プロローグ(4)


 学園ダンジョン『アリアスレウズ』36階層。

 そこは鬱蒼とした森林によって隠された、遺跡型の構造物である『アリアドネ大封道』が存在するフロアだ。

 階層としては森と平地によって構成された単純な階層フロアである。

 生息しているモンスターは小型の昆虫型モンスターや動物型モンスターが種々様々にいるものの、それらはフロアのメインである巨大蜘蛛型モンスター『アリアドネ』の餌にすぎない。

 とはいえメインにして一番の強敵たるアリアドネ自体のドロップはそう良いものではなく。

 遺跡もまた過去の学生たちによって探索され尽くしておりフロア自体の旨味は少ないとされていた・・・・・


 ――だが今、巨大遺跡『アリアドネ大封道』の奥深くに、学生の集団がいた。


 そこはもともとダンジョン内壁たる乳白色の壁で構成された大広間だったが、現在はアリアドネが生成する蜘蛛糸によって天井も壁も床も区別なく覆われていた。

 また、この施設のあちらこちらにはアリアドネたちが住みやすいように作られているのか、人が通れるほどに巨大な横穴が無数に存在していた。

 もっとも長年アリアドネが棲み着いたことで、それらの横穴も白く煌く巨大な蜘蛛の巣によってふさがれており、その奥に何があるのかは杳として知れない。

 このように戦闘と探索の難易度が極端に高く、リターンも見込めない学生たちからすれば不人気のエリアになぜ学生がいるのか。


 ――声が響く。


 それは自信に満ちた威厳のあるリーダー向きの声だ。

「事前にしたミーティングの通りだ! こいつは触れれば前衛騎士でも絡め取っちまう最悪の蜘蛛糸だが、セオリー通りに焼き払っちまえば問題ねぇ。おう、さっきの戦闘の負傷者は早く治療を受けとけよ」

 騎士甲冑を纏った大柄な男子生徒が、油断の欠片も存在しない目つきで周囲へ指示を出していた。

 彼の前には人の胴体ほどの大きさを持つ大蜘蛛アリアドネの屍骸が大量に転がっている。

 数にして30を超えるそれは並の学生ではどうあっても餌になるしかないほどの強力な敵集団、のはずだ。

 巨大昆虫系のモンスターは総じてランクが高い。

 彼らは亜人型のモンスターより知能は劣るが、頑丈で生存能力が高い。

 環境の変化には弱いが、多産で群れ、悪食でトリッキーだ。

 そして生理的嫌悪を齎す外見の悪さ。あらゆる意味でただの人間では相手にするのが難しい。

 そのうえだ。このフロアのメインモンスターであるアリアドネは単体でも旧世界での戦車や航空機での攻撃を必要とするAランク認定された怪物である。

 その圧倒的な身体能力ステータスに加えて地の利、数ともに優越していれば学生の集団程度一蹴するには十分なはずであった。

 だが恐るべきは、学生か。彼らは軽微な損害でこの『アリアドネ大封道』に巣食うアリアドネの集団を全滅させていた。

 並の実力者ではない。

 だが学生たちは誇るでもなく淡々と作業を進めていく。

 そこに油断はない。手慣れていた。強者の集団だった。

「魔法使いは前衛と組んで巣を焼き払え。油断するなよ。蜘蛛型モンスターは音を立てねぇし、狭い場所に平気で潜みやがるからな。――……よし! 残りの連中でアイテムの回収を始めろ。手早くな」

 モンスターの死骸の前に立っていたリーダーの男子生徒の出す指示に従い、鎧やローブを身に着けた少年少女がせわしなく動いていく。

 淀みのない彼らの動きを満足げに眺めている男子生徒の隣に参謀らしき青年剣士が寄り添った。

「大きな怪我をしたメンバーはなしと。大成功ですね」

「副長か。『イベント』ももうすぐ終わりだな。巣はどれだけ残ってる?」

「道中でかなりの数を破壊しましたからね。ええと、あとは先ほど貴方が指示を出した場所だけでしょうか?」

「へッ、イベント扱いなせいか。アリアドネの巣を壊せば壊すだけアイテムが手に入るってのはボロいもんだな。こんな楽でいいのか?」

「アイテム獲得のトリガーとなるイベントの発見も難しかったですし、そもそもアリアドネの排除自体が相当な難易度ですからね。そういうものでしょう。それに僕たちも結構な人員を連れてきたわけですし、貰えるだけ貰っておきましょう」

