プロローグ(5)


 学園を出た火神浩一は上空に視線を向け、眩しそうに目を細めた。

「今日は晴れか……」

 もちろん天気を確かめようと思えば体内ナノマシンがシェルターシステムと同期し、得られた現在の天気や湿度や気温を、視界の邪魔にならない位置に表示してくれる。

 そういった外部情報の可視化の他、細かい身体情報や攻撃時の斬撃理想導線表示など様々な戦闘補助を行ってくれるのが体内ナノマシンだ。

 だが、浩一はそれらの殆どをカットしている。

 そうでは・・・・ないのだ・・・・。大切なのは目で見た色、肌で感じる実感だ。

 ナノマシンによる押し付けは自らを劣化させる。とある事情から学園都市の当たり前・・・・である肉体改造の殆どを施すことのできない浩一は、そう信じることが自らの強さを維持するために必要だと盲信していた。


 ――都市内には陽光が降り注いでいた。


 ドーム状のシェルターの天井は陽光を透過する半透明の巨大な膜でできている。素材はなんだったか、と浩一は考え、どうでもいいかと脳内のどこかに疑問を打ち捨てる。

 膜は都市全体を覆うように広がっていた。

 現在の地球を覆う大気の壁はシェルター建設以前と比べるとその脆弱性は甚だしく、まともな生物が生存できるものではない。

 ゆえに都市シェルターは基本、太陽光から有害物質の殆どを除去し、都市内に光を取り入れるドームを保持している。

(っと、早く移動しないとな)

 学園に併設されたモノレール駅の入り口改札をPADを介して通る浩一。

 学園都市の主要交通機関であるモノレールは、学割が使える学生ならばほぼ無料だ。

 ちょうどモノレールがやってきたのでそのまま浩一は乗り込んだ。

 モノレールの窓から眼下を見下ろせば、学園都市の広大な町並みの中を忙しなく歩く人々の姿が見えた。

 シェルター内はドームであるために天候が悪かろうと人々が外を出歩かないわけではないが、やはり晴れていれば光を浴びようと外に出てくる人間も多いのだろう。

 学園都市『アーリデイズ』はシェルター内部に作られた都市だが、そこに閉塞的な印象は殆ど無い。

 四方を円形の巨大な壁で囲まれ、上空を透明な膜に覆われているものの、都市は広く、こうした交通機関を使わなければ隣の区画に移動するのも困難だからだ。

 都市政府による統治は万全で、学生以外の住人は時折自らがシェルター内にいることを忘れるぐらいである。

(だが、俺もいずれこの街を出て、『外』のモンスターどもと戦うことになる)

 壁の向こう側を想像し、戦意を昂ぶらせる浩一。

 アーリデイズシェルターには、八基ある衛星シェルターより生産された物資が集中的に集められ、効率的に消費されている。

 この巨大都市は建設されて長いが、いまだ怪物のように成長し続けている。

 人類はこれだけの人材育成機関を抱えながらも、未だ外のモンスターたちの全てを駆除することができていない。

「歯がゆいな……」

 浩一は拳を強く握った。

 モノレールに乗る浩一の眼下では新しいビルを建てるためだろう、古いビルが解体されていた。


                ◇◆◇◆◇


『大崩壊後の人類の歴史は苦難と絶望の連続でした。環境の崩壊、発生した怪物。外に出ることの困難さに挫折しそうなときもありました。ですが、人類は負けません。外界の敵であるモンスターたちから身を守るために協調し、絶望を乗り越え、希望を掴む。そのためにも後進の育成は不可欠でした。人と物、学園都市アーリデイズはそれらの需要を一挙に――』

 モノレール内に設置されたディスプレイでは観光者向けのシェルター内案内が流れていた。

 シェルターが建設される理由となった大崩壊と呼ばれる人類史の汚点。

 外界の汚染具合、モンスターと人類の距離感、そしてどうして人類は外に出る必要があるのか、ということの説明。

思想誘導プロパガンダ、か)

