第4話

気がつけば真っ白な空間にいる。夢だということは自覚した。目の前に、透明な糸が見える。いや違う、糸のように見えたのは髪の毛だった。透き通った長い髪の毛に手をのばそうとすると、その手を掴まれる。細く、髪と同じように向こう側まで見えそうなほど美しい、硝子のような腕。はっと顔を上げると、目の前には少女がいた。顔もやはり透明だったが、全体的に青白く発光しているからか表情は推し計れた。


「さみしい?」


少女が鈴のような声で話す。笑っているのだろうか、青白い光によって照らされた口元が弧を形どった。


「寂しくないよ」

「うそ、ほんとはさみしい。おとうさんのことしりたいでしょ?」


強い口調で断定される。恍惚の表情を浮かべる目の前の少女が何者なのか、それを考える前に辺りの光景が真っ暗になった。

息を呑む。透明な少女は闇に飲まれて見えなくなった。


『うそつき、うそつき、かくさなくていいのに!うそつき!』


頭の中に声が聞こえてくる。暗闇がより深くなった気がする。得体の知れない少女の責められ、恐怖が心を支配した。頭を抱える。それでもなお少女の、鈴のような笑い声が脳に直接響いて離れなかった。


ピピ、という電子音で目を覚ます。見慣れない天井におどろいて飛び起きる。触り心地の良いベッドカバーとやたらでかい窓に目がつき、自分が今イギリスにいることを思い出した。息をついて手で顔を覆う。額はうっすらと汗で湿っていた。パジャマ代わりのTシャツも、寝汗のせいで体にはりつく。イギリスでの初めての起床は最悪だった。


時刻は9時を少し過ぎていた。先程の電子音は、ベッドサイドの時計から聞こえたのだ。少しだけシャワーを浴び、髪を乾かしてから着替える。グレーのパーカーに黒の薄手のジャケット、安物のジーパンを身につける。

(もっと暖かい格好にすれば良かったな)

若干後悔しているとベッドサイドからプルルルと電話の音が鳴り響いた。急いで受話器を取る。


「はい」

「おはようございます。食事を済まされていないようですが、どうしましょうか?」


受付嬢からの電話に、食事と聞いて腹がなった。自分の体のあまりの素直さに苦笑する。


「1階にはレストランがございますが、いかがでしょう?それともルームサービスをお持ちしましょうか?」

「あ、いえ、自分で行きます」

「かしこまりました。当レストランはモーニングが朝の10時までになっておりますので、それまでにどうぞ」


Thanks.と言って電話をきる。イギリスの食事は不味いと聞くが、本当なのか興味があった。それに昨日は散々だったのでまともにとった食事も機内食だけだった。好奇心と空腹に突き動かされ、さっき見た夢は忘れようと決め、部屋を出た。


期待していた「イングリッシュブレックファスト」は、結論から言えば美味しかった。ビュッフェ形式だったので、シリアルとパン、ソーセージとスクランブルエックを取り、サービスだというコーヒーを貰った。窓際の明るい席に座る。周りはみんな、他の国の人ばかりだった。英語以外の言語で話す人々もいる。その多くがカップルや家族連れだったので、1人だった俺は随分目立った。


豆のスープを取りに行く途中で、ブルネットのグラマラスな女性や、品の良い老夫婦に声をかけられたりもした。上手く返せたか自信はない。

戻って1人でもたもたと食べていると、目の前の席に誰かが座った。


「コーヒーをひとつ。」とウエイトレスに注文したのは、昨日見たばかりのブロンドの男だった。

「…まだ10時じゃないけど」

「早い方がいいだろ、日本人はそんなとこまで細かいのか?」


チャックは相変わらずの早口で皮肉を浴びせかけた。コーヒーが運ばれると砂糖とミルクを次々にいれ、もはやコーヒーと呼べるか怪しい飲み物を作った。チャックは、絶句する俺を気にせずに優雅にそれに口をつけた。一口飲んでからカップをおろす。


「で、どうだ。よく眠れたか?」


そういうチャックの前で、大きな欠伸をしてみせた。自分の普通のブラックコーヒーを一口飲む。


「変な夢を見て疲れたけど、体の調子はいいよ。あんな寝心地のいいベッドで寝ることなんて、一生ないかもだしな。」

「…変な夢?」


チャックの興味はベッドではなく俺の夢に向いた。予想もしていない方向に話がむいたので面食らうも、「うん」と返事をした。


「……どんな夢だった?」


チャックが腕を組みながら問う。真意は分からなかったが隠すこともないだろうと思い、思い出せる範囲で話す。


「なんか、透明な女の子に腕を掴まれたんだ。それから、『さみしいか』って聞かれて、否定したら『嘘をつくな』って言われた。そしたら辺りが真っ暗になって、その子の声が頭に直接聞こえたんだ。」


