第十五話『立ち上がる』

 


 当時の自分は、この腕に銃を持って戦場に出向いていた、と記憶している。まだ製鉄師の何たるかが、新時代秩序の中で確立したばかりのころだった。長い間ラバルナ帝国に封じられていたその役職が、ただの二人で戦場を食い荒らす、とんでもなく強大なハイエナなのだと、ようやく世界が気付いたあたり。


 まだ齢十にもならない少年は、最早どこにあるのかも思い出せない故郷の為に、黒くて重い、魔鉄ライフルを携えた。製鉄師は製鉄師でなければ殺せない。製鉄師を中心にした戦争には、ただ、対抗する製鉄師がいればそれでいい。契約者のいないOI能力者は、戦場には邪魔なだけ――そういう意識は、辺境の村にはまだ徹底されていなかったのだ。

 故郷は焼けた。焼かれた。どこの国に負けたのかは知らない。アクエンアテンだったのかもしれない。もしかしたら、今は盟主であるはずのブザイであったのかもしれない。それとも、自分を拾い上げたマギ傭兵国こそが、その下手人であったのかも。何にせよ関係ない。どうでもいい。


 とにもかくにも、少年はマギに拾われた。マギのOI能力研究者たちのもとで、毎日毎日、オーバーワールドに纏わる研究に使われた。


 少年のOWは、炎の姿をしていた。己の体さえ焼き尽くす、どこまでも広がる無限の地獄。この世の終わりを笑う声の中、消えることなく巻きあがる、炎、炎、炎――。

 いっそこの星がまるごと恒星に呑まれたのだ、といっても間違いではないその世界を、学者は『振鉄位階』と呼称した。構成要素が三つを数えた、最も凶悪なOW深度。生きる事さえ苦痛に等しい、そういう未来を約束する異能。年端も行かぬ子どもが耐えられるものではない。実験対象と活かすには、コスト・パフォーマンスが悪すぎた。


 それでもマギは、少年を生かした。

 別段、戦力として価値があったわけではない。最早OI兵士であるだけでは、魔鉄暦を生きては行けない。傭兵国を冠せはすれど、送り出す戦士は誰も彼もが、銀色の少女を傍らに連れていた。

 鍛えた銃の腕は、なんの役にも立たない時代で――しかし少年は出逢った。出逢ってしまった。


 傭兵国の暗部。最も過酷なOI研究の地。首都たる《カラーエ・チフルダード》の最奥で、少年は一人の小さな娘を見つけた。年のころはだいたい、当時の彼と同じくらいだった。

 同行していた技術者によれば、魔女の遺体の兵器転用のために、様々な生物や魔女の遺伝子を掛け合わせて創り上げた、一種の合成獣キメラ。もはや人間であることさえ捨てた彼女は、混濁する自我と不安定な存在アストラル・ボディの故に、自らの名さえ言えなかった。


「あわれなこ」


 少女は――あとになって知った話だが、自分の二十倍近く齢をとった『魔女』は、小さく、そう口にした。そのときの彼女が、どんな人格だったのか、今はしるよしもない。きっと彼女の中に渦巻く無数の心のうち、どれかが語り掛けて来ていたのだと思う。


「おいで、かなしいおおかみさん。さびしかったでしょう、わたしがいっしょにいてあげる」


 真っ白い髪は、冬の色。あるいは狼の毛皮。死をもたらす北方の雪景色。

 しかし彼女は、少年のことを肯定した。いっしょにいてあげると、そう言った。

 

 渦巻く地獄の炎の中で、彼女の姿だけが、はっきり、くっきりと、見えていた。血のような、あるいは少年の炎とよく似た赤色の瞳が、どうしても脳裏に残って離れなかったことを、今でも覚えている。 


 研究員は、彼女はもう、廃棄されるのだとそう言った。キマイラ化の実験は失敗した。少女の自我は殆ど崩壊し、魔女としても最低限の力しか持たない、『失敗作』ができあがった。戦争で『使える』兵器を求めていたマギにとって、彼女の存在はただの肉塊と一緒だった。


