第十六話『R.R.R』
「う、ぉ、お、おぉ、ぉおおおおおお!」
足の裏から突き抜けるような風圧に、雄二はときの声を上げる。そうでもしないと、自分を保っていられそうになかった。そもそもの話、人間の体はメートル単位の高い場所から、なんの備えもなく飛び降りられるようにはできていないのだ。いかなOI能力者とはいえ、体の構成物質は一般人と同じ。第一鉄脈術を使っていないなら、物質界の法則には従わなければならないわけで。
おまけにその落下というのが、
そう、ここは聖玉学園、
噂によれば。
全国十か所の製鉄師養成学園は、それぞれ、二重の意味で国防に相応しい場所に建設された、という。
一つは、物理的なもの。海外から製鉄師の軍隊がやってきたとき、養成学園は、国家防衛ラインとしての役割を果たさなければならない。そのため、敵を迎え撃つために最適な地域に、それぞれの学園が配置されている。
もうひとつは、霊的なもの。
古来より龍脈の走る、と言われた場所に、養成学園は建てられている。おそらくその意図は、地鎮祭的な『かつぎ』だけではないのだろう。もっと何か、雄二もあずかり知らないような、冥質界的な意味合いが込められているのだとおもう。
けれどそれは、今は関係ない話。
大事なのは、その霊的な場所に、学園を支える要石が設置されている、ということだ。
その要石こそが――眼下に見える、黄金の巨体。
魔鉄の天井に狙いを定めるがごとく、堂々と開いた丸い砲門。
起動させるわけにはいかない。
神も、人も、この世界の平和も――誰も、何も、殺させない!
ふいに、空気が変わった。それが物質界的なものではなく、霊質界的な、『存在』面での変化なのだと、雄二は知っている。毎朝味わう感覚だ。通学路を後ろからリムジンが追い越すたびに、いつも、いつも、感じている日常。
鉄脈術の発動可能範囲に、突入した。
相棒が――天孫東子が、目に見えるほどの範囲にいる!
「
逸る気持ちを抑え込み、搾りだす様に祝詞を紡ぐ。果たして、ここ数日間一度も反応しなかったその文字列は、透き通るような銀色の粘液を、現実世界に顕現させた。
「東子ォォォォォォォォォオオオオオオオオ!!!」
叫びながら、着地する。衝撃を殺すように『髄液』を展開。スライムめいた弾力が、雄二の着陸を支えてくれた。
すたっ、という心地よい地面の音。魔鉄だ……どうやら一面、魔鉄張りの部屋であるらしい。それも、病院などの建造に使われるような、外部からの干渉を徹底的に防げるイメージが込められたものだ。どうやら六皇爵会議は、よほどこの部屋のことを知られたくなかったらしい。
こりゃぁ怒られる理由がまた増えたな、と思いながら、ぐるりと周囲に視線を走らせる。
「な、に……ッ!?」
着地地点の近くにいた、真っ白い頭の男……ガルムの顔が歪むのが見えた。鼻を明かしてやったような気分になるが、今はこいつを煽っている暇はない。
雄二はラバルナ・レガシーの真正面まで『髄液』の池を広げると、スケートの要領で大地を蹴る。僅か二秒ほどのうちに、両者の距離はゼロになった。
大きな扉を、乱暴にこじ開ける。
赤い鎖に縛られ、吊るされた東子が、自分の事を待っていた。
「雄二……!」
「東子、無事か!!」
「無事に見える?」
軽口を言える、ということはまだ無事だ。そう判断して、取りあえず鎖を切り落とす。
落下してきた彼女を受け止める。相変わらず軽いなぁ、などと思いながら、もう長いこと見ていなかった気がするクリアシルバーの瞳を覗き込んだ。
「悪い。この場所探すのに予想以上に手間取っちまって」
「全くもう……遅すぎ。このままほったらかしにされるのかと思ったじゃない」