 浩一は大崩壊直後の人類を知らない。

 しかし、モノレールの上からでも人々が繁栄を謳歌していることはわかる。

 眼下の町並みを歩く人々に浮かぶのは悲嘆ではない。笑顔だ。

 外界は未だモンスターだらけだが、人類はここまで取り戻したのだ。

 都市予算は軍事費に比重を置いているものの、文化も再生している。人類は再生している。衣食住だけじゃない。娯楽の類だってそれなりに手間はかかるが望めばいくらでも手に入るのだ。


 ――外に出る必要はなかった。


 外への憧れを止めれば、人類はいつでも閉じた楽園を再開させることが可能だった。

(だが、たちは外に出ようとしている……)

 浩一はモノレールから眺められる街並みをじっと見つめる。

 新鮮な太陽光。安全な空気。いくらか物騒ではあるが、ここは生存できる要素で満ちている。

 都市内は明るく照らされ、数は少ないがしっかりと用意されている娯楽施設によってストレスも緩和されている。

 格差はあるが都市に登録された市民であれば衣食住も無料で手に入る。

 優秀で完璧なシェルター政府は住人たちに完璧な安全と安心を与えている。

(だが……)

 だが・・、人々は無意識に閉塞感を感じていた。

 拭えない不安、人類全体がどうしても捨てきれない悲願と衝動。


 ――モンスターどもを駆逐し、外の世界で自由に暮らすこと。


 これこそが、学園都市アーリデイズを所有する国家ゼネラウスが千年以上の昔から掲げている政策だ。

 巨大な都市一つに加え、莫大な予算を使って、モンスターと同等の戦闘力を有する軍人を育成する計画を、国民が今でも支持している理由だ。

(そうだ。俺たちは必ず外に出る。あらゆるモンスターに打ち勝つ)

