唯我独尊(1)


 アーリデイズ学園、その無数にある校舎の中の研究室の一つに三人の男女がいた。

「み、峰富士みねふじッ、貴様ァッッ! 私を騙したのかッ!!」

 狭い研究室内の一隅をパーテーションで区切っただけの応接スペースで禿頭の中年教師が怒声を上げていた。

 対面に座り、欠伸混じりにそれを眺めるのは眼鏡を掛けた白衣の美女だ。

 胸元の肌蹴たブラウスをばたばたと気怠げに手で扇ぐ、紫髪の小麦色の肌の美女は、この研究室の室長である峰富士みねふじ智子ともこである。

「騙してなんかないわよぉ。でぇ? 急に怒鳴り込んできて、なにがどうしたのよぉ?」

「死亡者三十名ッ。しかも八院の分家筋が三名も入っているッ! クソォッ! 貴様のせいだぞ、どうしてくれるッッ!」

「説明になってないわよぉ。もぅ、面倒ねぇ」

 智子の視線がテーブルの上を撫でるように這う。そこにあるのは今どき珍しい紙の報告書だ。諜報対策の一つなのだろう。紙だろうがなんだろうがどうせバレてしまうのだからデータで寄越せばいいものをと智子は侮蔑を口の端ににじませる。

「佐竹ぇ読んでぇ」

「えぇ、ジブンっすかぁ? 面倒だなぁ」

 ハゲた中年教師が持ち込んだ部外秘の紙束を智子に投げ渡され、心底面倒そうに呟くのは佐竹と呼ばれた黒髪黒瞳の研究員だ。

 知性の乏しい茫洋とした表情の冴えない男の言葉に、中年教師の脳は怒りに茹で上がる。

「き、貴様らッ! 峰富士ッ! 元はといえば貴様が適当な情報を寄越すからだッ! 何が、何がミキサージャブはSランクだッ。戦闘記録で確認したぞッ! あれのどこがSランクなのだッ!」

「あー、はいはい。後で聞いてあげるから」

「き、きぃぃぃさぁぁぁぁまぁぁぁああああ!!!」

「あーはいはいおちついておちついて。えー、っとですねぇ」

 激高する中年男を手で制する研究員佐竹さたけ友之ともゆき

 峰富士智子の助手である彼の何を考えているかわからない黒瞳が気怠げな目線で報告書を読み込んでいく。

「あー、こりゃ酷いッスねぇ。ミキサージョブに殺されたのが三十人かぁ。三十一脚できますよ。あの横一列に並んで走るアレ。あはは。あっはっはっは」

 そのふざけた言葉に中年教師の額に血管が浮く。佐竹がへらへらとした口調で冗談っすよぉと返す。

 中年教師が眉を顰めて睨みつけると、佐竹は口をヘの時に曲げ、心底つまらなそうな顔で先を続ける。

「受けなかったかな? で、えーと、リーダーと副はどうでもいいとして。ああ、今回は八院の分家の閃道と護道、天道が死んでるんスね。こりゃ大変だぁ」

「佐竹ぇ、何が殺したのぉ?」

「ああ、っと、あー、あー? ミキサージャブっすよ死因。語感が懐かしいなぁ。けど、なんだっけ? ねぇ室長、ミキサージャブってなんでしたっけー?」

「ミキサージャブ? なぁんかどっかでぇ聞いたことあるわねぇ」

 研究者と助手が揃って首を傾げるも、佐竹は途中で考えるのをやめ「コーヒーお代わり飲みますかー?」とテーブルの上のカップを持ち上げた。ギリリ、と中年の教師が歯軋りをする。

「峰富士、貴様が三年前に前線で捕獲したミノタウロスの亜種だ。貴様が役に立つかもしれんなどと言うから学園側は封印措置を施し、迷宮の隠し部屋に配置しとったんだ。だが、貴様が、Sランクなどという妄言をッ」

