漆黒の咎(1)


 学園ダンジョン『アリアスレウズ』36階層『アリアドネ大封道』。

 討伐イベント『ミキサージャブ』は開始して一分も経っていなかった。

「え――?」

 その瞬間、副リーダーの青年の口から溢れたのは、常ならば絶対に溢れない間抜けな声だった。

 現れたモンスターは一体だった。小手調べだ、とリーダーを含めた最精鋭四人の前衛メンバーが向かった。


 ――雑木でも断ち割るように、彼らがあっさりと殺された。


 瞬時に目を覆いたくなる有様が広がっていた。

 子供が玩具箱をひっくり返したかのように人の部品がぶちまけられている。

 濃厚な血の匂いが漂った。頭がくらくらする。心臓がバクバクと激しく鼓動する。

 残されたメンバーの顔には怒りと恐怖が浮かんでいる。

 くそったれ、と誰かが怒りのままに武器を取る。

 誰かが呟いた。ここは地獄だと。

 誰かが叫んだ。死にたくないと。

 否定の声はない。それらはただの事実でしかない。

 数多くの賞金首モンスターを討伐してきたA+クラン『血道の探求者』。総勢三十一人の学生たちはたった一体のモンスター相手に、瞬時にして決死の際へと叩き込まれていた。

 瞬時に副リーダーの青年は声を張り上げていた。

「全員、戦闘体勢ぇぇええええッッッ!! 神術師ッ。青使いは戦士の後ろに下がりなさいッ!!」

 頼れるリーダーが死んだ! クランでも有数の戦士達が邂逅一撃で殺された!!

 動揺が全体を覆っていた。混乱が全体を支配していた。驚愕と、悲嘆が心を覆っていた。

 それでもここは危地だった。

 『血道の探求者』が陥っている状況はまずいどころじゃない極限の死地だった。


 ――切り抜けなければ、皆が死ぬ。全滅する。


「戦士組ッ! 前へ!!」

 未だに驚愕は残っている。信頼していたリーダーが死んだショックは残っている。あれリーダーは親友だった。親兄弟よりも、それこそ血のつながりよりも濃い絆で結ばれた親友だった。それでも、ただ生き残るために。残ったメンバーを生きて地上へ帰す為に。

 副リーダーだった男、ティンベラス・セブンクォーターは瞬時にして感情の全てを放り捨てると、生命を得る為に、己の能力の全てを振り絞る覚悟を決めた。

「おぅ!! 任せろッ!! いくぞぉぉぉッッ! お前らぁぁぁッッッ!!」

はいッ!!』

 リーダーが死ぬことで、繰り上がってリーダーとなってしまった副リーダーティンベラスと同じく、この場での数少ないAランクの男が気合を込めて叫ぶ。ティンベラスと同じ決断をした、決死の覚悟を全身から滲ませる男女十一人がその後ろに続く。

 彼らは皆Bランク以上の前衛専攻科コースの学生たちだ。肉体に対する改造。渡されている強力な装備。適正階層ならばたった1人でモンスターとの大群とも渡り合えるような凄まじい才能を、腐らず驕らず鍛え上げ続けた前衛戦士たちだ。

