コンビ結成(その1)

数秒、ラミネート加工された1枚もののメニュー表を眺めた後、ぶっきらぼうな客の男は丁寧な口調で梓を呼ぶ。


「すいません、注文いいですか?」

「はーい」


色合いがいいな、と梓は彼の注文を聞いてて思う。だし巻き玉子や鶏のから揚げはさておき、あまり注文されない一品である烏賊とアスパラの串焼きが注文された事が嬉しかったのかもしれない。


先に出したコークハイを半分無理矢理のように飲んで、客の男はテレビで男が熱弁する様子から目を離した。ようやっと凄惨な事件の話からバラエティの話題に戻る。


冷蔵庫で冷やしていたジョッキにコークハイを準備し手早く渡すと、お通しをゆっくりつまみながら客の男はそれを味わっていた。すぐ前まで凄惨な事件に人並ならぬ暗い様子を見せていた男と同じとは思えない。


串焼きができるまで時間はかかるが、その前に手早く鶏のから揚げとだし巻き玉子を作り、「お待たせしました」と一言つけてカウンターに届ける。


「今日は、お仕事帰りですか?」

「同期の結婚式に行ってたんですよ。」


警察官が参加する結婚式は大騒ぎになるという。更に2次会となれば激しさは増していくばかりで、本日は同期の新郎側で出席していた黒沢辰実も例に漏れないその光景を目の当たりにしていた。


「…もうそんな、大学生の時みたいにバカ騒ぎするような歳でもないでしょうと。披露宴で騒いで、2次会で輪をかけて騒がしいとなると疲れてしまって。でも飲み足りないなと思って、家に帰る前にひっかけてこうかと。」


もう中身が3分の1だけになったジョッキを置いた辰実の左手、薬指にはまった指輪を見つけた梓。カウンター照明の居酒屋で、主張しすぎないくらいに輝いたプラチナが美しい。


西洋の両刃剣を思わせるエッジラインに、ねじったように見える意匠が、辰実の事を落ち着いた様子なだけの男に思わせなかった。


「だったらうちは、良い所かもしれません。お客さんのように1人で来られる人も少なくないですし、カウンター席しかないですから騒ぐ程の人数来ないんですよ。」


大粒のから揚げを口にしながら、辰実は相槌を打つ。きつね色の原石を思わせる衣は歯ごたえがあり、嚙むたびに鶏もも肉に収まりきらなかった甘辛い出汁の味がする。そんな衣と、中まで火が通った肉の弾力とのギャップが咀嚼と箸を急かした。


物腰軟らかな口調に反して、辰実の酒のペースは速い。


「タクシーの手配もできますので、遠慮なく言って下さい。」

「家から近いですし、歩いて帰りますよ。」


そんな事を言っている辰実は、もう2杯目を空にしている。



「串焼き、お待たせしました。」


時間をおいて現れた烏賊とアスパラの串焼き。鰹出汁にまろやかな玉子の軟らかさを堪能したところで、次はそれを口にする。塩でまとめられた烏賊の弾力ある食感にアスパラの苦い風味がよく合う。


3杯目のコークハイで、塩味を胃に流し込んだ。


20分くらい経っただろうか、店内にはいっこうに客が来ない。梓の接客態度や料理には何の問題も無いとは思うが、これは何か原因があるのだろうと辰実は推測してしまった。


「土曜日の夜ですけど、商店街も落ち着いてますね。」


言葉を選んだつもりではあったが、もっと言葉を選んでおけばと辰実は後悔する。疑問を感じるのは悪い事では無かったが、だから素直に口にして良いのかはまた別物。何か事情があって言われたくない事があるというのは、梓が何か言いにくそうな様子をしているので分かる。


「実は最近、商店街で強盗事件が多発してまして。」

「強盗事件…」


あまり大きな声では言えないんですけど、と梓は一言置く。


「変な話なんですけど、ここ2か月くらいで何日かに1回のペースであるんです。お店でいきなり煙が上がって、煙が消えた時にはもう商品が盗まれているみたいで。」


強盗…、と辰実は梓の言葉を反芻する。


(タタキ、と言われればタタキだな。)


