ハスターク その21

 レオーネの「彼女は何者なんだ?」という問いに、ベルは複雑そうな顔をしてみせた。

「クロエが……彼女が何者なのか、か。それについて答えるのは難しいな」

「それは、私のことが信用できないという意味かな?」

「いや、そうじゃない。単に私から話せることが少ないということだ」

「それは…………?」

 レオーネのその問いにベルは少しの間口ごもると、息を一つ吐いて答えた。

「私とクロエはそれなりに長い間冒険者として旅を続けているが、お互いの過去について話し合うことはほとんどないんだ。だから、彼女が昔どんなところに住んでいて何をしていたのかは知らないんだ」

「そうだったのか」

「私が彼女について知っているのは、よく食べること、剣術や体術において圧倒的な技量を誇ること、意外と読書家であること、くらいだろうか。そのほかにも細かいことを挙げればきりがないのかもしれないが、彼女の説明としてはそんなものしかできないんだ」

「そうか…………。いや、昔の知り合いに似ていてね。行方知れずになってしまったからもしかしたら、と思っていたんだよ」

「こいつは自分の過去についてはあまり話したがらないからな。もしかしたらあなたとも昔会っていたのかもしれないな」

 そこまで言うとベルは立ち上がり、部屋を出ていこうとした。

「おや、彼女の隣に居なくていいのかい?」

 レオーネがそう聞くと、彼女は振り返ってニヤリと笑い、「『大賢者』がいるのなら問題はあるまいよ」と答えてドアを開けて出ていってしまった。


 部屋を出て階下に降りたベルは、そこでマークに出会った。

「よう、嬢ちゃん」

「む、支部長だったか。クロエのこと、礼がまだだったな」

 そう言って頭を下げるベルに対して、マークは慌てたように手を振る。

「いやいやいや、冒険者を助けるのが俺たち組合の務めだからな。礼は礼としてありがたく受け取るが、そこまでかしこまって言われるほどじゃねえよ」

 ベルはマークのその言葉に「そうか」と言うと、頭を上げた。

「しかし、あの嬢ちゃんのところに居なくていいのかい?あんたの大事な相棒なんだろ?」

「まあな。でも今は寝ているし、『大賢者』もいるのだから目を離していても問題はないだろう、とね。それに宿の主人に言って荷物を取ってこなくてはならないんだ」

「なるほどな。…………よし、近くまで送っていくぞ」

「おいおい、私はなりは子供だが見た目ほど弱いわけじゃないのは知っているだろう」

 呆れたようにベルが言うと、マークは頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。

「それはそうだけどよ、やっぱ心配になるんだよな」

 それを聞いたベルは少し考えると、何かを諦めたように「ならばお願いしようか」と答えた。


 ベルとマークは二人で夜の街を歩いていた。

「しっかし、今日は今までで一番大変な一日だったぜ」

「だろうな」

「これからしばらくはいろいろと忙しくなりそうだ。何か所か建物が倒壊したりしているところがあるらしいからそこの修繕だろ、怪我人への補償もそうだし、ああ、本部の方からまた別の査察が来るとか言ってたなあ。ああ、面倒だ」

 マークは指折り数えながらぐちぐちと文句を言っている。その隣で歩くベルは早々に聞く気を失くしてぼんやりとクロエのことを考えていた。

「お、ここじゃねえか?」

「ん?ああ、そうだな」

「やっぱり、クロエ嬢ちゃんのことが気になるのかい?」

「まあ、な」

「仲間は大事だよな。俺も昔は無茶な冒険をして仲間たちによく怒られていたよ」

 その言葉にベルはかすかに笑うと、「送ってくれてありがとう」と言って宿の中へと入っていった。

 その後ろ姿が見えなくなってから、マークは元来た道を引き返さずに、どこかへぶらぶらと歩いて行ってしまった。


「ご主人、遅くなった」

「ああ、君か」

 クロエが扉を開いて宿に入ると、いつも主人が座っている受付には昼間主人のことを呼びに来た男が座っていた。

「あなたは確か……リート、だったか」

 リートと呼ばれた男は頷くと、ベルに奥へ行くように手で示した。ベルはすぐにでも部屋に戻って寝たかったが、彼が示しているからには恐らく宿の主人がいるのだろうと考え、素直に食堂に繋がるドアを開けた。


「ああっ!」

 開けると目の前に大ぶりの包丁を持った主人が突っ込んできたが、ベルは危なげなくそれをかわすと、主人の手から包丁を奪ってしまった。

「私も随分といい歓待を受けるようになったものだな」

 手に持った包丁を投げては掴むということを繰り返しながら、彼女は嘲るように主人に向けて言い放つ。その言葉を受けた主人は、自分の身体をブルブルと震わせながら顔を赤く染めていた。

「ふむ、だんまりというのはよくないぞ。会話をしなければ相手に伝わることはない」

「だ、黙れ!この人殺しの仲間め!」

 主人はそれだけを叫ぶとふー、ふー、と息を荒げながらベルを睨みつけた。その様子に彼女は目をすがめながら、「人殺し、か」と静かに呟いた。人殺し、というのはクロエのことなのだろう。つまり彼はベルがつぶやいていたことを聞いていたに違いない。