 怒りに男の歯が軋るが智子は変わらず欠伸をし、佐竹は暢気にコーヒーに砂糖を入れている。

「で、何が問題なのよぉ。あれはもしかしたらギリギリでSSクラスにいくかもしれない生き物だったはずだけどぉ? アリアドネを大量に配置してた部屋を突破できる連中ならぁ問題ないはずでしょぉ? 強いってもぉ所詮はたかがミノタウロスよぉ?」

「わからん。我々もそう思っていた。だが失敗した」

 ふぅん、と智子は佐竹が差し出したコーヒーを口に含み。

「甘ッ。ちょっとぉ佐竹ぇ。甘すぎるわよぉ」

「そぉっすかぁ? 砂糖多かったかなぁ? じゃあこっちで」

 智子のカップのコーヒーを佐竹は受け取ると、佐竹は自分の手元にあったコーヒーを差し出した。

 佐竹が智子のコーヒーを飲み、智子は佐竹のコーヒーに口をつけながら智子は言葉を続ける。

「言いたいことはわかったけどねぇ。アタシは何も知らないわよぉ。ま、どこかで特殊な機能のついた武器を拾った、なんて可能性もあるかもしれないけどぉ」

 冗談めかした智子の言葉に中年教師は嘲りの表情を浮かべた。

「それこそありえんよ。奴らの知能には制限を施している。自前の武具ならともかく、新たな武器を扱うなど、な。そういう思考は与えていない。学園の管理は完璧だ」

 智子の考察に対する中年教師の返答はそれだった。智子を侮っているのだこの中年教師は。

「だが誰かがその制限を解除する、ということもありえなくも無いな。たとえばただのミノタウロス亜種では面白くない、などと考えだ馬鹿がな」

「ああ、ありえなくも無いわねぇ。でも誰がやったのか、それとも誰かが与えたのか。アタシは無関係よぉ」

「わざとらしい。わざとらしいが証拠もない。私が貴様を限りなく怪しいと思っていても、な」

 苦虫を噛み潰したような顔の中年教師に向けて、ふふふ、と佐竹のコーヒーを啜りながら微笑む智子。

「あー佐竹ぇ。これちょっと苦いわぁ」


                ◇◆◇◆◇


 武具専門店『ラインツ・クーバー』に刀を預け、アーリデイズ学園に戻ってきた浩一が向かったのは峰富士研究室だった。

「では失礼する。あれ・・に対しては主席パーティーを動かして対応するが、あれ・・の設置に関わった俺や貴様の学園内での評価は悪くなったぞ。貴重なAランクが数名失われた。特に天道までな。政治的な失点だぞ」

「アタシはアンタの評価なんてどぉでもいいけどねぇ。天道だって王護院の分家ってだけで貴重な研究素体ってわけでもないでしょぉ」

「お前……! 死んだのはあの・・四鳳八院の分家だぞ。天道がお気に入りだったという話は聞かないが……報復はあるかもしれない……」

 憂鬱そうな中年男と対象的で、峰富士智子は終始退屈そうであった。

「そんで、生き残りから話は聞けたのぉ?」

「いや。ショックから何も話さん。だが死亡した学生たちのPAD内ブラックボックスに残った戦闘記録と、救援に送った戦闘機械から記録が取れている。わざわざ強引に話を聞く必要はあるまい?」

 中年教師に聞こえない声量でぼそりと、善人ねぇ、と智子が呟いた。

「でぇ、主席パーティーって魔法系の戦霊院とリフィヌスのアレでしょう?」

「ああ。今度は八院の本家2人と八院の分家2人だ。それも先に死んだ連中とは違う本物の強者。立派に依頼を果たすだろう。対象も近接戦闘系のモンスターただのミノタウロスだしな。戦霊院が参加しているなら損害なく確実に処分できるだろう」