「おう、今回は『クラン』の人間を総動員したからな。赤字にならねぇようにとりっぱぐれるなよ!! がっはっは!!」

「はいはい。わかってますよ。リーダー」

 学園都市においてクランとは、特定の方針をともにする学生集団のことを指す。

 それだけの関係だ。だがそれだけではない。

 目的を同じくする強者が集ったときにクランは変わる。

 彼らは集団で効率的にモンスターを討伐するための厳しい訓練をし、数多くの困難を乗り越え、成功体験を共有する。

 同じ釜の飯を食べ、長い年月を共に過ごし、ともに笑い、ともに泣き、ともに敗北し、ともに勝利する。


 ――当然、結ばれる絆は兄弟姉妹がごとくに深くなる。


 命の灯が尽きたのだろう。仰向けに倒れ、足先をひくひくと痙攣させるだけだったアリアドネたちの死骸が消えていく。

 クランリーダーの男子生徒が装備するイヤリング型PADに、死骸から発生した光が次々と収まっていく。

 遺跡のどこかに設置されたスピーカーよりファンファーレが鳴り響いた。

 遺跡内に響く軽快で、どこか楽しくなるような音楽。それに続くのはイベントをクリアした学生に向けてアーリデイズ学園が設定しているアナウンスだ。

『A+クラン【血道の探求者】がフロアイベント【アリアドネ大封道】をクリアしました』

 作業をしていたメンバーが手を止めて音の出所らしきスピーカーへと視線を向ける。

 リーダーと副長もまたそのアナウンスに耳を傾けた。

『イベント終了時にイベントに参加していた全ての学生のストレージにアイテム【アリアドネの糸】を配布致します。使用する場合は説明文をよく読みストレージから直接使用してください。また報酬として単位【7】を配布しました。該当パーティーに所属する生徒はアリアスレウズ地上階にある受付にて探索登録を行ったPADを提出し、報酬単位を受領してください』

 よし、と満足そうにアナウンスを聞いた生徒の一部が両手をぐっと握り、ガッツポーズをする。他の生徒達も傍に立つ仲間と顔を見合わせると手を打ち合い、それぞれに喜びを露わにした。

 クランリーダーである騎士甲冑姿の学生はそんな仲間達の様子を見て頬を緩めるものの、警戒は解いていない。

 未だダンジョンの中にいるからだ。

 クランリーダーの視線は空間に投影したウィンドウに固定されている。

 そこに映るのは攻略報酬のアイテムだ。ウィンドウにはアリアドネの巣を破壊して得たアイテムと、先ほどのアナウンスのあとに送られたアイテムがある。

 それらは転移システムを用いて彼らの所持倉庫ストレージに直接送られたアイテムだった。転移システムを用いて手元に呼び寄せれば今すぐにでも使えるようになっている。

「リーダー、それでアリアドネの糸とはなんですか? 特殊アイテムのようですが」

「報酬のアイテムに心なしか回復薬が多いな。この手の遺跡イベントなら換金アイテムが主なはずだが……? ああ? なんだって?」

「アリアドネの糸ですよ。どういうアイテムだと思いますか?」

 壁穴の巣穴が焼き払われるたびに増えていく戦利品。その内訳に関しリーダーの青年が疑問に思うものの、傍に立っていた副リーダーに先程贈られたアイテムについて問いかけられ、疑問は棚上げされる。

