スケベなニワトリ(その1)
(前回のあらすじ)
新東署生活安全課防犯対策係に異動となった黒沢辰実。同期の結婚式、その2次会を抜け出し1人でダイニングあずさで飲んでいた時に、同じく警察官であり家の手伝いで店番をしていた馬場梓から「商店街で強盗事件が多発している」と話を聞く。
店を出た矢先に事件に遭遇し、被疑者3名を制圧し現場を立ち去った辰実。後日出勤すれば課長の宮内から梓とコンビを組み事件の捜査をするよう指示を受ける。
それは先日辰実が遭遇した強盗事件に使用された発煙筒、その火薬の出処を調査する事であった。
__________
逮捕手続き、送致勾留の時間を使用し、警察は検察が事件を起訴するかしないかを決める判断材料を準備するというのが、事件捜査の流れとなる。
警察官は事件の被疑者を警察官が逮捕してから48時間以内に事件の概要と証拠を揃え、これを検察官に送致しなければならない。送致を受けた検察官は被疑者から聴取をした後、必要があれば10日の勾留期間(更に必要があれば追加で10日)を裁判所に求める事ができる。
勾留が認められた=開始されたのが昨日となると、本日を含めて9日以内に火薬の出処を発見するか聞き出すかをしなければならないのだ。
「調書を見てくれれば分かると思いますが、自分等が強盗を働いた事はちゃんと自白してくれてるのに発煙筒の事となるとどうも口を割らない。」
「余程、言いたくない事があるのでしょうか。」
「黒沢さんはどう思う?」と松島は話を振った。見た感じを見るに警察官としての経験も辰実よりあるように見えるが、自分よりも若い男に意見を求める謙虚な様子に話を聞き出せない事への悔しさと疲労が感じられる。
「何か取っ掛かりがあればと思うんだが…、上手く聴取できなくて申し訳ない。」
調書を松島に返すと、「そうでしょうか?」と辰実は答えた。自分の様子を見て気を遣っているのであれば申し訳ないと思ったが、このニュアンスは何か考えがあっての事だと松島の直感は自らに訴えかけた。
「松島さん、今から言う事を取調の時に気を付けて頂けませんか?」
「構いませんが、何に気を付ければ?」
「絶対に、立島事件というワードを出さないで下さい。」
立島事件と聞いて、松島に緊張が走る。当時の警察署にいなかったものの、23人が同じ場所でその日に殺害されたという凄惨な事件と言われれば、県警の1人である以上忘れる事のできない話であった。
「この調書ですが犯行に及んだ手口から各被疑者の役割分担、それにこの3人が立島事件で養父を殺害された事と、その養父との関係性まで事細かに録取されている。この3人が昨今どういった生活を送っているのかも詳しく書かれていますね。これだけ一度に聞くのは至難の業です。」
「そう言ってもらえるのは有難い。」
辰実と話をして、松島はどこか疲れが取れたようである。
「…しかし、何か取っ掛かりがあるのであれば先に黒沢さんが聴取をした方が良いと思うのだが。」
「先にこちらもやる事がありますのでお構いなく。」
一礼し、辰実は席を立つ。続く形で梓も後を追って2人は生活安全課へと戻ってきた。
*
「黒沢さん、やる事って?」
「これからのために、俺から馬場ちゃんに捜査の心構えをレクチャーしておく。」
3年間の交番勤務を経て、先日までの1年は警務課で勤務をしていた梓が本格的な事件捜査に携わるのは初めての事である。それが故に刑事の経験がある辰実とコンビを組む事になった。
2人が生活安全課にあるそれぞれのデスクに戻ったところで、辰実は梓にメモ用紙とペンを渡す。
「心構えと言っても、10分もあれば終わる話だ。今から俺が言うモノを描いてくれればそれで良い。」
簡単な絵を描いてもらうよ、と言われたところで梓の頭に浮かぶのはクエスチョンマーク。何分かで簡単な絵を描いてもらうだけで捜査の心構えを示す事ができるというのは余りにも突飛な話でしかない。
「それで、何を描けばいいんですか?」