魔力偏重主義・・・・・・

「どういう意味だ?」

「さぁねぇ」

「ッ……私も忙しいんだ。空言で惑わすな」

 首を傾げながら去っていく中年教師の耳に、嘲るような智子の笑いが届くもいつものことだと中年教師は取り合いもしなかった。

 中年教師が去っていくのを最後まで見送らず、口角を釣り上げた智子は廊下の反対側に立っていた浩一へ振り返る。

「で、アンタはさぁ。いつまでつっ立ってんのよぉ?」

「入り口前で話をされてたら入れませんよ、智子さん」

 そぉねぇ、と智子は敬語で話す浩一の腰にぶら下がっている新しい刀を見て首を傾げた。

「毒って、アンタの領分だっけぇ?」

「あー、まー、ドイルから借りたもんです」

「ふぅん。あの頑固者がねぇ。ま、いいわ。さっさと中入ってデータとるわよぉー」

 はいはい、と気のない声で答える浩一を楽しげに眺める智子。

「……さて、出会えるのかしらね」

 意味さえもわからぬ小さな呟き。

 ゆえに、誰の意識にも引っかかることなくその呟きは消えていく。


                ◇◆◇◆◇


 峰富士智子は火神浩一の肉体改造を行っている研究者である。

 もっとも浩一の肉体はとある理由・・・・・があって改造ができないので、実のところ定期診断以外には何もできていない。

 そんな智子に浩一は本日のダンジョン探索実習の戦果を報告していた。

「そこ左にもうちょっと強く振ってちょーだい。それでぇミノタウロスだっけぇ。何色だったのよぉ?」

 普段は学園のダンジョン探索など欠片も興味をもたない智子だったが、今日の声には少しだけ好奇心のようなものが混じっていた。

 奇妙だなと思いながらも話のタネにならないかと話題を振ったのは浩一だ。少し考えながらも体験したままを慣れない敬語で浩一は語る。

「あー、一般的な色っていうんですか? 茶色っぽい色でしたけど……」

「あぁあぁ、それはハズレねぇ。ミノタウロスはねぇ。黒いのがね、茶色より珍しくて強いのよぉ。あ、計測器、もっと強く振って」

 浩一がいるのは無機質な機器だけが並べられた計測室だ。

 智子のいる研究室とは強化魔導硝子で隔てられている。

 計測室の外にいる智子の指示を受けて、浩一は手に持った刀型の計器を強く振るう。

 その動作の一つ一つが、上半身を顕にした浩一につけられた計測器によって正確に計測されていく。

 それらは智子の研究データの一部となるのだが、それがなんの役に立つのかは研究畑ではない浩一にはわからない。

 やれと言われたからやっている。それだけだ。

「珍しくて、強い、ですか」

 どういう意図でこの研究者ともこがその情報を浩一に寄越すのか。不審に思いつつも素直に浩一は言葉を返した。

 強いミノタウロス、浩一自身としては非常に興味をそそられる対象だが、通常のミノタウロスですら精一杯の現状では更に強いミノタウロスと戦うことはできないな、と心中で即座に結論を下す。