「だから悪かったって」
ああ、畜生。
こんな会話がもう一度できることが、たまらなく幸せだ。
ここは一応戦場だっていうのに。きっと泣いたり、気を緩めたりしたら、腕の中の相棒から手ひどく叱られるだろうに。
それでも、彼女を抱き締めずにはいられない。
「お待たせ」
「……ん」
小さな体に回した腕に、そっと答えるように。
東子も、雄二の背中を抱き締めてくれた。
穏やか過ぎる時間が、少しの間だけ流れる。ちょっと安心し過ぎじゃないか、俺。などと、一人で苦笑してしまったくらい。
「雄二くん」
東子を下ろすと、見計らったように側方から声。相棒を助けるのに夢中で全く気が付かなかったが、この部屋にはもう一人、囚人がいたらしい。
「……改めて驚いたよ。君は、本当に――何て言えばいいのかな、運命力が強い」
「あれ、笠原のおっさんも一緒に捕まってたのか。なら話ははえーや。今からあの真っ白狼ぶっ倒してくるから、帰る準備しておいてくれ」
「……いや。僕は捕まってたんじゃない。案内役をしてただけさ。君たちを裏切って、僕が彼らに、この場所や、レガシーのことを教えたんだ。自分の命惜しさにね」
「……そっか」
一応、うすうす感づいていたことではある。
ガルムとヘレナは多分、そこまで多くの荷物を持ち歩かない人間だろうと、これまでの調査で分かっていた。潜伏していたと思しき場所にも、痕跡一つ残っていなかったから。
そんな二人が、用事もない、もはや人質としても機能するかあやしい男を、ずっと拘束したままだとは考えづらい。彼の身柄と引き換えに、なんらかの情報を得ようとしたわけでもない。
そうだとするならば。
二人に情報を与えていたのが誰かなど、すぐに見当がつく。そもそも、天津麻羅の廃工房の場所や、あそこにあった系図の読み解き方は、会議や政府、宮内庁でなければ知り得ない情報のはずだ。奈緒みたいなマニアはともかく、この国に来てそう長いわけではないはずのガルムに読めるものではなかっただろうし。
まぁ、でも。
「その辺の話はあとでルートヴィーゲ先生にでもしといてくれ。俺に言われても良く分かんねぇや」
「……責めないのかい? 僕を? 姫殿下は、僕があいつらにもたらした情報のせいで、怖い目に遭ったのに?」
「そりゃ一発ぶん殴りたくはなるけど」
彼のせいで東子を攫われたのかと思うと、わりと普通にイライラしてくる。そもそもの話あの廃工場で順次郎がガルムにひっとらえられなければ、今月はもうちょっと穏やかに過ごせたはずなのだ。そう思うと色々と言いたいことはある。あるけれど――。
「おっさんにもおっさんの事情があるんだろ? そのくらい俺も東子も分かってる。だから殴るのは後回しだ。今この場でやるべきこととは関係ないからな。今はとにかく、生きて帰ることを考えようぜ」
「覚悟しときなさい。食事に幅を出さなかった罪は重いわよ」
「……っ」
順次郎は、何かをこらえるように、俯いた。一瞬見えた彼の表情は、情けなさと、悔しさと、それから感謝の色を浮かべていた。
「君たちは……強いな」
「身内に甘いだけだよ。よく言われる――さて」
雄二と東子は、呆然とこちらを見つめる、真っ白い二人組を見据える。どうやら彼らも本気で、この場所が見つけられたことに驚いているらしい。そうだろう。雄二でさえ、まさか潜伏先が学園の真下だとは思いもよらなかったのだから。
八太郎が『レガシー』の噂をかぎつけられるほどの情報網を持っていなかったら。
ガルムが一つでも、自分の野望を推察させるようなことを口にしなかったら。
もしかしたら、この場所は見つけられていなかったかもしれない。
