唯我独尊(3)


「そこまでにしておけ」

 争いの場に、悠々と歩いて割り込んできた着流し姿の男を、黄金鎧を着た一団はけっと眺めた。

 漆黒の着流し、腰の刀、黒髪黒瞳、そこそこの長身に鍛え込まれた肉体。

 侍の専攻科コースの学生だ。

 そして戦力分析は刹那もいらなかった。装備と肉体を見ればひと目でわかる。


 ――この侍は自分たちより弱い。


 戦力差もわからない馬鹿な正義漢だろうかと男たちは思うものの、自分たちに突っかかる侍の黒瞳には正義を為すに必要な熱心さが欠片も入っていない。

 むしろ侍のどこか諦観を含んだ視線に男たちは困惑し、どうしたものかとお互いを見てしまう。


 ――それでも、男たちはやる・・と決めている。


 男たちは考える。愚か者には制裁が必要だろう、と。

 そんな男たちに先んじて、男たちが囲んでいた少女が侍へと声を掛けていた。

「あらあら、いいところ・・・・・でおじゃま虫のご登場、と。まったく、黒いお侍様、貴方様はどちら様ですの?」

 少女にペースを奪われたことに、ぐ、と男たちは鼻白むものの、リーダー格も瞬時に言葉を放つ。

「おうッ、なんだてめぇはッッ!?」

 侍が乱入したことで霧散しかけた緊張感は、即座に少女と男達によって再度構築される。

 既に彼らのやる気テンションは閾値を超えている。

 ひと目で弱いとわかる侍、火神ひかみ浩一こういちの介入など冷水にもならない。

 だが浩一は男たちに向けて淡々とした口調で忠告をする。

「そこの四人、あんたらAランクパーティーの『黄金騎士連合』だったな。その女に手を出すのはやめておけ。後悔するぞ?」

 んん? と男達が顔を見合わせた。

 この侍は自身が止めようとしている自分たちを知っている。学園都市でも上位に位置する暴力を持つAランクの集団だと。

 ただの正義感ばかではない? 忠告かこれは? 後悔とはなんだ? 自分たちは何かを見落としている?


 ――だから彼らは改めて少女を観察した。


 変わっていない。

 彼らにとってこのローブ女は、分不相応で小生意気な神術師ヒーラー少女メスでしかない。

 そうしてから浩一を改めて見定める。着流しは特殊な縫製で有名な『和』製の銘無しCクラス品。腰の刀はB+ランク毒刀『雲霞くもがすみ緑青ろくしょう』。

 着流しの下には安いインナー、金属の仕込まれた安い軍用ブーツ、安っぽい防刃防弾グローブも身につけているが、Aランクの学生である男たちにとってそれらは防具には値しない品だ。

「あー、てめぇは、前衛系の刀使い。ランクは良くてA、悪くてB」

 断言した。浩一も否定しない。

 雲霞緑青は侍以外の専攻科でもよく使われる武具だ。多くのモンスターに通用する使いやすい武具なので剣士も使う。

 ただ着流しも併用しているとなれば重い鎧を好まない軽戦士の中でも、和風の布装備と親和性の高い侍だろう。

 街中で毒の武器とは穏やかではないが、自分たちとて本気になれば大量殺戮兵器となれる肉体を持っている。

 蛮行を行おうとしたところで止められ、水を差された気分になったものの、浩一を少女と同じく格下と見定めた男たちは依然強気だった。

 装備品を見れば持ち主の強さは理解できる。


 ――自分より弱いものを恐れる馬鹿はいない。


「あー、忠告してやる。刀使いのてめぇはこの嬢ちゃんにいいとこ見せたいんだろうがな。こっちが先約だぜ。散々楽しんだらてめぇにも売ってやっから、さっさと行け。その善良さに免じて今回は見逃してやる」