 現状の火神浩一では肉体のスペックが足りていない。

 借りた雲霞緑青ではなく、手に馴染み使い慣れた飛燕が帰ってきても敗北は必定だ。

 だから浩一は智子から貰った情報になんともいえない苦笑いだけを返す。

「そこで手首を返してもう一度」

 計測用の刀は正確に淀みなく振るわれる。流れるような舞踏だった。

 性格ゆえに素直に言うことはないが、悪魔的な峰富士智子でさえ、その動きは贔屓なしに美しいと感嘆の吐息を漏らしかねないほどのもの。

 もちろん、技術というだけならば似たようなことができる学生は多々存在する。

 というより、求められればすぐにできる。そういう技術が存在する。

 脳に植え付ける剣術データと体内ナノマシンによる誘導ガイドによる複合技によってだ。


 ――だが、そのような安易な武に凄み・・はない。


 浩一の振るう剣には美しさと凄みがある。鬼気迫るものがある。

 それは積み上げられた武だ。振るう火神浩一ですら理解していない価値だ。

 峰富士智子のような、わかる人間にしかわからない類のもの。

 火神浩一の人生だった。

「黒いミノタウロスって確か三十六階層辺りよねぇ。佐竹ぇ、さっきの紙束に面白いこと書いてなかったぁ?」

「黒いミノタウロスって、ああ、さっきの奴のことっスか?」

「そぅよぉん。浩一なら上手いこと欺瞞に引っかからないで相対できるでしょぉ?」

「そうなんスか? あ、火神君。今の動きもう一度お願い」

 刀の形をした計測器が次々と外界の情報を取り込んでいく。

 ここでは、新しい・・・武具を作るためのデータをとっている、と浩一は聞いている。

 浩一が振るい、計測された情報で新しい武具が作られ、またそれを振るって武具の形の理想を探す。そんなことをここではしている、らしい・・・

「Aランクの学生を含めた三十名が死亡っスからねぇ。火神君じゃ無理なんじゃないっスか? 火神君、そっちの計測器に換えてもらえるかい?」

「了解です」

 浩一は呼吸を整え直し、指示された計測器に持ち替える。

 先程のものと同じく刀の形をしていたが、先程とは違いかなり重い。

 飛燕の三倍は重量があるだろうか? 振るうだけで腕が痺れる感覚があったが何も言わずに指示通りに浩一は刃を振り上げた。

「あ、黒いミノタウロスミキサージャブは先日の一件で高額賞金首確定してるっぽいですよ。えーっと、ほら、もう情報が出て――うひゃぁ! おっほ、すッごい!!」

「ふぅーん。で、いくらなのぉ?」

 計測する片手間だろうか。佐竹はPADを操作しながら楽しげに笑う。彼のPADは浩一のものと違い、片手間の操作ぐらい容易く行える最新式のものだ。

 浩一に指示を出しながら、佐竹の目が、視界の端に表示されるPADの窓ウィンドウから情報を正確に取得する。

 楽しげな佐竹の手には佐竹のPADの追加パーツであるコントロール用の球体が握られていた。

 それは佐竹の思考を読み取りながら、検索された情報を次々と表示していく。

「ランクはSっスねー。賞金額は驚きの二千万、で、今のとここいつによる被害は配置してるモンスターが主っぽいっスね。場所はー、あー、三十階層から下に集中してます」

「ああ、やっぱりどうやってもその程度の小物になるわよねぇ。なら浩一にはちょうどいいんじゃなぃ?」

「……智子さんは相変わらず無茶を言いますね」

 智子の言葉に、浩一は苦笑とともに返答した。

 もちろん戦士の本能として格上と戦えるなら嬉しい。

 だがミキサージャブとやらは聞く情報の全てが有り得ないクラスの難敵だった。

 如何に智子とはいえ先月まで十八、九階層をうろうろしていた人間に掛けるべき言葉ではない。

 SランクとB+ランクの間には努力や才能だけでは越えられない明確な壁があるのだ。

 今の浩一では接敵したならば何もできずに殺されるしかない、そういう明確な差が両者の間には存在する。

「あはは、室長も冗談きついっすねー。火神君じゃ瞬殺されますよ。ランクなんだっけ、火神君は?」

「B+です。補正なしの純粋な戦技ランクで」

 ランク制度。

 それは学生や軍人、統一国家ゼネラウス内で生きる者たちに与えられる順位だ。

 『数字持ちナンバーズ』と呼ばれるⅠからⅩⅢまでのローマ数字を与えられたものを頂点として、SS、SからA+、A、A-と位階が下がり、一番下は無改造の一般人並みを基準とするFである。

 浩一のランクB+はだいたい中間だった。もちろんB+は本人の身体能力から見れば十分に高いと言ってよかったが、それでも三十人の学生を無惨にも殺し尽くした高額賞金首を相手に戦えるレベルではない。