 だが、とティンベラスは彼らを連れてきてしまったことを後悔した。彼らでは力量が足りない。

 彼らは優秀だが、それは適正階層での話だ。

 そう、ここは彼らの適正階層ではない。リーダーとディンベラスの驕りであり、失策だった。

 アリアドネの集団に対する頭数として、イベントの報酬である単位を配分するためだけに適正ではない階層に連れてこられてしまっていたからだ。

 だから彼ら戦士はこの戦いでは防御に専念し、壁の役割だけに徹することになる。言われずともわかっていることだ。

 それ以上ができない歯がゆさに魂が震えた。

 だが彼らは知っている。自分たちよりも数段上の戦士であるリーダーたちが死んだ瞬間に悟らされている。

 そしてティンベラスも理解している。そんな彼らとて、自身の指揮次第でいくらでも強力にすることができることを。


 ――『血道の探求者われわれ』は一人ではない。


 クランとはそういうもの・・・・・・だ。そのためのものだ。

 そうだ。リーダーを含めた精鋭は出会い頭に殺されてしまったが、まだ戦力の要とも言える魔法使いたちが残っていた。

 手に負えないモンスター用のコスト度外視で購入した強力な武装も残っている。

 だというのに……。

 彼らの全身を不吉な予感が襲い続けていた。

 ティンベラスもそうだった。こうして冷静になってみても、どうしてリーダーを含めた四人が何もできずに殺されたのか、全く理解できていなかった。

「魔法使い組、サポートを。前衛集団に身体能力向上と防御障壁を一分以内に展開してください。リヴィイラ、タイミングは任せます。次に――」

 副リーダーであるティンベラスの指示が次々と飛んでいく。それぞれ了解の言葉が返ってくる。

 敵は一体だった。

 たったの一体のモンスターだ。


 ――たった一体の、ミノタウロス・・・・・・だ。


 通常より巨大でどうしてか不吉な黒色のミノタウロスだ。だが、慣れ親しんだ姿形の牛頭の亜人ミノタウロスだ。

 だからリーダーは精鋭を連れて、なんの気負いもなく突っ込んでいってしまった。

 ただでかいだけの、ただ筋肉量が異常なだけの黒い、黒いミノタウロス――に見える。

 突然変異か。特殊個体か。

 奴が手に握っている漆黒の大戦斧を振り回しただけで、学園でも上位に位置する戦士たちは何の抵抗もできずに殺された。


 ――殺されてしまったのだ。


「相手はミノタウロスだが油断をするなよ! あれ・・は、おかしい! 竜種を相手にするが如くに警戒しろ!!」

 グルシニカフ・チャフカレンゾ。現在前衛集団を纏めている大柄な男が叫んでいる。

 そうだ。異常なことが起きている。

 悲しみはある。苦しみもある。だが、もはや事実として受け入れる他はないのだ。

 優秀な戦士であるリーダーが殺されたのだ。天地が逆さになろうとも油断などできようはずがない。

 超越者たるSランクに届かずとはいえ、A+ランクでも上位の強さを誇るリーダーを含めた手錬れ達が瞬時に殺害されたのだ。

 ミノタウロスだろうが、敵が一体だろうが、何が起こったのか理解ができなかろうが、敵が尋常でないことはその一点で十分。

(そう……そうです)

 ティンベラスは心の内で何度も確認する。

 A+ランクというのは、洒落や冗談で手に入れられる位階ではない。厳正で厳重で厳格な学園都市の試験を突破して得られた位階だ。

 相手をミノタウロスとみてリーダーたちは油断しただろう。

 だが彼らもまた、未知の怪物とはいえ、一撃で殺されるほど弱くはなかった、はずだった。

 生身で旧世代の戦車すら破壊できるのがA+前衛戦士なのだ。

 何もできずに死んだとはいえ、彼らもまた、十分に化け物に区分される生命だったのだから。

(とはいえ……とはいえ、何か奇妙だ……)

 復讐したい。そういう気持ちもある。だが、ティンベラスは全ての感情を、復讐心さえかなぐり捨ててこの場に立っている。

 彼の目的はたったひとつだ。

 

 ――残った全員を無事に地上に返す。


(ならば、脇目も振らずにクランメンバー全員で逃げたいのですが。あの位置……唯一の出入り口に陣取られては私たちは闘うしかない。奴が突っ込んできてくれれば、戦士が止めている間に魔法使いや神術使いを逃がせるのですが――なんとも頭の良いモンスターだ。良すぎてもはや絶望しか湧かないぐらいに……)