 しかし少年は契約した。誰にも生存価値を求められなかった彼にとって、それが唯一の道だと理解していた。


 ――発動した鉄脈術は、即座に研究員を、そして研究棟そのものを焼き払った。


 こうして名もなき少年は。

 一度手に入れた役割を、喪った少年は。

 自らの命の使い道を、見失った少年は。

 この世界に上げようとしていた産声を、焼き払われた少年は。

 

 一個の、『兵器』として生まれ変わった。


 上層部は少年と少女を、最高峰の製鉄師として重宝した。ガルム・ヴァナルガンド、ヘレナ・レイスというコードネームを与えられたのもこのころだった。

 自分たちは強かった。ただ炎を回せば敵は死んだ。敵が死ねば、大人たちは二人を褒めた。ガルムとヘレナは必要とされた。価値のない弱者では、なくなった。


 ヘレナ・レイスは不安定な少女だった。昨日まで会話をしていた人格が、次の日には別人のそれに変わっていることもあった。ガルムを覚えていないこともあった。一秒ごとにひとが変わって、一切意思疎通が出来ない日もあった。

 彼女は、彼女の全ての人格は、苦しんだ。自らが何者なのか分からない現実に苦悩した。


 戦争は二人に生きる意味をくれた。敵を殺す。燃やす。焼き払う。至ってシンプルだったが、それこそが二人に求められるものだった。一人殺すごとに、自分たちの価値が高まっていくのを感じた。自分たちが、確固たる存在になっていく自覚があった。現に敵を殺せば殺すほど、ヘレナの人格は一本に定まっていったのだ。心優しく、容赦のない、子供のようなものへと。

 このまま、世界中の人間を殺せば――ああ、もしかしたら、『世界に二人だけの人間』として、最高の価値を得られるのではないかと。そんな風に、思ったこともあった。


 けれど。

 戦争というのは、どうやら終わるためにあるようで。


 マギの研究所を焼き払った、光と闇、三対六枚の翼。

 金色の髪に碧玉の瞳。

 シャーになったばかりの少年は、憐れむように、あるいは、何の感慨も抱いていないかのように――ただ、正義を執行して。


「この先、君たちに訪れる苦難はない。動乱の時代は、もはや終わりを告げたのだから」


 そう口にして、自らの国へと帰っていった。


 ――ふざけるな。

 心臓を燃やし尽くすような、激しい炎が胸に灯った。

 ふざけるな。ふざけるなよ。オレたちは戦争のために造られた。戦争の為にそうあれと言われ、戦争の為に鋼の魔術を手に入れたのだ。

 オレたちは、戦争の為に化け物になったのに。


 世界はもう、要らないという。

 自分たちが味わってきた苦痛のその全てが、無駄であったと結論付ける。


 許さない。そんな世界は許さない。そんな歴史は、たとえただ一人だとしてもオレが望まない。


 そうだ。まだ何も終わっちゃいない。終わらない! 終わらせない!!