「補正なしB+ねぇ。アンタ、賢いわけでも血筋が良いわけでもないからねぇ」

「は、はは、言いますね。そりゃ俺だって、四鳳八院生まれだったらこんな苦労してませんよ」

 浩一の口調は軽いが、その内容は自嘲に近い。

 ちなみにランク補正とは文字通り要職についている人間に与えられるランク補正だ。

 このシェルター国家『ゼネラウス』では戦闘力こそを重視し、強力な戦闘力を持つ軍人に高い地位を与える軍制度が表向き採用されてはいるものの、世の中を潤滑に回すにはある程度の欺瞞が必要だ。

 ゆえにある程度の地位にいる人間には、地位に応じたランク補正が与えられている。

 それが『戦技ランク』と『公式ランク』だ。

 純粋な戦闘力のランクを『戦技ランク』、補正の入ったランクを『公式ランク』と呼ぶことになっている。

 ただし現在学園都市『アーリデイズ』の政治や経済の要職は、シェルター国家ゼネラウスの軍事を握る四鳳八院の血族が独占している。

 浩一の言葉ももっともで、この都市では武力がない者のために存在するランク補正の制度すらも、血筋が良くなければ受けることができない。

「ほぉら浩一休まないでよぉ、今度は2倍の速度で動いてちょうだいな」

「……うっす」

 浩一の意味のない愚痴になど取り合わずに智子が指示を出せば、浩一は正確に剣速を速めた。

 そんな浩一の動きに、前衛系のジョブに必須の気やオーラと呼ばれるものを計測していた機械が微量にだが反応を示す。

「……あー、室長。いつも不思議に思うんスけど。気とかオーラってのはなんなんスかね? 高ランクの前衛だったら武器に纏わせたり、身体強化に使うらしいっスけど」

 室内に漂う妙な空気を変えるべく放たれる佐竹の問いに、無情なる智子はその頭をぼこんと殴って返答した。

「いたいっスよぉ」

「阿呆ぅ! 気ぃってのはぁ、細胞の中の魔力発生とは違う場所に、きちんと発生を司る構造が組み込まれてる・・・・・・・ことが確認されたものよぉ。魔力とは全く質の違う、感情やら根性やらで増減する高ランク前衛系必須のエネルギィって奴。アンタ、私の助手なんだからちゃんと勉強なさいよぉ。その頭は案山子なわけぇ?」

「へーいっス。でも浩一君は出力低いっすねぇ。よく生きてるねー」

 呆れた顔で解説をする智子。涙目になりながらも佐竹は話題変更ができたことに喜んでいる。

 佐竹の言葉は馬鹿にするようなものだ。

 表面上は気にしていないように見える浩一だったが、計測機器のグリップは軋むほどに強く握られていた。


 ――よく生きているね。

 

 浩一は、未だオーラを自在に扱うことができない。火神浩一は、未だその領域まで己を高められていない。

 浩一がオーラを扱うためには足りないものがある。

 浩一が峰富士智子に従うのは、それを解決するためだ。

 峰富士智子の本来の研究。

 それが完成すれば浩一の体質は改善して、身体の改造が可能になると伝えられている。

 浩一の悲願・・であった。


 ――浩一をいつ強くできるのかはわからないわぁ。


 浩一はかつて智子が浩一を研究室に連れ込んだ際の言葉を思い出す。

『だけどね、絶対に、私がアンタを改造してみせるわ。その呪い・・を解いてみせる。信じなさぁい』

 記憶の中の智子が、不敵に嗤っている。

 あらゆる研究者に門前払いされてきた浩一にとって、なんとかしようと努力してくれている智子の存在は絶対だった。

 だから信じる。いつまでも待つ。浩一にとってそれこそが唯一の希望なのだから。

(信じてますよ、智子さん……)