「さて、な。見てみりゃ早いだろうよ。どれ」

 無言になる男の前で宙に浮かぶウィンドウの操作が行われる。

 指などは使っていない。思念を読み取らせて操作しているのだ。

 今どき指で操作する学生はいない。思念操作は最新式のPADなら当然に有している機能である。

 アイテム詳細のウィンドウは瞬時に表示された。

 思考による操作によって、いくつかの手順が故意に飛ばスキップされたのだ。

「アリアドネの糸。ええと、効果は生体転送の一時的解除、ですか?」

「……学園は正気かよ。んなことしたら死ぬぞ俺ら。たとえ成功した所で五体満足でいられるわけがねぇじゃねぇか」

 2人の声は狼狽を多分に含んでいた。

 転送システム。

 アイテムの転移やモンスターの死骸の除去に使われているそれは大崩壊後の人類によって開発された技術のひとつだ。

 大崩壊以後に発見され、発展した魔導技術。

 発掘された、かつて隆盛を誇った科学技術。

 現在人類が過去の人類の勝るものの一つ、それがこの2つの超技術の融合によって生まれた超常のテクノロジーだ。


 ――そして現在、転送システムは学園都市の隅々で使われている。


 このダンジョン実習とてそうだ。

 管理モンスターの生産、補充、死亡時の除去。

 各ダンジョン内物資の補充から学生たちのダンジョン探索の支援などなど。

 学園シェルター『アーリデイズ』がダンジョンを現在のように大規模に管理運営していられるのは、この転送システムありきと言っても過言ではない。

 とはいえ技術は技術だ。当然ながら制限できないことも存在する。

「やっぱりありえねぇ。人間の生体転送だけは、不可能なはずだ」

 クランリーダーの断言に参謀の青年も一も二もなく頷いた。

 説明文にあるのは転送システム内に存在する人体転送項目の限定解除と体内ナノマシンに対する一時的な転送権限の付与。

 説明文を見ながら二人の男はそのアイテムを嘲笑する。転送技術は現在の人類の要ともあって、学生の必修科目の1つだ。

 だから常識として刷り込まれている。こんなものを使うのは馬鹿げている、と。

 学生たちの肉体は様々な肉体改造によって生身からかけ離れているが、体内に埋め込まれたナノマシンの多くはかつてシェルターに備わっていた人工知能群に与えられたものがそのまま使われている。

 ナノマシンの機能は様々だ。

 緊急時の代替血液となる能力や治療、解毒、戦闘時の補助等々に加え、学園都市の諸施設に対する個人識別となる機能などが付与されている。

 未だ技術的に上回ることのできていないロストテクノロジーたる生体ナノマシンは高性能過ぎるほどに高性能なのだ。

 その生体ナノマシンに転送権限の付与を行うとは……。

 いや、様々な能力を持つ生体ナノマシンだが、機能を追加できる空白部分も多く残されていた。


 ――それに、モンスターの体内には生体転送を可能にするためのナノマシンが埋め込まれている。


 だから理論的には人間の転送も可能なはず・・なのだ。

 しかし、だが……クランリーダーと参謀はそれでも否定を頭に浮かべた。

 人間は脆くて・・・弱い・・

 講義で習った転送システムの構造が頭に浮かぶ。

 あれこれと複雑な工程を経る必要はあるが、転送とは、要は分解・・して、再構築・・・する。それだけだ。

 だが、モンスターが耐えられるたったそれだけの手順ことに人間は耐えられない。


 ――分解と再構築の間で必ず自我が崩壊する。


 だから如何にシステムが転送を可能にしたとしても、人間を転送することはできない。

 人間の肉体と精神は転送に耐えられるだけの頑丈さを持っていない。

 自身をバラバラにしてつなぎ合わせるという荒業。それを経験し、なお生きていけるだけの人間はこの過酷な時代にも存在しない。

 転送は、頑丈で単純がさつなモンスターや、ただただ無機質なアイテムだからこそ行えるのだ。

 だから学生たちはこのアリアドネの糸というアイテムをありえないと思ってしまった。

 使おうとも考えなかった。

 リーダーたちの背後でクランメンバーの魔法使いの放った炎が最後の蜘蛛の巣を焼き払っていた。

 リーダーのPADに大量の獲得アイテム情報が送信された。

 イベントの終わりに2人の学生は緊張を少しだけ緩めた。

 奇妙な出来事はあったが、こうして全ては無事に終わったのだ。違和感は残っているが、気にするだけ時間の無駄だった。

 このイベントは開始から最後までそれなりに疲れたが、クラン『血道の探求者』は大量の報酬アイテムに加えて学生にとっては最上の喜びである単位報酬も手に入れることができた。

