ハナグモ遺跡 その18

 ギルベルトが全員に薬を打っている間、クロエとベルはその様子を興味深そうに見ていた。


「あの薬、抑制剤だったか。あの薬がなくともクロエが無事なのはスキルのせいだと、あいつの手前であったために言ったが実際のところは違うだろうな」

「…………?」


 ぽつりとそう漏らしたベルに、クロエは不思議そうな顔を向けた後、何事かに得心が言ったように小さくうなずいた。


「…………ん、あの子たちには、使用している魔物の自我がなかっ、た?」

「ああ、クロエの中にいるメア、シュバルツ、フローリア、フレーニカ…………彼女たちのような自我を持っているわけではなさそうだったからな。攻撃が単調だ」


 そうつぶやくと、ベルは横目でクロエの方を向く。その視線に、クロエの視線が絡まる。それを感じて、ベルはほのかに頬を緩める。


「しかし自我のある魔物ともなれば恐らく通常の魔物以上に適合者を選ぶだろうからな。その点、クロエは非常に幸運だったのだろう」

「…………ふくざつ」

「ははは」


 そのように笑ってみせるベルは、しかしすぐに表情を真面目なものに改めて再びギルベルトに目をやる。


「その点、彼が非常に優秀だということは認めなければならないようだな」

「…………ん」

「数多くの偶然と犠牲を積み重ね、到達したという事実。それを否定することはできないからなぁ」


 やがて全員に薬を打ち終えた彼がクロエとベルの方へ歩いてきた。ギルベルトはそのままぐぐっと手のひらを組んで上に伸ばすと、二人に向かって笑いかけた。


「すまないが、彼女たちを上のベッドに寝かせたい。手伝ってもらえるだろうか?」

「ここまで付き合っているんだ。そのくらいどうってことない」

「…………ん」


 ベルの言葉とそれに同意するクロエの様子を受け、ギルベルトは肩の荷が下りたように力を抜いた。


「これでようやく一息つけるというものだ」

「そういうのはやることが全て終わってからではないのか?」

「別に構わないだろう」

「…………いいんじゃ、ない」


 その後三人が少女たちを上に運び終えると、旅支度をしたクヌギに出会った。


「おや、皆さん朝から姿が見えないと思っていたらそんなところにいたのですね」

「お前の場合千里眼でクロエの居場所ならわかるだろうに」

「はっはっは、そんな理由で千里眼を使うほど私の目は安くありませんよ」


 まあそれに、とクヌギはへらりと笑って続ける。


「私の目、そんなに燃費もよくないですしねぇ。何度も使っていればいずれ視力がなくなるだろうなー、みたいな」

「魔眼の代償か。いくつも組み合わせた魔眼ならばさもありなん、だな」

「ええ、そこに関しては私も諦めていますのでどうかお気になさらずに」

「ハッ、そんなこと言われんでも気にせんよ」

「ひどくないですかー」

「後ろから刺しておいてよく言うわ」


 さすがにその言葉は堪えたのか、うぐっ、という声を漏らしてクヌギは黙る。しかしすぐに息を一つ吐いて表情を緩めると「では、さようなら」と言って通路を歩いていってしまった。


「行ってしまったな」

「…………ん」

「出口の方へ向かっているようだ。二人が心配せずとも大丈夫だろう」


 複雑な表情の二人にそう声をかけたギルベルトは、ついとクロエの方に目を向けると「もしよければ、少し検査をさせてほしい」と言った。


「そう時間はとらせない。ガタがくるようなことはないだろうが、万が一ということもある」

「そうは言っても、娘との二人きりの時間を過ごしたいだけではないのか?」

「否定はしない」


 からかうようなベルの口ぶりにも動揺することなく返す彼に、逆にベルの方が「おおう」と感心するような声を上げていた。そんな二人の会話を見ながら、クロエは「…………いいよ」と返事をした。

 少しの後、クロエは簡素な検査着に着替えてベッドに横になっていた。


「腕や足に痛みはなし、筋力が同年代に比べてやや少ないが許容範囲、と。何かほかに気になるところはあるか?」

「…………ん、とくに、ない」

「そうか。次は上半身だ。体を起こしてくれ」

「…………ん」


 そう言って体を起こしたクロエの背中を触診しながら、ギルベルトはその肌を見つめる。


(恐ろしく綺麗な肌だ。とても長年戦場にいた者の肌だとは思えない)


 傷一つ残っていない幼子のような肌を前にして、彼は心の中で言葉を連ねる。


(これも、彼女が身に宿す因子のせいなのだな)


 次に彼は聴診器を取り出しクロエの胸に当てる。何度か深呼吸をさせながら呼吸音を聞く。


(…………ん?)


