漆黒の咎(2)


 学園ダンジョン『アリアスレウズ』36階層『アリアドネ大封道』。

 異形のミノタウロスを突破すべく闘いの準備を行い続ける男たちがいる。

「先輩ッ! 盾組の準備、完了しましたッ!!」

「おうッ。てめぇらは俺の合図あるまで待機だ。っと、てめぇら緊張すんなよ。身体が縮こまるからな。得体の知れねぇ相手だろうといつもどおりにやれ。そうすれば勝てる。俺たちは強ぇからな」

「はい!」「おう!」「わかりました!」

 戦士組を纏める大男グルシニカフ・チャフカレンゾの言葉に大盾を構え、追加装甲グラン・メサイアで武装した学生たちがしっかりとした声で返事をした。

「スナイパー! どうだ?」

「今準備している!!」

 動かない・・・・敵を警戒し続けるグルシニカフの問いに、銃撃での支援サポートを指示された戦士たちが怒鳴り返す。

「くそッ、こんな遮蔽物もねぇ空間でいきなり言われても困るんだよ!! 俺も剣で――」

「いいからやれぃ! 敵は待っちゃくれねぇぞ!!」

「ああ!? 待って・・・んじゃねぇか!!」

 焦りにも似たスナイパーたちの罵声にグルシニカフはいいからやれ、と怒鳴り返した。

(そうだ。なぜ動かない? なぜ俺たちの準備を待つ……不気味すぎる)

 銃兵として動くことを指示された学生たちは大型モンスター用のAランク大口径魔導ライフルを手元に転送した。

 あまりに戦士が多すぎると戦闘に参加できない戦士が生まれる、そのためにグルシニカフは銃撃による支援を行わせるために三人に大型の銃を装備させることにした。

 彼らは銃を転送すると人間一人が完全に隠れられる学園都市製の金属壁を追加で転送する。

 ただ銃口を自由に動す為だけの穴しか空いていないその箱は射撃組に用意された彼らの城だ。

 覗き穴の代わりに外部に取り付けられた肉眼以上の精度を持つカメラを調整した三人は、壁と一緒についてきた頑丈な椅子に座り、鎧の肩部分を銃撃用の特別パーツと取り替える。

 銃の尻を変更した肩鎧に接着させ、カメラと連動させた照準を覗き込みながら、魔導技術によって対大型モンスター用に殺傷力を高められた特製の弾丸を装填した。

「弾丸一発10万ゴールドだ。首ごと頭をふっ飛ばしてやるぜ」

 Aランク程度のモンスターではけして突破できない城に篭った彼ら三人は、己の役目に専心するために心を落ち着ける。


                ◇◆◇◆◇


 戦士の準備は終わっていた。

 神術師の詠唱も終わった。

 後輩たち魔術師もまた準備を終えた。

 残るはリヴィイラ・天道・ザインツワインの補助魔法の完成を待つだけだった。


 ――『二重詠唱』。


 二種の魔法を同時に扱える特別なスロット。素人目には凄まじく便利に映る超技術。

 魔法は高ランクでの戦闘には必須の戦闘技術だ。

 そして敵対するモンスターのランクが上がれば上がるほど魔法には一撃の威力が求められるようになる。

 そうしなければ強力な再生能力や防御能力を持つモンスターを殺すことはできないからだ。

 だが威力を求めれば求めるほど戦闘には詠唱というものが必要になってくる。『詠唱短縮』のスロットはあるものの、魔法の構造上、唯一の例外・・・・・を除いて全ての詠唱をカットすることはできない。