 そうしなければならないのだ。

『まもなく第57区画、第7商店街。お降りの際は――』

 モノレールが停止する。目的地だった。

 第57区画、第7商業街。

 浩一が区画へと入ったことを認識した体内ナノマシンが、視界の隅に区画名を表示したウィンドウを表示した。


                ◇◆◇◆◇


 武具販売店『ラインツ・クーバー』。それがこの古ぼけた外観を持つ木造・・の店の名だ。

 大通りに面しているというのに店内に客は一人もいない。閑散とした店内は閑古鳥が鳴いているようにも見えた。

 扉が開く。

 店主以外誰もいない店内に来客を伝える鈴の音が鳴った。

「んゥ? 誰だァ?」

 店の奥、カウンターに併設された作業台で、でっぷりと太った貫禄のある中年の大男が作業をしていた。

 もっともその太り方は肥満ではない。全身を覆う異常に肥大した筋肉が男を太っているように見せているのである。

「あァ。面倒くせェ。俺ァ鑑定作業してんだぜェ? 客とか来なきゃいいのによォ」

 グチグチとそんなことを気怠げに零す男の手には一振りの剣があった。

 それは精緻な彫刻の施された西洋剣だ。焔を鋼にしたかのような赤々と輝く刃を、巌のような顔に配置されたつぶらな瞳を窄めた男がモノクル越しにじっくりと眺めている。

 この男、名をドイル・ザ・スレッジハンマーという。

 この武具店の店主である。

 それなりの歳の男だが、妻も子も持たず、しかし武具に対する愛情は人並以上に持っている変人であった。

「ドイル、俺だよ。浩一だ」

 店に入ってきたのは火神浩一だった。気安い口調は馴染みであることを主張していた。

 店主ドイルに向けて突き出された手には鞘に納められた飛燕が握られていたが、ドイルは手元の剣に目を向けていて浩一を見向きもしない。

「おォ、浩一かァ。ちょォいと待ってろ。こいつの査定が終わったら、だな。うむ」

 もごもごと口を動かす店主に問題ないと浩一は返す。

 特に急ぎの用事もないためか、それとも店主の性格を熟知していたのか、気にした様子もなくカウンター傍に置いてある天堅樹てんけんじゅ製の椅子に腰を掛けた。

 天堅樹は大陸から輸入するしかない希少な高級木材の1つだ。風雅な模様に、建材向きの硬さを持った素材で、ラインツ・クーバーにはこれが建材として大量に使われている。

 現在の地球全体ではとある理由で船の航行が困難になっている。ゆえに大陸の素材は一般には軽々に流れない貴重な素材だった。

 この店では、そんなものが椅子などの調度品にまで使われていた。

 それもそのはずで、武具専門店ラインツ・クーバーは最上位に分類される『EX』『SS』『S』ランクの武具の扱いを許されているゼネラウスでも数少ない武具店である。

 客がいないのではない。この店は店主が客を選ぶのである。

 『A』ランク以下の武具は一切扱わない一見客はお断りする超のつく高級店なのだ。

 天堅樹を店の建材に使っている、ということはつまりこの店の店主が権力者と深い付き合いを持っていることを暗に示しているのだが――浩一は特に気にした様子もなくドイルの作業が終わるのを待っていた。

 ドイルもまた場違いなはずの浩一がこの場にいることを気にせず、手元の剣から眼を離さずに浩一へと声をかける。

「おお、浩一ィ。こいつはなァ。剣牢院けんろういん同心どうしん作の長剣だぞゥ」

「ほぅ、かの有名な剣牢院同心の作か。なぁドイル、いつも思うんだがどうやってそれほどの貴重な武具を仕入れてくるんだ?」

「イッヒヒ、伝手つては作っとくもんだぞォ、浩一ィ」

 伝手ねぇ、とドイルの持つ剣を眺める浩一。

 剣牢院は武具製作の名門にして学園都市内で政治的、軍事的に力を持った名家の集まり『四鳳八院しほうはちいん』の一翼だった。

 そんな剣牢院の作った武具がなまくらであるはずがない。

「どゥだァ、欲しいかァ? 浩一ィ」

 見せびらかすように刃の向きを浩一に向けるドイル。

 浩一が感嘆の息を漏らす。装飾もそうだが、艶めいた炎の色の刀身は宝石がごとくに煌めいている。

 浩一の持つ刀よりも明らかに良い武具であることは確かなうえに、ちょうど浩一が欲しがっていた炎の属性を持つ武具。

 しかし、作業台の上から一切目をそらすことない店主を浩一はハッ、と鼻で嗤った。

「馬鹿を言うなドイル。俺は刀使いさむらいだぞ。術理の違う西洋剣なんざ扱ってどうする」


 ――SSランク長剣『炎殺の帝剣アグリィ・エンパイア』。


 それがドイルの手の中にある剣の銘だった。

 傍らから眺めるだけでもひしひしと内包する力が感じられる、学園都市最高峰とも称される魔剣の一本。

 そんな至上の名剣を欲さぬ浩一の姿にドイルはグァ、グァ、グァ、と岩盤が破砕できそうなほどの濁声で愉快そうに笑う。

 変人の武具屋は己の前にいる人間が出会った頃から変わらないことを喜んでいるのだ。

「お、おォ。そういェば、そうだったな。グ、グガガ。だがよォ、買い手もまだいねェことだし。金さえあるんなら浩一によォ。売ってやろゥと思ってたんだァ。ガガガガガ」

 ほぅ、と今度は浩一が目を細めた。

 感心した、感動した、などという表情ではない。

 術理を理解している刀ならともかく西洋剣を浩一が本気で欲すると武具の専門家であるドイルが本気で考えるわけがないからだ。

「何を言おうと金は借りんぞ? そもそもこんな糞高いものを俺が買うと本気で考えてるのか?」

「ガッガッガ。なんだァ浩一ィ。ワァシがァ、浩一からァボッたくろうなんざァ。考えるわけがなァい」

 言いながらも作業中には上げなかった顔を上げているところに本音が透けて見えていた。ドイルは武具も好きだが金も好きなのだ。金があれば新しい武具が買える。良い道具が買える。欲しいものがいくらでも手に入る。本人が言うにはそういうことである。