 それでも気を抜くことはできない、とクランリーダーは緩んだ意識に喝を入れ直した。

 これからつつがなくメンバーが帰れるように指示を出し、報酬アイテムを整理、そのうえでクランメンバーに獲得した報酬の分配、帰還後の打ち上げの手配に、学園事務やスポンサーの企業との付き合いなど仕事は山ほど残っている。

 強者たる彼らは、強者であり続けるためにも無用の心配に心を砕く暇などないのだ。


 ――だから、リーダーはアリアドネの糸を棚上げした。してしまった。


「ま、いいさ。もうイベントは終わったしな。あとは帰るだけだろ?」

「そうですね。打ち上げの用意もありますし、先に何名か帰らせて準備をさせましょうか?」

「いやいや、実習は帰るまでが実習だ。油断せずいこうぜ」

 ははは、へへへ、と考えても答えのでない疑問を忘れ、命じた仕事を達成したクランメンバーを見ながら男たちは笑い合う。

 この『アリアドネ大封道』のイベントでドロップしたアイテムはかなりの数だ。メンバー全員に公平に分配したとしても彼らが入手できるダンジョンでの収入一ヶ月にも勝っている。

 だから気づかない。その報酬に含まれているあまりの回復剤の多さに。

 だから気づけない。彼らのすべきことはここで夢想を語ることではなく、尽きぬ疑問を語り合うことでもなく『アリアドネの糸』の全員の使用であることに。


 ――でなければ、逃げられない・・・・・・


 巣を焼いた炎が最後の糸に燃え移った。糸が燃え、火は広がっていく。炎は巣ですらないただの糸すら燃やし尽くし、それは大部屋の入り口まで伸びていく。

 煤一つ残らず、灰ひとつ残らず、入り口の外壁を覆っていた糸が燃え落ちる。

 そうして巣によって覆い隠されていたプレートを露にさせた。

 プレートに刻まれているのは、大規模イベント『アリアドネ大封道』の最終イベントとして彼らがたどり着いたこの大部屋の正式名称だ。


 ――『クノッソス宮殿』。


 その名称は、大崩壊以前にあった国のとある神話からとられている。

 神話の怪物を閉じ込めるために使われた迷宮の名称だ。

 封じられた怪物の名はミノタウロス。

 意味は『ミノス王の牛』。

 それは神の罰によって生まれた牛頭人身の怪物。

 唸りが響く。迷宮の奥で怪物が眠りから醒めていく。

 イベントは終わったはずなのに、アナウンスが迷宮を微かに震わせた。

『全てのアリアドネの巣が破壊されました。ドロップアイテムの配布を終了します。討伐イベント【ミキサージャブ】が開放されました。参加クランは【血道の探求者】。イベント報酬として討伐成功に単位【7】、逃亡成功に【1】の単位が支払われます』