 結果として一人の魔法使いが一度の戦闘で使える魔法は一つか二つ程度だった。

 だが『優秀な一人の魔法使いは凡百の魔法使い100人に勝る』。

 学園都市にはそんな格言もあるほどで、ゆえに2つの魔法を同時に扱えるようになる『二重詠唱』のスキルは誰もが欲しがるものであった。

 だが、結局のところどんな技術にも落とし穴はある。

 『二重詠唱』には欠陥がある。

 魔法とは術者を銃身と化し、魔法と呼ばれる銃弾を打ち出す技術だ。

 杖により周囲の魔力を整え、それを術者が取り込み、体内の魔力と混ぜ合わせ、詠唱と脳を用いて魔法へと加工する。

 そうして、魔法陣とよばれる銃口へと自らの体内にある魔法を誘導し、『力ある言葉』により射出する。

 大崩壊以降に発見され、長き年月によって研鑽されている魔法技術。だが、未だそれは発展途上の未成熟な技術だった。

 手順を踏み、相応の代償を支払えば使えるようになってはいるものの、いまだ人類は魔法の使用に特化したモンスターほど魔法を自由自在に扱うことはできていない。

 肉体に専用の改造を施すほどで軽減できても、魔法を使うことで肉体には相応の反動も与えられる。

 だから魔法使いたちはたったひとつの魔法に、技能の限りを尽くすのだ。

 『詠唱短縮』のスロットとて、結果的に詠唱を短縮するという形で効果を表しているが、本来の機能は術者の体内魔力の整頓補助だ。

 仕組みはこうだ。術者の思考を読み取ることで使用する魔法をスロットが知る。

 スロットは周辺環境と術者の魔力状況を術者が詠唱を終えるよりも早く精査(感知器官は術者のものを間借りする形になるが)すると、魔力操作の補助や術者の体内の魔力発生器官に直接命令を出し、術者の詠唱よりも早く体内の魔力を整える。

 つまり結果として魔法詠唱が短くなるのであって、『詠唱短縮』の本質は魔法使用の負担軽減にある。

 脳や肉体への負担が抑えられる。魔法使いとしての寿命が伸びるのだ。

 ゆえにこそこの世界の魔法使いにとって『詠唱短縮』のスロットを選択することは最適解である。

 メリットは多く、デメリットがほぼ存在しない。

 高い汎用性から『詠唱短縮』のスキルのスロット研究者は多い。アップデートによるスロット強化すら視野に入れることができる。


 ――だが『二重詠唱』は違う。


 根本にリスクがある。研究者たちもそのリスクを減らそうとは考えていない。肉体を傷つけてでも、使用者の寿命を削ってでも効力を出そうとする。『二重詠唱』とはそういうものだった。

 『二重詠唱』は体内の魔力整頓を始めた段階で全身に激痛が走る。それも体内に直接切れ目や皹を入れるような苦痛だ。脳を操作して痛みを消すこともできない痛み。術者は意識が飛ぶような激痛を全身に感じながら詠唱を続けなければならない。