 あからさまな態度に浩一は呆れながら腰の刀をカウンターの上に置いた。

 集中が途切れたのかドイルも炎剣を鞘に収め、カウンター越しに浩一と向き合った。

「ロォーン有り、整備無料だァ。どうだァ?」

「まぁ待て。絶対に買わないが値段はどうなんだ?」

 ほゥい、と目の前に表示されたウィンドウを見て浩一は内心で決めていた決断を更に深め、中年の鍛冶師をじろりと睨みつけた。

「ちなみに、何年ローンだ?」

 デヘヘ、といやらしい笑いを浮かべたドイルはまったく悪びれた様子もなく「200年だァ。グァガガガガ」と告げてくる。

 家を買うより遥かに高い買い物だ。だが将来をただの軍人で過ごすならば安価とも言えた。

 このランクの剣だ。得意とはいえないが西洋剣の術理を修めれば、第一線で戦い続けても十二分にお釣りが返ってくる。

 しかし、浩一にはやらなければならないことがある。ただの軍人で終わるつもりはないのだ。

「ローンを払い終わる前に俺の寿命が尽きる糞剣なんぞいらんわ。子々孫々まで借金漬けなんぞゾッとしないぞ」

 ぺいっと値段の表示されたウィンドウを手で掻き消した浩一は「それよりコイツの整備を頼む」とカウンターに置いた刀を押し出した。

 ドイルは全く残念でない表情で「そォかァ。残念だァ。ガガガガガ」と気分よさそうに笑う。

 そうしてから、SSランク西洋剣とはまさに天と地どころか、比べられる要素が欠片も存在しないEランク無属性太刀、火神浩一の愛刀『飛燕』を手に取った。

「おォおォ。よくもまァこれだけ斬ったなァ」

「いつも通りだよ。まだその刀でもイけるだろ?」

 自分に言い聞かせるような浩一の言葉にドイルが眼を細めて刃を見た。そこに先程の笑みは欠片も存在しない。

 浩一の言葉は金属よりも体表が柔らかいモンスターを相手にし続ける心算つもりであるということを暗に語っている。

 飛燕では硬度の高いモンスターを相手にするには力不足だからだ。

 それは逃げなのかもしれなかった。

 火神浩一が勝てないモンスターは未だ無数に存在する。

 もちろん挑むことはできるだろう、回避に徹すれば負けないこともできるかもしれない。

 しかし飛燕ではそれらのモンスターをけして傷つけることはできない。

 学園都市の武具である飛燕は旧世界の装備から見れば破格と言って良いぐらいには強力な武装だが、Eランクゆえの限界が当然存在した。

 如何にドイルが魂を込めて飛燕を研ごうとも飛燕ではAランク以上の硬度を持つモンスターは絶対に斬ることができないし、浩一の技量はそもそも鈍らなまくら刀で金属の硬度を持つ皮膚を斬るレベルに達していない。

 浩一とてその現実は知っている。だが、それでもできることをやるしかないのだ。

 今は強がりとも本気ともつかない戯言を吐くだけだけだとしても……。

「そォかねェ。ワシから見ればこの刀じゃァ。おォ? ミノタウロスにオロチかァ? よくもまァこれで」

 浩一の心情をおもんばかったドイルは最後まで言うのをやめた。

 本人にその気がないなら何を言っても無駄だからだ。

 それでも何かしら後押しをしたほうが良いだろうともドイルは考えるのだが……。

 言葉を止める。飛燕を精査していたモノクルがいくつもの情報ウィンドウをドイルに向けて展開した。

 ウィンドウに記載された情報ステータスは、飛燕が経験した戦闘の記録や飛燕自体の詳細なスペックデータだ。

 学生の育成だけでなく、武具の製造も行っている学園都市では武具の一つ一つにそれなりの情報収集機能を搭載していた。

 ウィンドウに記された数値の一つ一つからは浩一が重ねてきた戦いの内容が伺えた。

 戦士の記憶ともいうべき情報を味わうかのようにドイルの視線がウィンドウを行き来する。

 ほゥほゥ、とドイルが感心したように感嘆する。ドイルの鍛冶屋の技能と学生や軍人であったころの実体験が情報と結びつき、戦闘の光景をドイルの脳裏にまざまざと描いたのだ。

