第十七話『俺と私の再創造』
魔鉄の天井に、深紅の閃光が奔る。ついで、それを塗り替えるように銀の輝き。飛び散る火花は金の色。荒れ狂う風は焦げた黒。
振り下ろされた炎の腕と、打ち出した水銀の刃が接触。
つんざくような激突の音色を置き去りにして、神凪雄二は地面を蹴った。魔鉄の加護が強化した脚力を活かして、巨人の背後へ回り込む。
「東子!」
「ん」
呼びかければ、相棒の力強い返答。かざした腕、開いた掌の先に、『再世の髄液』が渦を巻く。
集った水流は、銀色の輝きを強く増していく。天井に備え付けられた魔鉄ランプの灯とも、目の前の巨人の炎の揺らめきとも違う、
その存在質量は、これまでに生み出してきた水銀の奔流とは比較にならない。手触りも、腕に伝わる重みも、振り抜いた際の切断力も、全てが段違い――本物と同等の価値を持つ。
この能力を使うのは久しぶりだ。使う必要がなかった、と言った方がいいかもしれない。多くの敵は、無詠唱鉄脈術のままで討伐することができていたから。
だが、今回ばかりはそうも行かない。白色の狼をその内に取り込んだ炎の偉丈夫は、本気を出さないと倒せない。火を見るより明らかだ。
鉄脈術、『天地再世、汝国創りの神為れば』。
振鉄位階に座するこの術には、雄二のOWから抽出された、大別して三種類の力が込められている。
ひとつめの構成要素『融解』は、水銀めいた仮想物質――『再世の髄液』を展開する力。
ふたつめの構成要素『侵食』は、その『髄液』に触れた対象を分解していく力。工場での戦闘に使った機能はこれだ。あのとき東子が行った高度な索敵も、この権能に端を発する。
そして有詠唱の際にのみ目を覚ます、第三の能力。それこそが、この鉄脈術の真髄。
「であぁッ!」
「はぁあッ!」
『見えているぞ、兄弟!』
東子と共に銀剣の柄を握ると、大上段から振り下ろす。燐光を引く一撃は、素早く振り返った巨人の腕に受け止められた。
太陽フレアを思わす表面の炎が、刃にまとわりついて行く。自らを切り裂こうとした刃を、逆に溶かしてしまおう、という魂胆だろう。
甘い。
雄二は内心で笑みを浮かべると、銀剣をそっと押し出した。
途端、周囲の炎が、
『何ッ!?』
「断たせてもらうぞ!」
『チィッ……!』
ガルムの舌打ちを合図に、刃を受け止めていた前腕の半ばから、血を思わすマグマが噴き出した。直後、骨を切るような重い衝撃と共に、巨人の腕が両断される。
巨体に見合わぬ身のこなしで、ガルムの巨人がバックステップ。流石にジャンプ力が違う。一気に壁の反対側まで移動されてしまった。
開かれた距離を即座に詰めるのは難しい。流石に部位破壊をするほどの一撃だ。こちらも体勢を崩しているし、
とはいえ、隙が出来ているのは確か。向こうが調子を取り戻す前に叩かなければ。雄二が長剣の柄を離すと、東子がそれを『髄液』の渦に還してくれた。相棒に一言礼を言うと、質量を増した銀の液体を動かす。
リバース・リングの効果を使って浮遊。地面を滑るようにして、巨人のそばから離脱。
『面白れぇ芸当じゃねぇか。何をした』
「そう簡単に手の内を明かすわけねーだろ……と言いたい所だけど、俺が言わなくても辿りつきそうだしな、お前」
ぼたぼたとマグマの血を落としながら問うガルムに、雄二は一応の種明かしをする。
「『再創造』だよ。『侵食』したものを自分の術に取り込んで、水銀の質量を増やす――俺たちのとっておきだ。鉄脈術にはよく効くし」
『確かにな。こいつは厄介だ』
ククク、と重い笑い声が帰ってきた。傷こそ負わせたものの、まだまだ余裕と見える。油断は禁物。取りあえず、隙を作るためにも会話を続けよう。
「もともとそういう技なんだよ。吐き出した水銀を束ねて、形を変え、操る術。在り方自体を再創造する、そういうイメージの具現化が俺たちの鉄脈術だ」
『便利なもんじゃねぇか。オレも使いたいくらいだぜ』