 それは『二重詠唱』というスロットが、術者の脳に肉体が2つあると勘違いさせることで2つの魔法を使用させていることから生まれる痛みだ。

 魔法はリスクなしで放てるような安易な技術ではない。

 失敗すれば溜め込んだ魔力によって全身が引き裂かれる。

 使いすぎれば枯渇した魔力器官に引きずられ他の臓器が道連れにされる。

 全身の魔力分布の変更もそうだ。身体に合わない魔法を無理やり使えば内臓が損傷するし、魔力を移動させる際に血管が引きちぎれることもある。

 もちろん失敗すれば魔法は発動しないだけでなく、暴発した魔法で死ぬこともありえた。

 学生たちの多くが肉体改造と最適化された魔法発動の技術を脳に刷り込むことによって、魔法使用のリスクを小数点以下の値まで減じさせることに成功している。

 だが、それでも無理な使用や限定条件下の発動などで、死亡や致命的な損傷を誘発させる事故は絶えないのだ。

 だからこそ術者やその支援者たちは魔法に関わる者の生命を護るために不断の努力を行なってきた。


 ――それに真っ向から喧嘩を売ったのが『二重詠唱』だ。


 如何な頑丈な銃身とて規格の合わない弾丸を用いれば暴発や故障を誘発する。

 いわんや二発の異なる銃弾を同時に放つならばその結果は明らかだ。

 だが肉体が破壊される激痛に耐えきる覚悟。

 詠唱途中に意識を飛ばさない鋼の意思。

 絶対に魔法の計算を間違えない冷徹な頭脳があるのなら……。

 だからこそ『二重詠唱』をこの局面で扱えるリヴィイラは間違いなく学園都市でも上位に入るほどの実力者だった。

「発動。『韋駄天』【狂想兵】」

 そして鬼才の魔法使いによる大規模支援魔法は完成する。


                ◇◆◇◆◇


 学園ダンジョン『アリアスレウズ』36階層『アリアドネ大封道』内施設『クノッソス宮殿』にて戦闘が始まろうとしている。

 賞金首モンスターの討伐を専門とする大規模A+ランククラン『血道の探求者』。

 油断によってリーダーとエース級の戦力を失った彼らは、今この時を生き残るために激戦へと臨もうとしていた。

 標的は己が肉体を壁として、唯一の出入り口を塞ぐ巨大な黒いミノタウロス。

「勇敢なる戦士どもよ! 準備は整ったァァッッ!!」

『応!!』『応!!』『応!!』『応!!』『応!!』『応!!』

 グルシニカフが叫ぶ。戦士が鬨の声を上げる。

 ミノタウロスは何も反応を返さない。ぐちゃぐちゃとこねくり回すように人の肉で巨大な団子を作っているだけだ。

『グルルルルルゥゥゥゥ――』

 唸り声が広間に響く。生徒たちの背を冷や汗が流れる。これから挑むのだ、この怪物に。

 思い出されるのはあの一瞬。

 イベントが解放された時のこと、蜘蛛の巣によって塞がれていた大穴からゆっくりと歩いて出てきたミノタウロスの姿。

 巨大な戦斧を持った黒いミノタウロス。

 イベント名『ミキサージャブ』、モンスターをたった一体討伐するだけで単位が『7』も手に入るイベント。

 それは報酬だけを見れば、誰もが進んで参加したがるものだった。

 自分たちが狩る側だと疑わないその無思慮さ。


 ――慢心の罰は即座に下された。


 敵の実力を測るために真っ先に突撃した勇敢なクランリーダーが最初の接触で殺害された。

 補助に回った三人も同時にだ。一撃でまとめて四人が殺された。

 その時点で副リーダーのティンベラスは驚愕に全身を支配されながらも逃走を決意した。決意するしかなかった。

 だが、口にリーダーともう一人の死体を咥え、片手にもう二人の死体をぶら下げたミノタウロスは、ティンベラスが動揺するクランメンバーを収拾し、指示を出す前に唯一の出入り口に陣取ってしまった。

 失態だった。だがリーダーにして最強の戦力でもあった男が殺されたのだ。

 なんの心構えもできていなかった彼らには、敵を押し留める判断ができなかった。

 だが心構えができていたとして、果たして押し止められたのか?

 事実として、激昂して一人立ちはだかった新人が移動するミノタウロスの巨体に巻き込まれただけで重症を負った。

 『血道の探求者』の副リーダーにして、特殊専攻科コースである『軍師』に就いているティンベラス・セブンクォーター。


 ――彼は最初から失敗していた。


 彼の失敗は全員を生かそうとした点だ。

 敵に勝とうとしてしまった。

 生き残る為に撃退しようと考えてしまった。

 彼我の実力差を正確に判断できず、自分たちが本気でかかればどうにかなると考えてしまった。

 この間違いにティンベラスが気づいていたならば、パーティーメンバーの半数を失ってでも、残りの半数を生かそうとしただろう。

 だがティンベラスは無責任な男ではなかった。

 こうして、戦闘に挑む準備を完了させたティンベラスには全員を無事に生かして帰すことしか頭になかった。

 だからティンベラスは逃走ではなく闘争を決意した。

 最初の接触でリーダーが殺された際のミノタウロスの強さを見たならば想像がつく。

 どうやっても出入り口を擦り抜けられるのはティンベラスを含めた高ランクの少人数だけだ。

 それではアリアドネの報酬を分配するためだけに連れてきた低ランクのメンバーは逃げられない。

 後輩たちは全員が全員、どうやっても死ぬのだ。


 ――そんなことは許容できない。


(全員が生きて逃走を成功させる。ふふ、そんなもの、不可能でしょう。恐ろしいモンスター。恐ろしい敵です。戦士だろうが騎士だろうが関係などありません。背を向ければ皆死にます。戦士でそれならば、魔法使いや神術師など考えるまでもありません。脇を駆け抜けるまでもなく、正面に立った時点で殺されるでしょう)

 ティンベラスの推測、これは確信であり、事実でもあった。

(ですが。まともに、正面から打倒する気でやれば可能性があるかもしれない)

 負ける可能性が、全員が死ぬ可能性が脳裏をちらついた。ティンベラスは内心のみで首を横に振る。

 皆が積み上げてきた力を結集すれば、奇跡が起こるかもしれない。起こせるかもしれない。

(それでなくとも時間は稼げる。そうすれば必ず外部から反応がある。あるはずだ……)