 だからガルム・ヴァナルガンドは、自らの背後に屹立する、巨大な砲塔に目を向ける。凍てつく青色の瞳が、うっすらと緋色を帯びた金色の銃身をとらえた。


 ラバルナの血を引く生贄は、もう捕らえた。この場所を探り当てられるものは、極東の辺境なんぞには一人もいない。


「ああ、ヘレナ――もうすぐ世界が変わるよ」

「うん」

「戦争が始まる。オレたちが価値を示せる時代が、もう一度やってくる」


 ガルム・ヴァナルガンドとヘレナ・レイスは製鉄師。

 二人を二人たらしめるのは、ただそれだけ。

 製鉄師は生体兵器だ。製鉄師の最も価値の高い使い方は、戦場で敵を殺すこと。それ以上でもそれ以下でもない。


 さぁ、号砲を鳴らそう。

 この黄昏の砲で、平和の時代に穴を――。


 そう、ガルムが詠おうとした、そのとき。


 カッ、と激しい光を放って、砲台の中央、贄を捕らえた場所から、霊質界へと鋼色のラインが伸びた。



 ***



「こ、の……っ、外れなさい、よ……!」


 自らの身体を縛る赤色の鎖に、天孫東子は危うく舌打ちをするところだった。いけない、雄二は相棒が舌打ちをすると「行儀悪いぞ」と叱ってくるのだ。わりと自分のことを棚に上げた発言だし、正直素直に従う義理はない。何となく……ただ何となく、雄二に怒られるのは嫌だな、と、そう思うだけ。


 ああ、あいつの顔を思い出したら、ちょっと気分が落ち着いてきた。

 同時に、よく分からない胸のざわつきも覚えてしまうけど。もう、何日も会っていない。雄二と『相棒』の関係になってから、これほど長い間連絡の一つもつけられない状況に陥ったのは初めてだ。公務で聖玉区を離れたり、どちらかが体調を崩したときでさえ、メッセージや電話のやり取りはできていたのに。


 きっとこの感情は、寂しさだ。雄二と会えないことが、たまらなく寂しい。

 そんな風に感じてしまう自分が、どこか悔しくもある。ちょっと毒されすぎというか、乙女すぎやしないか、自分。


 無理矢理動かしていた身体を止めれば、拘束具同士がぶつかる鈍い金属音が、黄金色の部屋に木霊する。塔を思わす天井の高い構造は、馬鹿正直な反響を伝えてきて耳障りだ。全く、こういうところも含めて、は人を苦しめることに関して最高級の価値を持っていると思う。


 数日前。炎の巨人の力で東子を誘拐したガルムとヘレナは、拘束した彼女を、この金色の部屋に宙吊りにした。以来、一日に(律儀にも)三度与えられる、携帯食料のようなもそもそしたフルーツグラノーラのバーを食べさせられるとき以外は、ずっとこの部屋で一人きり。暇だし鎖は痛いしなにより暇だしで東子にとっては極めてストレスフルな時間が続く。


 小さな――認めたくはないが小さな――体をぐるぐる巻きにした鎖は、魔女体質ならば誰でも行使できる疑似的なOI能力では破壊できなかった。一体どういうコネクションで手に入れたのかは知らないが、専門のドヴェルグがつくり上げた拘束具であるらしい。警察が犯罪者の拿捕に使っていたワイヤーと同じようなOWが込められている。

 用意周到なことだ、と思う。一体どんな執念があれば、これほど厄介なものを発見して、あまつさえ『使おう』などと考え付く、行動力と思考が身につくのだろう。


 ルートヴィーゲの話によれば、ガルム・ヴァナルガンドとヘレナ・レイスは、マギ傭兵国の尖兵として、様々な戦場で活躍した製鉄師だ、とのことだった。

 もしかしたら、慣れているのかもしれない。そういう思考回路を動かすことが、彼らにとっての日常茶飯事。


「姫殿下――」

「小父様」


 でもなければ、捕らえたもう一人の人質を、東子の世話係に抜擢する、などという、型破りなことはしでかさないだろう。

 

 ひょろりと細長い体躯が、部屋の扉を開けて侵入してきた。長い間仕立て屋に出していないせいか、僅かにほつれ始めた黒いスーツ。眼鏡の下の困ったような顔は、攫われていたはずの宮内庁所属官僚――笠原順次郎のものだった。


 東子とは違い、拘束具の一つもつけられていない彼は、携帯食料の袋を破くと、そっと東子の口もとに差し出してきた。恭しい空気を纏っているのは、腐っても六皇爵と政府を繋ぐ立場の人間、という、プライドかなにかの残り滓か。


