遺された者達(その1)

(前回までのあらすじ)


初めて捜査員として捜査に従事する梓に、辰実は捜査の心構えとして「スケベなニワトリ」を描かせレクチャーを行った。


一方、強盗事件に使用された発煙筒の事について、進展のない刑事一課。調書を確認した辰実は松島に、「立島事件の事を話さないでほしい」と事前に伝えていた。これを守り、松島は何も言わず栗岡を辰実に引き継ぐ。


被疑者の黙秘を破る、辰実の賭けが始まる!



 *


取調室。


事務用の机と椅子が入口すぐと部屋の中心に置かれている。


中心の事務机を挟むように、奥に座っている栗岡に正対し松島はドアを背に座っていた。


コンコン、とドアがノックされ松島は「どうぞ」と答える。



「お待たせしました。」


ドアを開け、辰実に続いてノートPCを脇に抱えてやってきた梓。「ではお願いします」と一礼する松島を見送り、辰実が栗岡の正面に座る。強盗の被疑者と聞いて、もっと厳ついものを想像してしまうかもしれないが意外にも小柄な男で、辰実よりも一回り若く見えた。



「言いたくない事は言わなくて良い権利があります、でも嘘をついて良いという訳では無いので理解しておいて下さい。…もう1つ、弁護人を呼ぶ権利があります。」


取調を行う際に、被疑者に対し保証されるのが黙秘権と弁護人選任権である。捜査機関は取調の際に予めこれを説明する義務があり、例にもれず辰実も慣れた口調で栗岡に説明している。



「連日、お疲れでしょう。この場はリラックスして話を…、と行きたいんですがそうも言ってられないんですよね。でももしかしたら、場合によっては栗岡さんが聞きたかった話をできるかもしれない。」


俯いて話を聞いているのか分からなかった栗岡の眉が動いた。


「あまり時間が無いので手短に。…先に聞いておきたいんですけど栗岡さん、自身の身の上話を他の人にした事は?特に家を出た理由とかは、誰かに話していませんか?」


戸籍上の養父、この者の住所と栗岡の現住所は異なる。そこで家を出ているという事は想像できた。栗岡の反応は無いものの、入口すぐの席に座っている梓から見た辰実も特に焦っている様子は無い。


(前提が崩れていなければ、ここで何らかの反応はするだろう)


俯いていた栗岡だが、眉をしかめて辰実の方を見ている。


丸2日、犯行共用物について何も話をしない被疑者を相手に、何かしら危機感を持つ所なのだろうが辰実はリラックスしながら話を進めている。梓も辰実がどういう話を用意しているかはある程度把握しているつもりであったが、想像以上に確実な方法なのだろう。


「三島さんは、逃げ遅れる人を庇ってお亡くなりになられました。」

「どういう事ですか!?」


(食いついた!)

(予想上に食いついたから、逆にこっちが驚いたぞ)


「俺は三島さんが殺害された事件の現場にいました、当時の事件の事は、よく覚えています。…いいや、何時になったって忘れる事が無い。」


引っ掛かれば、それだけ謳わせられる可能性は高くなる。栗岡も辰実と一緒に上背を前のめりにして、ようやく話を聞く姿勢になった。



「さっきも言った通り、正直にお話したくなければ話してくれなくて構いません。ですがこちらは貴方の反応次第でイエスかノーかくらいは判断できます、お忘れなく。」


刑事が何日かかけて、あらゆる方法を試した事だろう。それでも口を割らないという状況で、辰実は相手にプレッシャーをかけていた。辰実の狙いというのは分かっているのだが、今まさに彼がそのためにしている事の意図が梓には分からない。


「勿論、貴方の反応だけでは調書を書く事ができないのでね。」


(この感じ、逆に怖い)


取調を行う上で、基本となる事が2つある。1つは相手の発言や行動に見られる疑問点を突いていく事、もう1つは相手も人間である事を意識し短期間で人間関係を築いていく事である。分かりやすい前者に対して反対の位置にあるような事を後者で言っているのは、相手に話しやすい状況を作らせる事がいかに大切か。