「顔が見えねェからなブサイクだったらそのまま売ってやるよ」

「然り然り」

「お侍さんは下がってな」

 戦力格差を確信したリーダー格の言葉に、連れの男たちが声をあわせて浩一を嘲笑う。

 生意気な女に現実を教えてやろうという下衆な欲望で頭がいっぱいの様子だった。

 顔は見えずとも少女の声の美しさやフードの隙間から見える肌の白さである程度の美しさはわかるのだ。

 ゲラゲラという大声が場に満ちる。

 周囲を囲む群衆たちが軽蔑したような視線を男たちに向けていた。


「それで、そこの間抜けで阿呆で身の程を知らない貴方様はどこのどなたですの?」


 その言葉は、男たちの笑いの合間や、群衆たちの静かなれど無視ができないぐらいに張り詰めた緊張感を縫うように放たれていた。

 しん、と一瞬で場が静まり返った。

 それはどうしてか抗えない魅力の籠もった言葉だった。抗うことを戸惑わせるような、ずっと聞いていたいようなそんな威厳の籠もった言葉だった。

「答えてくださいますか? お侍様」 

 神術師の少女はもう一度、厭らしい目で己を見る男達を無視し浩一に問いかけていた。

 その素顔は顔を覆う深いフードに隠されており、これだけ近づいても浩一には視認できない・・・・・・

 だからきっと男たちも素顔を見ることはできていないのだと、未だに変わらない男たちの態度から浩一は察する。

 浩一の額をたらりと汗が流れた。

 暑いわけではない。シェルター内部の温度は住民が過ごしやすいように調整されている。

 だからこれは緊張の汗なのだとはわかっていながら、浩一は先のつまらない表情を浮かべて、虚勢を張ってみせた。

 誰か・・はわからないが、顔が見えてしまえば、この虚勢を解いてしまえばきっと、浩一も男たちもまともに少女の相対などできないに決まっていたからだ。

 浩一のその変わらぬ姿に、男たちが面倒くさそうな顔をした。そして生意気だな、と思った。

 正義感が強い人間が嫌いなわけではないが、ランクが低いなら低いなりの態度で男たちをいい気分にさせるべきだと思ったからだ。

 それに二人以上・・・・の犠牲はさすがにもみ消すのが面倒だ。もう獲物は決めたので、浩一には穏便に帰ってもらいたい。

「な? おめぇは帰れ。この口の悪い阿呆庇って怪我するのは割にあわんぞ? 俺がお前と同じようなころは――」

「ねぇ貴方様、わたくしに同じ質問をそう何度もさせないで欲しいのですけれど?」

 ローブに隠れているが、少女が発する鬼気に浩一の身体が無意識に怯えてしまう。

 忠告をしてくる男たちは無視をした。この場において、最も重要なのは少女の方だったからだ。

「お、俺はお前の顔やランクは知らない。だが――」

「初対面の乙女に向かってお前とは、極限まで失礼な方ですわね。で? だが? なんですの? 知らないなら――」

 知らないなら余計な口を叩くなとでも言いたそうな少女に先んじて浩一は告げる。

 浩一が少女を最も警戒した理由。この場に飛び込んでしまった理由、それを。

「――お前の、そのには見覚えがある」


 ――瞬間、少女の口角が、いびつに弧を描いた。


 この場の全ての人間が、それこそ少女を囲んでいた男たちから、周囲に居並ぶ群衆まで全員が全員、己の持つ武具に手をかけていた。 

 老人が、少女が、教師が、軍人が、女が、少年が、学生が、研究者が、男が、中年が。

 刀を、剣を、斧を、大剣を、大鎌を、斧槍を、鉄槌を、魔杖を、槍を、弓を、銃を、双剣を、錫杖を、拳を。

 たった一人の、それこそ今まで男たちに囲まれていた少女に向けて構えていた。

 火神浩一の言葉が理由ではない。

 どうしてか・・・・・、少女に敵意を向けなければならないと思った。

 思ってしまったのだ。


                ◇◆◇◆◇


 ――少女の形をした何か・・が商店街にいる。


 重圧が人の形をとって佇んでいた。

 浩一は刀の柄に手を掛けた。腰を落とし、居合の構えを取る。