 学生たちがあちらこちらで疑問の声を上げた。

 百戦錬磨の彼らは自分たちが連鎖イベントを発生させたことにすぐに気づけたが、それが何を意味しているかまではわかっていなかった。

 白亜の迷宮に怪物の咆哮が響く。

 勝利の余韻に浸っていた生徒達にその咆哮の意味を理解したものなどいない。


                ◇◆◇◆◇


 アーリデイズ学園所有ダンジョン『アリアスレウズ』地下1階層は厳密にはダンジョンではない。

 1階層にあるのはダンジョンゲートの他に学園が設置した受付、各企業の出張販売店のあるロビーフロアだからだ。

 罠もモンスターも存在しない安全な階層セーフフロアである。

 とはいえ、ここはまだ地上ではない。生徒達にとっての地上とはこの場所から『上』のことを指している。

 ダンジョンであってダンジョンである1階層は境界線だった。

 学園ダンジョンは生徒を効率よく鍛え、かつ自主性を育ませるための試練場。

 強靭かつ腐食に強いミスリル製の金属フレームに、真珠のごとき乳白色の特殊建材『クリステス』を用い、建てられている。

 内部はシェルターが保有するシステムによって細部まで管理されており、モンスターがダンジョンの外へと出てくることのないよう厳重な警備も敷かれている。

 そのうえで、有事を想定し、中の人間ごとダンジョンを封鎖するための魔術的結界と物理的封印、その両方も用意されていた。


 ――ただし、封鎖機能が使われたことは学園が始まってから一度もないが。


「ふんふんふーん。ふんふんふふーん」

 思わず踊りだしたくなるような明るい音程の鼻歌がフロアの片隅で奏でられていた。

 金髪紅眼の少女が乳白色の壁に背を預けていた。火神浩一の相棒たる魔法使い、東雲・ウィリア・雪だ。

 彼女は自身の武装である魔杖をぷらぷらと揺らしながら、PADから表示させた空間投影ウィンドウを眺めている。

 学園都市で流行しているアイドルか何かなのだろう、画面の中では炎のような色合いの衣装を纏った見目麗しい少女たちが歌い、踊っていた。

「ふんふーん。ふんふんふーん」

 雪の周囲には受付待ちをしているのだろう。他の学生の姿もある。

 ここにはダンジョンに関わる様々な作業を行える受付がある。そのためだ。

 剣や盾、鎧などを身に着けた学生たちの喧騒だ(なかなかの美少女である雪を見て頬を緩ませる男子生徒なども中にはいる)。

 雪の視線はウィンドウの中で踊るアイドルたちへと固定されている。

 だがその視線の先は常に・・、受付窓口に立っている浩一の背からも離れていない。

 浩一が受付にPADを差し出してからいくらか時間は経っているがまだ時間はかかるだろう。

 それでも――雪の脳内にのみ流れるパーティー共通のメール受信の通知音を聞き、雪はほんの少しだけ表情を緩めた。

 学園都市の受付は優秀だ。きちんと浩一の行っていた申請は受理されている。

(でもなー、相変わらずレスポンスは微妙だよね。最新型のPADならぱっと受理されたんだろうけどさ……。浩一もあんな遺物ガラクタさっさと捨てて最新型に変えればいいのに)

 アイドルたちが歌い、踊る映像。そこに半透明の、雪の視界にだけ・・・映る電脳ウィンドウが重なる。届いたメールを思考操作で雪が開いたのだ。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 2088/09/29/14:50

 所属学園名:『アーリデイズ』 パーティー名:『ヘリオルス』 

 パーティーリーダー:火神浩一 公式ランク『B+』

 パーティーメンバー:東雲・ウィリア・雪 公式ランク『B+』

 アーリデイズ学園所有一番管理ダンジョン『アリアスレウズ』20階層単位付与の対象モンスター『ミノタウロス』の討伐を確認。

 上記の2名にダンジョン課から単位『1』を認定する。


                 アーリデイズ都市長:鳳麟ほうりん三界さんがい同盟軍大将

                 アーリデイズ理事長:鳳燕ほうえん貫之かんじ同盟軍中将

                 アーリデイズ学園長:鳳亀ほうき桜花おうか同盟軍少将


 学生諸子のさらなる奮戦と躍進を期待する。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 そのメールは20階層の単位付与対象モンスターであるミノタウロス討伐を確認したので『1』の単位を認定したという報告だった。

 証書と共に送られてきた人類全体、都市発展のために学生のさらなる飛躍と成長を期待するなどと書かれた長い文章を流し読みした雪はポニーテールの先端を指でいじいじと弄りながら呟く。

