コンビ結成(その2)


 *


19時、陽も落ちて商店街を離れれば1日の終わりを感じてしまう。辰実が若松町の分譲地とともに購入した1戸建てに住み始めたのは1週間前の事、商店街からは歩いて10数分の距離にある。


できたての団地は、川の向こうで走る車の呼吸音が聞こえるくらいに静かであった。


「ただいまー」


2次会あたりで何か口にするだろうから、晩はいらないと辰実は言っていた。そんな事を言った時に限って家のご飯が食べたくなってしまう。


玄関で靴を脱いでスリッパを履いた辰実をまず迎えたのは、ラグドールのさくら。グレーの八割れに青い目をした女の子もようやく1歳が来る。入る準備ができたなら、案内のさくらに連れられリビングへ。


「お帰りなさい」


キッチンで洗い物をしていた妻の愛結(あゆ)は、ダイニングテーブルに置いていた雑誌の続きを読み始める。冷蔵庫から缶のコーラを取り出した辰実は、彼女の正面に座った。


波がかかった栗色の長い髪に、惹き込まれるように青くつぶらな瞳。青以外の色を消した海底の誘惑が、見る者全てを魅了してやまないくらいに彼女は美しい。身長は168cmと辰実より5cm低く、掌に収まりきらない豊満なバストが思わず目を惹く。


「お風呂入ってからご飯食べて、もう寝ちゃったみたい」

「チビ達は寝るのが早いな」


リビングに置いているテレビと向き合うように置いてあるソファー、長女の希実(のぞみ)と次女の愛奈(あいな)が頭をくっつけるようにして眠っている。一卵性の双子は小さい頃の愛結とよく似ていた。


「仕事は、明後日から?」

「ああ。だから明日は買い物にでも行こう。」

「いいの?明日から新しい署だし、ゆっくり休んでもいいのよ?」

「せっかくの日曜日なんだ、チビ達もたまには外に連れて行ってあげないと。」


ありがとう、と愛結に言われる。ぶっきらぼうな辰実とは反対に笑顔の多い妻であった。缶のコーラを飲み終わった辰実は、流しの水で缶の中をゆすいで空いた所に置く。


「最近、若松の商店街に泥棒が出るんだって。」

「帰りに寄った居酒屋の人からも聞いたな。…確か、いきなり店先で煙が上がったと思ったら商品が盗まれてるっていう。」

「辰実の異動先が管轄の事件でしょ。赴任早々、大変じゃない?」


上背を屈め、心配した様子で辰実の目を覗き込む愛結に「大丈夫だろう」と何食わぬ顔で辰実は答えた。



 *


「よう来てくれた。お前に会えるんを楽しみにしとったぞ。」


T島県警新東署生活安全課。一番奥のデスクに座っている色黒で五分刈りに恰幅の良い男は、「禁煙」とマジックで書かれた貼り紙が後ろにあるのも無視して火のついた煙草を片手に挨拶をくれる。生活安全課長の宮内善治(みやうちぜんじ)、厳つい見た目から発せられる関西弁が一筋縄ではいかない男を演じた。


前任者からの引継ぎは済んでいるが、辰実と宮内は初対面になる。


「鳴間署の刑事一課から異動になりました、黒沢です。」

「すまんかったのう、引継ぎに来てくれた時はワシ出張やってん。」


「大丈夫です」と辰実は答える。丁寧なのに愛想悪く見えるのは、辰実のいつもの表情のせいでしかない。


「…お前、部下を持った事は?」

「ありません。」

「せやけどもう巡査部長や、今日からは部下を持ってもらうぞ。」


地方署で階級が巡査部長となれば、役職で言えば主任の扱いになる。交番に出れば警察学校を卒業したての新人を指導する立場にはなるし、捜査の現場では基本的に中堅となって動くことになる。


「黒沢の助手みたいなモンやと思ってくれ。」

「分かりました。」


交番勤務の時に後輩はいたが、それ以降辰実の下に人が就く事が初めてであった。昨今、何かにつけてハラスメントになる時代において下に誰かがいる事はそれだけ慎重に仕事をしなければならないという事であるのだ。


「こっちや」と宮内が合図を送ると、席に座っていた女の子が立って2人の近くまでやってくる。グレーのジャケットにタイトスカート、紫のカッターシャツを着ている彼女を「先日くらいにどこかで見たような気がする」と思ったのは彼女の切れ長気味の両目ではなく黒髪団子頭を見てであった。


「この前まで隣町の交番におった馬場ちゃんや。うちの管轄、特に若松商店街の事情には誰よりも詳しい。上手いことやったってくれ。」

「馬場です、よろしくお願いします。」


結婚式の2次会を抜け出して入った居酒屋で店番をしていた女の子である。馬場梓が警察官だと分かったその瞬間に、辰実の中で何かがストンとはまった。


「黒沢です、よろしく。」


崩さない不愛想の辰実に対し、梓は若干驚いている様子。


「ん?…馬場ちゃん、何かあったか?」

「一昨日、店番をしていた時に来てくれた方でした。」

「顔見知りか。とまあ、そんな話は後や。」


右手の指に挟んでいた煙草の火を、灰皿でもみ消す宮内。


「早速、2人には捜査に入ってもらうぞ。」


辰実と梓は、ホチキス止めされた紙を渡される。「強盗事件に関して、今のところ分かっとる範囲の事をまとめてあるで」と説明を受けながら、辰実は眉をしかめて資料を1枚1枚めくっていく。