「お前の鉄脈術なら案外、『形を変える』ところまではできちまうんじゃねぇか? 少なくともこの戦いの間はやめてほしいけど」
『なら全力で習得させてもらおう』
なんだ、意外と話の分かる奴だな、なんてことを、今更になって思う。不倶戴天の敵。街を脅かす極悪人。それは動かぬ道理だけれど……ガルムが、そして自分自身が口にしたように、この男と雄二はよく似通っているのだ。たどった道が異なれば、相手と同じような『今』を過ごしていたかもしれない、そういう存在。
バトルジャンキーの自覚はないが、奇妙な高揚感を覚えてくる。いかんいかん、これではガルムとまるきり同じ、戦いに悦びを見出すタイプの人間に仲間入りしてしまう――。
「いつまで喋ってるのよ。簡単に手の内を明かさない、って言ったのはあなたでしょ、馬鹿雄二」
「敵が相手でも語りたいときってのがあるんだよ、男には。俺とお前の鉄脈術だしな……自慢話のひとつもしたくなるっつーの」
「……そう言っておけば喜ぶと思ってる?」
「俺は喜ぶ」
「馬鹿。やっぱり馬鹿。開き直り過ぎ」
「二回言うのは酷くない?」
真っ赤になってそっぽを向く東子に文句を飛ばせば、冷たい瞳で睨み返されてしまった。美しいクリアシルバーの奥に、冗談で人を殺せそうな極寒の風景が見える。おおこわ。
とはいえ、冷静さは取り戻してきた。相棒のことだから、ここまで狙っていたのかもしれない。
その証拠に、東子は目つきこそ鋭いままなれど、もう凍てつくような光を宿してはいなかった。
「……さっさと次に行く!」
「了解っと!」
背後で『再世の髄液』が炸裂する。銃器の
放物線の最中、『髄液』が再び弾ける。それから、もう一度。炸裂の度に加速が掛かり、鋭角的なターンと共に巨人へ踊りかかったそのときには、最早イメージの通り、銃弾と言っても過言ではない速度に達していた。
「ぜぇぁッ!!」
振り抜いた拳に激流の籠手。ヒットと同時に破裂し、水流を叩き込む一撃だ。かつてロボットめいた鋼の巨人に打ち出したそれと同じものだが、有詠唱を解き放った今、打ちこめる威力は二倍近い。当たれば身の丈四メートルの巨人とは言え、膝をついてしまうだろう。
さらに有詠唱状態の今、相手と『髄液』を接触させることは大きな意味を持つ。
鉄脈術によって形成された灼熱の鎧を喰らい、こちらの攻撃力を際限なく上げていく――反比例のグラフを描く勝利の方程式を、最も確実に導けるのがこの技なのだ。
『読めているッ!』
無論、当たればの話だが。
ガルムの巨人は防御の代わりに、わずかに身体を傾けた。雄二の拳とガルムの胴が交錯。いつの間にか背後に回られている。この男、最小限度の動きで、回避から反撃までをつなげてみせた……流石のバトルセンスに舌を巻かざるを得ない。
軸足を組み替える。裏拳を打ち出すような構えをとると、生成した銀剣をぐるりと振るう。燐光を引きながら走る剣閃――狙うのは、巨人の紅い頸。マグマを思わす大動脈。
この間、僅か一秒。
魔鉄の加護が導く高速戦闘は、大気を穿つ鋭い音と、置き去りにされた光を残し、常人では認識さえできない領域に達しようとしていた。
『遅いぞ兄弟!』
それでもまだ、ガルムの身体を捉えられない。向こうの瞳には、逆にこちらの動きが見えているのだ。
伸ばした刃を躱すように身をかがめ、返す動きで巨人は強く大地を蹴る。陽炎を残してその姿が掻き消えた。
速い。どこだ。強化した五感で周囲を探るが、それらしき気配が見当たらない。まさかテレポートの類か。東子をさらったときにも使った、あの奇妙な転移術かもしれない。
だとしたら逃げられた? いや、ガルムの性格的に、この状況で逃げることはあり得ない。確実に決着を付けに来るはず。ということは向こうの狙いは不意打ちで――。
「雄二、後ろ!」
「そこか!?」
自分と相棒を囲むリバース・リングを、弾くように拡大。背後から重い感触と、鈍い呻き声が帰ってくる。当たった!
