スケベなニワトリ(その2)


 *


新東署生活安全課。


「成程、通報者2人の自転車も通報された2人の自転車も全く同じ見た目やったと。」

「被害届に書かれていた特徴とも一致しました。…勘違いで問題は無いでしょう。」

「事件で無いんやったら、それが一番や。」


宮内の目線が、自分のデスクにいる梓へと向く。彼女が一心不乱に紙にペンで何かを書いているようであった。


「で、馬場ちゃんのアレは?」

「捜査の心構えというのを叩き込んでます。」

「お前なあ、いくらワシが大阪出身言うたって雑なボケは拾えんぞ。」


自分のデスクに置いていた煙草の箱、そこから1本取り出しライターで火をつける宮内。上を向きゆっくり煙を吐いて、辰実との話に戻る。


「馬場ちゃんには何をさせとるんや?」

「スケベなニワトリを描いてもらってます。」

「突飛にも程があるぞ?…いやワシどっかで聞いた事あるかもしれん、ちょっと待ってくれ。」


宮内が記憶を探っている間にも、右手の指に挟んだ煙草はじりじりと焼けていく。


「思い出せん。それでお前はそんな変な生き物描かせて何をしたいんや?」


辰実は、小声で耳打ちする。その内容は聞こえのぶっ飛び具合とは裏腹に、捜査に当たるときの考え方としてはかなり的を得てはいた。



「そんな事よりも取調や。松島から、1時間ぐらい休憩取らせて欲しいっていう話やったわ。」


時計を見ると正午が来そうになっている。辰実も梓も先の事件で特にやる事もないので、この時間のうちに食事を済ませておいた方が良い。デスクに戻ったら梓に食事をとっておくよう伝えておこうと思いながら、辰実は宮内に一礼しその場を後にした。



「さて、描けたか?」

「スケベなニワトリ、ですよね…?スケベってどういうのだろうって、自分なりに考えてはみたんですけど。」


梓が描いたのは、太ったニヤケ目をした雄鶏が、酒瓶越しに酒を飲んでいる絵。


「よく描けてる。」


そもそもの辰実の狙いがちゃんと分かっていない状況でそう言われても、素直に梓は喜ぶ事ができない。


「事件においては、犯罪をする相手の立場に立って考えられる事も必要なんだ。…今の時点でハッキリせずともそれが分かっているなら、非常に心強い。」

「ありがとうございます。」


捜査の心構えをレクチャーし終えた所で、辰実は梓に休憩をしておくよう伝える。ようやっと休憩に入る事ができそうだが、その前に辰実は前任者から渡された引継書類にざっと目を通していた。


「ちょっといい?」


声を掛けられる辰実。防犯対策係は5人いて、係のデスクは1つの島になるよう繋げられている。その島の誕生日席、辰実から見て右隣に座っているのが係長の片桐忍(かたぎりしのぶ)で、辰実より少し背が高くあっさりとした顔立ちの男であった。


「午後から取調に入るでしょう、参考にして。」


いわゆるオネエ口調なのだが、特に気にするようなものでは無い。片桐から手渡された資料は、新東署管内で火薬類を取り扱っている業者から聞き込みをした結果をまとめたものであった。目を通してみれば取り扱っている商品の話から、仕事で関わる他の業者まで詳しく聞き取りが行われているのが分かる。


「こうなると、火薬の出処はかなり絞られてきますよ。」


ありがとうございます、と向かいにいる2人に辰実は頭を下げた。


「プレッシャーをかける訳では無いんだけど、やっぱり被疑者から直接聞いた方が核心に近づくのは早いわ。」


自身の程はどう?と片桐に聞かれる辰実は、考える暇もなく「これなら10分もあれば謳う所まで持っていけます」と答えた。緊張が無いと言われれば嘘になるが、彼の様子はかなり余裕に見えると言って良い。


「馬場ちゃん、休憩が終わったら目を通しておいてくれ。」

「分かりました。」


手作り弁当(殆ど居酒屋の余りもの)を持ってきている梓は、同じように弁当を持参していた辰実を見て安心する。出来心で辰実が持ってきていた弁当を覗き込んでみると、ブロッコリーやジャガイモを使って彩りよくオムライスが敷き詰められていた。


(…ここいらの業者は、花火を扱っている所だけか。夏になれば海沿いで祭りをするし当然か。)


オムライスを食べながら、片桐から渡された資料に目を通す。気になる事があれば休憩よりも先にやってしまう辰実、これを上司がやってしまうと部下が休み辛くなるという事に気が付いたのは、休憩が終わってからの話である。


(花火を作るっていうだけだな。どうやら火薬は県外の業者から仕入れているようだが…。)


仕入れ先の業者についても、ある程度目が向けられている。火薬を個人に売る事はなく、専ら業者を相手にする事だと分かればそれで良い。犯行に使用された発煙筒も紙筒をガムテープでくるんだもので、見るからに手作りであった。


オムライスをスプーンで口に運ぶ手を止め、デスクに立てかけているファイルを手に取る。今回の火薬に関する捜査の資料をまとめているファイルだが、強盗事件の被疑者から録取した内容もまとめている。辰実は件の被疑者に関する資料を開いてまたオムライスを食べ始めた。


(だいぶ見えてきたな。)


辰実の中で何かができたようで、また食事の手を止めてファイルを片付けた。ケチャップの快活な酸味を、卵がまろやかにしてバランスを取ろうとする。具材の海老も弾力があって、小躍りをするようにスプーンが進んでいく。


オムライスを食べ終わった後、数分席を立ってまた辰実は戻ってきた。1階の自動販売機に行っていたのだろう、彼の手には缶のコーラが握られている。席に座るとプルタブを起こし、コーラを飲み始めようと思いきや内線が鳴るのですぐに取った。この状況は、ゆっくりコーラを飲ませてほしい。