「はい、今日のご飯」

「いらない。今お腹空いてないもの」

「頼むよ。食べてくれないと大変なんだ、僕も」


 苦笑いする順次郎から視線を外し、東子は金色の部屋をぐるりと見渡す。


「小父様だったのね。あの二人に、『これ』の在処を教えたの」

「これでも口を割らないように努力はしたつもりさ。けど流石に、命を失ってまでその努力を続けられるほど、僕は優秀な官僚じゃ無かったらしい」

「陛下は何て言うでしょうね。頼りにしてるみたいでイラつくけど、でも私をこんな目に遭わせた相手を放っておくひとじゃないのは確かよ」

「理解してるよ。良くて懲戒、悪くて処刑だろうね……青仁陛下に人の心があることに期待するしかない」


 表情を苦笑から変えないまま、順次郎ははぁ、とため息をつく。それは演技ではなく本心から零れた吐息だろう。諦観の感情……不運体質の宮内庁職員は、己の運命を呪う様に吐き捨てた。


「僕にも家族がいるからね……死ぬわけにはいかない、と思って、こうしたけれど……まさか、その努力が全部無駄になるとは思わなかったよ」


 いまじゃこのざまさ、と、彼は弱弱しく己の姿を見下ろす。ただ自らの保身のためにあがくしかない自分を、愚かしいと罵るように。


「本当に見つけてしまうだなんて……ラバルナ・レガシーがひとつ、『増幅』のオキツカガミ――いや、それは政府と会議が神話にそってつけた名前で、本当は《蒼天穿つ緋色の青ブレイドレイ・ブルール・シエル》というのだったかな」


 順次郎は東子と同じように、黄金の牢を見渡す。だがその視線は、彼女のそれをなぞるものではなかった。もっと、別の意図をもって……具体的に言うならば、愛銃のライフリングを点検する、銃士のような目つき。


 この部屋は、厳密には牢獄ではない。東子は、警察が犯罪者をそうするように、監獄に繋がれている、というわけではないのだ。

 この拘束には意味がある。いや、そう考えれば、『拘束』という言葉は相応しくない。


 ――

 天孫東子は、この巨大な銃身に収められた、銃弾なのである。


 三十五年前。

 崩壊を間近に控えたラバルナ帝国から、日本皇国へと運び込まれた十の遺産。

 その内の一つこそが、この部屋を擁する巨大な銃砲――《蒼天穿つ緋色の青》。


 を穿つために造られた銃身は、しかし一般的に噂で知られるような、大型の魔道具などではない。


 そもそもの話、材質が魔鉄ではないのだ。

 より厳密には、魔鉄を超える魔鉄。帝国が研究していたという、「魔鉄文明のその先」を象徴する鉱物。


 名を、アダマンタイトと、そう言ったらしい。

 三層世界論に照らし合わせるところの冥質界。記録と情報によって構築されるこの世界から抽出した鉱物と、魔鉄を掛け合わせた真の意味での『合金』。

 本来魔鉄は、イメージ次第であらゆる金属に化ける。その性質を利用せず、わざわざ別種の金属と混ぜ合わせること……それは魔鉄の、霊質界の物質である、という特性を鑑みれば、冥質界のそれ意外では不可能な話だ。


 選ばれた冥質界の金属は、この国とも関わりの深いものだった。日本皇国開闢の祖たち――冥質界よりこの世に降臨したとされる『神々』が携えていた、情報世界の金属。神話になぞらえ『緋々色金』と呼ばれたそれを、何らかの形で手に入れて……魔鉄と融合させ。

 帝国は十種の武装の形に作り変えた。


 何を意図していたのかは、よく知らない。噂では人類の秩序を守るためだった、とされている。ただ、冥質界の金属を使っている、というのは引っかかる。『神々』のような、冥質界からやってきた情報生命体――所謂『カセドラル・ビーイング』さえも、この銃砲は焼き尽くせる、ということだから。