梓がペンを右手に取ったところで、2人は宮内から呼び出されてしまう。
「発煙筒の事を調べないかん時にすまん、少年事件が入ってな。黒沢、馬場ちゃん連れて行ってきてくれへんか?」
「構いませんが、どんな事件で?」
「高校生のアベックがチャリ盗んだんや。こっち連れてきて男の方は黒沢が、女の方は馬場ちゃんが取り調べして欲しい。」
自転車を盗む事は刑法における窃盗罪(他人の財物を窃取した罪)にあたり、通常は刑事の畑となる。しかし被疑者が少年である場合、少年事件として生活安全課の取扱いになる。
内容を簡単に宮内から聞き、2人は捜査車両に乗り込んだ。
*
現場は若松商店街、新東署からは車で数分の距離にある。梓に運転を任せながら、助手席で辰実は署の自販機で買ってきた缶のコーラを飲みながらくつろいでいる。特段目が覚めたりするとか言う訳ではないのだが、これを飲まないと落ち着かないのが辰実であった。
「さっき気になった事があるんです。」
「どうぞ。」
「黒沢さん、どうして松島さんに立島事件の事を伏せるように言ったんですか?」
人の事をよく見てるな、と褒められると梓は少し恥ずかしくなってしまう。何か言おうとしたのをゲップに邪魔されたが、辰実は恥ずかしがる事もなく彼女の質問に答えた。
「あの事件の話は、被疑者に口を割らせる唯一のキーになる。」
「手掛かり、ですか。」
「君も調書を見たと思うが、どの被疑者も立島事件で養父を殺された事と、その事が伏せられている事について言及している。学費は奨学金でカバーできているしアルバイトもして十分に生活をする金はある。その点を考えたら強盗をする理由が他には見当たらない。」
勾留期間を設ける事には、捜査の過程で犯人の逃走を防ぐという名目も含まれている。発煙筒の件に関して誰か別の者が関わっている事については早々に見つけなければならないが、被疑者を確実に逃がさない方法についてはこの時点において辰実の中で確立していたと言っても良い。
「もうしつこいくらいに分かってると思うが、もっと問題なのは発煙筒の出処だな。」
「ここに別の人が噛んでるとしたら、火薬が他の犯罪に使われる事だってあるという可能性ですか?」
「そうなる。」
まずは強盗事件を起訴するために必要な材料を揃える事だろう。辰実にしても梓にしても、目先の事件を解決しなければ調査にも入る事が出来ないのが現状であった。
*
若松商店街、南側駐輪場。
現場には被害者と思われる大学生風の男女、そして制服を着た高校生風の男女。そして制服姿の警察官が2人、帯革と呼ばれる装備品用のベルトにカバーのされた拳銃、手錠、警棒を装着し鉄板を中に仕込んだベストを着用している。これは警察官に貸与される装備で、ポケットには無線機を入れる事ができる。
110番があれば初動にあたる地域警察官は、通常この装いと認識して良い。
「お待たせしましたー、生安です。」
お疲れ様です、と頭を下げる若い地域警察官。梓はこちらの警察官が高校生風の2人から聴取しているのに入る。
「お疲れ」
「お、辰ちゃん」
もう1人は辰実と同期の錦田健一。
「商店街の駐輪場、今あそこに2つ白いママチャリが置いてあるじゃない?戻ってきた時に丁度、制服の2人がそれに乗ってどこかへ行こうとしてたのを止めたって感じだね。…施錠はしてなかったみたい、先日俺が被害届を書いた自転車だからよく覚えているよ。」
乗って行かれる自転車の大半が無施錠である。「ちょっとだけなら」と言ってその場に置いて数十分程で用事を済ませて戻ってきたら自転車が無いなんてのは現場の警察官からすれば教官の怒号より見てきた可能性があった。…これも盗まれた自転車は別の場所で乗り捨てられている事があるのだが、そもそも盗まれる事が問題であるのだ。
(馬場ちゃん側の2人組がどう言ってるかだな。)
ここで、「自転車を盗みました」と自認すれば署に連れて行って話を聞く必要がある。しかし事件というモノは常に何が起こるかわからないので、辰実は一度深呼吸をし頭の中を真っ新にした。