 だから彼は待ち続けていた。自身のPADに届く、地上からの連絡を。


                ◇◆◇◆◇


「とぉっつげぇぇぇきぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!!!」

 重装騎士グルシニカフ・チャフカレンゾは二人の後輩と共に友の死体で肉の団子を作り続けるミノタウロスへと疾走を開始した。

 三人は追加魔導装甲『グラン・メサイア』ではなく、高速戦闘用の追加魔導装甲『風の鎧』を装着している。

 鎧の腰部と肩面に装着する小型の追加ユニット『風の鎧』は常時、加速魔法『天風』と障壁魔法『防撃』を全身に付与し続けることができる強力な装備だ。

 グルシニカフは当初、攻撃に回る自身を含めた三人のメンバーも『グラン・メサイア』を装着するべきだと考えた。

 だが黒いミノタウロス『ミキサージャブ』の攻撃を一度でも見たならば却下するしかない。

 最初から攻撃を受けることを前提とし、防御に専念する盾組と突撃組は違う。

 突撃隊は攻撃する瞬間に自身が無防備になる。リーダーが殺されたように、一撃で殺されかねない攻撃など受けることはできない。

 だからこその『風の鎧』だ。敵が反応できないほどの高速移動で仕留めてやる。


 ――速度を劇的に上昇させる魔法『韋駄天』。

 ――撃力を劇的に上昇させる魔法『狂想兵』。

 ――自動防御する堅固な盾の魔法『堅盾』。

 ――高度な魔導技術によって造られた、魔力を燃料として動く魔導装甲『グラン・メサイア』と『風の鎧』。


 高価な魔導装備の数々、数多の研鑽によって練り上げられた補助魔法が戦士たちを支援していた。

 それは彼らにできるこれ以上ない最高の援護。

 騎士学生の床を砕かんばかりの強烈な疾走によって部屋自体が揺れる。

 彼らの全身を可視化した力の波オーラが覆う。

『うぉおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!』

 戦士たちの雄叫びが広間に響き渡る。

 圧力すら感じる鬨の声は低ランクのモンスターならばそれだけで戦意を喪失するだろう。

 だから、魔法使いたちも、神術師たちも、不吉を抱いていたティンベラスでさえも、重装の騎士たちによる攻撃が成功することを微塵も疑わなかった。

 突撃したグルシニカフたちに遅れ、大盾を持った集団が駆ける。

 全身に防御魔法を纏わり付かせ、その上で更に防御に特化した装備をした六人の戦士だ。

 彼らはグルシニカフたち三人が突撃を成功させた瞬間に、彼らと入れ替わることで次の突撃の時間を稼ぐ役目を与えられていた。

 そして後方に残っている射撃組、彼らは砦がごとくに頑丈な防護壁より必殺の弾丸で突撃組を支援する。

 魔法使いたちも休んでなどいない。いつでも大規模な攻撃魔法を発動できるよう準備を整え始めている。

 もし戦士が負傷しても大丈夫だ。すぐさま治療ができる体勢を神術師たちは整えている。

 ティンベラス・セブンクォーターは油断などしなかった。

 彼らは完璧だった。必殺の陣形だった。AランクだろうがA+でもSでも、ただのモンスター程度なら蹂躙できる構えだった。


                ◇◆◇◆◇


 瞬殺してやる。グルシニカフの脳裏にはそれしかなかった。リーダーを殺された。リーダーの肉を食われた。仲間を殺された。仲間の肉で遊ばれた。


 ――優秀な戦士である彼は当然理解していた。


 ダンジョン実習に安全などない。ダンジョン実習は自己責任。モンスターを殺す以上、自分たちもまた殺されてもおかしくない。仲間の死を否定などしない。否定してはいけない。

 だから恨むのだ。復讐だ。恨みのまま、殺意の赴くままに、仲間を殺した奴を殺す。敵に向かって駆ける彼の脳裏を占めるのはそれだけだ。

 『天風』がグルシニカフたちの身体を弾丸のように推し進める。

 リヴィイラのかけた『韋駄天』が地面を蹴る足の筋肉だけでなく、知覚をも加速させていく。

 世界はまるでコマ送りだった。グルシニカフを含めた二人の前衛戦士たちは、この瞬間だけは、この世の全てを知覚できていた。

 筋肉の動きが理解できる。足裏に微細な地の感触がはっきりと伝わってくる。砕けた床材の破片の一個一個が理解できる。自身の吐く息に含まれる分子一つ一つが鮮明に理解できる。

