ハスターク その23

 真剣な顔をしたマークに対し、レオーネもその顔を引き締めながらゆっくりと口を開く。

「何らかの力、か。ああ、私たちはその存在を認識しているとも」

「本当かっ」

「わざわざこんな嘘をつく理由もないだろう」

「いや…………自分から振っておいてこんなことを言うのもなんだが、なにせ途方もない話ではあるからな」

「それほど途方もない話ではないだろう。反勇者など、私たちが旅を終えたころから存在しているではないか」

 その言葉に彼はむう、と唸ると言いにくいことを言うかのように重々しく言葉を発する。

「そこに関してはトマスに賛成するしかねえ。ただの平民が騎士を倒せるようになるなんてどう考えたって異常事態だ。その異常事態を起こしちまえるってのはそれだけあちらの能力が高いってことの証左になる」

「そうだな」

「つまりあちらの能力がどれほど高いのかを、完璧にとは言わずともある程度把握しておく必要があるのは確かだ。そのためにお前さんたちが持っている情報を提供してほしい」

「……情報提供に関しては全面的に協力するが、今すぐにというわけにはいかない」

 その言葉に、マークは不審な顔をしながら問い返す。

「なぜ、と聞いてもいいのだろうか」

「私が把握している情報は本来ならば今すぐにでも転移によって王都に戻るべきほどのものだ。私の体力的にそれが厳しいためここに留まっているが、それだけ危険な情報だということを理解してくれ。そしてもし君に話す時があるとすれば三日後の査察の時だ」

「つまり直接本部の者に伝えたい、ということですか」

「ああ、君を信用していないわけではないが、出来るなら自分の言葉で伝えたい」

「…………わかりました。では、そのように」


 その後すぐに解放されたベルとレオーネは組合の廊下を歩きながら先程の続きを話していた。

「査察の来る三日後だが、ベルさんたちはここにまだ滞在しているのかい?」

「微妙なところだな。滞在自体は一週間の予定だったからあと三日、というところだ。まあクロエの体調次第ではそれより遅くなる可能性も否定はできない」

「なるほど。協力してもらおうかと思ったが、あまりあてにし過ぎるのもよくないな」

「協力自体はやぶさかではないが、いつまでもここに留まるわけにもいかないからな」

「冒険者のさがというものか」

「まあ、そんなところだ」

 そんなことを話していると部屋に到着したが、ベルは部屋に入ることなくそのままどこかへ行こうとしてしまった。

「ベルさん、どこに行くんだい?」

「ちょっと外の空気を吸ってくるよ。すぐに戻る」

「ああ」

 レオーネが納得したように頷くと、ベルは歩いて下の階へと歩いて行ってしまった。


「うむ、この辺りまで来ればよいか」

 いつかのクロエと同じように裏路地を通り抜けて少し開けたところに出ると、ポケットから複雑な魔術式が書き込まれた布を取りだして地面に広げた。

「さて、ちょっと呼び出してみるかのう」

 そう言って彼女が布に手を当てて呪文を唱え始めると布に書かれた魔術式が光りだし、その中心に黒い孔が開いた。ベルが呪文を唱え終えて孔を見つめていると、その孔から突然にゅっと手が生えてきた。手はしばらくひらひらと揺れていたが、ベルが何も言わずに眺めていると、手が引っ込んで頭が出てきた。

「わざわざ私を呼び出すなんて、随分暇なのねアナタ」

「暇なわけがなかろう。クロエがいつまでも起きんからお前に頼らざるを得んかったんじゃよ、ミア」

 そう呼びかけると、肘を孔のふちに乗せてこちらを見ているミアはその犬歯を見せるようにニィ、と嗤った。

「あらあら、アナタもさすがにしびれを切らしたのかしら?」

「違う。お前の能力でクロエの肉体はほぼ完治しているはずじゃ。魔力は十分すぎるほどにあるんじゃからな。しかしそれでもクロエが目を覚まさんのには何か理由があるじゃろう。そしてそのことはお前たちならば知っておるはずじゃ」

「ええ、その通りよ」

「さっさと教えろ」

「嫌よ」

「ミア!」

「せっかくの可愛いお顔が台無しよ?笑っていなさいな」

「…………」

「冗談の通じない子ねぇ」

 無言で手に魔力を集め始めたベルの様子を見ながら、それでもミアはその笑みを崩さない。そして彼女はその笑みのままベルに告げる。

「教えてあげるけど、アナタじゃ解決できないのよ?それは私たちのクロエが自ら乗り越えなければならないのだもの」

「何が、あった」

。完全に、完璧に、間違えようもなく」

「お前を使った反動か」

「それは私が責任をもって引きずり戻したわよ。けどその前にあの子は自分で暴走している。その反動を私で抑え込んでいたのが限界を迎えたのね。抑え込まれていた分深くまで堕ちちゃったから私たちが手助けすることもできないし、そもそも精神がやられてるから自分で戻ってくるのも時間がかかるってワケ」