「単位、かぁ」

 いまだ学生の身であるからには単位と卒業は不可分だ。

 学園を無事に卒業するためにも単位は必ず得なければならない。

 だが、卒業するだけならわざわざ死の危険の伴うダンジョンに潜る必要はなかった。

 22学年まであるこの学園を卒業する為の単位は研究、講義、実技等だけでも十分に賄うことが可能だからだ。

 しかし学生たちはダンジョンへ好んで潜っていく。

 それはダンジョンでモンスターを撃破することは、退屈な座学を受け、論文を提出し、試験をこなして単位を得る。そんな方法よりも手っ取り早いからだ。

 無論遊びや冗談ではない。モンスターとの戦いは生死のかかった危険なものだ。しかし自らの肉体を改造し、学園で得た技術を用いれば容易なことでもあった。

 それに学生の武力は卒業後の進路決定に直結する。

 いまだ外の世界には現実の脅威モンスターがひしめいている。この世界では、武名の高さは社会的な名声と同義なのだ。

 ただ単位をとっただけでは認められない。ダンジョン実習をこなしていない生徒の就職先はどうしても少なくなる。


 ――軍は常に戦力を求めている。


 それがこのシェルターが属する国家ゼネラウスの現実なのだ。

(浩一はこの仕組みの方が都合がいいとでも思ってるんだろうけどさ……)

 火神浩一は単位や名声の他にもダンジョンへ潜る理由を持っている。

 雪はその理由を知っているし、それがけして覆せないものだと理解もしている。

 幼馴染の無茶を見て見ぬふりはできなかった。だから浩一がダンジョンへ向かうならと、可能な限り付き合ってきたつもりだ。

「浩一はいつだって危なっかしいから」

 掠れるように呟いた言葉には長年付き合ってきた実感が伴っている。

 様々な事情や戦闘スタイルによって他の生徒は火神浩一を好意的にはパーティーに迎えられない。

 しかし、強さを求める浩一は誰もパーティーに入れてくれないなら1人でダンジョン実習を受け、探索を始めてしまう。

 現に雪が浩一と再会するまで浩一はそうしていた時期がある。

 だが人間一人ではどうやっても限界があるのだ。


 ――無茶と無謀の先に転がっているのは、火神浩一の死だ。


 如何に科学が進もうとも完全なる蘇生技術を生み出せていない現在では、死は絶対で、永遠のものだった。

 最悪の想像に雪の心は震える。

 最愛のひかみ幼馴染こういちを失う絶望は、1人の少女である雪に許容できるものではない。

「はぁ……で、ミノタウロスを倒したから次は中央公園とかかなぁ。それとも植物園とか昆虫館? 火の属性魔法が効く相手はやりやすいけど。蟲は不気味だし、植物型モンスターは気持ち悪いからいやだなぁ」

 雪は戦うことが好きではなかった。

 それでも雪は浩一を想いながら未だ攻略していないダンジョンの名を呟き、戦う相手の情報を思い浮かべた。

 新たなランクの階層に到達すると低ランク階では単位が取得できなくなるため、新しい階層へ到達した後は都市内のダンジョンで同じ難易度の階層を回りつつ単位を取得する方法が学生の中では主流だったからだ。


                ◇◆◇◆◇


 浩一はPADのウィンドウに表示されたダンジョン使用申請の必要項目を埋めた後、受付に座っている女生徒にそれを送信した。

「申請っつっても本来PADを出すだけなんだがなぁ。相変わらず時間がかかりそうだな」

「処理が遅いのはあなたのPADが古いのが原因なんですけどー? そろそろ新型にしませんか? お望みならダンジョン課推薦PADのカタログ取り寄せますよ? つーか、わざわざ古い認証機械出さないといけないこっちの身にもなってくださいな」

 燃えるような赤毛のショートカットと深緑色の翠眼、受付らしく客受けの良い整った顔立ちの女性。

 イレン・ヤンスフィードは目の前に経っている着流しに刀という頭のおかしい前衛戦士の火神浩一に、うんざりという形容をたっぷり込めた対応をニコニコの営業スマイルでぶつけた。