 銃声が響く。一つ、二つ、三つ、四つ。背後の射撃組からの援護。

 突撃する戦士たちの目に、射撃組が突撃組の隙間を縫うように放ち、駆ける彼らを追い抜き、黒いミノタウロスミキサージャブへと迫る四発の弾丸が見えた。

 必殺の弾丸が黒きミノタウロスの頭部へと迫る。

 フィラメック社製拠点防衛用大口径魔導ライフル『フィラメック』。

 その銃口より発射される専用弾は魔導技術によって生成加工された弾頭を持つ。

 弾殻表面に刻み込まれた重力系『加速』魔法は弾丸を重く・・速く・・する。

 また、大型モンスター用の魔導ライフルであるフィラメックの専用弾には、弾殻内部にも仕掛けがある。

 AやSランクのモンスターにもなるとただ威力の高い弾丸を当てた程度では必殺にはなりえない。

 だから弾殻の内部には、金属採掘やトンネルなどの掘削工事で扱われる工事用爆薬1キロ分に相当する熱量と衝撃を放つ攻撃用上位魔法『炸裂』が仕込まれている。

 無論、相応の値段はする。

 一発でCランクの武具が買えてしまうほどに高価な弾丸だ。

 採算が取れないために賞金首モンスターのような特別な相手にしか使われない超強力で特別な弾丸。

 『血道の探求者』が無数に用意している切り札のうちの一つ。

 だからグルシニカフは弾丸がミキサージャブの顔面に直撃し、その顔面が破砕されることを前提として行動を選択した。

 外れることや魔法が不発になることなど考えもしなかった。

 武具の整備は怠っていない。

 自身が射撃を託した者達はこんなでかい的を外すことなどありえない。

 それが四発もあるのだ。誰が不安など抱くものか。

 だからこそ、ミキサージャブの顔面に弾丸が吸い込まれた際も疑問を抱かず攻め込んでいた。

「くぅぅぅらぁぁぁえええええええええええええやぁ!! ごぉぉおぉるるっぁあぁああああッッッ!!!」

 アインヘリヤル工房製Aランク戦鎚『破砕者』が黒きミノタウロスミキサージャブの胴体部に向けて振りかぶられる。

 復讐者による無慈悲な鉄槌。それは肉を抉り、骨を砕き、臓腑とその生命を根本から破壊しつくす――


 ――はずだった。


 戦鎚が直撃する瞬間、グルシニカフの肉体に異変が生じた。

 この異変は彼らのリーダーが死の直前に抱いていた感覚と同じものだった。

 まるで風のようだった全身が鈍く感じる。

 充実していた力が萎えていく。

 身を護る魔法が次々と消失し、知覚が衰退していく。

 魔法で軽くなっているはずの鎧が途端に重量を増した。

『――ッ!!!????』

 グルシニカフを含む戦士三人の脳裏に、疑問による空白が生じた瞬間。

 轟、と風を切る音が聞こえた。


 ――それは彼らの命が最期に聞いた音。


                ◇◆◇◆◇


 は? という声は誰のものだったろうか。

 リーダーの時の再現だった。敵の直前で動きを止めた三人の戦士が、装備を含めた肉体を撒き散らして永遠にこの世界から魂を旅立たせた。

 驚愕にクランメンバーの時間が止まる中、ティンベラスは驚愕するより先に指示を出していた。

「盾組ッ。陣形を組みなさいッ!! 魔法使い組ッ。上位攻撃魔法用意ッ。早くッ!!」

 指示された者たちが慌てて動きはじめる。悠々と障害ともいえない障害を排除したミキサージャブが歩き出す。

 その顔面には弾丸によってできた穴があったはずだ。しかし既に再生させたのか、顔面には傷一つ残っていない。

「射撃組! ライフルは捨てて、機関銃を転送です。弾幕で蹂躙して足止めをしなさい! 神術師組、攻撃神術用意!!」

 冷静に指示を出すティンベラス。だが、その脳は疑念で埋まっていた。

 何故? 何故だ。信頼する戦士たちが何故あんな容易く死んだ!?

(何故ッ。何故死んだのです? 何故殺されたのです? 理由が、どこかに理由が――!!)

 グルシニカフも、リーダーたちと同じ死に様だった。攻撃の瞬間に一瞬だけ動きが鈍くなり、その隙を突かれて一撃で殺された。

(鈍くッ。鈍い? いえ、もしかしたら。そんなッ、まさかッ)

「あああああああッ。ああああああああああああ」

 ずどん、と重い音が響く。六人いた盾組が二人になっていた。一塊になってミキサージャブを押しとどめようとした戦士たちが戦斧の一撃で数を半数以下にまで減らしていた。

「副リーダーッ。鎧がッ。鎧がッ。ああああああああああああああ」

 ティンベラスは驚くべき光景を目にする。浮遊し、戦士をサポートするはずの追加装甲が生き残った戦士の身体に纏わりついていた。強靭な耐久を維持するため、本来は凄まじい重量を持つ虹の装甲がおもりとなり、彼らから活発な動きを奪っていた。

(まさか――ま、魔力が?)