 そう、相手は未知の難敵だ。ティンベラスは戦闘を回避したかった。

 本心として、復讐に身を焦がし、甘美な報復に身を委ねたくはある。だが敵の正体が定かならぬ現状、優先すべきはクランメンバーの生存だ。

 冷静さが極まって氷の参謀とまで呼ばれるティンベラスが思わず唇の端を噛んだ。

 『アリアドネ大封道』、ここから脱出する為の唯一の出入り口を黒いミノタウロスがその巨体で占領している。

 通常のモンスターならばリーダーを殺した勢いのままに残っているメンバーに突撃してくるはずが、そいつは逃亡を封じるかのように入り口に立っている。

 ゆえに彼らは闘って道をこじ開けなければならない。殺せずとも、痛打を与えて奴をどかすしかない。それしか生き残る道はない。

 気の緩みは消し飛んでいる。取り返しのつかない犠牲は払ったが、全力を尽くそうと全員が一つの生き物のように機能し始めている。

 だが苦難はこれからだ。未知の、ただの一体で単位を7も与えられる強敵と闘わなくてはならない。

 ティンベラスは苦渋に満ちた顔でミノタウロスを睨む。

 リーダー含めた仲間四人を瞬時に鏖殺おうさつせしめ、この大部屋唯一の出口へと一目散に駆けると、誰も逃さぬとばかりに仁王立ちした異形のミノタウロスを。

 漆黒の巨大斧を片手にした黒い牛鬼は睥睨するようにして前衛の戦士達を見下ろすと、自分を囲むだけで攻めてこない学生たちの様子を嘲笑ったのか。

 斧を持っていない手で引きずってきたリーダーの死体を床に叩きつけると、ぐちゃぐちゃと轢き潰ミキサーし始めるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 大事な仲間の死体をもてあそぶ怪物の姿に衝撃を受けなかったわけはない。