 火神浩一の戦いには他にない特徴がある。

 同ランクの学生たちでは決して行なうことのない。いや、行なうことのできない戦い方。

 ミノタウロスに対してランクが圧倒的に低い武具とそれほど高くない身体能力で挑む愚行。戦闘経験の蓄積と修練のみで手に入れた戦闘の手管。

 浩一の事情を知っているからこそ事実だと信じられるそれらは、あくまで一線を引いた外野の者だからこそ素直に見事だと言えた。


 ――火神浩一は、肉体改造の一切を行っていない。


 それは他の学生からすれば狂気の沙汰でしかない事実だった。

 モンスターと戦うためには肉体改造はやらなければならないことだ。

 骨を金属に、筋肉を機械に、神経を光に。

 体内に魔力炉を埋め込み、学習装置で脳に情報を叩き込み、精神を薬漬けにして彼らは戦いに挑む。

 外道の技ではない。それら全ては人類がシェルターより授かった技術である。正当であり、王道だ。

 だからこの世界の人間がモンスターと戦うとき、軽戦士ならば敵を超える速度で翻弄し、重戦士ならば敵を超える膂力で打ち合うものと考える。 

 少なくともドイルの知る戦士の戦闘法とはそういうものだ。

 武とは肉体を強化すること。武術はあくまで技術として攻防を補うが、補うという枠からは一歩も出ることができない。

 それは学園都市創設から繰り返されている生体強化、肉体改造信仰による教育の賜物だった。

 都市内の学生は、肉体の強化や実力の上昇に修行や鍛錬などという非効率的な手段を使わない。

 使わない、というよりは必要がないとも言えた。

 だが身体能力がBランク以下でしかない浩一の等級ランクは学園都市中堅の生徒たちと同じB+ランクだった。

 異常だった。学園都市の常識ではけして有り得ないのだ。


 ――普通ならば、どこかで死んでいるはずであった。


 だが、現実にドイルの前に浩一は存在し、今も生き残り、闘い続けている。

 改造のできぬ浩一を形作っているのは他の学生が非効率と呼ぶトレーニングや地道な鍛錬によって得られた肉体。

 浩一は、学園都市が提供するあらゆる改造を肉体に加えていない、所謂『生身の肉体』なのだ。


 ――学園都市で生まれた人間は、あらゆる行為への適応性に『深み』が与えられている。


 できる限り人間に近く、人間から離れすぎないようにデザインされ生み出される幼児達。

 成長の過程で人体ベースの性能をギリギリまで強化し、骨格を金属やそれと同程度の硬度を持つ物質に入れ替え、神経の伝達速度を上げるために神経を取替え、流れる血液を弄り、内臓を交換し、徐々に徐々に全身を性能の良いものに取り替えていく。

 強者はそうして人工的に作られる。

 学園都市の最初期から確立しているその繰り返しが今の人類を作り上げた。

 あらゆる分野のプロフェッショナルを安定して生産するために造られた学園都市。

 そこに住む学生たちは身体の9割以上を生まれてから細部に至るまで研究者たちによって、手を加えられてきた。


 ――ただ一人、ドイルの目の前にいる火神浩一を除いて。


 学園都市にいながら身体を一切改造することなく、修練のみで中堅までたどり着いた男。

 時に投擲などの手段を扱っているとはいえ、補助の拳銃や魔法筒の一切を持つこともなく、ただ刀のみでここまで来た男。

 敵対してきた相手は自身よりも身体能力が高く、生命力の強い怪物たち。

 学園都市生まれである以上は当然、旧人類よりも身体能力は高い。

 だが、それでも火神浩一の生存能力は驚異的なまでに秀でていると言ってよかった。

(『スロット』もォ、ホントになァんもつけとらんからなァ)