「そっちはどう言ってる?」
「自分達の自転車が乗り捨てられてると思って乗ったら、いきなり声をかけられたと。自転車については、被害届が出てると。」
(…確認すれば分かる事だな。)
辰実は、梓と一緒に聴取をしていた制服の若い警察官に声をかける。ちょうど、高校生風の男女2人が「商店街にある交番から来たお巡りさんに対応してもらいました」と説明していたところだった。
「今日、相談員さんは来てるか?」
「来てます。」
「なら交番に連絡を入れてくれ。この2人の名前で被害届が出てるかと、もし出てたなら自転車の特徴を教えてほしいと。」
了解、と返事し若い制服の警察官は取り出した公用携帯で交番に連絡を入れていた。辰実は梓に、「分かったら教えてくれ」と言い錦田の方に戻る。こちらの状況は芳しくなく、女性の方が自分の自転車を勝手に乗って行かれそうになった事に対して怒り心頭に発していた。
「ちょっとお巡りさん、どうしてすぐ逮捕しないんですか?」
女性の方を落ち着かせようと言葉を選んでいる錦田の側に、辰実が割って入る。相手が興奮していればこちらも心を乱しそうになるのだが、警察学校から常に「人は鏡。自分が焦れば相手も焦る。」という言葉を刷り込まれてきた1人である辰実は、落ち着いて話をしようとしている錦田に(必要無いとは思われるが)助け舟を出す。
どこで言葉を挟むか様子を見ている辰実に、「2人の名前で被害届が出てました。白色のママチャリです。」と書かれたメモを梓に見せられたのが合図となる。
「あっちの2人は、自分達の自転車だと思って乗ったと言ってたでしょう。」
「でも勝手に人の自転車に乗っていったんですよ?」
「双方の意見が食い違ってる今、どの意見に対してもしっかり真偽を見極めなければなりません。…判断までもう少しお時間を頂く事になります。」
冷静な辰実の様子に、女性もフェードアウトした。
「さて、馬場ちゃんならどうする?」
「若松商店街は自転車の乗り捨てが多いですので、別の場所にある駐輪場も見てきてから考えたいです。」
辰実は高校生風の男女に「この辺で商店街に自転車で来る中高生は多いのかな?」と訊くと、「汽車で駅まで来てる人とかが、若松商店街までのお金を浮かせたくて自転車に乗ってるのはあるかも。」と女子が答えた。
「駅前から若松まで自転車漕ぐと、思ったより疲れるんです。」
駅前と言われれば、県民にとっては市内の中心にある場所の事を指す。通報者2名を錦田に任せ待機してもらい、辰実と梓は制服1名と高校生風の男女を連れて商店街の別の駐輪場を確認する事にした。
結果、別の駐輪場で2人の自転車を発見する。
辰実は待機してもらっていた錦田に、「自転車が見つかった」と連絡を入れた。錦田はすぐさま通報者の2人にそれを連絡し、続けて高校生風の男女が謝りたがっていると伝えると「大丈夫ですよ、自転車が盗まれたとは知らなかったですし。見つかって良かったです。」と言って通報者は去って行く。
『おう、宮内や。』
「黒沢です。自転車泥棒の件ですが、事件ではありません。」
『ん?それはどういう事や?』
「少年少女が自分達の自転車と間違えたようです。」
『詳しくは署で聞こか。…そろそろ、松島の奴が取調を終える頃やで。』
間に合って良かったです、と辰実は答え捜査車両に乗り込んだ。宮内に「ではすぐ戻ります」と言うのより先に、梓は運転席でアクセルを回してサイドブレーキを上げレバーをⅮの位置に動かす。
「一方の話を鵜呑みにせず現場判断ができる、やるじゃないか馬場ちゃん。」
「ありがとうございます。」
(嬉しいけど、面と向かって言われると恥ずかしいな…)
辰実から目を逸らすように、梓は車の進行方向をじっと見ていた。安全運転の後、数分で署に到着する。
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