 それでも彼女は自分に与えられた指示に忠実だった。

「任せて。私が皆を守るから」

 ティンベラスに命令を与えられたリヴィイラという名の魔法使いの少女は、動揺を隠せていない前衛メンバーに聞こえるよう、落ち着いた声音で語りかけた。

 仲間が死んだのだ。当然彼女の心も乱れている。

 それでも鍛え上げた技術を用いて杖を手繰り、周囲の魔力を整えていく。

 そして自身の背後で固まっていた魔法使いこうはいたちにしっかりとした声でわかりやすく単一の指示を出していく。

「全員で『堅盾』の魔法を戦士たちに掛けて。私は『韋駄天』と『狂想兵』を使う」

 優しい美しい先輩の勇気ある言葉だ。凄惨な光景に竦み上がっていた魔法使いたち全員がゆっくりと正気を取り戻していく。

 後輩たちの目に反抗の光が灯ったことを確認したリヴィイラは安堵の息を吐きつつ、このような絶望的状況でも闘う気概を見せてくれた後輩たちに感謝から微笑みを返した。

「う、う、うぉおおっしゃぁぁ!!! いくぞ。唱えるぞ。護ってやるぞ!!」

 少年たちが気合を入れて詠唱を始める。

「先輩ッ。私達、やりますからッ。絶対、絶対に成功させますからッ!!」

 少女たちが揃って可憐な声を上げる。

『玉座の天蓋。門を護る城兵――』

 未だアリアドネ戦の影響がこの場には色濃く残っていた、場に大規模な魔法を使うための魔力が枯渇していた。

 だから魔法使いは詠唱を始めながらPADから転送した中級魔法薬ラグオンを床に叩きつける。

 拡散し、消費されてしまった魔力が場に満ちるのを待っている時間はない。

 だからの中級魔法薬。高価な道具だ。それでも、金を惜しんで命を失っては意味がない。

 敵が何をしてくるのかわからない以上、求められているのは速度だ。

 魔法使いの集団は同じ口調、同じ韻律、同じ手順で静かに詠唱を始めた。

 少女たちが持った杖を床に叩きつける。男たちが身振りを使って周囲の魔力を整頓していく。

 それは一糸乱れぬ芸術がごとぎ集団戦闘技法。

 体内ナノマシンによる最低限の誘導ガイドはある。だがそれでもズレ・・るのが集団魔法の常だ。

 『血道の探求者』にはそのズレがない。このクランがどれだけ支援魔法を扱う後衛集団に力を入れていたのかが理解できる練度だった。

『――守護の矢盾。青壁の煉瓦――』

 リヴィイラを除く全員は未だAランクには至っていない。

 もちろん未だ、というだけだ。彼らには才能もコネも資金もある。

 多大なる費用コストがかかるものの、個人の技能を高めることは難しいことではないのだ。

 脳に技術を書き込み、肉体を高価な素材に入れ替えればすぐにでも超常の兵士は誕生する。

 だが集団での技能行使はそうではない。参加者する全員が深い信頼で結ばれ、絶え間ない修練が必要な高等技術である。

 現在も動揺が全体を支配し、難敵と対峙しているこのような場で即座に集団魔法を行えるのは『血道の探求者』がランクに奢らず日頃から厳しい訓練を積んでいた証拠だった。


 ――リヴィイラが小さく安堵の息を吐いた。


 後輩たちが期待を裏切らず、日々の鍛錬で培った技術で応えてくれていたからだ。

 だから自身の身体に埋め込まれた『スロット』を発動させた。

(出し惜しみしていられないわ。あの敵はまずい・・・。『詠唱短縮Ⅲ』と――負担が大きいけれど『二重詠唱』も使う……)

 決意とともに少女の脳の奥深くに仕込まれた『スロット』と呼ばれる人工スキルが駆動した。

 リヴィイラの視界にリヴィイラにしか見えない文字が現れる。

 それはこれから行使する2つの魔法の詠唱文だ。

 それらは発揮されたときの効果の強力さに比例するように、一つを詠唱しきるだけでも与えられた時間を超過しそうなほどに長い。

 だが『詠唱短縮Ⅲ』の効果により、それらの中でも重要度の低い部分がリヴィイラの視界の中で次々と消滅していく。

 『詠唱短縮』とは文字通り、呪文詠唱を短縮することのできるスキルである。脳の奥深くに埋め込むために一度つけたら二度と取り外すことのできない二つのスロット枠。その一つを潰し、多くの魔法使いたちが迷わず身につけるのがこのスキルであった。

 戦場は秒の単位で劇的に状況が変化する。それはランクが上がれば上がるほどに顕著になっていく。だが刻一刻と変化する状況に反比例するように使用する魔法の詠唱時間も、強力になればなるほどに延びていく。

 それこそAランクモンスターとの戦闘になれば、長々と詠唱をしなければまともに戦果のあがる魔法を使うことができないほどに。だからこそ魔法使い達は、少しでも戦闘に有利に進めるために『詠唱短縮』のスロットを自身に仕込むのだ。