 佐竹の頭を指でつつく白衣の美女みねふじともこは、焦がれるような視線を向けてくる浩一の事など気付かぬように嗤っていた。


                ◇◆◇◆◇


 アーリデイズシェルター63番区画、そこにある何の変哲もない商店街でのことである。

 ちょうど講義も終わり帰宅の時間と重なったのだろう。大量の人々が行き交うそこはまるで水量の多い川のようにも見えた。


「おぉぉいい! 嬢ちゃん、人にぶつかっておいてそりゃねぇだろうッッ!!」


 武装した男たち四人がアクセサリーショップの入り口に立つ少女を囲んでいた。

 少女に連れはいない。たった一人だ。平和な商店街とは無縁の光景だった。

 人々の流れが止まった。静寂。少女と男たちに注目が集まる。

「……はぁ」

 少女の口からため息が漏れた。

 異様だった。

 武装した大男四人が、見下し、恫喝しているというのに。

 彼らの胸元ぐらいの身長の少女の口から漏れたのはため息だ。

 どうしようもない面倒臭さの混じった、否、挑発のいくらか混じったそれ。

 周囲から少女の顔は見えない。

 身にまとった空色のローブに付属したフードで、しっかりと顔が隠されていたからだった。

「あぁ? ふっざけんなッ!!」

 少女の態度に囲む男たちはさらなる怒声を上げた。


 ――喧騒が戻ってくる。


 男の放った怒声によって作られた静寂は、男たちの怒声によって壊された。

 人々のざわめきが戻ってくる。

 もっともそれは今までのような、人々の快活な生活で生まれる正の喧騒ではない。

 戸惑いと困惑によって生まれた負の喧騒だ。

 男たちに絡まれる少女を見た善良な人々が、都市警備や治安維持に連絡していく。

 しかし止めに入ろうとするものはいない。

 無理だからだ。男たち四人は全員が全員AランクからA+ランクの学生が常用するような、煌びやかかつ精緻な細工の為された黄金鎧を着込んでいる。


 ――装備を見ればその人間の実力がわかる。


 事実、このシェルター世界で生産される装備にはそれだけの力がある。

 そしてそれだけの装備を揃えることのできる人間にもまた、同じだけの力があることも。

 肉体改造によって相応の力が得られる世界なのだ。

 装備と同等の改造を彼らが自らに施していないわけがなかった。


 ――見ればわかる・・・・・・のだ、彼らが強いことなど。


 だから都市警備の人間を彼らは呼んだ。

 学園都市で、強大な武力を持った学生が市民に対して事件を起こすことはそう珍しいことではない。

 武を尊ぶ気風などと言えば心地よく聞こえるが、その実態は強者が弱者を虐げているだけである。

 ゆえに、事件の際は強者ですら捕縛できる都市の治安部隊や警備会社、または学生主体の治安特課と呼ばれる組織が動くことになっている。

 しかし、学園都市でも上位層であるAやA+ランクの人間はもはやただの人間とは言い難い程度には強すぎる。

 だから今起きている事件、複数のAランクに対応できる治安部隊がこの場に訪れるまでには相応の時間が必要だった。

 自らに訪れる未来を知ってか知らずか、ローブの隙間から見える少女の口角がいびつゆがむ。

 最低でもAランク相当の力を持つ学生四人と、それに対峙する見窄らしいローブに身を包んだ少女。

 誰がどう見ても戦力差は明らかだった。最悪少女が死ぬ未来も有り得るぐらいに。

 だからこのトラブルを見守るしかない彼らは、次に少女が放った言葉を聞いて呆然とするしかなかった。

「きゃんきゃんきゃんきゃんと大きな図体でしきりに鳴いてまるで子犬のようですわね。せめて人の言葉でおしゃべりできませんの?」

「はぁぁぁぁぁ? あんだとぉ、このアマァ」

 男が詰めよるも少女は退かない。

 威圧するように少女を見下ろす男も少女に怯えの気配はない。