 イレンが個人的に思うのは、火神浩一のスタイルは、ダンジョン課受付の彼女をして、死ににいくような格好にしか見えない。

 かつては止めたこともあったのだが、いくらかの事情を知った後はもう無事の帰還を祈るだけになってしまっている。

 そんな彼女の心情を知ってか知らずか、浩一の対応は常の通りにセメントだ。

「うっせ、そいつは思い出のPADなんだよ。つか、今朝のうちに用意しとけばいいだろ。俺がダンジョンに潜るのは決まってたことなんだからよ」

「むかつきますね。なんですかそれ、そっちが換えればいいだけなのになんでわざわざこっちが朝っぱらから汗流さなきゃいけないんですか」

 知ったことか、と浩一が呟けば、むきー、とそれにイレンが突っかかった。

 両者も本気ではない。声には楽しげな空気が混じっている。戯れを多く含んだいつものやり取りだった。

 それでも騒げばうるさくなる。周囲の生徒が何事かと彼らを見遣る。

「はいはい。姉さんも火神先輩も落ち着いてください」

 受付の奥、転移システムやダンジョン内の学生の状態を把握するための小部屋からイレンとよく似た顔立ちの少年が歩いてくる。

「ザインッ。だって、この馬鹿が」

「姉さん。いいから仕事してくださいよ。忙しいんですから」

 赤毛翠眼の少年、ザイン・ヤンスフィードはイレン・ヤンスフィードの血縁だ。

 アーリデイズ学園が抱える天才エンジニア姉弟としてヤンスフィードは有名だった。

「それと火神先輩はそれ以上姉さんに無礼な口を利かないでくださいね。管理アイテムを全て腐らせますよ?」 

「あ、あぁ、わかった。あ、遊びだ。遊んでるだけだから、そう脅すな」

 学園が所有するダンジョン関係の処理は、その学園に所属する技術系専攻科コースの学生の仕事だ。

 それらはダンジョン内のアイテム転移システムや学生のアイテム報酬分配など多岐に渡る。

 そんな学生に脅されれば、それが冗句ジョークであろうとも浩一が顔を引きつらせるのは仕方がないことであった。

「ははッ。冗談ですよ。運営システムの私的利用は懲罰の対象ですからね。それで今回はどのような用件ですか?」

「ダンジョン実習が終わった報告と次回の申請だ」

 浩一が指をさした先にはガガガガガガッ! とキーボードを扱う際に通常は絶対出さないと確信できるような爆音を立てながら、コンピューターを操作するイレンの姿があった。

「ああ、だからイレンの機嫌が……それで、いつになったらPADを新しいものに変えるんですか?」

「ん、まぁ、あと数年は変えないのは確実だが? なんだ。おまえも問題だと思ってるのか?」

「さて、どうでしょう……? 火神先輩のPADは特別・・ですからね。僕はどちらでも……とりあえず姉さんの機嫌の問題なので聞いてみただけですけど」

 ふぅん、と浩一は曖昧に頷き。作業が終了したのか、いい表情で汗を拭っている少女を見やった。

 ヤンスフィード姉弟は技術系専攻科の学生の身ながら、既にして軍が一目を置くほどの技量を持つ姉弟だ。

 その二人がなにかと言う自身のPADの問題についてはなんとはなしに知ってはいたものの、浩一は肩を竦めることで返答とする。

「さて、僕は戻りますけど。姉さんにちょっかい出したらアイテムの転移速度を遅延するかもしれないんで。どうぞ、肝に銘じておいてくださいね」

 浩一が馬鹿にしたように口角を歪め、脳が腐っても手なんか出さんぞ、と返すと、それはそれでむかつくなぁと馬鹿にしたように鼻で嘲い、ザインは管理室へと戻っていった。

 そんな浩一に処理を終えたPADを差し出しながら声を掛けるイレン

「はい。3日後に今日と同じ時間で予約入れときましたから。忘れずに来てくださいね」

「ああ。ありがとう」

「どういたしまして。で、PAD、いい加減変えません?」