 少女は口角を釣り上げて嗤っている。素顔は見えない。どうしてか、ここまで近づいてなお見えないのだ。

 構えたが抜刀はしない。

 勝てないことは理解している。

 それでも心根はくじけてなどいないのだと。少女に対して無抵抗ではいられないのだと肉体が懇願した結果だった。

「ふ、ふふッ。ふふふッ。まさか、まさかですわね。わたくしを知っていながら、わたくしに声をかけようとする方がいるとは思いもしませんでしたわ」

 相も変わらずフードで正体を隠す少女に浩一は震える全身を気力でねじ伏せ、首をゆっくりと横に振った。

 この神術師の少女についての情報を浩一は持っていない。

 少女の持つ杖の情報は知ってはいたが、所持者のことは知らなかったからだ。

 そう伝えるために、口を開こうとするもどうしてか言葉がでない。

 唇が震え、掠れた声が出るだけだったからだ。

 その事実に愕然とする。まさか、そんな――自分に限ってそんなことが在り得るなど。

(――……ッ!? この俺が、ここまで、怯えッ、だとぉッ!)

 恐ろしい・・・・。重圧で動けないでいる。その事実が恐ろしい。

 揺らいだフードの隙間から覗く正体不明が、まるで深淵に潜む化け物がごとくに浩一の身体を震わせた。

「では、なぜわたくしを止めようと?」

 一歩少女が浩一へと距離を詰める。浩一は動けない。後ずさることもできない。

「わたくしを知らなければこの程度の争い、どこにでもあるようなものでしょう? それとも貴方様は全ての喧嘩を止めて回っているのですか?」

「あ――そ、りゃ、決まっ、て」

 絞り出すように言葉を発する。ようやく絞り出せた言葉は、それは恐怖に濡れ、切れ切れの掠れた声として出てしまう。

(はッ、はははッ。これは、俺は、なんて、無様なッ。糞がッ。わかってんだよッ。わかっててこの場に立つと決めたんだろうが! 火神浩一!! この馬鹿野郎がッッ!!)

 だから浩一は、目の前の相手を意識して忘却した・・・・

 パンッ、と頬を思い切り叩く。大きく息を吸い、丹田に力を込める。

(落ち着け。この失敗は認めろ。だから怯えるな。展開次第じゃ何もできずに殺されるぞ)

 殺される。人が死ぬ。これは比喩ではない。学生同士の諍いで死者が出ることは稀ではあるが存在する。

 そもそもが、だ。これだけの力を持つ相手の癇に障ったならば、浩一など造作もなく殺されるのだ。

 それは相手にその意思がなくてもだ。浩一の脆弱さからうっかり殺される恐れがある。

 巨大な牛鬼ミノタウロスと相対できる火神浩一であろうと、技術が発揮できない状況であるならそれほどまでに肉体は脆かった。

 だから戦うためではなく、殺されぬために肉体の震えを意識スキルで統制する。

 侍という専攻科の学生ならば呼吸と同じように出来る技能。それを意識して発動する。

(スキル『侍の心得』)

 『侍の心得』とは浩一が鍛錬の末に肉体に深く深く刻みつけた精神操作法スキルの一つだ。

 侍の心得が生み出すのは、異常なまでの死地への耐性。

 この技術スキルの使い手は精神から恐怖や緊張といったストレスを任意に取り除き、戦闘に特化した思考へと脳を誘導することができる。

 脳内麻薬が大量にドバドバと生成され、浩一の肉体を縛っていた緊張が春の淡雪が如く溶けていく。

 圧倒的上位者からの圧力と恐怖から精神が開放される。

 だから刀の柄から浩一は手を離した。腰を落とした警戒体勢を解く。

 いまだ野次馬を含めた全ての人間が武器に手を掛ける中、浩一だけが少女に敵意がないことを示した。


 ――示さなければならなかった。


 眼の前の存在はただの少女ではない、化け物なのだ。

 そしてこのシェルター都市の化け物たちは、政治的な化け物でもある。

 今後もこの都市で生きていくなら、この少女の気分を害してはならない。

(なんだがな……くそッ、なんでこんなところに俺はいるんだかな)

 浩一自身わからないことだ。

 とはいえ、この場に立ってしまった以上は切り抜けなければならない。

(こいつは、何者だ……?)