そこで一旦きる。チャックは黙っていた。話しているうちにだんだんくだらなくなってきた気がする。あくびを噛み殺す。なんだか眠たい。


「…今思うと全然大したことないんだけどさ、その時はすごく、怖かったんだ。よく分からないけど…」


そう言ってから肩を竦めた。「くだらない話で悪い」のジェスチャーだ。チャックはなおも黙っていた。


「……チャック?」


声をかけると驚いたように顔をあげた。するとすぐに席を立って出口へと向かった。急に置いていかれたことに面食らったがすぐに追いかける。


「チャック、どうしたんだ」

「………今からすぐにジェイの所へ行くぞ」

「えっ」


そう言われるとチャックは迷いなく受け付けへ歩きだし、受付嬢へ何か話しかけると俺を引っ張ってホテルをでた。


「おい、俺の荷物はっ…」

「うちの職員が回収して持っていく、心配するな。金とスマホさえあればいい。それよりお前は自分の心配しろよな!」


そう言うとチャックはすぐ目の前のタクシーを拾い、「女王陛下のうなじへ急いでくれ」と言った。


「女王陛下の、うなじ…?」

「ああ、俺たちの本部の愛称さ」

それだけ言うとチャックは電話をかけた。

「ジェイ、俺だ!ケイのやつ、呪われてやがる!……ああ、夢の様子だと、精霊だと思うが、とにかく連れてく。呪いの専門家を2人ほど集めてくれ!」


呪いにかかっている?俺が?

さっきから何がなんだかよく分からない。

チャックは俺の顔を見て言った。


「いいか、お前が見た夢っていうのは多分、精霊を使った呪いの一種だ。かけられたやつは酷い眠気に襲われる。だが夜のきちんとした睡眠では悪夢を見るんだ。それが繰り返されると次第に衰弱して眠っても起きなくなる。」

「…なんでそんなものに、俺が……」

「知らん、お前を狙ってかそうでないかはわからん。とにかく、呪いを解くためにジェイに腕利きの専門家を集めてもらってるから、安心しろ。」

「でも、そんなのかけられた記憶が…」

「かけた奴は俺たちが探すから大丈夫だ。とにかく落ち着けよ、あと眠るなよ。眠ったらまた悪夢を見る。本部に着くまで絶対に起きてろよ」


チャックは心底心配そうに言った。俺はまだ、自分が呪いにかけられていることや、これから急に英国超常現象機構とやらの本部に行くことに混乱していて、とてもじゃないがチャックの優しさに感謝していられなかった。


俺たちを乗せたタクシーは、エリザベスタワーの前に着いた。チャックは5ポンド札を何枚も運転手に渡してから俺を引きずり出した。いきなり引きずり出された俺はもうぐったりしていた。


「…ケイ、お前、寝るんじゃないぞ」

「………わかってるよ」


チャックの肩を借りて歩く。さっきはそう言ったが、もうかなり眠たかった。視界が朧気になる。瞼が何回もずり落ちて、目を開けるのに必死だった。思えば昨日の夜からそうだ。チャックと乗った地下鉄では座ってすぐに船を漕ぎ、ホテルでは眠たすぎてシャワーを浴びた後すぐにベッドへダイブした。つまり「呪い」とやらは昨日からかかっていたらしい。


チャックは俺の肩を引っ張り、エリザベスタワーの裏側へと歩く。巨大な時計塔の裏手には、古びた巨大な建物が静かにたっていた。


(だからうなじ、なのか)


ぼんやりとした頭でそう考える。チャックは、目の前の巨大な扉をノックし、何かを呟いた。小さすぎて聞き取れなかったが、しばらくすると扉がひとりでに開いた。チャックはぐだぐだの俺を引き摺り、その建物へと入った。真っ直ぐに進むと、古びた螺旋階段が見える。かろうじて開く目で見ると、その上には聖母が描かれたステンドグラスが飾られていた。


「ジェイ!来たぞ!」


螺旋階段の上に叫ぶと、とたとたと足音が聞こえた。気がつくと目の前には、美しいグレイヘアを緩くまとめた、スーツの女性が立っていた。


「やっと来たね、待ちくたびれたよ」

「遅くて悪かったな。それで、呪いの解除は…」

「アンタがのろのろしてる間に用意させてる。ほら、さっさと連れていきなさい」


そう言うと「ジェイ」はつかつかと歩き始めた。俺たちもそれにつづく。ジェイは大きな木製の扉を開いた。そこは、大きなオルガンにたくさんの椅子が置かれた、協会のような場所だった。唯一違うのは、ステンドグラスではなく赤い陣のようなものが描かれていることだけだ。その中の長椅子には、2人ほど座っているのが見えた。扉が開いた音で2人が振り向く。