 リヴィイラは杖を握る手に力を込め、目の前の文字列を睨むようにして覚悟を決めると、大きく息を吸い、始めた・・・

「『疾走する天』【狂騒する人】」

 一人の少女の口から重なった詠唱が溢れ出る。二つの詠唱が同時に為されていく。

「『駆け抜ける風。なぎ倒される稲』【砕け散る矛。吼え続ける獅子】」


                ◇◆◇◆◇


 魔法使いたちは集団詠唱をやめないまま、人には決して発音できない音を聞いた。

 リヴィイラは集団魔法と魔力操作が干渉しないよう、後輩集団から少しだけ離れた位置に立っていた。

 大広間は広いとはいえ、集団魔法を扱うには狭く、どうしても魔法同士が影響しあってしまう部分がある。

 だが、リヴィイラの卓越した技量はその影響を最小限に抑えこんでいた。

 リヴィイラが杖で地面を叩いた。

 叩き、場の魔力を変質させていく。リヴィイラの背後に灰と黒、二色の魔法陣が8枚、重なり合いながら出現した。

 力のある魔法使いは詠唱を終えなくとも魔法陣を出現させることができ、魔法陣の数も調整することができる。

「『風を越え』【水を飲み】『時を越え』【武器を取り】」

 二重に重なった詠唱が響いている。複雑に音の重なったそれは人工スキルが無理やり発声させている奇妙な声だ。


 ――『二重詠唱』と呼ばれるスロットスキルは同時に二つの魔法の詠唱を可能とする。


 しかしそれは例えるならば、旧人類に一輪車に乗りながら、右手と左手で同時に別々の数式を解かせるような、とうていできはしない無茶苦茶な行為を肉体に強制するものだ。

 そう、スロットによる補助があるとはいえ、二つの魔法を同時に扱えるようになるそれは如何に魔導特化の改造を人体に施そうとも、強力な負荷を肉体に強いるのだ。

 魔法使いであれば皆、その事実はわかっている。知っている。知っていて・・・・・使わせてしまっている。

(くッそぉ。先輩……)

(あ、ああ、うぁ、せんぱぁい)

(せんぱい。無理しないで……)

 後輩たちは、心だけで嘆くものの詠唱を続けていく。

 思考を魔法の制御に回し、肉体を魔力と同調させ、決して魔法の使用に支障のある行為は何もせず全力を傾ける。

 高度な集団魔法を扱っているのだ。

 心配という人間的な感情ですらその行使には邪魔だった。

 泣きたくなるも、それしか大事な先輩に報いる方法はないと知っていた。

 眼の前で彼らの詠唱を黙って・・・見ている・・・・黒いミノタウロスがいるのだ。敵がいるのだ。仇がいるのだ。

 ゆえに彼らは詠唱を続けた。

『人々の盾。浮雲の塔。天上世界より剣は落ちる』


                ◇◆◇◆◇


「『海を走り』【獣を宿し】『空を渡り』【灼熱を吐き】」

 詠唱は続く。何も知らずに聞くものには感嘆の念を抱かせる声だ。

 知って聞くものには無理をせず、普通の詠唱をしてくれと祈りたくなるような気持ちを抱かせる声だ。

 リヴィイラは後輩達の気持ちを知っている。

 自分を慕ってくれている後輩たちが自分を心配していることを知っている。

 それでも彼女はそれを続ける。後輩たちが一人でも多く無事にこの難局を乗り越えられるように全力で。

(……だけれど、あれは・・・なに・・?)

 リヴィイラの視線の先には、魔法使いたちの詠唱を目前にしながらも唯一の出口から一歩も動いていない異形のミノタウロスがいる。

 足止めとは違う不気味さを感じる。リヴィイラたちが練っている魔力の量に気づいていないのか?

 嫌な存在だった。とてもとても嫌な存在だった。

 化け物。化け物め。

 見ているだけで嫌な汗が滲む不気味さがそこにはある。

 だからリヴィイラは己にできる全力を尽くす。目の前のアレはこうでもしないと倒せない。

 こうでもしないと誰かが死んでしまう。その予感が彼女に無理をさせていた。

(……くッぅぅぁッ。辛いけどやるしかないのよ! もう誰も死なせずに皆と無事に地上に帰るためにもッッッ!!)

