ヘンブル
ヘンブル その1
「ようやく入れたな」
「…………ぎょうれつ、キライ」
「ふむ」
「……きになる?」
喉の辺りに視線を感じ、クロエはベルの方を向く。
「まあ、原因がわかってしまったからのう。治せるなら治したいと思うのじゃが…………」
「……この話し方になれたから、もうなおらないかも」
「クロエがそれでいいならよいかの」
ギルベルトたちに見送られながらハナグモ遺跡を後にして数日、クロエたちは西部の街であるヘンブルを訪れていた。
「聞くところによるとこの街は温泉が有名らしいぞ、クロエ」
「…………おんせん?」
「近くにある火山の影響でここら一帯の地下水が温められて、それが地表に噴き出たもの、といった感じのようだな。要は大きな風呂だと思えばいい」
「…………お風呂……!」
眠たそうな目を輝かせながら、クロエの足取りが軽くなる。その様子を見ながら微笑むベルに、突然男が声をかけてきた。
「あ、君たちヘンブルは初めて? もしよかったら俺たちが案内するぜ?」
男が親指で指し示す方を見れば、二人の男がニヤニヤしながら立っている。どちらもしっかりとした胸当を身に付け、一人はショートスピアを、もう一人は両手剣を持っている。よく見れば声をかけてきた男も上着の下には革鎧を身に付けており、背中に弓を背負っている。
「はぁ、どこ行ってもこんなやつばっかりだな…………」
「そりゃそうでしょ! だって君たちめちゃくちゃ可愛いじゃん、声かけるのも当然でしょ」
はぁ、とため息をついて呆れるようにぼやくベルの様子を見た男は、さらに調子に乗って自分たちの自慢をしだす。
「実は俺たちこう見えても三級冒険者なわけ。この街に来て長いしそれなりにいろんなとこ案内できると思うんだけどなぁ……?」
(そんな建前を用意するぐらいならその得物を狩るような目をやめた方がいいと思うんじゃがなぁ)
ちらちらと服装を気にしているあたり、自分たちで楽しみたいのか売り飛ばそうとしているのかは定かではないがロクでもないことを考えているのは丸わかりであった。ちなみにクロエはそんなことに興味がないと言わんばかりに街の様子を眺めている。
「あー、うん、今は別に必要じゃないな。またいずれ」
「そんなつれないこと言わないでさ…………」
「いやしかし私たちも宿がな」
「宿なら俺たちが使ってるところはどうよ。温泉とかしっかりしてるぜ?」
「いや別にそこまでしてもらう必要はないからな……」
やんわりとした拒否の言葉を続けるも、気に留める様子もなく誘い続ける男にベルがしびれを切らしてはっきりと拒否しようと口を開こうとしたとき、男は自然な風を装ってベルの肩を抱いてきた。
「なあいいじゃんかよ、そんなに遠慮しなくたって…………」
「いい加減にしろよクソガキ」
「は?」
そのまま耳元で誘ってくる男に嫌悪感が頂点に達したベルは余所行きの愛想笑いをかなぐり捨てて男の手を払う。すると男は一瞬呆けたような顔をした後、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「さっきからこっちが下手に出てりゃいい気になりやがって! 力ずくでも捕まえて奴隷商人に売ってやる!」
お前それこんな街中で叫んでいい内容なのか、と呆れたような顔をするベルに、男が弓に矢をつがえて的確に足を狙ってくる。しかしその矢はクロエの手によって叩き落される。それを見ていた後ろの二人がやっと自分も動かなければといった風に駆け付ける。
(なんていうか、魔界に近くなっている割には緊張感のない奴らじゃのう……)
「…………ベル、こいつらどうする?」
「あー、適当に殴って
「…………ん」
そこからは一方的な展開だった。弓使いの男は背負い投げで気絶したのち、弓を折られ、槍使いは腹に一発、剣士はまたぐらを蹴られていた。
さすがに剣士には同情を禁じえなかったベルが、何とも言えない表情で組合職員に連行される三人を見ていると、頭上から声が降ってきた。
「あっはっは、そこの銀髪の嬢ちゃん強いなぁ! さっきのはあいつらが悪いけど、あれはちょっとやり過ぎやわ」
「…………絡まれる前から見てたくせに、なにを言っている」
「え、嬢ちゃん気づいとったん? 嘘やろ、隠密の技術には自信あったんやけどなぁ」
