を許さないからだ。

 だから・・・浩一はアクセサリーショップへと入っていく。

 ほんの少し距離の離れた場所で、リーダー格の男の腕が切り落とされていた。

 血の赤と悲鳴がその場の注意を彼らに向けている。浩一に注意を向ける者は誰もいない。


                ◇◆◇◆◇


 濃厚な血の匂いが辺りには撒き散らされている。

 平和な夕方の商店街は、凄惨さそのものとなって人々の心を侵していた。

「あ……あ、あ、あッああ」

 腕が切り落とされた傷口はまるで壊れた蛇口のように真っ赤な血を噴き出し続けている。

「な、なぜ、こんな目に……ッ」

 これでも男は学園都市が誇る優秀な教育機関で、戦闘専門の兵士となるべく、育成された学生である。

 だから傷はすぐに塞がる・・・・・・

 血を噴き出し続ける腕の断面は、肉体に備わった強力な治癒能力が働き、薄くとも頑丈な保護膜を発生させる。

 体内を巡るナノマシンが血の代替として働き、失われた血液の代わりとなる。

 痛みはただの信号・・としてダメージの深度を網膜に表示させ、こうなってなお、戦闘力の低下が少ないことを知らせてくれる。

 だが、だがそれでも利き腕たる右腕を半ばから切断された黄金鎧の男の口の端には泡が吹いていた。

 額にも脂汗を滲ませ、苦鳴を堪えるように顔を歪めた。

 自分はAランクの学生だ。この程度今までも何度かあったことだ。もっとひどい戦闘をしたこともある。

 少女の威圧で竦んでいる身体に気合を入れ、今までくぐった修羅場を思い起こし、意思によって顔を上げる。

(そうだ、俺はこんなところで終わる器じゃ――)

 そうして、男は自身を見下ろしている少女と視線を交わし――


 ――心が折れた・・・・・


(あ、あぁ、そ、そんな、こ、この女は、俺を、俺に)

 喉奥で、声にならない呻きが絶望の色を含んだ。

 なんてことだろう。こんなひどいことをしているのに、少女の瞳にはなんの感情も篭もっていない。

 少女は男に何の興味も関心も持っていない。

 哀れみや情けなんてないし、楽しさや嬉しさなんてものもない。

 その蒼瞳にあるのは、ただただつまらないものを見たという、虚無だけだった。

 少女の瞳のどこを掬っても、そこから得られるのは人が虫を潰すような、ゴミを片付けるような、そんな機械的な感情だけ。

(俺が、俺が何をした……お前に俺を……)

「必要とはいえ、なんとも、くだらない・・・・・……ですわね」


 ――男は、嘆息・・を聞いた。


 それは嗚呼ああ、それこそ男の生死すらもどうでもいいというような乾いた音。

 刃を見せたままのランクEX『聖杖ゼクトバルスレイヤ』を少女がゆらり、と男に見せつけるように揺らした。


 ――畜生、お前に、お前に俺を殺す権利が、あるというのか。


 それでも男は気づけば額を道路に擦りつけていた。

「う、うぁ、許し、ゆるして、くだ、さい」

 煮えたぎる憎悪を必死に押し殺しながら男は少女に懇願した。

 自身の血が撒き散らされ、赤に染まった道路に額を擦りつけ、無様に、みっともなく許しを請う。

 プライドや気位の高さは無理やりへし折った。

 ただただ少女の機嫌が良くなるように祈り続ける。

 屈辱に男が人生で培ってきた精神がぐにゃりと音を立てて捻じ曲がる。

 耐え難い恥辱だ。

 心の芯が苦痛で悲鳴を上げる。

(こんな、こんな糞みたいに目に会っても、死ぬよりかはマシだ。死ぬよりかは……)

 男には夢があった。子供の頃からの夢だ。学園を優秀な成績で卒業し、軍人となって前線で武功を上げること。

 そしていずれは八院の部隊に取り立ててもらい、歴史に名を残すような戦いで勲功を上げ、己の名を歴史に残していくという野望がある。

 外にモンスターが蔓延り、未だ人が主役になれていない時代ならばの、馬鹿馬鹿しいとはけして言えない夢。

 力さえあればこの世界では成り上がれるのだ。その一点の為に汚い仕事・・・・にも手を出し、金を集めていたのに。

「…………ああ、許して……許してください……」

 何も言われない。男は恐る恐る顔を上げた。

 少女が男を見逃してくれる期待を込めて、縋るような色を視線に込めて。

 だが少女は男を見ていながらも、何も見ていない・・・・・・・ように見えた。

(なん、だ……この女は、何を考えている? こいつ、俺を見ているのか?)

