ヘンブル その2

 宿に入ると、受付に座っていた老婆がネネの姿を見て眉根を寄せた。


「なんだネネ、また私に泣きつきに来たのかい?」

「そんなんやないよ、いつの話をしとるんや。それはそうとお客さんやで」


 老婆の言葉に苦笑しながら彼女はクロエとベルを手で紹介する。それに合わせて二人は老婆に頭を下げた。


「ん? 客?」

「せやでー。いっつも閑古鳥が鳴いとるこの宿の経営の助けになっちゃろうっていうアタシのお節介や」

「うるさいね、静かな方が落ち着くってもんだよ」

「金持ちの道楽で宿やっとるわけやないんやからその辺も気にせんと」

「余計なお世話だよ。アンタはさっさと紹介料でも貰って帰んな」

「あー、このお客さんからは金取らんことにしとるから」


 その言葉に老婆は目を細めると「へぇ」と小さくつぶやいた。


「アンタはそういう娘が好みなのかい」

「なんでも恋愛に結びつけようとするんやないわ!」

「いやねぇ、図星を指されると大きな声を出して」

「……ほんま嫌やわこのババァ……」

「聞こえてるよ」

「聞こえるように言うてんのや。…………はぁ、そろそろこの人らチェックインさせたったらどうや」


 その言葉に老婆は自分の額をピシャリと叩くと「すまないねぇ」とクロエたちに頭を下げた。


「いやいや、構わないですよ。ネネが紹介したくなるというのも分かるというものです」

「嬢ちゃんはお世辞が上手だねぇ。こんなボロ宿のどこがいいんだか」

「先程ご自身でもおっしゃってたじゃないですか、静かな方が落ち着けると」

「嬢ちゃんは若いのに私みたいな婆さんの言うことに同意するってのかい」

「年なんて関係ありませんよ、年の割にいつまでも現場に出るような冒険者だっているのですから」


 ベルがそう言うと、老婆は「ハッハッハ! それもそうだねぇ!」と笑い、ベルの方に台帳を差し出した。


「これに名前と泊まる日数、希望することを書いておくれ。全部に対応できるかは分からないけれど出来るだけこちらでも対応させてもらうよ」

「ほれ見たことか、今日の台帳にまだ二人しか書いてへんやん」

「ネネはさっさと出ていきな。それともまたうちで働くかい?」

「ほな二人ともまたなー」

「まったく…………」


 ネネが横から台帳を覗いてきたと思ったらそのまま風のような勢いで去っていくのを眺めつつ、ベルは老婆に声をかける。


「女将、こんなものでよかっただろうか」

「よしてくれよ、私は女将なんて呼ばれるほど大層なことはしてないさ。マルサと呼んでくれればいいよ」

「ああ、承知した」


 その後すぐにマルサから部屋の鍵を受け取った二人は、自分たちの部屋に着くと同時にベッドに身体を投げ出した。


「くぅぅぅぅ! ようやくふかふかのベッドで寝れるわ!」

「…………ふかふかー」

「食事はここでは出んようじゃが、風呂は宿の地下にあると言っておったな」

「…………おんせん……♪」

「楽しみじゃのう!」

「……ん!」


 そんな風にしばらくゴロゴロとしていると、ドアがノックされた。


「どうぞ」

「失礼するでー」

「ネネか、どうしたんだこんなところに。というかどうして私たちの部屋を知っている」

「そらまあ、いろいろこそこそと」

「マルサさんに言いつけるぞ」

「構わんでー。どうせあのババァもアタシが二人んとこ訪れるんは分かっとると思うから」

「つまり今まで何回もしているということか」

「そういうことやなー」


 にへらー、と笑うネネに半眼を向けるベルだったが、すぐに「それで、何の用なんだ?」と尋ねた。


「何の用って、二人が組合ギルドに行くより宿決めるんが先って言うからここ連れてきたんやろ? それなのに二人とも全然降りてこんから迎えに来たんや」

「あー……それはすまないな。正直明日でもいいか思っていてな」

「あ、そうやったん? なら急ぐ必要もなかったかー」


いやあ、早とちり早とちり、などと笑う彼女を横目に、ベルはクロエにどうするか目線で問う。