被疑者3名が商品を漁り、盗む際に発煙筒を投げ煙が上がったところで逃走する事件。商品を盗むという行為だけ見れば窃盗罪と考えられるが、発煙筒を投げるという行為が相手の犯行を抑止するためにとった暴行であることは十分に考えられる。よって暴行を用いて他人の財物を窃取するという強盗罪が成立するのだ。


(確かに、窃盗か強盗かと言われれば強盗にあたる。)


ダイニングあずさで話をした時既に、辰実は梓の事を警察官ではないかと推測していた。刑法に記載されている犯罪の構成要件を理解していなければ窃盗と考えてもおかしくはないのだが(愛結は泥棒と表現していた)、火器を投げる行為が暴行に該当すると考えられるのが分かっているとなれば、そうであってもおかしくはない。


「防犯対策係に調べてもらいたいんは、この一連の事件で使われた発煙筒と火薬の出処や。」


課によって扱う範囲は異なる。主に刑事課であれば刑法犯(犯罪によって一課とか二課とかついたりする)の範囲を扱い、交通課であれば道路交通法の範囲を扱う。生活安全課はその2つに該当しない特別法をはじめ幅広い範囲を担っている(刑法犯でも少年事件やDV等は生活安全課の扱いになるのは余談)。


「これは知らんかったら知らんでええんやけどな。」

「…何でしょう?」


粗方、資料に目を通し終えた辰実が顔を上げる。


「強盗の現場で煙が上がった時に、その場から逃げていったスーツ姿の男がおったんや。…被り物をしとったから、そいつの顔は分からん。」


(疑ったらあかんのやけど、その男と同じスーツを着とるんやお前。)


「俺です。」

「ほんまか!?」


あまりにも素直に返ってきた回答に、宮内は驚いた。資料に目を通していた梓も、思わず宮内の方を見てしまい書類作業をしていた他の警察官達も思わず手を止めてしまう。


「急に煙が上がったのを見ましたので。近くに人もいましたし、煙に巻き込まれた人もいたから何とかしないとと思って飛び込んだんですよ。中でもみくちゃにされましたけどね。」

「そのもみくちゃの中、よう3人制圧できたな。」

「飲んだ後でしたし、酔拳でも発動したんでしょう。」


大したモンや、と笑う宮内の横で内線がなる。面倒そうに受話器を取った宮内は二言三言「おう」と言って電話を終えた。



「被疑者の取調が終わったそうや。」

「…でしたら何か分かった事があるか聞きに行ってきます。」

「ほな頼む、松島っちゅう奴や。」


 *


刑事一課。先程取調べを終えた松島豊(まつしまゆたか)は、難航している取調にため息をついた。精悍な顔をしたスーツ姿の男だが、どうしてかフォーマルが崩れてしまったように見える。


強盗事件の被疑者を交番の警察官が現行犯逮捕し、犯行の状況と動機については聴取し現場証拠とも合わせて昨日のうちに検察官に送致する事はできた。請求が通ってまずは与えられた10日間で特に明らかにしていなかければならないのは、被疑者が使用した発煙筒の入手経路であった。



「すいませーん、生安の黒沢ですー。」

「同じく馬場ですー。」


生安が?と眉をしかめる松島。生活安全課員だと言う2人は仏頂面の男性と、緊張しながら刑事一課に入ってきた女性のコンビ。「松島さんはどちらに?」と入口すぐのデスクに座っている若い男に聞いていたので、ここだと手を挙げて反応した時にその答えが浮かび上がる。


デスクで2人を立たせて話をするのもしのびないと思い、挨拶を交わした後に部屋の応接スペースを勧めた。気づいた若い刑事が、2人と松島に急いで麦茶を用意する。


「火薬の出処ですか?」

「その通りです。こちらで捜査する事ではありますが、何か分かっている事があればと思いまして。」


そう言われると、松島は申し訳ないとしか言いようが無い。真面目な男であった。


「証拠品の発煙筒は、どこかで売っているようなものでは無かったです。聞いてもあやふやにされましたが、恐らく被疑者3人ではなく誰か別の奴が用意したものかと。」

「でしたら、急がなければいけませんね。」


勾留機関はひとまず10日と言えど、もうカウントダウンが始まっている。そして時間を与えれば与える程、事件の根本的な解決からは遠ざかってしまう。犯人に時間を与えれば、それだけ証拠隠滅や逃走の可能性を与えてしまうのだ。


梓の視点からは、淡々と話を進めていく辰実の姿が横に映る。


「実行犯の口を割らせるのが、一番手っ取り早いですがね。」

「…ええ、何か取っ掛かりでもあれば。」


辰実と梓は、強盗を現行犯逮捕した際に松島が録取した被疑者の取調調書に目を通しながら話をしている。そこには被疑者の身上(生い立ちや生活の状況等)が書かれていた。


「その取っ掛かりですが、何とかなるかもしれません。」

「黒沢さん、それは本当か!?」


驚いて、松島は上背を前のめりにしてしまう。

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