 リヴィイラは身体の内部を暴れまわる魔力を抑えながら詠唱を続ける。

 『二重詠唱』を成功させるため、魔法詠唱の基本法則を無視し、魔法陣は先に作った。

 『二重詠唱』の際はその方が効率が良い。異なる二つは行き先を先に指定しておかないと体内の魔力が混ざりあい、失敗の確率が上昇する。

「―――……ッッッ」

 『二重詠唱』によって生じた負荷が肉体を内側から破壊していく。

 心臓を万力で締め上げるような、体内の血管神経の全てに焼けた鉄を流されるような苦痛がリヴィイラの身体を襲った。

 だがリヴィイラは表情にすら浮かべなかった。優しい後輩たちがリヴィイラの苦しそうな声を聞いたら、顔を見たら、彼らの集中力が乱れてしまうと思ったからだ。

 だから、華奢な外見からは想像できないほどの精神力で、苦痛の一切を表に出さない。

「『万象万里万物の全てを』【英雄鬼神菩薩の誰に会おうとも】『駆け抜ける』【狂い闘う】」


                ◇◆◇◆◇


 神術師ヒーラーである連声れんじょう上比佐かみひさは傍に集まってきた後輩たちへ指示を出した。

 詠唱を始めている魔法使い達へ『堅盾』と同程度の耐久を持つ障壁神術の保護を与えるようにだ。

 あのミノタウロス相手には薄紙のような障壁だが、ないよりはマシだろうとの判断だった。

 わかりました、と頷いて詠唱を始める後輩たち。

 さぁて、と上比佐は動き出す。上比佐自身も高ランクの神術師だが、彼は詠唱には加わらない。

 彼には仕事があるのだ。

 黒いミノタウロスが仲間を瞬殺し、出入口へと走っていったその時、敵の移動に巻き込まれて重症を負ってしまった新人の治療を行わなければならなかった。

「移動に巻き込まれただけでこれかい。ひッどいもんやなぁ」

 人体が猛スピードで移動する巨体に引っかかって引きずられた。

 言ってしまえばそれだけだが、それだけで新人の少年が半死半生の重傷を負わされたのだ。

 そんな新人の傷を診ている上比佐の傍に、各組に指示を終えたティンベラスが歩いてくる。

 上比佐は素早く周囲の様子を窺った。

 戦士組は、動かない目標を遠巻きに囲み、警戒を続けている。

 仲間の死体をおもちゃにされる憤怒を堪え、魔法による補助を待っているのは流石と言っていいだろう。

 神術師組も上比佐の指示に従って、魔法使い組へ向けてサポート神術を行っている。

 そして…――戦士たちへの補助魔法を唱えている魔法使い組。

 その中でも自己を犠牲にして、たった一人で二つの広範囲補助呪文を詠唱している少女リヴィイラを悲しそうに上比佐は見ると、おどけたようにしてティンベラスへと向き直る。

「おう、リヴィに景気良く『二重詠唱』やらせとんなぁ」

「嫌味をいわないでください。あれはリヴィイラの、いえ、私がやらせましたが、必要なことです」

「わかっとるわアホティーベ。冗談やカッカッカ」

 かつてないパーティーの危機の中でも、暢気な声を上げることのできる上比佐に対し、ティンベラスは特に反発は抱かなかった。

 上比佐はこの場での数少ないAランクだ。怯えたり竦んだりするよりは堂々としてくれた方が周囲へ好ましい影響を与えてくれる。

 それに仕事も早い。上比佐は先程の接触で唯一死ななかった少年を治療しているが、断ち切られた腕や千切れ飛んだ脚、それらの付け根に手を当てて、青色の板を出現させている。

 場の魔力の枯渇に気を使っているのだろう。神術ではなく青属性による治療だった。

「で、ホンマに使わなアカンのかい? 『二重詠唱アレ』は?」

「ええ。リーダーたちを殺した手際から見て、『二重詠唱』の補助は必須です」

 死んだ者の名前を出され、上比佐は恨めしそうにティンベラスを睨む。

「ふん。ワイには戦闘なんぞわからへんから詳しくは聞かへんけどな。覚えとけぇ、ティーベ。ワイは後でオマエを殴るぞ」

 負担の大きい『二重詠唱』を使っているリヴィイラを心配する上比佐の感情は、自身もよくわかるだけにティンベラスは肩をすくめるだけに済ます。

 あの優しい魔法使いの身体に負担を掛けてしまっているのだ。

 殴られるだけで許してくれるなら素直に殴られても良いとティンベラスは思った。

「ふふ、それで貴方の気が済むのなら安いものです」

 美しい容姿に普段の甲斐甲斐しい振る舞い。

 恋愛感情関係なく守りたいと思わせるのがリヴィイラという少女だ。

 ティンベラスが一瞬だけ日常を思い出して薄っすらと笑うと、治療されている少年を見た。

 まだランクが低いのに、報酬を分配するために、こんな死地につれてきてしまった少年だ。

(……そう、ですね。やっておきましょうか)