 そんなベルの心の内を知ってか知らずか、主人はひたすらに彼女を睨みつけている。そんな彼の様子にベルはため息を一つ吐いてドン、という音を立てて包丁を机に突き立ててみせた。そのことにビクリとした主人に呆れたように、彼女は首を振った。

「さてご主人、私たちが気に入らないのなら喜んで出ていこう。どうせここにある荷物は今のうちに回収しておくするつもりだったんだ。ああ、代金だが君の懐に入れてもらって構わない。こちらのせめてもの気持ちだと思って受け取ってくれ」

 それだけを傲岸に言い捨てると、ベルは主人の横を抜けて玄関に戻ると、そのまま階段を上って自分の部屋に引っ込んでしまった。


「お、おい、ジャン、大丈夫か?」

 ベルが扉を開けて出てきてこちらには目もくれずに階段を上ってしまううのを目にしたリートは、そろそろと食堂の方に呼び掛けた。

「おい、ジャン?」

 ジャンの返事がないことを不審に思ったリートが中を覗き込むと、そこには無言で体を震わせて座り込んでいるジャンの姿があった。

「ジャン!どうしたんだ!大丈夫か?」

 慌てたリートが彼の身体を掴んで揺さぶると、彼はリートの手を強く払い、頭を抱えて泣き出してしまった。


 部屋に戻ってきたベルは手早く荷物をまとめると、すぐに階段を下りて宿を出ていこうとした。

「おい」

「…………なんだ?」

「この金を受け取るわけにはいかない」

 そこには、百ドルク銅貨三枚を手に持ったジャンが立っていた。

「その金は受け取っていいとこちらが言ったんだ。おとなしく受け取ってくれ」

「断る。これは俺の矜持の問題だ」

「知るか」

 そこまで言うとベルはジャンの近くまでずかずかと歩み寄ると、その顔を下から睨みつける。

「貴様の矜持など知らん。それは迷惑代だと思えば受け取りやすいか?違うだろう。貴様はただ私たちに関わりあいたくないだけだ。そんな理由で返される金など、たとえ困窮していても私は受け取らんよ」

「ッ!」

「ではな。…………もてなし、非常に感謝している。それゆえに、残念だ」

 そこまでを勝手に言い放つと、ベルは荷物を持って夜闇に紛れてしまった。


 それからしばらくして。

「ええい、啖呵を切ったまではよかったがこの先どうするのかを全く考えておらんかったわ!あの主人にムカついたからあの宿を出たのは正解だったが、こういうところがクロエに『……ベル、むてっぽう』とか言われる所以じゃよな…………。ああ、荷物が重い…………」

 ベルは道の真ん中で泣き言を漏らしていた。すると近くの裏路地から男が独り歩き出てきた。

「やっぱりそんなことになってやがったか」

「む」

「ほれ、荷物片方寄こせって。組合まで持って行ってやるよ」

「マーク…………待ち伏せとは感心できない行為だな」

「失礼だな!いやそう言われても否定できないんですけどね!」

 話を聞いてみると、ベルと一緒に組合に戻った職員から広場で起きた出来事を聞いたらしく、もしもジャンがことがあった場合に備えて、近くをうろうろとしていたらしい。

「小さい女の子を待ち構えているとか傍から見たら危ない人だな」

「あんたのことを心配してやったんだよ!」

「そんな心配はいらんって言っただろう」

「でもよ…………」

「ああもう!」

 そんなことを言いながら、二人は組合への道を急ぐのであった。


 組合に戻ってくると、マークはそのまま何やら怒った連れていかれたためにベルは一人でクロエの部屋を訪れていた。

「ただいまクロエーっと、やっぱりまだ起きてはないか」

「君が出ている間も何度か起きそうになっては寝てを繰り返していたよ」

 部屋の扉を開けて肩を落としているベルに、クロエと同じように寝ているカエデの横で本を読んでいたレオーネが答えた。

「そうか。魔力をほぼ枯渇させていた者にしては早い回復ではあるな。…………少し、心配ではあるが」

「私はそれなりに回復してきたが、それでもまだ体を動かすのがしんどいからな。その点では彼女の回復力には目を見張るものがあるが」

「『大賢者』にこんなことも言うのもおこがましいとは思うが、魔力というものは生命力とイコールなわけだ。つまり。これだけ魔力だけが回復していくのは人間の肉体的によろしくない」

「それは…………」

「いや、心配することはないのは分かっているんだが、それでも、な」

 歯切れ悪く答えるベルに、レオーネは眉を曇らせながら「そうだな」と答えた。

「私は単なる魔力切れだからこのお香の効果を十全に受けられるが、彼女はそうもいかないんだな」

「まあな。まったく、面倒な相方を持つと苦労するよ」

 苦笑しながら言うベルに、レオーネもまた笑顔で答えた。


 そうしてハスタークを突如襲った激動の一日が終わりを告げるのであった。

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