――それでも。
雄二は今、ここに立っている。隣には、東子がいる。
相棒は救い出した。ほつれかけた約束を、もう一度結び直すことができた。
だから次は、ここに来たもう一つの目的を、果たすだけ。
「悪いなガルム。お前の計画、止めさせてもらいに来た」
「は、はは……」
宣言と同時に睨みつければ、ガルムの喉から、乾いたような声が漏れだした。
それは徐々に、徐々に、興奮に彩られた哄笑に変わっていく。
「はは、ははははは、はははははははッ……!! 素晴らしい、素晴らしいな兄弟!! 何度叩き潰しても、往生際悪くオレの前に立って見せる! いいね、最高だ! それでこそ試練に相応しい!」
「そりゃどうも。正直あんまり嬉しくないけどな」
実際そんな評価を下されて嬉しがるのは、相当なバトルジャンキーだけだと思う。雄二は残念ながらというか幸いなことにというか、その手のタイプの人間ではないのだ。
「そう言わずに喜んでくれよ。ここまで興奮したのは久しぶりだ」
「悪いけど、付き合ってる時間はない。さっさと事件解決としゃれ込みたいんでね」
「ならいい方法がある。そいつを渡せ、兄弟。それで事件は終わりだ。オレの勝利という形でな……オレはそいつを使って、戦争を起こさなくちゃいけない。オレが明日を生きるための価値を、この世界に示すために!」
ガルムの指が、まっすぐに東子を指す。びくり、と相棒の方が震えた。真っ白な製鉄師の青い瞳に、狂気の色が混じっているのを見て取ったからだろう。
庇う様に前に出ながら、雄二は一つ、深呼吸をする。
これから先、ペースを自分が握れるかは、次の言葉への応答次第。もしもガルムが、さしたる反応を見せなければ、雄二はまた、真正面から戦うことになる。勿論負けてやるつもりはさらさらないが、限界をせめる戦いになるのは間違いないだろう。
だが、もしも。
絶望的なまでの強さを持つこの狼に、隙を作ることができるのなら。
「違うな」
「……何?」
「お前じゃない。その子の……ヘレナの為なんだろう」
「……!」
ガルムの瞳が、驚愕に見開かれた。「貴様ッ……」と、似つかわしくない声が漏れる。
――かかった!
反射的に、心の中でガッツポーズを取る。ビンゴだ。奈緒に無理をしてもらった甲斐があった、というものだ。
「だって理由がない。自分の価値を証明したいだけなら、東子を狙う必要がないんだ。なんせ――ヘレナを生贄にしてレガシーを使えばいいだけなんだからな」
僅かにだが、ヘレナの肩が震えるのも見て取れた。東子もそれに気付いたらしい。困惑気味に顔を上げて、銀色の眼で見つめて来る。
「どういうこと?」
「調べた……っつーか、調べてもらったんだよ。あいつらのこと、もう一回」
奈緒に調べてもらったのは、マギ傭兵国家が十年以上前に行っていた、とある実験に関するものだった。
結局、魔女体質というのは物質的なものではなく、霊質界に、つまり『存在』に関する体質なので、これらの研究は殆ど失敗に終わったわけだが……残した爪痕があることに変わりはない。
雄二が東子と出逢うきっかけになった、十年前――魔鉄暦二〇年六月に起きた大規模なテロ、『蒼の白夜』事件は、もともとその計画の残党が、脱走した元被験者を捕らえるために引き起こしたものだった、と、ルートヴィーゲに聞いたことを思い出したのだ。
皇国が保護した魔女体質の少女は、普通の魔女には見られない特性をいくつかもっていたという。
それで気付いた。マギからきた、常人離れした魔女――もしかしたらヘレナも、その条件に合致するのではないか、と。彼女の外見年齢は、一般的な魔女のそれよりも明らかに幼い。