 店内を歩き回り、武具を見て回る浩一をドイルは眺めた。彼は飾られた数々の武具、その値段を見て有り得ねぇ、と呟いている。ドイルは笑う。浩一に買えるようなものなど一切置いていない。

 本来ならば火神浩一はこの店に踏み込むことができるようなランクではない。

 ラインツ・クーバーはゼネラウスに存在する武具店で最上級なのだ。

 一見様お断りは伊達ではない。

 浩一は知らないだろうが、購入だけでなく、入店にも制限が存在する。ドイルが認めていない人間は誰であろうと店に入ることはできないのだ。

 ここを利用できるのはSSランクとSランクの学生や軍人たちだけ、その中には当然、SSランクの上に君臨する13人の『数字持ちナンバーズ』も入っている。

 彼らだけがこの店の店主に自身の武具を整備してもらえる権利を持っていた。

(まァったく、面白れェ客だよォ。おめェはよォ、ガハァッ)

 だが刀だけで迷宮を歩む男がここにいる。

 一切の改造をすることなく、人類が開発した叡智の結晶であるスロットすら使えない青年。

 火神浩一とドイルの出会いは偶然でしかない。

 浩一に与えられた通り名をSランク以上に与えられる二つ名と勘違いしたドイルが店に引きずり込んだのが最初だ。

 そうしてドイルは知った。出会った相手のどうしようもないほどの脆弱さを。しかし必死にそれに抗い、生き残り続ける男のしたたかさを。


 ――火神浩一には奇妙な魅力がある。


 その生き方にほんの少しの羨望と興味を覚え、かつてのドイルは浩一に己の店を利用することを許可したのだった。

「オぅ。浩一ィ、そいつを買うかァ!」

「買わんッ。借金なんぞ死んでもするか!」

「ガガガガ、そりゃ残念だァ。ガガガガガ」

 店の棚の宝刀を興味深げに見ていた浩一に楽しげな声をかけ、ドイルは飛燕の整備をするために工房へと戻ることにした。

 途中、少しだけ過去を思い出し、自嘲気味に口角を釣り上げる。

 浩一に出会う前は学生一人にこれだけ入れ込んだことはなかった。

 Sランクを超えた人間には専門の研究機関が必ず付く。だからドイルが学生に販売以上のことをすることはできなかった。

 しかし浩一はその肉体の特異性によってサポートの研究機関がついていない。

 それを哀れに思ったからか、自分でも手を差し伸べられる存在に見えたからか……。

 浩一の面倒を、仕事の片手間でよければ程度に見てやるかと考えたのはドイルの本心だった。

(ゲヘッ、寂しかったんかねェ)