 先の直感。少女が自分を虫を見るような目で見ていたことは確かだ。

 だが、と反論が脳に浮かぶ。そもそも虫としてすら見ていなかったのならば。


 ――男の身中に屈辱以上の何かがわき上がる。憤怒にも似た、煮え立った……。


 解放されようとした激情は少女の杖がこつんと床を叩くことで停止した。

 悲鳴が口の端から漏れそうになる。そうだ、それは先ほど男の腕を切り落とした凶器だ。

 男は上げていた額を再び地面に擦りつけ、漏れそうになる悲鳴を胆力を振り絞って押さえ込んだ。

 だが少女は何も言わない。沈黙が続く。

(そろそろ何か……うぁ――ッ)

 男は恐る恐る少女を見上げて後悔した。少女が何かを思いついたように口角を緩めていたからだ。

 それは絶対に良い予感のするものではない。

 だって少女は嗤っている。

 とてもとても愉しそうに嗤っている。

 死の予感に臓腑が震える。筋肉が萎縮し、残った左手の指先が自然と震えてしまう。

「そう、そうですわね。貴方たち、自分の心臓に自分の剣を突き刺してくださいませんか? そのうえで治安維持が間に合うまで貴方たちが生存していられたなら、貴方たちを許して・・・あげましょう・・・・・・。もちろん、あなたたちが何を許されるのかを知らなくとも、ですわ」

 男たちの所持する黄金色の剣を指さし、少女は非道な提案をする。

「な、なッ! そ、そんな馬鹿なことをッ! はいやりますと頷けるわけがないだろうがッ!!」

 あまりに怒りに身体に籠もっていた緊張は吹き飛んだ。

 それでは生きて帰れるかわからないだろうッ! と火に掛けた薬缶やかんのように瞬時に激昂し、声を荒げるリーダー。


 ――こんな無茶な提案、軽々しく承諾できるわけがなかった。


 男は当然、自分たちの剣の威力を知っている。

 この剣がどれだけのモンスターを殺してきたか、戦ってきたか。

 自分の剣だ。自分たちの剣だ。当然よく知っている。

 リッツヴァライ工房製ランクA片手長剣、黄金剣グライカリバー、これはAランクのモンスターとも渡り合える本物の兵器だ。

 だからわかる。この愛剣を心臓に突き刺せば、下手をしなくても、運が悪くなくても絶対に死ぬ。

 男たちとて、四鳳八院に及ばずとも学園で上位を担えるほどに肉体を改造している。

 心臓を潰された程度では即座には死なない。

 だがそんなことではない。黄金剣グライカリバーには斬った対象の体内に向かって衝撃波を放つ機能が搭載してあるのだ。

 この剣が特別なのではない。Aランク以上の武器なら当然備えている再生能力を持つモンスターと戦うための機能の一つだ。

 リーダーの男は気力を絞り出して、少女を睨みつけた。いまだフードによって衆目に顔を晒していない少女を。

 恐ろしい少女。恐ろしくて恐ろしくて、とても相手にしていられない少女を。

やりなさい・・・・・。許してほしいのでしょう?」

 男たちの歯がぎりりと苦悩に音を立てた。

 自らを突き刺せば死んでしまうと言うのに。

 わかっていてやらなければならないのか。

 だが究極の命題を眼前に転がされながらも悩む時間は与えられない。

 ぉ 、と鈴の音のように軽やかな声が響いた。少女の声だった。

 あぁ、と絶望の混じった仲間の声がした。

 少女は男たちを見ているようでいて見ていない。話も聞いていない。だから「よぉん」と返答を聞くことなくカウントを続けてしまう。

(もう駄目だ、我慢できねぇ。ここで俺が……)

 リーダー格の男が残った左腕で愛剣の柄を強く握った。

 当然、少女の提案通りに自害するためではない。多少の苦戦はあるが、こちらは男を含めて四人いるのだ。Aランク前衛職が四人。ならば如何に少女が強かろうと、■■には十分。

 思考した間にさぁん、とカウントされる。「おい、お前ら! 俺と一緒に――」仲間を振り向き、男は愕然とした。

 彼らは剣の刃を自らが着る鎧の中心に押し当てていた。そこは、と呻きが喉奥で潰れる。正確に心臓の位置に当てている。


 ――絶望に歯が軋る。


 黄金剣グライカリバーは男のクラン『黄金騎士連合』がAランクに上がると決まったときに、リッツヴァライ工房に依頼して制作させた剣だ。

 それは造形や装飾の一つ一つを毎日メンバーと話しあいながら決めたもの、そしてAランクに正式に昇格したときに彼が手ずから仲間に渡した剣だ。

 夢と努力の象徴。絆と勝利の象徴。男たちの勲章が、仲間の命を奪うのか。


 ――そんなことは、許されていいわけがない。


「そうじゃない! そうじゃないだろう!」

 否定と嘆きを込めて、男が声を荒らげるも仲間たちは何も言わない。

 そうして、囁くように「ぃ」が告げられ、ただただ平坦に「い~ち」を宣告される。

 深い深い深海のような蒼い瞳で少女は地に伏す男たちを見ていた。

 それは何も見ていない。何も映していない瞳。

 しかし視線は決して彼らを見逃さず、捉え続けている。

 三人の仲間は男を見返し、少女これに抗えるわけがないだろう、と顔を歪めた。

ぜろ

 そうしてガスン、と三つの音が重なった。

 男が敵を倒すために仲間に与えた黄金の剣は、Aランク学生の怪力により、一瞬の抵抗の後、害意から身を護るための頑丈な鎧をあっけなく貫通した。

 優れた戦士たちによる致命の一撃は、肉体の奥にある心臟を的確に破壊する。

 倒れ伏した彼らの身体が剣から放たれた衝撃波によってびくんと大きく震え、Aランクを越えた戦士ならば当然用意してあるサブの心臓を他の臓器と一緒に、容赦なく破壊する。

 噴き出す鮮血は赤く紅く。

 剣と鎧に刻まれた黄金騎士連合のエンブレムは戦士たちの身体から噴出する黒みがかった赤によって不吉に染められる。

 リーダー格の男は、慟哭と嘆きに全身を震わせることしかできなかった。




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