 連続した射撃音が響いた。機関銃へと切り替えた射撃組の攻勢が盾組の戦士二人を寸前で救う。しかしミキサージャブが一瞬だけ鬱陶しそうに射撃組の籠もる小砦を見た後に無造作に戦斧を振るうと、鎧の重量に盾を構えることもできなかった戦士二人は秒も耐えられずに己の肉体をあちこちへとばらまいた。


 ――生命が潰えていく。


 ティンベラスの背後で悲鳴が連鎖する。仲間の死を目の当たりにした魔法使いたちの叫びだ。

 だけれどティンベラスは何も言えない。気づいてしまった事実に、どうすればいいかわからなくなっていたのだ。

(あ、ありえない。というのは、無責任にすぎますね。で、ですが、そうなるともう、なにも……)

 ティンベラスの脳裏を、絶望的な推測が占めていた。


 ――戦士たちの動きが鈍くなった。


 いや、そうではない。あれは支援魔法で増幅された能力が、本来のものへと戻されたのだ。

 浮遊するはずの魔導装甲は機能しなくなり、炸裂するはずだった魔弾は不発に終わった。

 リーダーは優秀な戦士だった。

 グルシニカフもだ。死んでしまった前衛たちは皆、皆、優秀だった。ティンベラスの戦友だった。

 彼らはけして無能ではない。無能ではなかった。

(……現実逃避をしていますね。無能ではなかった。だけれどこの場では無意味な死だった)

 貴重な一秒を費やして心を落ち着かせると、ティンベラスは仲間を生き残らせるために脳を動かす。


 ――もはや手段は一つしかなかった。


 だから刻一刻と絶望的になっていく状況の中、やっとあの賭けとしかいいようのない、ただの博打ギャンブルを行なう決断をしようとし――


『【血道の探求者】ッ。何が起きているんですかッ!? 何人死んでるんですかッ、アナタたちはッ』


 それは待っていた連絡だった。地上からの呼びかけだ。その声に、躊躇なくティンベラスは叫びを返した。

「報告は後です! 『血道の探求者』はダンジョン内全生存人員の全単位を消費して、ダンジョン課に救助を要請しますッ!!」 

『ッ―――2秒、待ってください』

 やっとだ。否、そうではない。

 規定ならば半日以上かかる処理をすっ飛ばし、迅速に連絡をつけてくれたイレン・ヤンスフィードにティンベラスは内心で深い感謝を捧げ、すかさず救援内容に注文を出す。

 彼には確認しなければならないことがあった。

「救援には、機械駆動を主力に。魔法駆動は一体だけでお願いします。至急に」

『その注文――いえ、わかりました。すぐにでも』

 ティンベラスが悩み、通信を行ったこの間は、わずか数十秒だった。

 しかし、その間に小砦がごとき防護壁に篭もっていた射撃組が目の前で殺されていた。

 防壁はあっけなく破壊され、銃撃を行っていた戦士たちは引きずり出されて肉片へと変えられていた。

 目の前で起きる惨劇、生き残った魔法使いと神術師の心中が絶望に染まる中、ティンベラス・セブンクォーターはいっそ晴れやかな気持ちで指示を出した。

「全員、『アリアドネの糸』を使用しなさい。もちろん、機能が身体に馴染むまでは私が時間を稼ぎます」

 彼は戦士ではない。軍師だ。時間を稼げるとは思えなかった。

 それでも、不可能でも、やるしかなかったのだ。

 亡き友が愛した者たちを護るために。


                ◇◆◇◆◇


「……軋む岩……陥る穴……」

 『二重詠唱』リヴィイラ・天道・ザインツワインの肉体は大規模魔法の使用で酷く傷んでいた。

 脳が痛む。神経が痛む。体内ナノマシンからは内臓のいくつかが損傷しているという報告もある。

 だが、リヴィイラは魔法の詠唱をやめなかった。

 ティンベラスが自分たちのために捨石になろうとしている。

 だけれど、それを許容するかしないかは個々人の判断に任せられていた。

 あれこれと理屈はあるものの……クランは結局パーティーの延長線上だ。


 ――ティンベラスの命令どおりに逃げてもよいのだ。


 クランは軍での上下関係のように、完全な命令系統というわけではない。

 ティンベラスのことは尊敬しているし、今まで命令を聞いていたのは信頼が根底にあったからだ。

(そもそも、私はティンベラスを主人や上官と仰いだことはないのだし)