 柄にもない行為だった。しかし悪くない記憶でもあった。

 かつてを思い出していたドイルは「あァ、忘れてたぞォ」とわざわざ浩一のために注文したそれを掴み、いまだ店内を物色している浩一へと歩いていく。

 『刀だけイクイップスワン』。

 それがドイルを勘違いさせ、ラインツ・クーバーへと導いた、浩一に授けられた蔑称とおりなだった。


                ◇◆◇◆◇


 武具店ラインツ・クーバーを出た浩一は言葉にならない呻きを内心で上げた。

 強い違和感が腰にある。重さもそうだが重心が違うのだ。

 浩一はドイルに飛燕を整備のために預けた。

 だがドイルにも他の仕事が入っているため、飛燕の整備が完了するのは四日後だと言われてしまったのだ。

 浩一はそのときのことを思い出す。『おいおいそりゃ困るぞ。三日後にはダンジョン探索があるんだ』浩一はドイルにそう言った。

 簡単な整備ならば浩一自身でも出来る。なんなら整備は自分でやると飛燕を返すように浩一はドイルに要求した。

 だが、とドイルの返答を思い出し、浩一は口をへの字に曲げた。

『あァ? 馬鹿言うなァ。おまえ、これ、刀身が少しだが歪みかけとるぞォ』

 それを指摘されたとき、ああ、あのときかと浩一には心当たりがあった。

 大蛇を一刀両断したときのものだ。骨か、凍った肉のどちらかが原因――否、それとも両方か。

 飛燕の歪みは自身の未熟によって生じたものだった。

 恥じ入り無言になった浩一に『得物がねェと探索も大変だろうよォ』とドイルが渡してきたのが今腰にぶら下げている代刀だった。

 村正工房製B+ランク太刀『雲霞緑青くもがすみろくしょう』。

 錆色の刀身を持った、黒と黄色の斑模様の鞘に入った太刀だ。

 ドイルが調整したのか、愛用の飛燕と刀身や柄の長さもそう変わらないが、重さと重心が少し違うために今の浩一は強い違和感に耐えているところだった。

(ただなぁ)

 浩一も重心が違うだけだったなら、飛燕より多少切れ味と頑丈さのあがった太刀としか見なかっただろう。

 むしろランクの高い刀に触れる機会を与えてくれたドイルに感謝したかもしれない。

 ただあくまでそれは、雲霞緑青の本来の機能を知らされなかったならばだ。

(雲霞緑青は『毒刀』……か)

 武具に対してのみ完璧主義者であるドイルはその機能の全てを余すことなく浩一に教えていた。

 毒刀。それもただの毒の刀ではない。

 雲霞緑青は刀身に毒を塗る、鞘に毒を仕込む等ではなく、刀身自体を毒とするよう生産された刀だ。

 金属精製の際に毒性の高い金属と各種の神経毒を混ぜながら生成された武具。

 厳選された毒物を基にして作られた刀は生物であるモンスター相手に非常に効果が高く、前線にいる高ランクの軍人たちが好んで使用する太刀の一つとして数えられている。

 そもそも村正工房は学園都市に存在する刀系ブランドの中でも正宗重工や剣牢院商会を相手にトップを争い続けている武具ブランドの一つだ。

 武具の力不足を嘆いていた浩一にとっては村正工房製の太刀を貸してもらえるのはとても良いことのはずであったが……。


 ――それが毒刀でなければ。


(勉強しろってことか? あの野郎ドイルめ)

 脳内にガハハハハ、と笑う巨漢の顔が浮かび顔を顰める浩一。

 確かにそうだ。いつまでもEランクの飛燕一本に頼り続けるわけにはいかない。

 浩一は弱い。脆弱といっても良い。

 本人の努力と戦闘経験だけならば学園でも上位に位置するが、それが実績につながるなら誰もが結果を出している。

 身体を開発する。身体を改造する。そういったことをしていないツケは覚悟していた。

 だから戦闘中に取り立てられるその代償をいつも支払っていたつもりだったのだが……。

(所詮つもりだったか……くそぅ)

 ガリガリと頭を掻き毟る。せめて武具だけでも高位に変えろ、というドイルの無言の後押しを感じ、浩一は顔をしかめる。

 人工的に異能や技能を与えてくれる『スロット』の搭載や身体の改造は、浩一も出来得るならしたいのだ。

(神経速度の変更や、筋力のブーストだけでもできればいいんだか……それもな)

 浩一は自分が身体改造を行なえない理由を思い出し、心中のみで悪態を吐く。

 今の浩一にはそれをどうにかするための手段すらわからない。

 強者には相応の権利が与えられる。浩一も強くなって、偉くなればわかるのだろうか……?

(俺よ、今は我慢だぜ。峰富士みねふじ博士も努力してくれているんだ)

 改造はできずとも成長方針を相談するために、契約している研究者の言葉を思い出す浩一。

 いつだって苦悩している。それでも目的のためにはやるべきことをやり続けなければならないのだ。

(いいさ、毒刀は初めて扱う刀だからな。興味もあるさ)

 一切の絶望や諦観を感じさせない瞳と足取りで、通りを埋め尽くす人ごみを掻き分ける火神浩一。

 その視線はしっかりと前を見据えていた。


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