 男がそこまで近づいたことで少女のローブの隙間から、女物のアーリデイズ学園の制服と、朽ちた十字架を模したエンブレムが見えた。


 ――専攻科コース神術師ヒーラーか。


 朽ちた十字架は神術師が主に信仰する女神である『廃女神シズラスガトム』のシンボル『廃女神の十字』だ。

「そこまで言うんならよぅ。へぇ、なかなか・・・・

「汚らわしい視線ですわね。見るなら豚の方がお似合いですわよ」

「言ってろよ。へっへっへ」

 男の視線がローブ越しに少女の全身を無遠慮に這う。

 もはや男に少女を許す理由はなかった。

 もはやこうもこじれたなら男としては即座に殴りかかっていいのだ(当然都市法では許されない野蛮な行為である)。

 襲わないのは一重に少女の強気が奇妙に思えたからだ。


 ――こいつは強いのか?


 しかし、そんな気配はない。

 少女の持つ杖は一見・・ランクの低そうな飾り気のない杖だ。

 ローブもまた同じく、装飾も何もない見窄らしい低ランク御用達のローブだ。


 ――どう見ても、この女はイキがっている低ランクのクソアマだ。


 たまにいるのだ。こういう手合が。

 二、三回改造したあたりのDランクの学生が、己こそが世界最強だと勘違いする瞬間が。

 だから少女に詰め寄っている男は、鼻っ柱の強い馬鹿だなぁ、なんて呑気な感想を覚えた。

 だから、男はへらへらと嗤う。そして背後の仲間たちに向けて指示を出した。

「ちッ、素直に謝りゃ許してやろうと思ったが生意気な女だぜ。ったく、おいッ! お前ら、やっち・・・まおうぜ・・・・! なぁ!!」

「こいつでいいのかよ! リーダー!!」

「いいんじゃねぇか? 幸い治安維持も遅いしよ」

「このへんの警備はザルよ。そのために来たんだしな」

 それを受けて、少女の口角が酷く歪んだ。間髪をいれず少女より言葉が発せられる。

「は? やっちまう、ですって? 徒党を組み、力ずくでわたくしをどうにかする心算でしたら、あなたたちは愚か極まりない無様な生き物という烙印を未来永劫押されることになりますわよ? いいですか? 重ねて聞きますが、どうやっちまう、というのですか? 脆弱なあなたたちが」

『――……ッ』

 男四人の表情は氷のように冷たかった。少女の下手くそな挑発は効いていない。

 男四人の頭にあったのは踏み込んでいいのか? という純粋な疑念だ。

 この少女は自らは強いと、そう思わせて自衛しようとしているだけなのか。

 それとも本気で言っている本物・・なのか。

 少女は自らより大きい四人の男に囲まれてなおその小さな身体に怯え・・一つ見せていない。

 いつのまにか男たちは無言だった。無言で少女を見下ろしていた。品定め・・・していた。

 周囲には静寂が漂っている。野次馬さえも無言だった。男たちから漏れ出る本物の殺意が周囲を自然と黙らせていた。


「――おい。連れてくぞ。これ・・


 静かな声だった。

 それは少女に詰め寄り先ほどから脅しを重ねていた一際豪奢な鎧を着込んだ男だ。男たちのリーダーだ。

 無言だった観衆たちが小声で、早く治安維持呼んでこいッ、と叫ぶ。

 それに応えるかのように周囲の人々が次々とPADを取り出す。

 しかし、間に合うかどうかはわからない。

 すでに都市警備に連絡が入っているのだ。

 それでもなお、未だに治安維持の部隊は来ていない。

 アーリデイズの治安維持部隊が無能なのではない。この男たちが強すぎるのだ。

 Aランクが四名とは、そういう・・・・レベルの戦力なのである。

 男たちがじりじりと少女を囲う輪を狭める。

 周囲の人々がこれから起こる惨劇に顔を歪める。

 少女の口角が、周囲を嘲笑うように釣り上がっていた。

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