 ローブで相手の全容は見えない。

 わかるのは圧倒的な強者だということ。

(とはいえ精神は人間のはず……はずだ)

 数少ない超越者の知り合いを浩一は脳裏に浮かべ、ダメかもな、と内心のみで苦笑する。

(笑えるならなんとかなるか)

 希望を捨てずに浩一は少女を正面から真っ直ぐに見つめた。

 このは圧倒的な高みにいる。今の浩一の武力では対峙することから困難だ。

 だから、やるなら武ではなく言葉だ。言葉で倒す・・

 そんな浩一を見て少女が嗤う。よくできました、とでも言うように口角が緩んでいた。

「佇まいは貧相なれど、胆力は確か、ですか。なるほど、わたくし、少々ですが貴方様に興味を持ちましたわ」

 浩一に対する少量の興味がその言葉には混じっている。

 浩一を試すためか少女の発する威圧が増大する。

 観衆の誰かが泡を噴いて倒れる。ざわめきすらも起こらない。この場をこの少女は支配している。

 馬鹿野郎と内心で少女を罵りながら浩一はぐっと心胆に力を込めた。

「さて、わたくしを警戒しているのなら、疾く速やかにわたくしに貴方様の名前をお教えくださいな。再三聞いているのですから、そろそろ教えてくださってもよろしいでしょう? ねぇ、名も知らぬお侍様?」

「俺の名前ね。だが、その前にあんたの名前を聞いていないな。いや、全く興味はないが」

 すぅ、と少女の雰囲気が鋭くなる。まるで刃のような気配が浩一の全身を包み込み、浩一の意識を屈服させようと迫ってくる。

(――さて、街中であるし、どうやら相手も短慮に実力行使はしないみたいだな。これでとりあえずの目的を果たせるか?)

 思考しながら、細かく呼吸法を使って肉体の調子を整えていく。

 心臓、血流、脳内麻薬を操作する。肉体を冷静に保ち、思考に余裕をもたせるためにだ。

 もう刀を抜く気はない。戦ってどうにかなるような相手ではないことはわかっている。

 しかし、何が起こるかはわからなくともいつでも動けるようにはしておくべきだった。

(俺に意識を向けたために、この少女は絡んでいた男たちから集中を外している)

 この間に、誰を相手に喧嘩を売ったのか気づいた男たちが逃げてくれれば、ここを少女の狩り場にさせないという目的は果たせる。


 ――少しの違和感が浩一の意識に残る。


(しかしわからんな。俺はそんなお人好しだったか?)

 この場に出てきたのは本能の導きによってだ。

 しかし、火神浩一という男は見知らぬ誰かの為に身体を張るような人間ではないはずだ。

 沈黙と静寂。

 フードを深く被っているがゆえに、口元しか見えない少女が諦めたようにため息をついた。

 浩一に纏わりついていた少女の威圧が去っていく。

 どうやら威圧で浩一を屈服させるのを諦めたようだった。

「全く、女性に先に名を名乗らせるのはマナー違反ですわよ」

「失礼。だが、所詮俺はただの学生でな。生憎、そんな上等な作法は頭に入ってないんだよ」


 ――数瞬、互いを見つめながら二人はお互いを嘲笑った。


 片方は本来ならば楯突くこともできない相手へと言葉だけでも逆らえているという現実に。

 片方は本来ならば楯突くこともさせない相手にイニシアチブを取られているという現実に。

 言葉を放たずとも視線を介してお互いがお互いの腹を探り合っていた。

 相手の目的、相手の心情、相手の挙動、相手の感情。

 この場では致死の刃は交わされず、凄絶な動作など必要とされない。

 にも関わらず、浩一にとってこの場の緊張感は、全力の肉体闘争と同程度の困難さを強要してくる。

 ゆえにか、当初は心情を思考で解釈した目的に従って動いていたはずの浩一は、どうやってこの困難を乗り越えてやろうか、という快楽に全身を支配されていた。

(言葉と言葉の争い。問答での致死を経験した者はそう多くはないんじゃないか?)

