唯我独尊(2) 



 アーリデイズシェルター63番区画を漆黒の着流しを来た侍、火神浩一が歩いていた。

 峰富士智子のバイトを終え、学生らしく学園の講義に出席した後に、63番区画の商店街に買い物に訪れたのだ。

(さぁて、晩飯は何にするかな)

 食事のことを考え、浩一の口角が緩む。浩一は感性の多くを戦闘に向けている男だが、人並みの欲望ぐらいは持っていた。


 ――63番区画は比較的安価に食料品や生活雑貨が手に入りやすい区画だ。


 浩一の住むアパートメントからは大分遠い区画だが、移動用のモノレールは学割が効くので、多く食べる金欠学生からすればここで食材を買うことで食費の節約になるのだった。

 手元のPADには自室の冷蔵庫の中身や、63番区画の商店街に存在する生鮮食品店の広告などが表示されている。

(なに食うかな。肉なら鳥、牛、ブタ。たまには魚にするかな。んー、照り焼きでも作るか?)

 鳥や牛の肉が広告には表示されているが、実のところ、シェルターではもともと地球に生息していた家畜は希少種として扱われている。

 なので天然の肉は高級な嗜好品として扱われていた。

 だから浩一が買えるそれらは工場で作られた鳥肉風や牛肉風や魚風の合成肉だ。

 金のない浩一は常に財布の中身が厳しいため、コストなどを勘案しながら、メインを鳥肉風の合成肉の唐揚げに決定したところで前方の異変に気づく。

「なんだ? 事件か?」

 何かを囲むように、道のど真ん中に人だかりができていた。

 群衆の向こう側に、何かを囲む鎧姿の男たちが見て取れる。


 ――パフォーマンスの類ではない。


 この商店街では演劇や大道芸、路上演奏などは禁止されている。

「面白そうだ」

 野次馬根性もあり、浩一が長身を生かして背伸びをすれば中の様子が見て取れた。

 人間が作る囲いの中、静かな口調で罵詈雑言を浴びせ、眼前の四人組を侮辱する、ローブ姿の少女らしき人物と(声で性別を推測した)、その少女に対して威勢と威圧で迫る武装した四人組が見える。

 浩一の見たところ、男達のランクはAランクだろうと思われた。

 装備や仕草で判断したわけではない。

 見覚えがあったのだ。

(あの四人組は先日の『月刊学園都市』に掲載されていた連中だな。確か――ええとなんだったか)

 思い出しながらも目の前ではやり取りが進んでいる。

 自身より数段上の強さの男たちが、小柄な少女を徒党を組んで追い詰めようとしているのだ。

 その様を見て、浩一は呆れたように呟くしかない。このあとのことなど簡単に予想ができたからだ。

「なんとも哀れだな――」

 ものを知らないと言うことはどれだけ罪深いのだろうか。

 この争いはくだらない。

 浩一は、自分は同じことを起こさないように、情報収集は欠かさず行うようにしようと、改めて思わされた。

 浩一の冷酷な呟きに、周囲にいた何人かが信じられないものでも見るような目で浩一を見た。

 善良な市民である彼らは少女の身を案じているのだ。


 ――なんて馬鹿な娘なんだろう。

 ――あんな怖い連中に喧嘩売るなんて正気じゃないよな。

 ――早く治安維持来いよ。殺されちまうぞあの娘。


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、男達が実力を行使し始めようとしている光景を見て、野次馬に混じっている善良な人々は、せめて彼女が深い怪我を負わないように祈り――

「――あのAランクども」

 続いた浩一の言葉に一斉に振り向いた。

「な、なに言ってんだアンタ。馬鹿だろ。間抜けだろ。コラ!!」

「と、待て。待て待て。なんで俺を? つか誰だお前は?」

 浩一は困惑しながら自分に突っかかってきた少女連れの少年を見返した。

 装備は自分よりも良い、二人ともがCランクの装備を身に着けている。

 ただし突っかかってきたのは少年だけだ。

 少年の連れらしき少女は、一度は浩一に振り向いたものの、囲まれている神術師の少女を、はらはらと心配そうに見つめている。

 少年は男たちに聞こえないようにか、静かな声で浩一を詰問した。

「あの子、よくわかんないけどさ。あんなに強そうな連中に囲まれて、精一杯虚勢を張って、そんでそれが間違いだってことに気づいてないんだ。謝れば許してもらえたと思うのに。……でも、きっと怯えてるんだよ。だから、助けてやりたいのに」

 少女の手前の見栄か。それとも本心からか。とてつもなく善良かつ手前勝手な意見に浩一はぽかんと口を開けてしまう。

(ほぅ、そういう視点もあるわけか……じゃない。むしろお前は誰だ。説明しろそこから)

 そして語るぐらいならさっさと動けと、少年の視点を正してやるべきか浩一は迷いつつ、実力行使に出ようとしている男達を見る。


 ――この場の誰もが気づいていない事実がある。


 兎と獅子の喧嘩、それの正体を。

(俺もドイルの店を知らなきゃ気付かなかったわけだから、わからないでもないが……)

 恐らく、この場の誰もが予想できない結末でこの喧嘩は終結する。

 それが浩一にはわかる。両者にはそれだけの実力差があるのだ。

 それにこの都市で暮らしていれば学生同士の喧嘩なんていくらでも見ることができる。優秀な治安維持部隊もいる。仲裁などする必要はない。いちいち関わっていたら体がいくつあっても足りない。

(別に死ぬわけでもないだろうし、少し痛い目を見るだけだ)

 だから、浩一はこの騒ぎを看過しようと考えた。

 そしてあれこれと浩一に持論を語り続ける少年に、このバカバカしい騒動の正体を教えてやろうと口を開きかけ――それ・・を見た。

(あの女、嗤っている・・・・・?)