「そんな事が続けば、商店街に行って巻き込まれるのが怖いって人も出てくるでしょうね。」


3杯目のハイボールを飲み干すと、辰実は財布を取り出し勘定の準備をする。梓は伝票に計算されていた金額を伝え、1万円札を受け取って釣銭を手渡した。


「ありがとうございました。」

「ごちそうさまでした。…早く、解決するといいですね。」


それだけ言って、ぶっきらぼうな顔をした男は店を出る。6時30分を過ぎた若松商店街、ガラス張りの屋根からは薄暗くなっていく空が見えた。


シャッターが至る所で下りていた商店街を、市の行政が復興する計画を立てたのは10年前。商店街には活気が戻ってきたと聞いてはいたが、強盗が頻発しているせいかぽつぽつと人が歩いている光景しか見えない。


帰る前に寄り道しても良いと思ったが、折角の休日に家族を置いてずっと出掛ける訳にもいかないと思い、辰実は家に帰る事を選択する。


…そんな辰実の視界の先、煙が上がっている光景。


(まさか)


驚く暇もなく、彼は無意識にその方向へと駆ける。


通りに1つまみ振りかけたくらいの通行人には目もくれず一直線。さすがに近くの通行人は気づいたのか、煙の出ている所を指さして何かを言っていたりスマートフォンを取り出して撮影をしている者もいる。何かを燃やしているような煙ではない白煙が数か所、店の入り口を覆いつくす。


スマートフォンで煙の上がっている様子を撮影している男の後ろから、辰実は煙の中に飛び込む。煙は通りを埋め尽くすくらいに拡がっている。


白煙で見えづらい視界、うっすらと見える体をめがけて肩をぶつけた。


「いった!」

「おい何だ!?」


正面から飛んでくる右拳。焦る事なく左手で捌き、右手で相手の右手首を掴み脇固め。固める瞬間に右膝で腹を蹴ると、男の呻き声が聞こえる。荷物の入ったリュックが辰実に向けて振り下ろされると、その手を受け止めた辰実は一本背負いで2人目を地面に叩きつけた。


(煙が晴れる前に脱出しないと)


おそらく、飛び込む前よりも野次馬がいるだろう。事件を知って近くの交番から警察官だって来る。脱出する前に何か顔を隠すモノがないかと思った辰実は、スーツの上着のポケットに辛うじて収まっていた何かに気づいた。



 *


「警察です!道を開けて!」


商店街にある交番から警察官2名が駆け付けたのは、辰実が煙から脱出して数分経ってから。煙はまだ残っているが店の状態は分かるくらいに視界が晴れており、リュックを背負った男1人と近くに男2人、計3人がうずくまって倒れている状況が目に映る。


「誰か映像撮ってる人はいませんか?」


野次馬が何人かいれば、煙が上がった後の状況を撮影している者もいるだろう。警察官2名のうち、1人はうずくまっている男達から聴取を始め、もう1人は野次馬が撮影していた動画を確認する。


撮影するぐらいなら犯人を取り押さえるくらい行ってくれ、と怒りたくなるが事件の証拠を確保している。交番勤務の警察官は堪え丁寧な口調で聴取、動画を確認しながら署に無線を送る。


「若松2から、新東」

『新東です、どうぞ』

「上がった煙の中で何があったかは目撃無しですが、現場から被り物をした男が1人逃走しています、どうぞ」

『男と犯行の関係性分かれば一報せよ』


エジプト神話に出てくるアヌビス神、その被り物をしたスーツ姿の男。彼はこれをどう報告すれば良いのか悩んだ。それよりも先に動画を撮影していた10代後半の女の子に動画のデータを提出するよう話をし、証拠を確保。


説明よりも、観れば分かる。証拠提出の際に、何枚か書かねばならない書類がある事は勿論説明はしたが。

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