 そして、この緊張感によって、浩一は自らの心が本当に望んでいたことはなんであったのかを薄々と察した。

 浩一と顔もわからぬ少女。

 初対面、一切の交流がなかったはずの両者は、奇しくもまるで長年連れ添った夫婦のような認識を交わしつつある。

 少女の中では浩一から浩一の名を聞き出すことを目的とした闘争へと。

 浩一の中では男たちから浩一へと移った少女の暴威をどうやって外すかへと。

(そうだな――稼ぐべき時間は治安維持が来て場を収めるまでだ。この騒ぎで通報内容の変化は確実。この女の脅威度対応はSとして、治安維持の到着はあと10分といったところか?)

 もともとAランク集団を鎮圧すべく用意を調えているはずなのだ。何もないときよりも猶予はマシなはずだった。

 そして、少女が浩一へ探りを入れるべく「では、質問を変えましょうか」と言った瞬間。

「なんなんだ! なんなんだぁ! お前はッッ! お前らはァッッ!?」

 両者の認識の中で、すでに背景と化していた人物が再起動を果たしたのだった。


                ◇◆◇◆◇


 フード付きのローブで全身を隠している少女は男たちへの関心を完全に失っていた。

 浩一もまた、察しの悪い男たちだと舌打ちで気分を示す。

 騒いだのはクラン『黄金騎士連合』のリーダーである男で、その背後には腰が引けているものの未だに三人の男たちが残っている。

 既に刀から手を離している浩一と違い、彼らAランクの学生たちは己の得物『黄金剣グライカリバー』から手を離すことができていない。

 浩一へと集中させるのをやめたとはいえ、この場にはいまだに少女から発される強烈な圧力が存在していた。

 百戦錬磨の学生たちですら、致死を覚悟するほどに警戒を解けない強烈な圧力。

 それを粗末に見える空色のローブに身を包み、粗末なはずの杖を持った少女が今もなお発していることに男たちは気づけていないのか。

「お、おまえ、いや、あ、あなたは、だ、ダレなんだ、です、か……?」

 いなである。男たちは気づいていた。

 だから言葉が不自由になりながらも、リーダー格の男は途切れ途切れに問いを発していた。

「ど、どう、すれば、ゆる、ゆるして、くれますか?」

 否、これはもはや問いですらない。事実上の降参宣言を行っていた。

 だらだらと全身から汗を流し、男はたった一つだけを問うている。


 ――謝罪の仕方を。


 もはや発端となった争いは終わっていた。

 少女が正体を現すだけで戦いですらない戦いは決着がついていた。

 男たちは少女の威圧で力量差を理解した。

 顔を隠すフードのせいで(おそらくは強力な認識阻害の効果のある装備だ)この少女の正体を男たちは掴めないが、周囲を圧倒する威圧だけでその実力を察することはできる。

 学園都市とは、化物どもが闊歩する混沌たる都市だ。

 火神浩一ではまともに戦うことすらできないAクラスの戦士を集め、世間一般では強者と認識されるクラン『黄金騎士連合』でさえも、野良犬扱いできる化け物が平気でこんな場所を歩いているのだ。

 それゆえの全面降伏だった。

 プライドなどどうでもよかった。今ここで男たちにとって最重要は、自分たちが誰に喧嘩を売っていたかを知ることだ。

 そうして詫びを入れられる人物であるのかを知るのだ。

(だ、だ、だいじょ、大丈夫、だ。し、死ぬような、こ、ことは、な、ない、ここ、は、人、がい、いる、から)