 一種の気まぐれだった。ティンベラスは賭け事のような気分でそのアイテムを使用した。

 本当はそれを全員が使うべきだったのかもしれない。

 だがこのアイテムを使えば体内のナノマシンに一時的にだが変調が起きる。権限の付与・・・・・とはそういうものだ。

 肉体の変調によって、勝率が下がり、全滅するかもしれない恐れがある以上、全員には使えない。

 使えないが、戦力外であるこの少年になら……――。

(それにしても……)

 どうしてあのミノタウロスは出口に陣取ったまま動かないのだろう?

 弱気は敗北を招く。ティンベラスは不安を覚えながらも考え過ぎないように努めるものの、どうしても考えてしまう。

 ただのモンスターであるならばこんな悠長に詠唱による補助などできはしない。既に戦いに突入していてもおかしくはないのだ。

 そのために戦士たちには備えてもらっていたのに。

(チャンス、と言っていいのでしょう……相手が油断しているなら、こちらを侮っているなら、それを有効利用するまでです)

 不安はある。リーダーの死の瞬間、百戦錬磨のティンベラスすら見たことのない奇妙な現象があった。

 突っ込んだリーダーの驚愕の顔。他三人の忘我の表情。不吉としか思えない想像と推測。それを振り払い、PADに視線を転じる。

 ティンベラスは待っていた。

 四人という少なくない死人が出たためことから掛かってくるであろう通信をだ。

 本来ならば書類や手間のため、半日以上かかる処理だろうが(その遅さの理由は管理されたモンスター程度に殺されてしまうなら、さっさと死んでしまえという学園都市の悪習である)、今週のダンジョン実習担当技官はあの少女だ。

 彼女の特異な技能を思えば数分も掛かるまい。

(……生き残れたら皆に恨まれるかもしれないが地上うえからの助けを呼びましょう)

 代償は高く付くだろうが、全員を助けられるならば安いことだ。

 そんなティンベラスを上比佐が含みのある視線で見ていた。

 見られていることに気づいているティンベラスだったが、何も言うことなくPADに意識を向けた。


                ◇◆◇◆◇


 戦士たちはその声を聞きながら決してその行為を無駄にはしないと決意を固めていた。

 魔法という技術を道具の形で使用することはできても、自ら唱えたことのない彼らはリヴィイラが『二重詠唱』を使うことの苦しみはわからないし、わかろうとも思わない。

 その苦しみはリヴィイラのものだからだ。

 だから安易に想像し、共感を寄せるなど唾棄すべきだった。

 だから彼らはリヴィイラが詠唱を終えるのを待つ。

 敵を前にして一歩も退かず、ただ詠唱が終わるのを待つ。

 そしてその呪文によって得られた効果を十全に使う。それが彼らがリヴィイラに返せる唯一だ。

「『堅盾』!!」

 リヴィイラを除いた魔法使いによって強力かつ、数多の防御壁が戦士たちに向けて放たれた。宙に浮かぶ六角形の盾。戦士一人に対して20枚を越えて展開された魔法の盾は九人の魔法使いによる戦士達への精一杯の支援サポートだ。

 これが展開されたのならば、たとえ掃射する機関銃の前に立とうとも、掠り傷一つ負うことなく居眠りだってできるだろう。

「防御魔法が行き渡ったな! おおおぅッ、勇敢なる戦士たちよッ!! リヴィイラの詠唱終了と同時に突っ込むぞぉッ!! 良太、金之助、エイン、ラック、グイン、ミル、てめぇらは大盾用意して正面から突貫ッ!! ジリーヴャ、ドッジ、煉蔵は後方から銃撃サポートッ! バリッシュと雄大は俺に続けッ!! あのデカブツを脇から切り刻み、ぶっ殺すッ!!」