果たして、結果は雄二の予想通りだった。
そして、予想していたよりもなお凄惨だった。
ヘレナ・レイスは、複数の人間の遺伝子や人格、血肉を後天的につなぎ合わせた、いわば『キメラ』なのだという。
奈緒のもたらした情報によれば、人造魔女計画の派生実験の中には、ついぞ不可能とされた『魔女の遺体の兵器転用』に関する実験もあった。彼女はその被験者。そういう意味では、キメラよりもフランケンシュタインの怪物、と言った方が近いのかもしれない。
ヘレナは度重なる実験の末に、魔女としては異端の存在となった。彼女の中には複数の人格、複数の記憶がある。雄二たちとの戦いの中で見せた豹変は、きっとそのせいだったのだろう。
そして――ヘレナに組み込まれた遺伝子の中には。
皇帝ラバルナに連なる者のそれも、含まれていたのだという。
要するに、ヘレナは疑似的に統一貴族と同じ血流を持ち合わせているのである。
レガシーの起動には、統一貴族の血さえ流れていれば、どのような個人であるかは問われない。ならばガルムは本来、レガシーの在処を突き止めた時点で、ヘレナを使ってこの黄金の砲台を動かすことが出来たはずなのだ。
ラバルナ・レガシーは、冥質界にすら干渉を可能とする兵装だ。それがもたらす破壊力は計り知れない。鉄脈術以外では致命傷を受けない製鉄師たちはともかく、一般市民のことごとくは焼き尽くされてしまうだろう。
何も知らないまま。何の罪もないままに。
民が無くては国は成り立たない。世界中の全ての超国家が、ガルムを止めるために動き出す。あるいは、ラバルナ帝国の後継の座、その証左として、レガシーそのものを巡った争いが起きるかもしれない。
そうなったらもう、ガルムの思うつぼだ。彼は戦争の中で結果を出して、己の『価値』を証明できる。
だからただ戦争を起こしたいだけなら、順次郎をさらった後にすぐ、この地下空洞でレガシーを使えばよかったのだ。それでもガルムが東子を攫うことに拘ったのは、ヘレナを贄にしたくなかったからで。
「お前が示したいのは自分の価値じゃない。ヘレナの価値だ。兵器として創られた彼女に、もう一度、ちゃんとした活躍の場を与えたいんだろう。だからお前は製鉄師として、戦いを求めて彷徨ってたんだ」
ガルムは、うなだれるように背中を丸めていた。心配そうに彼を見つめる、ヘレナには眼もくれず、わなわなと肩を震わせていた。
くぐもった、唸るような声が聞こえてくる。
「だったら何だ……それでもオレのすることは変わらない……オレたちの存在意義が、ちゃんとある
「だからって何で戦争なんだよ。他にも色々あるだろ」
「いいや違う! 戦争が、ただそれだけが道だからだ!!」
ガバリ、と、ガルムは顔を上げた。
その表情は、これまで見たこともないほど歪んでいた。悲しみだろうか。怒りだろうか。嘆きだろうか。それとも、もっと違う感情だろうか。察しの悪い雄二では、その全てを読み解けないほどに無数の感情がないまぜになった、ぐしゃぐしゃの色。
真っ白い、獣の牙のような歯を剥き出しにして、ガルム・ヴァナルガンドは慟哭する。
「
獰猛な戦闘狂の姿はそこにはなかった。
慟哭するガルムは、くしゃっ、と、まるで親に縋りつく、子供のように眉をひそめて、掠れた声で問うてきた。
「――なぁ、お前もそう思うだろ、兄弟」
「――思わないね」
叩き切るように、そう答える。ガルムの顔が怒りに染まるのを無視して、雄二はここぞとばかりに畳みかけた。
正直な話をするならば。
分からなくもないのだ、ガルムの言っていることが、雄二にも。契約者を大切に想う気持ちは雄二も一緒だ。雄二だって東子のために命をかける覚悟がある。