 男は震えながら自身を安心させるためだけの推察をしたが、思考は濁りきっている。

 この男は覚えているのだろうか。自身がさきほどまでに行おうとしていたことを。


 ――少女をさらおうとしたのだ。街中で。堂々と。


 男はAランクだった。腐ってもAランクだった。

 Aランクの頭脳は男に現実逃避を許さない。都合の良い未来を想像させない。

 通常、街中での暴力行為は禁じられている。

 男たちとて、低ランクをなぶる際に人目につくようなことはしない。攫ったり犯したり殺したりするなら人目につかない場所で行う意識はある。

 それは高ランク者に絶対的な特権を与えるランク制度にも、さすがに白昼堂々の理由なき殺人を許す特権までは与えられていないからだ。

 だが、例外はある。

 相手が四鳳八院・・・・と呼ばれる家名に連なる者であったならば。

 生まれ持った貴種としての特権、年月とともに権威を積み重ねてきた家名をもった存在ならば。

 法と力の根本をその手に掴んでいる者ども。

 このシェルター都市を支配する『四鳳八院』と呼ばれる貴族階級ども(名目上・・・はこの都市に身分制度は存在しない。人間は生まれながらに平等であるとされている)。

 だからこそ、生まれ持っての才能と努力のみでここまで勝ち上がったために、なんの後ろ盾も持っていない男たちは相手の素性を探らなければならなかった。

 もっとも顔を見せずとも相対するだけで有象無象を屈服させる威圧の持ち主を想像すれば、おそらくは四鳳八院の人間なのだろうけれど。


 ――それでも相手次第では詫びの入れようがあるのだ。


 リーダー格の男は混乱しながらもゆっくりと思考を巡らせていた。

 常人では頭を巡らせることすらできない威圧の中でだ。性根は腐っていてもAランクは伊達ではない。

 しかし、浩一との遊びを邪魔された少女は心に冷酷を貼り付けて、リーダーの男に向き直った。

「まったく、貴方たちは、本当に、わたくしの楽しみを奪うことが大好きなようですわね」

 フードに隠れ、表情はわからない。

 しかしその視線が路上の片隅で一瞬だけ揺らいだ。

 何かあるのかとリーダー格の男が視線をそちらに向けようとするも、少女から目が離せない現実で心が潰れそうになる。

 ここまでお膳立てされれば察しの悪い男でも理解できる。

 この少女は怒っているのだと。

「わたくしに許してほしいのならば、貴方は貴方が何をしたのか思い出すべきですわ。だから、さぁ、お選びになってくださいな。酷く苦しむか。辛く苦しむかを」

 選択肢がない! そう反論しようとしても少女の努気に怯えた男の口は歯をガチガチと打ち鳴らすだけだ。

 少女が手に持つ杖を軽く・・揺らした。

 その仕草だけで数多の歴戦を経験した男の背筋がゾクリと震える。

 どうしてか、ただの粗末な杖に恐怖を覚えたのだ。

「い、い、いきなり、り、り、り。な、な、なに、ををををををッ」

 恐ろしい。恐ろしい。研鑽と努力と改造を続けた肉体が眼の前の現実に怯えていた。

 自分たちの目の前にいるものの不条理さに、モンスターを殺害するために費やした半生が警告を鳴らし続けている。

(そ、そ、そうだ。そ、そ、そう、だった!!)