「生安の黒沢です」

『刑事一課の松島です』

「お疲れ様です松島さん」


『先程、取調が終わりました。…1時くらいから大丈夫です。』

「ありがとうございます。」


電話口の松島は、少し疲れているように聞こえた。取調の状況が芳しくないのだろう、強盗ともなれば被疑者から聞き出さなければならない事も多く、この勾留期間は時間がいくらあっても足りるものでは無い。


『そう言えばさっき、身上も市役所でもらってきました。取調の前に一度確認しておいて下さい。』


身上調査照会書の事である。捜査において必要がある場合、被疑者の本籍地の市町村長宛てに身上関係(主に戸籍に関して)の照会を行い、回答をもらう。被疑者の身分や生い立ちについて、それが確実にその人かどうかを確認する事が目的となる。


書類があるという事は、いち国民として存在が認められており、その人個人である事が証明されているという事だ。見方を変えれば被疑者が自身の身分や名前について嘘偽りなく話しているという担保だと言って良い。


『今、写しを若い衆に持って行かせてますので。』

「丁度来ました、ありがとうございます。」


写しを持ってきた、若い刑事の男に頭を下げる。「それではまた1時くらいに行きますので。」と言って話を終え受話器を戻すと、書類に目を通す前に一度洗面所に行って歯を磨いて帰ってきた。


被疑者の3名。浜良太、北島和人と栗岡信也、彼ら3人の戸籍を見るとある共通点がある事が分かる。松島や他の刑事達が聴取した内容を確認して分かっていた事ではあるのだが、こうやって戸籍の流れを追っていくと改めて理解させられる。


「被疑者調書でも書かれていたが、この3人は幼い時に両親と死別した後、施設の管理人の養子縁組に入っている。」

「でも、そこから新しく養子縁組になってますね。」


辰実と同様に、梓も取調の内容は把握している。供述ではあっさりと書かれていた内容を、こうやって別の形で確認する事で気づく事もある。


「供述書では、養父がまた変わったくらいに書かれていましたよね。」


被疑者3人の養父が、三島という男から藤森という男に変わったのは3年前の春であった。これは犯罪の要旨に深く関わってこないと考えたのか、被疑者調書でも詳しくは書かれていない。


「そうだな…」


少しだけトーンダウンした辰実の声。


(何があっても絶対に忘れる事は無い。…いつだって、昨日の事のように思い出せる。)


「黒沢さん?」

「…ああ、すまない。考え事をしていた。」


少し疲れている様子には見えない、捜査に関しては素人な梓から見ても今の辰実の様子は戸籍の事で何か知っているか引っ掛かる事があったのが分かる。辰実は背伸びをして、ようやく話を戻す。


「調書の内容をおさらいしておこう。被疑者3人は若松商店街の出店に発煙筒を投げて、煙が上がっている間に商品を盗んでいった。犯行の動機は生活に困ってという話だが、これは聴取次第で深堀りが可能だな。…あとは、この3人は地元の国立大の農学部生で、養父の元を出てから3人で生活している。」

「はい。」

「簡単にだが、これだけ頭に入れておいてくれれば良い。」


辰実が取調を行い、梓がその補助に入る。彼に比べれば経験値は圧倒的に少ないが、それでもやるしかないと割り切ってしまえば肩の荷は軽かった。


「失礼します。」


刑事一課の部屋に入るなり、辰実と梓を迎える視線。オールバックに色眼鏡をかけたスーツ姿の男や、口ひげを蓄えた強面の男。先日まで刑事一課にいた辰実にとっては慣れたものだろうが、刑事が醸し出す独特の緊張感は梓にとって全く心地良いものでも無く、寧ろ場違いのような気になってしまう。


「馬場ちゃん、ここは別世界だ」

「やっぱりそうですよね」

「勿論、俺もそう思っている」


そんな会話をしながら、デスクを繋げてできた島と島で挟んだ通路を歩いていく2人。通路の奥、部屋の奥になる課長席に座っている、短髪で眼鏡をかけた小太りの男の正面に立って頭を下げる。


「捜査で忙しい所、ありがとうございます。」

「おう」


刑事一課長の福村克(ふくむらかつ)。3年前には辰実のいた署で刑事課長をしていた男で、年齢は50を超えたくらい。低い声が梓のプレッシャーを更に大きくすると、丸眼鏡の奥の細い目が全く笑ってないというトッピングがついてきた余談ではあるが、福村に用があってきた警務課の若い女性職員が何も言われていないのに半泣きになって帰ってきたというのは話を盛ったように思えるが実話であった。


「怖がらないでいいぞ馬場ちゃん、デザートには苺パフェと決まってる洒落た人だから。」

「すいません」


(苺パフェの話をされても怖いです)


「相変わらず口の減らん男だな」

「無駄口を叩けるくらい落ち着いてきたんですよ」


マグカップに入ったコーヒーを一口し、「なら、サクッと謳わせて来い」と福村の低い声。通常なら目の細い白猫の絵が描かれたマグカップを見て「可愛いな」と思ってしまうのだが、この男の前ではそんな事を全く思う事ができない。


「犯行の内容、理由とか強盗に関してはこのまま起訴したって良いくらいには謳ってる。」

「ですが、犯行に使ったモノの話になるとだんまりですか。」

「…どうしても口を割りたくねえようだ。」


「調書を見た限りで突っついて無さそうな所を、突っ込んでいくしか無さそうですね。」

「おう」


選手が変わったからと言って、簡単に被疑者を謳わせる事ができるという保証は無い。しかし、この時の辰実には刑事の出方から相手に話をどう展開していくか秘策を用意していた。

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