 表情筋を固めたようなえいぎょう作り笑いスマイルのイレンに、浩一は本心からの笑顔で返す。

「じゃ、次も機械の用意よろしく」

 浩一はちくしょー、と罵られた。


                ◇◆◇◆◇


 返還してもらったPADを雪に放る浩一。正面を向きながらも思考に集中していた雪はPADをぶつけられ、きゃん、と悲鳴を上げた。

「何やってんだ?」

「いたた、なんでもないよぉ」

 浩一の問いを無視し、雪は額を抑えながら床に落ちた浩一のPADを拾った。民間のものと違い、苛烈な環境に持ち込まれることを想定された軍用PADは落としたところで傷のひとつもついていない。

 それでも大切そうにPADを撫でると、雪は今回の探索での自分の取り分を引き出す。

 そんな雪を眺めながら浩一は自身の貯金について考えていた。

(新しい刀を買うには金が足りん。だがミノタウロスクラスのモンスターと常に闘い続けるなら火や氷の属性付きの刀を新調したい)

 ただ漫然と闘うだけで自分の戦闘能力が上がることはない。

 手を握り、開き、浩一は考える。手っ取り早いのが武装の強化だ。

(攻撃を極力回避し、斬撃を当てていくスタイルを戦闘の軸とする俺は防具に力を入れるよりも強い武器が必要だ。それもEランクの飛燕ではなく、もっと上の、BやCランクの刀が……)

 浩一の装備は軽量すぎる着流し一枚に、インナーだけとはいえ、これらは学園都市製の防具だ。

 そこそこの値段のものを買ってあるのでEランクやDランクの金属鎧を着るよりも防具効果は高い。

(現状の方針は決まっている)

 弱い敵や物理攻撃が効果的な相手は浩一が倒す。そして一発は大きいが攻撃に回数や制限のある雪が、雪にしか倒せない敵に必殺を決める。

 そして現状、雪に不足はなかった。

 戦闘は苦手なのに、付き合ってくれている。浩一はこれ以上は望めないし、望まない。

 だから必要なのは、自身の攻撃力を上げることだ。そうすれば多くの敵を倒せるようになり、雪の魔法を温存して深い階層にいけるようになる。

(もっとも武具の優劣程度で勝敗を決められる敵に勝ったところで……いや、これは傲慢か)

 手段が何であれ、今の浩一には勝つことこそが重要だった。

 学園都市で肉体を鍛え強さの階梯を昇ることと、モンスターを倒し実績を積むことはイコールにはならない。

 それでも現実には実と利が存在する。浩一には足りないものが多すぎる。両方を取る事はできない。

 だから得られるものの少ない浩一は利だけでも手に入れなければならない。

(だが……本当にそれでいいのか?)

 頭を振る浩一。考えるばかりではどうにもならない。とりあえず現実をどうにかしなければならない。

 思考する浩一に遠慮してか黙っていた雪に浩一は声を掛ける。

「予定通り次の探索を3日後に予約したが異存はあるか? 今なら変更は効くが」

「えっと、うん。大丈夫だよ」

 事前に決めておいたスケジュール通りとはいえ、なにか突然の予定が入ってるかもしれないと思って問い掛ける浩一だったが雪はふるふると首を振ると了承の言葉を返した。

「そか。んじゃ解散。またな」

「あ……その、ご飯とか、帰りに喫茶店とか」

「うん? 何か話しておくべき事とかあったか? 今日は探索後の刀の整備もあるし、お前には悪いが金は節約したいんだが」

 何か言いたそうにもごもごと口を動かした雪だったが。

「あーうー……うん。またね」

「おぅ、またな」

 涙目で残念そうな雪の目的はなんとなくわかるものの、自分を最優先している浩一は、じゃあな、と一言だけ返すと振り返ることなく地上階への階段へと向かった。


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