振り向きざまに刃を飛ばせば、斬り落とされた腕から義腕のごとく伸びばされた、炎の剣と鍔ぜり合う。どちらも実体がない――それどころか、物質界の存在ですらないはずなのに、熱と火花、金属音、そして剣の重みが伝わってくる。
目の前の顔――道化師の面めいた巨人のフェイス・アーマーが、にやり、と獰猛な笑みを浮かべた。
『反応速度が上がっているな。戦いの最中で集中力が増すとは……やっぱりテメェは最高だよ、兄弟。魔女にうつつを抜かす性格じゃなければもっと良かった』
「そうかよ。んじゃ、その差が俺たちの間の決定的な壁だな」
『クク、違いねぇ』
「というか今更そんなこと言ってんじゃねぇよ。この話さっきもしたじゃん。戦う前に叫んだのなんだったんだ全く。ただ恥ずかしかっただけじゃねーか」
ギャリィッ! 仮想の鋼が擦れる甲高い音色。ひときわ大きな火花を飛ばして、二振りの剣は弾かれ合う。雄二は銀剣を束ねると、再びそこに再創造をかける。今度は、ルートヴィーゲの腰に吊られたそれを思わす、湾曲した刀身の両手剣。要するに『刀』だ。
より斬撃に特化した形で、雄二はガルムに踊りかかる。フランベルジュめいた脈打つ炎の刀身が、先ほどと同じく攻撃を受け止めてきた。また、火花を伴い距離があく。
幾号と打ち合いながら、雄二は戦況に思考を巡らせる。
ガルムの胴には、継続的にマグマをこぼし続ける、巨大な刃創がついていた。リバース・リングをぶつけた時のものだ。付着した『髄液』が、質量を増しては焼かれ、質量を増しては焼かれ……その繰り返しのせいで、傷が癒えていないのである。
効いているのだ、一応。
これまで雄二の攻撃を、回避よりも防御を優先して受けていたガルムが、わざわざ速度戦に臨んでいる――それは『天地再世、汝国創りの神為れば』がもたらす侵食と再創造は、太陽の巨人にとって十分な脅威だということを意味している。
だがそれだけでは、ガルム・ヴァナルガンドを倒すには足りない。
この男を地に臥せさせて、奴の価値観を『再創造』するには、あとひと押しが不足しているのだ。
――そしてそれは、雄二にとっては預かり知らぬことではあるが、ガルムにとっても同じであった。
ガルムの纏う炎の装甲、レーヴァテインの巨人たる『スルト』は、神凪雄二・天孫東子ペアに対して、『体格差』という圧倒的なアドバンテージを持つ。雄二たちの素早さを考慮すれば、一見して不利に見えるこの要素。しかし『スルト』の持つ、陽炎による短距離ワープや、熱量操作による運動性能の文字通り爆発的な上昇を考慮すれば、俊敏さはガルムの方が上。となれば、サイズ差から繰り出される質量攻撃こそ、仇敵に対する最も有効な攻撃方法といえよう。
だが、極東の小さな製鉄師たちは、こちらの身体を溶かす奇怪な水流を使ってくる。流石のガルムと炎の巨人像でも、あれを防ぐ術を持ち合わせていない。いくら燃やしても燃やしても、その炎を喰らって範囲を拡大してくるのだ。
これまで何度も、こちらの戦力を読み違える敵と出逢ってきた。一見して丸腰、魔女に至っては人形かと思えるような自分たちは、振鉄位階の製鉄師だと、外見から見破られにくい。だから油断した敵を刈り取る、そういう展開に持ち込めることも多々あったものだ。
雄二と東子も、最初のほうは油断していたと思う。実際、有詠唱を見せたとき、彼らはなにひとつ対応できていなかった。
だから油断していたのだ。それを誤魔化すことはもう、ガルムにはできない。魔鉄犯罪者、テロリスト、と蔑まれる以前に、マギ傭兵国が生み出した『戦士』であるガルムの、プライドがそうさせない。戦力を見誤っていたのは、こちらも同じであったらしい、と認めざるを得ないのだ。
侵食と融解、そして再創造。
破壊と再生、世界の誕生原理を司るイメージが、まさか弱いわけがない。水銀一つでそれを引き起こせると来たら、文句の付け所すらないだろう。
まったく、随分と性格の悪い鉄脈術だ。
いったいどれほど強烈なイメージがあれば、あんな術が顕現するのだろう。