しかし、辰実の行動はその2つのどちらにも当てはまらない。梓には丸腰で両手を上げ敵の前に躍り出るように見えた。なのに「逆に怖い」と思ったのは、全く切り口が読めないからである。


「3年前の、立島であった殺人事件に関わった人は皆、ロクな事になっていない。家族を失った人もいれば、あの凄惨な現場を見て刑事という仕事から離れていった人もいる。取調とは関係の無い話かもしれませんが、栗岡さんも苦しんだと思います。月並みな事しか言えませんが、申し訳ありません。」


一度緊張させた栗岡に対し、更にしおらしく話をする事で緩和させる。その温度差が、徐々に被疑者を追い詰めていく。直接的に間接的に、関係なく立島事件に関わった者どうしの共通項が、その効果を発揮している。


「だからと言って、商店街で発煙筒を投げて出店を荒らして良い事は無いですが。」


「貴方は憎くないんですか?…商店街にとってはリゾート開発の存在は邪魔だったんですよ!?だからって養父が何で殺されなきゃいけないんですか!?」


火が点いたように怒りを露わにする栗岡の両眼を、冷静に見据える辰実の後ろで切っ先を向けるように梓の視線。若松商店街で生まれ育った彼女からすれば、自分達が頑張って生きていた場所を壊されているのだ。


商店街の至る所で上がっていた、赤紫色の煙を思い出せば怒りが立ち込める。しかし栗岡の視線が梓まで行き届く事が無かった。



目の前にいるスーツ姿の警察官が自分の事を観察している。頬杖をついて口元に手を当てながら、一言一言を逃さない。今しがた丸腰で敵前に現れた男の様子とは全く違い、目の前にいる筈の男に背後から刃物を突き付けられているようであった。


養父が殺害された事件に関わった辰実は、いわば自分の知らない部分を知る人間である。最初に三島の事を言い当てられれば、この後の栗岡が黙秘してきた事が暴かれるのも時間の問題。


即ち、栗岡が黙秘してきた事がそのまま知られたくない事に直結する。


(どうやら、観念したようだ)


数秒間、合っていた視線を左下に逸らし、栗岡は項垂れた。


「発煙筒は、他の人に準備してもらいました。…僕たちは住み込みで働いていた農場で、その火薬を作っています。」


慌てて、梓はペンを手に持ってノートを開く。ゆっくりと圧をかけるように辰実は手帳とペンをスーツの内ポケットから取り出し、ペンを右手に手帳を開く。


「その発煙筒を準備したのは?」

「また別の人です。顔は知ってるんですが、何処の誰かも知らなくて…。いつも非通知で連絡が来ていました。」


(これでは捜査するのも一苦労だな…)


「その人とは、どういう関係で?」

「さっき話した、商店街が復興するにあたって立島のリゾート開発が邪魔だったというのを教えてくれた人です。それもただ陰謀論のような話では無く、筋道を立てて納得のいく理由で説明してくれました。」


立島事件については、その凄惨な内容が故に詳しい公表をしていないのが事実であった。それは被害者遺族に対してもで、件の男はそこから生まれた疑問を上手く突いている。


(被害者遺族に吹き込むにしても、根拠の無い事を根拠があるようにするには相当調べ上げなければならない。警察官では無いにせよ、事情に詳しい奴だな。)


立島事件が発生したのは3年前。その時期と言えば、若松商店街も復興して県民にとって第2の生活拠点として機能しているくらいにはなっている。この時点で自力でやっていける状況だった商店街がリゾート開発の足を引っ張るとは思えない。


(俺よりも馬場ちゃんの方が詳しそうだ、後で話を聞いてみよう。)


「彼と会って、僕達は商店街が存在している事に対して怒りを覚えました。強盗の話を持ち掛けられたのはその時です。大学の帰りに声を掛けられて、そのまま意気投合したという感じです。」

「それは、大体何年前の話で?」

「3年近く前になります。…丁度、大学に入った時の事でした。」

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