ハスターク その22

 翌日の朝、七刻ごろにベルが目を覚ました時もいまだクロエは目を覚ましてはいなかった。椅子に座ったままベッドに頭を預けて寝ていたのでこわばった体を伸びをしてほぐしつつ、ベルは整ったクロエの顔を眺める。

(思えばクロエが儂より遅く起きたことが今までなかった気がするな)などと思いながらクロエの髪を手ですいていると、反対側からあくびの声が聞こえてきた。

「ふわあああ、ん、おはよう、ベルさん」

「ああ、おはようレオーネ」

 どうやら彼女は朝に弱いようで、普段見るような凛とした姿とは違い寝ぼけ眼をこすっている。

「ベルさん、もう朝食はとったのかい?」

 やはりまだ眠いらしく、彼女の声はのんびりとしたものになっている。その違いに呆気にとられながら、ベルは答える。

「い、いや、ついさっき起きたところなんだ。今から食べるために下に行こうと思っていたんだが……」

「それはちょうどいい。少し待っていてくれ、準備をしたら私も行こう」

 そう言って彼女は立ち上がり…………ベッドに倒れこんだ。

「…………は?」

 口を開けてポカンとするベルの前で、レオーネは幸せそうな顔を見せながら目を閉じている。するとすぐに寝息が聞こえ始め、そのまま変な体勢で眠り込んでしまった。


「お恥ずかしい姿を見せてしまい申し訳ない…………」

 それから半刻ぐらいして職員が朝食をどうするのか聞きに来たので、ベルはレオーネを起こそうとしたのだが全く起きる気配がなく、長い時間をかけてようやく起こすことに成功し、九刻過ぎにようやく食堂に来ていた。そして彼女は顔を赤くしながらベルに頭を下げてきた。

「気にすることはない。私もよく相方に起こされているから気持ちが分かるとも」

 それに対してベルは笑いながら答えつつ、内心では(儂もいつもあんな風になっているのだろうか…………)と冷や汗をかいていた。


 朝食を食べながら、レオーネはしかし、と口にした。それからまばらとはいえ職員がまだいる食堂を見回して声を潜めると、「昨日の件だが」と切り出した。

「あの襲撃には魔人が関わっていたが、この件はまだ私と君とカエデしか知らない。三日後に来るという組合本部の査察の時に向こうの職員に伝えたいが、私としてもこのような事態は初めてでな。…………いや、こうなることを予想していなかったわけではないが、それでもいざ対面すると、な」

「しかし、何らかの対策を立てないわけにはいかないだろう?」

「いや、策自体はあるし、それも大部分が完成している。だがね、いくら私とはいえ発言を信じてもらえるかわからなくてね。その策が不発に終わる可能性だってあるんだ」

「随分と弱気な発言だな、『大賢者』様」

 少し笑いながらベルが指摘すると、レオーネはむっとした様子で「冗談ではない」と言った。それを聞いたベルは真面目な顔をすると、口を開いた。

「あの魔人たちだが、『魔界八候』の部下だと名乗っていた。魔界八候とは魔王亡き後魔界を統べるために争っている者たちの中でも有力な者たちのことだ。その半数は先代魔王の部下だった者なのであなたも知っているだろう」

「ああ」

「しかしあの魔人たちは『ジルブスタンの部下』を名乗っていた。ジルブスタンはもともと魔王の部下だった人物ではない。それが八候の一人に数えられているということは、それだけ彼が有力であるということを示している。そのような人物がすでに部下を人界に送り込んでいるという事実は彼らとて無視できるものではないはずだが」

「その通りだよ、ベルさん。でもだからこそ彼らがどう行動するかが分からないんだ。…………それにしても君は魔界について詳しいんだな」

「まあ冒険しているといろいろとね。それに私の家は少し魔界についての研究をしていてね。実際に行ったことのあるあなたには敵わないだろうけれど、それなりの知識はあるつもりだよ」

「なるほど、ベルさんの姓は……フェイドだったか。向こうに戻ったら調べてみよう」

「まあ、なんだ、昔の栄光にすがる田舎の方の没落した家さ」

「実家のことをそう言うものではないよ」

 その言葉にベルは目を丸くすると、その通りだな、と小さくつぶやいた。


 そのあと食事を取り終えた二人が部屋に戻ると、カエデが目を覚ましていた。

「カエデ!」

「レオーネ様!よかった、お姿が見えないので心配していたんですよ」

「ああ、朝食を取っていたんだ。そうだカエデ、何か食べられそうなら食堂でもらってくるけど、どうするかい?」

「いえ、まだ食べられそうにないのでお気持ちだけ」

「そうか。ちゃんと休むんだぞ」

 レオーネはそう言うとベッドの横に座ってカエデと話し始めたが、すぐにマークがやってきた。

「レオーネさん、少しお時間よろしいでしょうか」

 どこか緊張しているようなマークの様子を不審に思いながら、レオーネは席を立つと「ああ」と答えながら扉の方へ向かった。

 ベルからは扉の前で小声で話している二人の話は聞こえなかったが、二言三言話したと思うと、レオーネが急にこちらを向いて「ベルさん、少しいいだろうか」と呼び掛けてきた。ベルが「?」という顔をしていると、彼女は続けて口を開いた。