ただ――その形が、どうにも後ろ向きというか。
当たり前に持っているはずの未来を、自分から捨てているように見えるのが、気に入らない。
「明日を許されるのに価値が必要? 生きていくためには価値がなくちゃいけない? そんな馬鹿な話があるか。そもそも兵器の存在価値が戦うことしかないって誰が決めたんだよ。もっとこう、なんか色々あるだろ」
鉄器時代の武器にだって、『使う』こと意外に意味がいろいろあったみたいに。
製鉄師が兵器だというのなら、戦う以外の『使い道』があっても、だれも文句を垂れたりしない。
「第一、俺たち製鉄師は化け物なんかじゃない。もし本当に化け物だったんだとしても、誰かのために何かをしたいと……相棒と二人で生きる未来がほしいと、そう願った時点でちょっとは言葉の意味、変わってくるだろ」
「兄弟、てめぇ……兵器のくせして
「うるっっっせぇな当たり前だろ俺は東子のこと好きだよ大好きだよ愛してるよ世界中の誰よりもなァッッ!! というか言わせてもらいますけどね、兵器に誰かを好きになっちゃいけない道理なんざねぇんだよ! あったとしても俺らは製鉄師、霊質界を体現する者。物質界の規則なんて知ったこっちゃねぇ!!」
「……何言ってやがる?」
「急に真面目に白けるんじゃねぇ言葉に詰まるだろうが」
濁流のように、あとからあとから感情が溢れてきて、言葉に変わる。矢継ぎ早に解き放つそれがどんな意味を持っているのか、もう雄二自信、半分くらいよく分かっていない。
それでも。
自分の感情も理解できていない、思っているよりずっと子供みたいな北方の製鉄師に、お手本を見せてやらなければならないという感情は、ある。
「俺は! 相棒を……天孫東子を愛してる!! こいつの為に俺は戦う。こいつの為に俺は製鉄師を続ける! こいつと過ごす明日のために、俺は今、お前の前に立っている!!」
堂々と宣言する。
もう、隠す必要もない、とばかりにさらけ出す。
ちょいちょい、と、制服の裾が引っ張られた。
「ゆ、雄二……」
「何だよ顔見て言えってか。馬っ鹿お前恥ずかしいんだよわざわざ言わせんな」
「そ、そうじゃなくて……今の、本当なの? その……わ、私のこと」
「好きって言ったぞ。嘘じゃないこと、お前なら分かるだろ」
「あ、ぇ……ぅ……」
東子の顔が、首筋から耳の先まで真っ赤に染まる。クリアシルバーの瞳を逸らすように俯いてしまった相棒は、どうやらひどく照れているらしい。いやまぁ、これで何の反応もされなかったらだ大分ショックなところではあるので、一応脈ありということで見てよいのではないだろうか。
取りあえず内心で小さくガッツポーズを取りながら、雄二はもう一度ガルムに向き直る。
「何のつもりだ。ここは式場じゃねぇ、戦場だ。戦場に不要な感情を持ち込むんじゃねぇ……!」
「うるせぇ邪魔すんな。お前だって似たようなもんだろ。別にヘレナのこと好きなんじゃなくても、相棒のために何かしたい、と思ってることは同じなはずだ」
「ぐっ……」
それにな、と、言葉を切る。
「製鉄師は鋼の魔術師。二人で一つの明日を拓く――魔鉄器時代の、この三層世界の希望だ! そんな俺たちが愛情を伝えることの何が悪い。何がおかしい。これは俺たちに与えられた当然の権利、当然の摂理だ! 誰もが普通に持っている権利を、俺も、東子も、当然お前とヘレナも、同じように持ってるんだよ! もしもこの世界がその事実を認めないなら……この世界が、俺たちを兵器だと蔑むなら。俺たちに兵器以外の道を許さないなら。俺たちに、愛することをやめろと迫るなら」
――俺たちの間の絆を、引き裂こうというのなら。