 命令を聞くか聞かないかは、極論、個々人の判断でしかない。

 リヴィイラは強く思う。

 自分たちはクランだ。仲間だ。命を預け合う友だ。それは上下関係ではない。横の関係でもない。輪のつながりだ。

 だからこそ彼女はこのような危地にあっても前に出た。

 逃げる? 彼女にとってそれは別に恥ではないし、闘うことも本来の性分ではない。

 ティンベラスも逃げるのならば喜んで従ってやってもいい。

(別に、恋だの愛だのと、そんな生ぬるい感情じゃないわ)

 ただ、友人なだけだ。

 友人が命を張るならば、自分が張ったっていいと思っただけのこと。

 ティンベラス一人が殿しんがりとして残るのなら、リヴィイラは自分も残るべきだとなんとなく思っただけのこと。

 そもそもが前提が間違っている。

 ティンベラスは自分が皆を生きて返さなければ、などと勘違いしているがダンジョン実習はそもそも自己責任なのだ。

 クランの指示だろうがなんだろうがここに自分たちがいるのは完全に自分だけの責任なのだ。

 もちろん、そんなことを言ったところでティンベラスは頑固な性分だから聞くわけがないのだけれど。

 だから、説得はしない。

 そんな無駄な時間はない。だから、少しでもティンベラスの援護になるように詠唱を行う。

 前に出たリヴィイラを見て、長剣片手にミキサージャブに突っ込もうとした理知的な男ティンベラスは呆れに顔を歪め、そうしてから仕方ないですね、とでも言いたそうに前を向いた。


                ◇◆◇◆◇


「ホンマ、なにやっとんのやろ」

 あいつら、と残った魔法使いと神術師に指示を出しながら連声上比佐は呟いた。自分の責任だー、と突っ込む馬鹿と。そんな馬鹿なことに付き合おうとしている少女を見ながらだ。

「ジブンらはさっさと逃げぃ。ワイはあのアホども連れ戻してくるわ」

 恐怖に顔を歪ませていた者たちはそんな先輩たちの姿を見て無性に笑いたくなるのを堪えることができなかった。

 後衛職たちの、恐怖に歪んで表情すら作れなかった顔に、小さくだが笑みが浮かんだ。

 足の早い前衛を殲滅し、残った魔法使いと神術師たちに向かってくる黒いミノタウロスがいるはずなのに、彼らはいつもどおりの先輩達が愛しくて堪らなかった。

 結果的に指示を誤ってしまったが、彼らはティンベラスを恨む気持ちなど微塵もなかった。彼は最善ではなかったが精一杯に自分たちを生かそうと行動を取り、今その責任を取ろうとしている。