「…………ん、わたしは別にどっちでも。……ただお金がちょっと、心配?」

「あー、それは問題ないな。この前ギルベルトからもらった分と、その前のハスタークで手に入れた分がまだ残っている。今すぐに入用というわけでもないな」

「…………なら、ベルの自由に」

「……ということだ。私も今日は早めに休みたいから、この辺のいい料理屋を教えてくれ。夕食用に確保しておきたい」

「あー、うん、それはええんやけど、いま寝るん? まだ日は高いで?」


 呆れたようにベルを見るネネに、彼女はにっこりと笑って答えた。


「私は眠れる時には寝る主義なんだ」

「ま、主義主張は人それぞれやわな」

「そういうことだ」

「なら明日またここに来るわ」

「日が昇り切ってからでいいぞー」

「あはは、そうさせてもらうわ。あ、せや……これがこの辺りのお薦めな」


 そう言って簡単な地図と名前を書いた紙をクロエに手渡すと、ネネは窓を開けてそこから飛び降りて去っていった。その様子を見ながら、クロエはベルに声をかけた。


「…………それで、どうするの?」

「ん? 今から

「…………じゃあわたしはちょっと外に出てくるね」

「ああ」


 その答えを聞くとクロエはドアを開けて部屋を出ていった。その背中が見えなくなると同時に、ベルは「さてと」と独り言をつぶやいた。


「先程鼠が紛れ込んだ気がするな。安心して眠るためにも先に退治しておかねばなぁ?」


◇ ◇ ◇


「んー、この感じやと見聞きしようとしとるんがバレとるなぁ。はよ撤収しよ」

「…………その方がいい」

「………………いやもう遅かったわ」


 『雛の止まり木亭』にほど近い路地裏にて。ネネは頭をかきながら後ろから声をかけてきたクロエの方に向き直る。そこには腰の剣に手をかけたクロエが小首をかしげてたたずんでいた。


「…………一応聞くけど、どうして?」

「お金やなー、うん」

「…………何か見た?」

「なんも。あの嬢ちゃんの名前がベルって分かったぐらいやけど、それはアタシの目の前で言われとるからなぁ」

「…………」

「それでー? アタシをどうするん? できれば痛いのは嫌やなぁ」

「…………勘違いしてるみたいだけど、ネネはどうでもいい。…………依頼したやつのとこに、連れてけ」


 それを聞いたネネは顔をひきつらせながら口を開く。


「それあれやろ、断ってもええけどその後アタシが神隠しに遭うやつやろ?」

「…………」

「いやそこ黙るんは一番怖いって」

「……なんて、ね?」

「安心感が一つもないわ! ああもう案内するわ!」

「…………ん」


 ネネの言葉を聞いたクロエは親指で百万ドルク金貨を一枚弾き、彼女に渡す。それを危なげなく受け取ったネネは、不思議そうな顔でクロエを見た。


「…………依頼料。……早く連れてけ」

「まいどあり。あーあ、こんなに貰ってしもうたら裏切れんなぁ」

「…………契約、だいじ」

「いやぁ、ほんまにそうやわ」


 そう言うと二人は顔を見合わせて笑う。そしてネネが付けていた腕輪を外すと、その頭に耳が、腰から尻尾が現れた。


「じゃあ改めて、アタシはネネ。見ての通りの猫人族や。普段は偽装の魔道具使ってるけど」

「…………クロエ。……魔術は苦手だからよろしく」

「丸投げかいな。まあしゃあないわ」

「…………それで、どこに行くんだ?」

「はは、そう焦らんといてや。そっちは準備できとるんかもしれんけどアタシはそうやないからな。まずは準備や」

「…………わかった、まかせる」

「お金は裏切れんからなぁ!」


 ケタケタと笑いながら歩き出したネネの後を追いかけ、クロエも歩き出す。


「どんぐらい派手にやるつもりなん?」

「…………手を出したことを死ぬまで後悔するぐらいには」

「承知!」


 その日、裏社会に通じていた奴隷商が摘発され、その構成員の多くが少女を見るたびに震えるというトラウマに襲われたそうだが…………その理由は誰も知らない。

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