見れば近くの家の屋根の上に十代後半ぐらいの少女が足先を組んで座っている。足にフィットするような靴にホットパンツ、チューブトップにフード付きのケープとかなりの軽装だが、その振る舞いには隙がない。
ほっ、と言いながら飛び降りた少女はベルたちに近づくと「アタシはネネや」と名乗る。
「この街の者としてさっきみたいなやつばかりやないところを見せへんとな…………あ、ちゃうわ。…………んんっ、嬢ちゃんたちこの街に来たばっかりなんやろ? アタシがええとこ紹介したるわ」
「…………性格悪いってよく言われないか?」
「しょっちゅうやな」
わざと先程の男の台詞をなぞるように言い直したネネを半眼になって見つめるベルだったが、からかうようなネネの表情に根負けして、滞在する数日間のガイド役として同行を頼むのであった。
◇ ◇ ◇
「それはそうと、二人は何でこの街に来たん?」
組合に顔を出すより先に宿を確保したい、というベルの要望を聞いたネネは、条件をいくつか聞くと迷いのない足取りで道を進み始めた。その道のりの中でネネの口から出たのがこの質問である。
「なぜ、と言われてもな…………。私たちは二人でいろんなところを旅しているのさ。今回はちょっと西を目指そうかとね」
「西っていったら、前線の方に行くんか?」
前線。それはこの世界において魔界と人間界の境界線を指す言葉である。魔王と勇者は死んだとされているが、魔界から人間界への侵攻がなくなったわけではなく、むしろその数を増やしているという情報もある。
ちなみにヘンブルの街からさらに西へ千キロメルターほど進んだところにあるカバラックという街が最西端の街とされていて、その街の外に広がる『常夜の樹海』を抜けるとそこが魔界だという。
元魔王であるベルから言わせれば樹海を抜けたところはまだ支配区域ではないのだが、人間から見れば些細な違いなのだろう。
「ああ、冒険者として一度くらいは前線に出てみるのも悪くないかと思ってな」
「へぇ、ずいぶんと殊勝な冒険者やなぁ。アタシも一応冒険者やっとるけどそないなこと考えたこと一度もないわ」
「冒険者と言っても人それぞれだろう。気にすることはないさ」
どこか遠いところを見るようにつぶやくネネに、ベルは軽い感じで応える。
「ま、それもそやな」
「だがまあ、離れているとはいえここだって前線の方ではあるだろう。ネネはどうしてこの街に?」
「そらまあ、コレやな」
ベルの疑問に、彼女は親指と人差し指で輪っかを作ると、ニシシ、と意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「あ、別にガイド料取ろうとかそんなことは…………思ってへんよ?」
「目が泳いでるぞ」
「たはは…………。今のは冗談やけど、この街は外から人がよう来るからその分仕事もあるんよ。
「へえ」
「温泉のせいか知らんけど、この辺の魔物は基本大人しいんよ。でもその分成長しとるから強さは前線並、っちゅーわけよ」
「…………つよい、まもの」
「おっ、銀髪ちゃん気になるか―? 後でちゃんと組合にも案内したるからなー」
「……たのんだ」
後ろで瞳を輝かせたクロエを見逃さず、ネネが話しかけていく。その様子を見ながら、ベルはそっと息を吐く。
(クロエの表情の変化はただでさえわかりにくいのに、後ろを歩いていたクロエの変化に気が付くとは、妙に観察眼が優れているな)
そんなことを考えられているとはつゆ知らず、ネネはクロエに話を振りつつベルにも話を投げかける。
「さて、そろそろお目当ての宿やで。…………見た目は気にせんとってな、サービスはちゃんとしとるから」
「?」
「ん、着いたな。ここが二人の言ってた条件にぴったし合うところやでー」
「…………なるほど」
くるりと振り向いたネネが手を広げて示したのは、表通りから少し離れたところにある年季の入った宿であった。
「『雛の止まり木』?」
「ああ、この宿の名前やで。この街が小さかったころ、冒険者がよう利用しとったらしいんよ。大きくなってからはやっぱり表通りの大きな宿に客が流れたけれど、知る人ぞ知る名宿になったって感じやな」
「へえ、それは期待できそうだな」
「それじゃ、入ろか」
「ああ」
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