 それだけのオーバーパワーを、どうして十種も創ったのか。

 そしてそもそも、何故それをこの国に預けたのか。


 そうとも。この列島には、十のレガシー、その全てが埋まっている。

 それがどこにあるのか、東子も詳しいことはしらない。存在についても、知っていなければ後々困るからと、あの過保護な兄に伝えられていたにすぎないほど。

 それでも、これが自分のような、帝国の血を引く者を犠牲にしなければ使えないことと……もしも使ったならば、神をも殺せるのその力が、人間に向けられたのならば。


 地球は、二度と平穏の訪れぬ星になるだろう。それだけは理解できるし、知っている。

 

「私と雄二に優しくしてくれていた、昔の小父様は死んでしまったみたいね」

「生きてるさ。これから死ぬかもしれないけど」


 そんなものを異国の製鉄師に譲り渡したのだ。小心者の順次郎にとっては、心臓が破裂するレベルの緊張を伴う、とんでもない賭けだったのだろう。

 けれど彼はその賭けに負けた。過激な国民からは売国奴、と罵られても可笑しくない、そういうミスをやらかした。

 

 こんなところでも不運なのだなぁ、と思うと、ちょっと可愛そうな気さえしてくる。実際、雄二のあたりなら口に出しそうな気もする。


 それを向こうも想像してしまったのだろうか。順次郎はふいと肩をすくめた。


「どのみち、待っているのは死だと思ったらね……死ぬまでの時間は少しでも先延ばしにできるかな、と思ったんだ。それに、もしかしたら見つけられないかもしれない、ともね。けれどこんなにあっさり発見されてしまうだなんて……封所の法則性、ちょっと分かりやすすぎたのかな」


 魔鉄犯罪グループの拠点から、ガルムたちの手によって再度誘拐された順次郎。彼は自らの身の安全と引き換えに、この”遺産”の在処を答えさせられたのだろう。宮内庁の上位の官僚には、こういう機密の管理も役職として与えられているだろうから。


「兎にも角にも、僕の悪あがきもここでお終いさ。姫殿下、これ、要らないなら僕がもらっちゃうよ。せめて最後の晩餐はしたいからね……」


 やつれたようなため息をついて、順次郎は携帯食料を自分の口に放り込む。こちらに背を向け、扉を開けようとするその背中は、どうにも力が籠っていなくて。


「相変わらず諦めるのが早いのね、小父様は」

「なんだって?」

「八年前もそうだった。お父様とお母様が行方不明になったときも、あなたは真っ先に捜索の中断に賛同した。悪いことだとは思わないわ。あなたは宮内庁の人間……表側の政府の人員。この国の平穏のため、あなた自身の平穏のため、行動することは当たり前。特に小父様くらい不運なら、どれだけの不都合があっても平和が崩れないくらいに、さっさと次の手を撃った方がいいのは間違った判断じゃないわ」


 焦ったように振り返る順次郎の、眼鏡の奥の瞳は怯えていた。そうだろう。まさか東子がその事実を知っているとは、思っていなかったはずだ。


 八年前。先代『天孫』、天孫あめみま頼仁らいじと、その妻、天央あまのお在鈴那ありなは、国内巡業の最中、海外からやってきた製鉄師の集団に襲われ、消息を絶った。

 馬車は黒焦げになっていた。よしんば製鉄師の魔手から逃げ伸びていたとしても、最早二人の命はないだろうと、そう判断された。見つかった骸は損傷がひどくて、鑑定もむずかしいありさまだった。


 国葬は盛大に執り行われ。青仁が、彼らの跡を継いで『天孫』になって。

 二人は。まだ東子が、甘え切れてもいなかった両親は、死んだものとして扱われるようになった。


 仕方がなかったのだと思う。あの二人が生きているものとして捜索を続けていても、きっと結果は同じだっただろう。八年が経つ今の今まで、二人に関する情報は手に入っていない。きっと死んだというのは、本当のことなのだろう。