目を閉じればいつでも思い返せる、地獄の炎に囲まれた、OWがあったころの景色――あれを超える、本物の『地獄』を、黒髪の少年は受け止め続けてきた、というのか。
どうしてそんなことができたのだろう、と、素直に疑問を懐いた。
そして直後に、その問いを氷解させることになった。
太陽の巨人として己と溶け合い、この鉄脈術を維持しているヘレナ・レイス。彼女のことを思えば、雄二がどうして、融解のイメージに耐えてこられたのか、その理由がすぐ分かる。
きっと自分は、決着をつける前から負けていたのだと、ガルム・ヴァナルガンドは理解した。だってそうだろう、出発点が、懐いた感情が似通っているのなら、辿りつく答えに正解は一つだけ。コインの裏表はあり得ても、二枚のコインはあり得ない。同じ『答え』が方向性を変えることはあっても、違う答えにはなり得ないのだ。
少女の笑顔に意味を与えたかった。
神凪雄二は、あの崩れ落ちる世界の中、「生きてる」と告げたときの、天孫東子の泣き笑いを、安心しきったような心からの笑顔を守るために。
ガルム・ヴァナルガンドは、誰からも必要とされなかった、ヘレナ・レイスの笑顔を、誰かが……いいや、
だからガルムも。
もちろん、雄二も。
理解していた。この戦いを決着させるのは、技術を結集した小競り合いなどではなく――お互いのイメージを、想いを、全て込めた、最大の一撃になるだろう、と。
「東子」
「……次で決まるのね?」
「いいや、次で
「ん」
返ってくる答えの短さとは裏腹に、東子の操れる水銀の規模が拡大する。水流の動きが変わった。ひとつひとつを正確に、緻密に、相棒が操作するようになったからだ。
今ならどんなに複雑なイメージでも、『再世の髄液』はたちどころに再現してくれるだろう。そんな確信と共に、雄二が伝えるイメージは一つ。
槍だ。
穂先がヘラのように、少しだけ平らなかたちをした、長い槍。水面に突き刺し、かき混ぜるのに適した形。
大昔、天孫家のお屋敷で見た、この国の神話。一部は実際に皇国の歴史ともかかわるというそれによれば、日本列島は槍によって混沌の
雄二が銀色の槍の柄を握れば、そっと添えられるのは東子の小さな手。
創世神話の一ページの様に、創世の槍を携えて――二人は、物質界という水面に、そっと、切れ込みを入れた。
ガルムの巨人もまた、切り裂かれていないほうの腕に、巨大な火柱を握っていた。太陽フレアの具現化。あるいは、世界を滅ぼす火山の咆哮。どちらとも解釈できる灼熱の剣で、
『決着だ、兄弟!! 勝つのはオレと――俺の示す、価値だ!!』
「いいや、俺たちだ! 俺たちの創る明日が……お前に勝つ!!」
東子と二人で、槍を突き出す。
振り下ろされた太陽剣の刀身と、平べったい穂先が接触した。
途端に、世界そのものが水銀の海であるかのごとく、雄二と東子、そしてガルムを隔てる境界線が、激しく波打った。
霊質界が啼く。
まるで共鳴するかのように――あるいは、歌うように。
魔女の鉄脈という、
「私の全てはあなたの為に。あなたの創る明日の為に。《
その詩を、東子が締めくくる。さながら物語に、『つづく』のエンドマークを打つように。
「『
湖面に浮かぶ月のように。物質界の風景が、揺れて、歪んで、巡っていく。
無詠唱ならば融解と侵食を。有詠唱なら、三つの構成要素全てを。『天地再世、汝国創りの神為れば』は、十全に使いこなしてみせる。
再創造――雄二と東子の鉄脈術が持つ、三つ目の特性の完全顕現。鉄脈術の効果範囲そのものを、文字通り
対鉄脈術特化型鉄脈術。
世界が鋼の魔術に求める役割を、最も純粋に体現した術理こそがこれなのだ。
そしてそれほどの力を持った技が、鉄脈術の単なる一側面であるはずがなく。
ガルムの口が開く。光量を増す灼熱の口から、震える声が漏れ零れた。その正体に気付いたのだろう。
『二つ目の有詠唱……魔女が鉄脈術に与える影響の、増幅顕現だと……ッ!?』
戦慄の言葉を置き土産に。
巨人の体は――地上に顕現した二つ目の太陽は、水銀の渦へと溶け消えた。
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