 客観的に見れば集団に威圧されているとしか思えない少女。フード付きのローブでその表情は不思議と・・・・見ることができない。

 だがそれも完全ではなく、口元だけは外からでも見ることができた。

 それが嘲笑うかのように、侮蔑するかのように、不吉に、邪悪に歪んでいる。


 ――なぜ嗤う?


 浩一はその不自然さに思わず少年に問いかけていた。

「なぁ少年、どうしてあれはこんな騒ぎになってるんだ?」

「あぁ? し、知らねぇで言ってたのかよ!!」

 少年に怒鳴られながら浩一はようやくまともに少女をた。

 故に気づく。男達の不自然な程の怒気と殺気。つまりは――

「だから、最初、あの女の子が店から出るとこで突き飛ばされて。それで、たぶんだけど。あいつらの雰囲気に怯えて、口にしたくないことを口にしちゃったんじゃないのか? だからあいつらも本気になって怒ってさ。糞ッ、俺のランクがもっと上ならこんなこと許さないのにッ!!」

「は? なぜ、そんな無駄なことをする?」

「む、無駄ってなんだよ! そりゃ無謀かもしれないけど、あのだって、怖くてさぁ!!」

 始まりから見ていたのだろう。少年は言葉を重ねて事件の始まりから再び説明していく。

 浩一が眉をひそめる。

 始まりは男たちからだった。だが、その後は少女が原因だ。穏便に解決する方法はいくつもあったはずなのに少女は最初からその選択肢を捨てていた。


 ――浩一の心中に疑念が満ちる。


 彼我の実力差なんてわかりきったことだった。

 あれ・・が正体を明かせば、こんな無駄な騒ぎになることはなかった。

 そんな浩一の様子に気づかず、少年は歯噛みし、飛び出せない己の力の無さを呪っていた。

 力の差は正しさでは覆せない。学園都市に在籍するうちに知ってしまったのだ。上位ランクの者に立ち向かってはならないことを。


 ――モンスター相手ならばいくらでも奮える蛮勇が、人間相手では出てこない。


 しがらみか。後の始末か。負けるからか。

 傍らの少女に背を撫でられ、悔しさと惨めさを心中に蓄えている少年を浩一は微笑ましい気分で見る。

それでいい・・・・・

 分不相応な戦いに関わる必要はない。

 人生を終わらせる必要はない。

(この善良さを見れば、真実を告げる気分にはならないな)


 ――この争いの真相は馬鹿らしい。


 男たちは手を出そうとしているようだが、相手が相手である。

 大事にはならない確信が浩一にはあった。

(だが、あの女。何が目的だ?)

 浩一は少女の様子が気にかかった。この争いはどうしてか不自然だった。

 分別があるならこんな街中で起こすようなものではない。それこそ裏路地でやるべき争いだ。

 刀の柄に手を置いた。こつこつと柄を叩きながら浩一はこの場から逃げる・・・か考える。

(一番は関わらないこと。賢明さってのはそういうものだが)

 別にそう珍しいものではない。だが、だが、と浩一は自身の口角が釣り上がる感触を覚える。

(ん? んん? おいおい。ちょっと待てよ。俺の心よ。止めたい・・・・と思ってるのか。アレを……?)

 ランク差を考えろ、と浩一は自分の闘争心を叱りつける。

 肉体の訴えを聞いてみろ。傍らの少年のように関わりたくない、と全身が訴えているぞ。

 思考も同じだ。浩一の推測が確かなら、この争いに首を突っ込む意味はない。

 浩一の理性と肉体は、手に手を取って、この争いを静観しようとしていた。望んでいた。それが正しさ・・・だと浩一に訴えていた。

 だが、心は別だった。

 あの少女の笑みを見てから腹の奥底より、マグマのような感情なにかが噴き出している。

 それに触発されて、足も腕も喧騒の只中に飛び込もうとしている。抑えるのが難しいぐらいに。

(はッ、俺の悪癖め――だが、いつだって俺の心はそうだったな)

 内心のみの苦笑。

 諦めや絶望とは無縁の心根が、傍観しようとしている思考の頬を叩いてくる。

 アンタ男でしょ、さっさとなんとかしてきなさい、と少女のような潔癖さと頑迷さで浩一の身体を動かそうとしている。

 目の前では四人の男たちが到頭とうとう、実力行使に出るところであった。

 少女へと手を伸ばし、直接掴みかかるところであった。


 ――治安維持はまだこない。


 この場の全員が静観を続けるならば、ここで惨劇が生まれるのは確実であった。

(俺は――人助けがしたいのか? それとも誰かが理不尽を被るのが嫌なのか?)

 自己分析を行う。目標設定は重要だ。どこかで切り上げなければいけない。だからこそ、争いにわざわざ介入したがる心情に理由をつける。

 当然だが違和感は残った。

 こんな争い、学園都市では日常茶飯事だ。

 別に目の前のこれだけがこの学園の争いではない。この巨大な都市ではいつでもどこかで悲劇が起きている。

 それでも心の訴えに耳を貸し、身体は動き出す。


 ――止めてくれるパートナーはこの場にはいない。


 浩一の身体は一歩を踏み出している。

「お、おい! 何しようとしてるんだアンタ!?」

「おう、ちょっとアレ止めてくる」

 背後で驚きの声を上げる少年に手を上げて応え、浩一はずんずんと群衆の中から抜け出していく。

 本能の決定に浩一は逆らえない。

 だが考える。勝利条件をだ。

 どうすれば自身の被害を最小限にして、事を丸く・・・・治められるか・・・・・・

(丸く?)

 思考に違和感を覚える。こんな火事場に突っ込むからか。

(まぁいい。始めるぞ)

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