 そこまで言うとミアはぐっと伸びをしてみせた。それを見ながらベルは考えをめぐらす。

(自分を見失っているということは、今クロエの魔力を集める能力は制限されていない。その能力を使ってレオーネの魔力を呼び水に、いやしかしそれでは彼女にクロエの素性が露見する。それはぜひとも避けたい…………)

「いろいろと考えているようだけれど、レオーネを使うのは無理よ。クロエの能力は魔力を集めるだけ。集められた魔力はそのままクロエの魔力に変換されるわ」

「そこは儂の魔術でどうとでもいじってやる」

「他者への魔力の譲渡なんて、あんまりいい手段とは言えないわよ?」

「そんなことは承知しておる」

「焦り過ぎよ、ベル=フェイド」

 急に名前で呼ばれ、ベルはハッと顔を上げる。目の前には、先程までの笑みを消したミアの顔がある。

「クロエは大丈夫よ。信じなさい。アナタがあの子の強さをだれよりも理解しているはずよ」

「そうじゃな。…………そうじゃな」

 ベルは知らず知らずのうちに入っていた肩の力を抜くと、ミアに微笑んでみせた。

「それはともかく、アナタの方も状況は大丈夫なの?レオーネと一緒にいるんでしょ?」

「ん?あー、それはなんとかなるじゃろ。あいつは儂のことをただの冒険者じゃと思っとるようじゃし」

「あら、アナタの前職は伝えていないのね」

「当然じゃ、流石に言えるわけがなかろう」

 ベルがそう言うとミアはクスクスと笑うだけでなにも言わないまま孔を潜ると、すぐに孔は小さくなって消えてしまった。

 ベルはあとに残った布を見つめながら、「やっぱあいつと話すのは疲れるのう」と呟いた。


「おかえり、ベルさん。気分転換はできたかい?」

 ベルが部屋に戻ると、レオーネが本を読みながら呼び掛けてきた。彼女はそれに対し、げっそりとした様子で答えた。

「悪い方向に転換されたけどね」

「それは災難だったね」

「まったくだ。……ああそれと、多分三日でここを出るのは厳しそうだ。査察の際には協力させてもらうよ」

「本当かい!助かるよ、一人は心細いからね」

「とても世界を救った『大賢者』様とは思えない発言だが?」

「『大賢者』だからこそ、さ。仲間を得て、失った。戦いを経た私には失うことへの恐怖心が残ったのさ。それがどんなに小さなものでも、失いたくないんだ」

「…………その気持ちはわかる。私も『失った者』だからな」

「ベルさんも……?」

「ああ、私は生活を失った。まあそれほど大切なものでもなかったから失ったことに悲しみはないけれど、それでも長年続けた生活だからね。それなりに喪失感はあったよ」

「予想以上に大きなものを失っていて驚いているんだが」

 どう反応していいのかわからない、といった顔でレオーネが言ったが、それに対して彼女は苦笑で返した。


 一方その頃、孔から戻ったメアは疲れきった様子で部屋に帰ってきた。

「あ、おかえりメア。ベルの用事はなんだったんだい?」

「クロエが目を覚まさないことについて」

「クロエ!クロエ!」

「起きない!起きない!」

「わかったから黙ってろダメ姉妹」

「ダメじゃないもん!」

「ないもん!ないもん!」

「……ねぇシュバルツ、こいつらどっかにやってくんない?落ち着いて話もできないんだけど」

「あはは……。フローリア、フレーニカ、ちょっと向こうに行っててね。僕たちは真面目な話をするから」

「シュバルツのいうことなら聞いてあげるわ!」

「あげるわ!あげるわ!」

 向こうの方へと歩いていく二人の少女を見つめながら、シュバルツが口を開いた。

「これで真面目に話せるかい?」

「ありがと」

「飲み物を準備するけど、何か飲みたいものはある?」

「いつものでいいわ。それよりも今はクロエのことよ」

「彼女の精神は君の担当だから僕たちには詳しいことはわからない。クロエは厳しい状態なのかい?」

 そう問われたメアは難しい顔をした。

「そうね……彼女の精神は今深みに嵌まってしまっているわ。お陰で自分の体を見失ってフラフラしてる状態よ」

「それは……大丈夫なのかい?」

「正直危ないわ。深すぎて私でも潜って引っ張りあげることができないもの。せめてもっと表層まで上がってきてくれれば……」

「なるほど。僕たちにできることは待つだけって訳か」

「そういうこと。…………信じましょ、私たちのクロエを」

「そうだね」

 二人はカップをチン、とぶつけると中身を飲んで笑いあった。

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