雄二は東子と繋いだ手に、ぎゅっと力を籠める。応えるように、相棒の小さな手が握り返してくる。
「そんな世界――俺が全部喰って、溶かして、
答えるように、東子が微笑んだ。ほんのわずかに……八太郎や、ルートヴィーゲに言わせれば、雄二にしか分からないくらいの、幽かな表情の変化。
「馬鹿雄二。それを言うなら『俺たちが』、でしょ」
「……ああ!」
けれどその僅かな変化と、告げられた言葉だけで、東子の言いたいことは全て伝わる。
「だ、まれ……黙れ黙れ、黙れ、黙れぇぇええええええ!!!」
まるで駄々をこねる子供のよう。ガルムは絶叫と共に、胸元から銀色のネックレスをむしり取った。
牙のような意匠のそれは、恐らく魔鉄でできている。これまでずっと姿をみせなかった、ガルムとヘレナの触媒魔鉄器。物質界と霊質界を繋ぎ、異界の風景を地上にもたらす架け橋。
「
雄二の言葉を、ガルムは受け入れない。受け入れられないのだ。もしもここで、戦うことをやめてしまったら、ガルムは自分で自分に否を突き付けることになってしまう。それは矛盾だ。積み重ねてきた時間に対する冒涜だ。人一倍『価値』に敏感なガルムが、それを許せるはずがない。
「ヘレナァアアアアア!!!」
「……うん。
白色の少女は、そんな相棒を、どこか悲しそうに見つめながら、応える。彼女も分かっている。もう後には引けない。引いてしまったら、それこそ――自分たちの価値を、否定することになってしまう。
「愚かなり。秩序に眩んだ隻眼の王。枯れ行くばかりの世界樹に、汝は意味なくしがみつく。残された眼に写る景色、かつて聞いた巫女の詩。成就の時はここに来たれり。この身、魁なればこそ」
「冬が来る。夜が来る。霜が降る。焔が狂う。黄昏はより赤く。行く末はより昏く。黄金の時代は既に閉じた。この言の葉が、あるべき姿を塗り替える」
ヘレナを中心に、真紅の鉄脈が広がっていく。
逆巻く獄炎が巨人の四肢を造り上げ、ライオンのようなたてがみを持つ、雄々しい頭蓋を持ち上げた。
「炎の内に壊れよ秩序。混沌よ、紅き地獄に産声を上げろ! さぁ我が徒よ、月と太陽さえ燃やし、滅ぼし、昏き世界に我らの明日を創り出そう――今、この時代を焼き尽くす」
核を思わす形に、鉄脈が収束。
魔鉄の天蓋に輝くそれは、霊質界より顕現したもうひとつの太陽。
「《
強烈な熱波をまき散らし、偽りの太陽が爆散した。
世界の終わりを齎すべく、
『ォ、ォ、オ、ォオオオオオオオオオオ――――ッ!!!!』
地の底から響くような咆哮が、地下空洞全体を震わせた。ズズン、という重い音を立てて、ガルムとヘレナの転じた巨人は、雄二と東子を見下ろした。
『決着をつけるぞ、兄弟……オレたちの正しさを、価値を、証明する……!』
ああ――今度こそ、正真正銘、決着のときだ。おどけた様子のないガルムの声から、そう直感した。もう誰も、後戻りはできない。帝国の遺産が見守るこの部屋で、自分たちとガルムたち、どちらかが倒れることになる。
「行くぜ東子。これが最後の戦いだ」
「ん……死んじゃ嫌よ、『皇子様』」
仕事の前に交わす、些細な軽口。
それが今は、とても愛おしいものに思えて。
「……へいへい、分かりましたよ、『お姫様』……!」
少しだけ、語気を強めて応える。
東子の小さな体を抱き寄せ、白いうなじに魔鉄の牙を突き立てる。
「んっ……」
漏れ出た甘い声を、もっともっと聞かせてほしい、とせがむように。雄二はイメージを、鉄脈術の源流を、東子の魂へと注ぎ込んでいく。
「あ、ふ……ぅ、ん……っ!」
びくり、びくりと、腕の中の東子が震える。その鼓動は生きている証だ。一度は失ったと思っていた、彼女の温度をはっきりと感じる。