 男は散り散りになった思考のまま考える。どうして気づかなかったのか。

 弱者とは、今の自分のようなものだったはずだ。

 強者の一挙手一投足に怯えるしかない生き物だったはずだ。

 だが、目の前の少女は最初から強者の態度をとっていた。

 一貫していた。怯えていなかった。

 七百五十万の人口を持つ学園都市アーリデイズにすら五千人しかいないAランクの学生。

 それが四人がかりで一人の少女を囲んでいたというのに。


 ――この化け物は最初から最後まで、震えの一つも見せていなかったのだ。


 フードの陰から見える少女の唇が、艶めいて震えていた。

 男たちの黄金の鎧に包まれた体が萎縮し、少女に対して自然と膝をついていた。

「しゃ、しゃざい、謝罪す、する。ゆ、ゆる、ゆる、ゆる、ゆるしッ」

 ああ、なんとうことだろう。謝罪を乞おうにも、肉体が自由に動かない。言葉がうまく扱えない。

「あ、あああああ、あああ、ああああ」

 恐怖。恐怖だ。心底からの恐怖が肉体を硬直させている。

 どうしてか、膝をついて、幼児のように震えてなお、自らの武具たる黄金の剣の柄から手が離せない。

 そして武具から手を離せない現実が、男たちの謝罪に真実味を与えてくれない。

 こんなにも、謝りたいのに……!! どうして謝らせてくれない……!!

「あ、あやまる。あやまるから、ゆ、ゆるし、許して、す、すまなかった。す、すまな、ち、ちが、ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいッ! ごめんなさいッッ!」

 小柄な少女に、図体の大きい男たちが謝罪の言葉を積み重ねる。

 先と逆転した異様な光景を、この場の誰もが真っ白な思考で眺めることしかできない。

 その有り様に、少女の口から呆れが言葉となってこぼれる。

「貴方たちは、何を悪いと思って謝罪を行っているのですか? その生ゴミの詰まった、空っぽとすら形容できない頭蓋は、わたくしになんのために、なにを謝罪するのかをきちんと把握していますの?」

 あぁ、と屈辱ではなく、恐怖のために瞳を潤ませていた男が少女を見上げた。

 それだけ接近し、ようやく、ようやく少女が誰なのかを男は理解する。

 フードの奥で光る暗い蒼眼が無感情に男たちを見つめていた。

 『青』の属性の中でも最も濃い力を持つ者のみに許された深海がごとき暗き色の瞳。

 蒼髪蒼眼の神術師。主君殺しの家系。二つ名よりも有名な通り名を持つ少女。

「あ、あんた。あ、あり、あり」

「お黙りなさい。わたくしとそこの殿方のやりとりを聞いていなかったのですか?」

「し、あ゛ぁぁぁぁぁぁあ゛あ゛ッッッ! う、ウデェ、おれ、おれの、うで、うでが、」

 だく、と男の腕から血が噴出していた。腕が切り離されていた。

 一瞬のことだった。この場の誰もが、すぐ傍でそれを見ていた浩一すらも、切断・・の瞬間を見ることができていなかった。

「わたくしの名は、わたくし自身の口から宣言します。それよりもようやく気づきましたわね。あなたたちが、誰に対して、どれだけの無礼を積み重ねていたのかを」

 傍目には、少女が杖で男の腕をちょんと突いたように見えた。

 だが、ただ突かれたのではなかった。

 火神浩一が指摘した無骨な杖、その先端から飛び出した隠し刃・・・が、膝を付きながらも剣の柄から手を離せなかった男の腕を鎧ごと切断していたのだ。

「ああああああああああああああああああッッッ!? いでぇええええええ!! いでぇえええええええ!!」

 強度的に強くないはずの隠し刃で、Aランクの耐久を誇る黄金鎧を腕ごと切断する杖。

 腕を切られたリーダー格の男は、学園都市の学生として、そんな武具の噂を聞いたことがあった。

 隠し刃、それはただの付属機能だ。

 敵に接近された時のためだけに付けられた、ただの護身機能。

 だが、そんな隠し刃でしかないものでAランクの近接戦闘職の腕を切断できる逸品。

 間違いなかった。

 SSの上のランクEX、都市最高のランクを冠する武具である『聖杖ゼクトバルスレイヤ』。

 そしてそんなものを持ち歩いている神術師など一人しかいない。

(あ、あああああ、ああ、い、生き残れ、ない。こ、この、この、女からは、逃れ、逃れ、られない)

 この、己のみを絶対とし、世界の理とする女からは。


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