『応ッ!!』

 戦士組を纏める男、全身鎧を身に着け、大斧を背負ったAランク重装騎士グルシニカフ・チャフカレンゾに指示をされたものたちは手元のPADを使って命じられた役割を達成するための追加装備を転送し始める。

 壁役として、出口に陣取るミノタウロスの正面に立つことの決まった6人の男女の上に転移の光が出現する。

 クラン所有の大規模ストレージから引き出された追加装備だ。

 彼らが常に身につけている『血道の探求者』の紋章が刻まれた無骨なBランク金属鎧『カーツゥン・リック』、その上に転移の光が重なっていく。

 現れるのは、虹を固めたような七色の追加甲冑だ。流線型をした巨大な肩当てや胴鎧、兜、腰当などが次々に装着されていく。

 学園都市上位武具メーカーである魔鉄重工製、Aランク追加魔導装甲『グラン・メサイア』。

 文字通り高価だが強いを体現した追加武装であり、彼らが上位の賞金稼ぎクランとはいえ、普段なら絶対に使えないものでもあった。

 強すぎて身につければ慢心するからではない。

 そんな理由なら最初から全員がそれを身につけていただろう。

 もっと現実的な理由である。

 グラン・メサイアは稼働させるだけで莫大な金がかかるのだ。

 この追加装甲は高価な専用の使い捨てマナバッテリーで稼働する。しかし、それだけの価値がある。あるのだ。グラン・メサイアは戦闘中、装着者に強力な支援魔法の数々を付与することができるのだ。

 それも魔法使いから与えられた支援魔法と重複する形でだ。

 学園都市の最先端科学が生み出した『身につけるだけで強者』となれる装備。それこそがグラン・メサイアである。

「あのクソミノォぶっ殺してやるぜぇ……ッッ!!」

 そしてこれがグラン・メサイアを身に着けたものの思考だった。

 盾役を指示された彼らをしてこのような全能感に酔わせる力がこの鎧にはある。

 グラン・メサイアを身につけた彼らはまるで巨人のようだった。でかくて重そう、そう見えた。あれでは動けないのでは、と思わせ――そうではない。この鎧はそんな陳腐なものではない。

 この追加装甲は、装着者が直接纏うのではなく、浮遊接合と呼ばれる鎧自体が宙に浮く方式をとっていることから本来の重量を装着者に与えることがない。

 さらに言えば最新技術たる浮遊接合は受けた衝撃を空中に逃がすことが可能な装甲技術であり、また、装甲表面に処理された数々の耐性はAランクの攻撃すらCランク程度にまで攻撃の威力を軽減する。

 バッテリーの魔力を多めに使うものの、搭載された機能を最大限に使用することで、敵対する相手を解析し、最適な行動への誘導ガイドを表示し、身体能力の底上げを行い、肉体を理想的な防御姿勢へと導くことも可能。

 他にも各種属性魔法、毒ガスや麻痺ガス、低位ならば竜種のブレスすらも防ぐ能力も持つ。

 使用の度に高価な魔力バッテリーを消費するのが唯一の難点であるものの、グラン・メサイアは、まさしく理想の鎧を体現した存在だった。

「いくぜいくぜいくぜぇえええええ! 仲間の仇をとるぜえええええええ!!」

 グラン・メサイアを装備した戦士の一人が興奮からか鬨の声を上げた。

 不吉な予感を振り払うように。通常のミノタウロスよりも巨大なその姿から感じる恐怖を誤魔化すように。

「起動確認完了。『遮る者』の転送も完了した」

 声を上げた男を含む六人の戦士はグラン・メサイアが正常に起動することを確認すると、盾表面に『反発B』と『衝撃軽減B』の魔導処理が為されたアインヘリヤル工房製Aクラス大盾『遮る者』をしっかりと握り、『二重詠唱』による支援の完了を待つ。


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