もう、離れたりしない。
もう、離さない。
お前と紡ぐ明日を、再創造するために――。
「あ、ぅぁっ――」
「――
本気を出そうと、そう思う。
「ん……
いつもと違う詠唱に、東子も雄二の内心を察したのだろう。クリアシルバーの瞳が、そっと、祈るように伏せられる。これから口にする詠唱は、二人で一緒に声に出すもの。雄二は神主に。東子は巫女に。二人一組の鋼の神事を、執り行うときが来た。
広がる銀色の鉱脈は、東子だけでなく、今度は雄二をも包み込んだ。
内側を通る純粋な『存在』のエネルギーが、幽かに、しかし確かに煌めいていた。
「――天を
それを、鍛えていく。雄二と東子、二人のイメージで、製造していく。鍛造していく。完成したイメージを、振るう様を想像する。創造する。
「時間を作ろう。それは朝だ。それは夜だ。民を作ろう。それは獣だ。それは魚だ。それは鳥だ。それは人だ。大地に草木を与えよう。生まれ出でた子らを栄えさせ、無極の未来を約束しよう」
ごぽり、と、『再世の髄液』があふれ出した。しかしその量は、普段の数倍、下手をすれば数十倍の勢いを持っていた。おまけに地面に付着したそばから、じゅう、と不気味な音を立てて――体積を増やしていく。
創り変えているのだ。
髄液に触れた魔鉄を、同じ
世界と溶け合い、何もかもが
「溢れ出せ、光の子たち。溢れ出せ、闇の子たち。混沌、混迷、大いに良し。天を切り裂け、鋼の翼。地を囲え、鋼の城。海を渡れ、鋼の船」
「かくて増えよ、かくて征服せよ、かくて侵食せよ。創り変えろ、世界を。その可能性は無限なり——!」
髄液の勢いは増すばかり。銀色の輝きが溢れて、ガルムの炎、その勢いさえも殺していく。あるいは取り込んで、自分のものへと変えていく。
ああ、そうだとも。お前の怒り。お前の悲しみ。お前の絶望、お前の願い――全部全部、もっと穏やかに、叶えられる世界を創る。もっとお前が、幸せでいられる世界を、俺たちが創るから。
製鉄師が、人で在れる世界を創る。
神凪雄二が、普通の男の子で。天孫東子が、普通の女の子でいられる世界。そんな未来を、創りたいと願ったから。
「「だから詠おう、再世の歌を」」
時が、止まったような錯覚を覚えた。
きっとそれは、流れる銀色の渦が、最高速度に達した合図。全ての準備が整ったことを、主に告げる、そういう時間。
「――《
雄二の唇が、素早く動く。
そうして、東子との間に紡いだ鋼の魔術――その真の名を、解き放つ。
「『
ぱん――。
弾けるような、あるいは、掌を打ち合わせるような、軽やかな音がした。
同時に、氾濫した大河もかくや、と言わんばかりの激流が、ぴたりと秩序ある流れを生み出した。まるで蛇、あるいは竜であるかのような、太く、長い、一筋の銀色。鎌首をもたげたそれを纏わせて、雄二と東子は毅然と前を向く。
見ているのは、明日が昇る方向だ。
『振鉄位階、だと……』
ガルムの声には、純粋な驚きが込められていた。
「悪いな、隠してて。一応、畏れ多くも学生最強って呼ばれる所以があるわけだ」
『は、はは、ははははは……!! 全く、どこまでも最高だな、兄弟……! ことごとくオレと重なり合う、
「上等だ。俺もお前をぶっ倒して、その明日を創り直させてもらう」
炎の渦が、舌舐めずりをする。
銀色の水流が、勢いを増す。
ガルムは、雄二と東子の、小さな体を見下ろして。
雄二は巨人の、燃え盛る瞳をじっと見つめて。
戦いの火ぶたを、そっと切り落とす。
『さぁ、
「さぁ、
始めよう。
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