 そんな姿を見て、どうして彼を罵ることができようか。

 だから生き残り全員がリヴィイラと同じ結論を心に抱いていた。

 ダンジョン実習は自己責任。

 ゆえに今からやることも自分の責任だと。

 魔法使いは杖を手に持った。神術師は祈りを捧げた。それが彼らの決意だった。覚悟だった。


 ――ティンベラスと共に生き残る。


 その覚悟で挑むのだと。

 けして死ぬつもりなんかない。

 みんなで生き残るのだと。

 この期に及んで……――


 ――そんな馬鹿な結論にどうして達するのか。


 故に彼らは失敗する。

 でも、それでも、良いのだと。よくないけど・・・・・・よいのだと・・・・・

 絶望の中、誰もが泣き言一つ言わずに、仕方ないなと覚悟を決めていた。


                ◇◆◇◆◇


『……ッ……ださいッ。……なさいッ……』

 ドン、と音がした。

 ガン、と音がした。

 耳元で誰か聞き覚えのある人間の声を聞きながら藤堂とうどう正炎しょうえんは目を覚ました。

 そうして絶句した。

 自身の周囲を覆う夥しい数の機械、機械、機械の群れ。

 六本脚の自動砲台、四本足の射撃機械、二本足の電気を纏う武具を持った近接機械、全てが彼の見たこともないほどに高性能の戦闘機械バトルマシーンたちだった。

 それが、たった一匹のモンスターに全力闘争を挑み、挑む端から鉄屑スクラップにされている。

『藤堂正炎ッ。聞こえていますかッ? 目は覚めましたかッ?』

 少年の目の前にウィンドウが現れていた。映っているのはダンジョンに潜ってしまえば基本的に見ることのない管理科の生徒イレン・ヤンスフィードの顔だ。

 なぜ彼女がここにいるのか藤堂正炎の疑問に答える声はない。

 ここで聞こえるのはただ戦闘機械の射撃音と、暴力的な猛威ミキサージャブが暴れる音だけだ。

 それでも正炎はおぼろげにだが状況を理解していた。

 リーダーが殺された。自分もまた重症を負った。それ以降は覚えていない。だけれど、なにかとてつもなくよくないことが起こったのだ。

 正炎が頭を軽く振って自分が目覚めたことを仕草で伝えると、イレンが早口で状況を伝え始める。

 藤堂正炎の所属する『血道の探求者』による要請で管理科が撤退の為に支援を行っていること。

 周囲にある無数の兵器は今回の探索に参加した『血道の探求者』クランメンバー全員が、所持する単位の全てを消費して管理科に救援を要請することで、転移させた対モンスター用の自立戦闘兵器であることを。

『大丈夫ですか? 逃げられますか?』

「あ、いや、俺は……。あ、あの……他の仲間、は……?」

 逃げたのか? 逃げられたのか? と正炎は問いかけ。口篭った少女が映るウィンドウの背後を見てしまった。

 そこに広がるものは、今もなお、正炎を護るために突撃する無数の機械たちと、それと戦う黒い牛頭亜人ミキサージャブ


 ――そして。


「あ、あああ、あああああああああああああああああ」

 少年の目に、それが映った。

 肉片だ。仲間の。

 部品だ。仲間の。

 残骸だ。仲間の。

 死体ではない。

 残骸としか言いようのないものだった。

 腕、足は言うに及ばず、髪がついたままの頭皮、破れた腹、撒き散らされた内臓、あちこちに散らばる骨やそれにこびりついた肉や脳。

 ザリッティ、ティンベラス、グルシニカフ、リヴィイラ、上比佐、ゲイル、ソリッティ、李、秀夫、良太、エイン、金之助、グイン、ミル、ジリーヴァ、ドッジ、煉蔵、仲間の、体が、腕が、足が、内臓が、無念そうな顔が……。

 あああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああ。

 正炎の絶望がその大部屋一杯に響き渡る。

 その手が、今まで離すことなく握っていた剣を強く握りしめた。殺してやる。絶対にだ。絶対に殺してやる。その気持ちしかなかった。

 が、立てない。立てないのだ。あの黒いミノタウロスに抉り取られたために脚が一本しかないから。

 それが正炎に立つことを許さなかった。

『落ち着いてくださいッ。正炎ッ。藤堂正炎ッ』

「殺すッ。殺してやるぅぅッ。ぶっ殺してやるぁぁぁぁあぁぁぁあッッッ!!!」

 イレンの声は耳に入らなかった。奴が迫ってきている。周囲を覆う機械の群れを一撃で粉砕しながら、最後に生き残った正炎へと着実に一歩を進めてきている。

(来いッ!! 刺し違えてでもぶっ殺してやる)

 上半身だけを起こした正炎の脳を、怒りが焼いていく。

 怒りが、絶望が、恨みが、あらゆる負の感情が正炎の内を埋め尽くしていく。

 もうすぐ仇が来る。皆の仇を打てる。必ずだ。必ず殺す。絶対に殺す。どうやってでも殺す。


 ――だが、その願いは叶わない。


『対象の意識が覚醒しました。【アリアドネの糸】使用が可能になりました』

「は……?」

 PADからあってはならない、聞きたくない意味の音と共に、自身の内部から何かの駆動音が響いていた。

(俺はこんなアイテムを知らない。使っていない)

 正炎の疑念に対し、『貴方の仲間の遺志です! 受け入れなさい!』イレンが強く言い聞かせるように答えを叫んでいた。

 正炎の、剣を含めた己の肉体が、ダンジョン実習の際に見慣れた光へと変わっていく。

 それは、転移の光だ。通常では絶対にありえない。人間の転移現象の光。

 意思のない道具。モンスターの死体にしか宿らない光が生きた人間から発せられる。

「待てッ。待てッ。待て待て待て待て待てッ!! 俺は、俺は、絶対に、殺すんだッ。ころ――――――」

 留まろうとする意思とは反し、ティンベラス・セブンクォーターによる企みは達成される。

 惨劇の幕が下りる。


 ――グォオオオオォオオォォオオオォオオォオオォオオオオオオオオオオオォォォオオオ!!!!!!


 獲物を逃がした黒牛鬼ミキサージャブの咆哮がクノッソス宮殿を揺るがした。

 そうして、イベント『ミキサージャブ』に参加したA+ランククラン『血道の探求者』三十一人はたった一人を残して、壊滅した。


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