「先程の話の続きだ」

「……なるほど」

 先程の話、つまりは魔人についての話だと理解したベルは立ち上がると彼女のもとへと歩み寄った。するとそこには扉の陰になってよく見えなかったが、もう一人、眉間にしわを寄せた男性が立っていた。


 レオーネの提案により人に話を聞かれにくい部屋へと移った四人はそれぞれ自己紹介をしていた。そこでトマスと名乗った男はどうやら王都の役人であったらしく、組合に今回の事件について直々に問いただしに来た、ということらしい。

「私も忙しいんだ。あまり時間を取らせるような真似はやめてほしいのだが」

「しかしですねトマスさん、我々といたしましても今回の件は大きすぎるのです。あまり人に聞かれたくない話をすることも考えますとこのように場所を移させていただくしか……」

「それに『大賢者』ならともかく三級程度の冒険者も同席しているとはどういうことだね。それこそこういうのが『聞かれたくない人』なのではないか?」

「彼女の実力に関しましては『大賢者』である私が保証いたします」

「ふん、どうだか…………。亜人風情が調子に乗りおって」

 先程からこのような様子で一向に話が進まない。どうやらトマスという人物は冒険者であるベルに対してだけではなく、亜人、つまりは長命種エルフであるレオーネに対してもいい感情を抱いてはいないらしい。

 あまりに退屈過ぎてベルが(そろそろ終わらんかのう)などと思い始めたころ、ようやくトマスが本題を切り出してきた。

「今回の襲撃事件、あまりに襲撃の手際が良すぎる。そしてそれを撃退した手際もだ。私はこの事件、何者かの仕込みではないかと疑っているのだよ」

「…………」

「…………」

「…………」

 ベル、レオーネ、マークが三人とも黙ったままであることにしびれを切らしたのか、彼は若干声を荒げながら続ける。

「考えてもみたまえ、ただの若者どもが『大賢者』の護衛を任されるような騎士に簡単に勝てると思うか?そしてそれを通りすがりの冒険者が討伐?ハッ、出来過ぎた劇のようではないか!私は騙されんぞ!」

「…………」

「…………」

「それは、まあ」

「マーク、お前も敵か」

「いやそりゃないぜ嬢ちゃん…………ああいえなんでもありません」

 小声でつぶやいたマークに釘を刺しながら、ベルは呆れていた。

(確かに結果だけを見ればそう思えなくもないが、それはこの二人がうまく働いた結果であって水面下に隠れている部分の方が大きいのだがな)

 なおも自説を垂れ流しながら次第に冒険者への偏見と愚痴へと変わっていくトマスの話にベルがうんざりしたころ、レオーネが静かに口を開いた。

「なるほど、あなたの考えはよくわかりました。この件に関しましてはいまだ組合でも調査中ですので確証をもって話せることはございません。もし調査が進展して何らかの事実が判明した場合にはそちらにご報告させていただきます」

「そんなものはいらん!どうせお前もこの茶番の一員なのだろう!そんな者に報告などされても歪められるに決まっておるわ。私はお前のことなど少しも信用していないのだからな!」

「そうですか」

「落ち着いてくださいトマスさん。あなたの言い分は分かりました。こちらとしましても、今回の件に関しましては全力で調査に当たっております。また数日中には組合本部から調査人員が派遣されてくる予定となっておりますのでそれまでどうかお待ちください」

「ふん、王都の組合本部の人間か…………。それならお前たちよりかは信頼できそうだな」

 トマスは「お前たち」の部分でベルとレオーネを睨んだが、当の本人たちは我関せずといった風に素知らぬ顔をしていた。


「期待などしておらんが調査を早く進めたまえ!」

 トマスは最後にこのような言葉を残すとマークが読んだ職員の案内によって部屋を出ていった。

 それを見送った三人は一斉にため息をつくと、めいめいに口を開いた。

「ああもう!何なのよあのおっさん!自分の意見ばっか押し付けてきやがって!」

「まったくだ!冒険者であれば無条件で見下そうとするあの態度には腹が立つ!」

「こういう奴の相手をするのもさすがに疲れるぜ…………」

 そこまで言いあったところで、マークが「ああそうだ」と言って手を叩いた。

「二人に聞きたいことがあったんだよ」

「聞きたいこと?」

 レオーネが聞き返すと、マークは頷いて真剣な表情をした。その顔につられて二人も表情が引き締まる。


「今回の件、俺は背後に何らかの力が働いていると考えられる。そしてあんたたち二人はその正体を知っているんじゃないかと思っている。もし知っているのなら、俺は組合の支部長としてその話を聞く義務がある」


マークの瞳が、いつになく真剣な色をして二人の顔を映していた。

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