 その音に違和感を覚えた彼は続いて首に手を伸ばす。クロエは少し抵抗しようとして、すぐに大人しくなる。そのまま首を触っていると、彼の手は何かの異物を感じた。その様子を感じ取ったのか、クロエがどこか不安そうな顔でギルベルトを見上げる。彼はその姿に彼女はまだ若い少女であるのだということを再認識させられて、不意に胸が詰まる。


「…………わたし、どこかわるい?」

「いや、おおよそ健康だ。…………しかしこれは少しベルさんとも話をした方がよさそうだ」


 部屋の外で検査を待っていたベルは、ギルベルトに呼ばれて中に入る。そのまま彼はクロエの隣に彼女を座らせると、すぐに検査について話し始めた。


「クロエの身体の健康状態は非常に良好だ、と言って構わないだろう。吸血鬼や竜の因子を持っているためか、あまり老化がみられていない。これを喜ぶべきことと取るかどうかはまた別だが」

「しかしその顔を見るに、あまりよくない知らせもあるようだな」

「ああ。といっても命にかかわるようなことは何一つない」


 そこで彼は一旦言葉を切ると、ひどい頭痛があるかのように重たい溜息を吐いた。


「端的に言おう。クロエの喉は呪われている。いや、呪われていた、と言うべきだろうか」

「ふむ? 呪われているならば近くにいた私が分からないはずがないと思うのだが」

「いや、呪い自体はすでに存在していない。クロエが取り込んでしまったからな」

「ほう」

「喉、正確に言えば声帯の辺り、と言えば何のための呪いか分かるのではないだろうか」

「ううん? いや、さっぱりだ」

「……………………竜の、ことば?」


 そのタイミングでクロエがぽつりと漏らした言葉に、ベルの唇が歪む。


「竜の言葉、つまり竜言語か! 竜言語による魔術行使の阻止が目的か!」

「恐らくは、な」


 竜言語とは、文字通り竜が扱う言葉である。竜は魔力の扱いに長けており、独自の言語によって魔術の威力を底上げすることができるとされている。竜の因子を宿すクロエは、本来ならば人間が扱うことのできない竜言語による魔術行使も可能であるのだが、それを防ぐために呪いを受けていたのである。


「呪いをかけたのはクロエに因子を投入した連中だろうな。その力は絶大だが、どこかでセーブしておかねば、自分たちにその力が向けられたときに困ることになると考えたのだろう。まったく、ろくでもないことをするやつらだよ」

「なるほどな。しかし、その呪いが存在しない、というのはどういうことだ?」

「呪いとしてはまあまあ強力な部類に入るものだったのだろうが、さすがに天使には敵わなかった、ということだろう。痕跡はあるものの、本体はすでに消滅している」


 ただ、と言ってクロエを見やるギルベルト。


「それによって焼かれた喉まではきちんと治らなかったようだがな」

「ああ…………」


 因子を投入されてすぐに暴走したクロエは、そのとき喉の大部分を呪いに冒された。その呪いは天使の力によって抑えられるも、まだ体に馴染むことができていなかった天使はその力を十分に発揮することができず、傷跡が残ることとなったのだ。


「治癒魔術に気休め程度の効果はあるだろうが、根本的な解決は難しいだろうな」

「身体には問題ないのだろう?」

「ああ、少し話しにくさはあるだろうが、本人が気にしなければ問題はない」

「だ、そうだ」

「…………ん、問題、なし」

「ならばこの話はこれで終わりだな。そろそろ私たちも出発せねばなるまい」

「そうか」


 そう言って少し寂しげに笑うギルベルトであったが、すぐに気を取り直したのか顔を上げると「出口まで案内しよう」と申し出た。


 ギルベルトと別れ旅支度をしていたベルは、不意にクロエに声をかけた。


「別に、クロエはここに残っても構わないと言ったな」

「…………ん」

「撤回する。クロエ、お前は私の隣にいてくれ」

「…………それが、めいれいなら」

「……ああ」


 その後、ギルベルトと合流した二人は、カナエとスートに見送られ、地上への道を歩いていた。


「二人はこれから西へ向かうと言っていたが、何かあてでもあるのか?」

「ん? いや、全くない。まあ今までもそうしてきたし、これからもそうするさ」

「そうか」

「ああ」


「時間としてはそうでもないはずだが、なんだか久しぶりに日の光を浴びている気がするな」

「…………ん」

「ベルさん、改めてクロエのことをよろしく頼む」

「言われずとも」

「クロエ、元気でな」

「……ん」


 親子の会話がそんなんでいいのか、と思わなくもないベルだったが、空気を読んで黙っていた。

 そうして二人は、ギルベルトに手を振って歩きだす。


「まずはどこかで宿に泊まりたいのう」

「…………ゆっくりしたい」

「このところ心休まるときがなかったからなぁ。休めるときに休んだとてばちは当たるまい」

「…………」


 黙って首を上下に振っているクロエを横目に、取り出した地図を広げる。現在地と目的地までのルートを思案しながら指でたどるベルの手が、一点で止まる。


「クロエ、ここをまずは目指そうと思う」

「…………ん。……ベルの目的地が、わたしの目的地」

「うむ!」


 そうして二人の少女は再び歩き始めた。


〈ハナグモ遺跡 終〉

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