「連れてきたよ、あとは頼むわよ」


もう瞼が開かない。うつらうつらとしているのがとめられなかった。チャックに担ぎ直され、椅子に導かれるとなにかを持たされた。


「…頑張って起きてて」


チャックともジェイとも違う、若い男の声がした。握らされたのを見ると、何かの小瓶のようだった。扉付近ではチャックともう1人が激しく口論しているのが聞こえた。


「こんな強い呪いを今までほっとくなんて、どうかしてる!気づいた時にマクレーン監査に言っておけば良かったのに!」

「だから俺も昨日は気づかなかったんだよ!!あいつは長いフライトで疲れてると思ったんだ!第一イギリスに来てすぐに呪われるなんてジェイも思ってないだろ!?」

「『ジェニファー・マクレーン監査』だジェイなんて呼ぶな!」


チャックともう1人の怒号が飛び交う中、俺の前にいる男は淡々と言った。


「…君の呪いを解くためには君の協力がいる。僕が話し終えたらこの水を飲んで。いいね?」


半分寝ている頭で聞く。そろそろ英語が聞き取れなくなってきた。男はとても小さな声で囁いた。

チャックが駆け寄って来る。ジェイともう1人は扉の近くで立っていた。


「…主の御子よ、我らと我らの守るこの身を、汝は悪しきことに使った。その報いを受けねばならぬ。」

男がひと呼吸する。

「……In nomine Patris,et Filii,et Spiritus Sancti.」


小瓶を口元に当てられる。もう手も動かない。半開きになった口に、無理やり水を流し込まれた。むせる、と同時に強烈な吐き気を催した。腹に何かが込み上げる。


「…………Amen.」

「…ッ!!」


男がそう言うと急に目が覚めた。酷い吐き気に思わず床に倒れこみ吐いたが、口からは塩辛い水が出てきた。


「…ケホッ、ゴホッ……………ケホッ……うぅ…」


何度も咳き込み床に伏せる俺の背中を、チャックが心配そうにさすった。さっきの男は俺が吐くとすぐに出口へ向かった。なにやらジェイに話している。


「セイレーンの呪いです。術者はかなりの手練でしょう。黒魔術の類ではなさそうです。」


淡々と紡がれる言葉にジェイも慣れたように返事をした。咳が収まるとチャックが確認するように指を鳴らした。


「目が覚めたか?」

「…ああ、最悪の目覚めだよ」


自分の足元は、自分が吐いた水でベチャベチャになっていた。着替えなければならない。落ち着いてゆっくりとチャックに立たせてもらうと、扉の3人に向き直った。


「…どうやら大丈夫そうだね」


ジェイは安心したように笑いかけた。男性で言うところの壮年期、にもう入っているだろう彼女は、年齢を感じさせない美しい笑みを浮かべていた。


「あの、…ありがとうございました。えっと…」

「ジェニファー・マクレーンよ。ジェイって呼んで。チャックを寄越してあなたを招いたのは私。」


それから、とジェイは自分の右側の若者に視線をよこした。輝くようなショートカットのブロンドに空のような青い瞳。人目で分かる美形だった。しかも背が高い。180ある俺より高くて足が長い。モデルのような男だった。チャックやジェイのようにダークスーツを身にまとった美青年は俺の方に向かってくると手を差し出した。


「エドガー・テイラーだ。マクレーン監査の助手をしている。君に飲ませた聖水を作ったのは私だ。」


笑いかけた口からは八重歯がいたずらっぽくのぞいた。俺もできる限りの笑顔で手を握り返す。


「ケイ・タキザワです。助けてくれてありがとうございます。」


そう返すとエドガーは惚れ惚れするような笑みをむけた。多分世の女性はみんな彼のことが好きになるだろう、そんな完璧なほほ笑みだった。


手を離すと、ジェイは自分の傍に立つ、さきほど俺を助けてくれた男に目を向けていた。ジェイよりもさらに背の低い男に、俺は既視感を覚えていた。どこかで見たような。


「…エリック、挨拶を。」


ジェイが催促すると、ようやく男は口を開いた。


「…エリック・キャンベル。」


蚊の鳴くような声で呟かれた名に、はっと記憶が蘇った。父からの手紙、義理の弟の名前は確か『エリック・キャンベル』だった。エリックと名乗った男をよく見る。ダークブラウンのぼさぼさの髪に銅像のような無表情、そして俺と同じヘイゼルグリーンの瞳。間違いなく父からの手紙に同封されていた写真の男と違えない風貌だった。こうして俺は、思わぬ形で弟と対面した。

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