 それでも。

 東子がもし、あのとき、捜索隊の指揮権か何かでも、持っていたのならば。


「でも――私は諦めない。私だったら諦めない」


 その決意は、そのままこの状況とも重なる。

 希望は見えない。これから与えられるはずもない。この黄金の大砲と、その砲身が収められた暗がりに、地上の光はとどかない。


「無理だ! レガシーはもうヴァナルガンドの手に落ちた。この場所は絶対に――この国の住民である以上、絶対に見つけられない! 誰も僕を、あなたを、助けには来ない!」

「どうでしょうね。私はそうは思わないけど」


 反論する順次郎に、東子は、僅かな笑みを浮かべながら言い返す。


「だってまだ聞いてないもの、雄二が、あいつらを倒せるだけの確信を持てた理由。それを話すまでは、あいつは絶対に私を探すわ。そしてガルムもヘレナも倒して、私を助けてくれる」

「な……」


 絶句。ああ、考えていることが本当に顔に出やすい男だ。雄二が持っている似たような特性は、絶対にこの人から受け継いだに違いない。


 東子は挑発するように、かつての世話役の一人に問いかける。


「夢物語だと思う? 皇子様の助けを待つ、馬鹿なお姫様の戯言だって」


 でも、それは夢ではない。現実だ。実際に起こることだ。

 神凪雄二はそういう人間だ。東子があいつを信じる限り、絶対にその信頼に応える。応えてくれる。

 普段は粗雑で、馬鹿で、間抜けで、ちょっと甲斐性がなくて若干ケチな、頼りにならないやつだけど。


 それでも、東子のパートナーだ。

 大好きな、たった一人の相棒だ。


 相棒をみすみす喪うことを許せるほど――神凪雄二は、物わかりの良い男ではない。だって馬鹿だし。ビックリするくらい律儀だし。約束は絶対に守るのだ、昔から。あと記念日も忘れない。


 そうだ。記念日と言えば、六月には二人が初めて出会った日がある。きっとまた、お祝いしてくれるのだろう。二人でそれを祝えるのだろう。

 だから、こんなところでみすみす、金色の砲の弾丸なんかには、ならない。


「ねぇ小父様。この国の神話的側面わたしたちについて詳しい人間なら、知っていて当然だと思うけれど……一応、聞いてみる。製鉄師が鉄脈術を発動できる距離って、どのくらいだと思う?」

「何を今更……目視可能な範囲内、だよ。世の中にはそれ以上の距離で鉄脈術が使えるひともいるって聞くけど、少なくとも雄二くんと姫殿下は違ったはずだ」

「ん……そう。私と雄二が鉄脈術を使えるのは、お互いが見える距離まで。大体百五十メートルくらいかな」


 東子は視力が良い方だが、霊質界的な問題である鉄脈術の『距離』については、物理的な話はさして関係がない。なんせ法則が違うのだ。この距離間というのは、単にイメージがつくかつかないかというだけの話。


 ――そう。

 イメージがつくのであれば。


「でもね、小父様。間違えないで――製鉄師と魔女は別に、互いを目視してなければ鉄脈術を使えないわけじゃない」


 距離さえ、互いのイメージが呼応しうる範囲ならば。

 たとえ相手が見ていなくても、想いが届く距離ならば。


 鋼の魔術は、二人を繋ぐ奇跡に成り得る……!!


 東子の体が、びくり、と震える。熱い。体の奥……厳密には霊質界側のアストラル・ボディが、共鳴するように熱を持つ。

 順次郎の瞳にうつる東子は、クリアシルバーの瞳を、更に銀色に輝かせていた。


 虹彩の周囲を囲む、鋼色の色素が発光する。

 リィン、リィンと、OI能力者と魔女だけが感知できる、鉱石同士が響き合うような、幻想的な音が木霊していく。


「まさか……探し当てたのか、この場所の秘密を……! は、はははっ……何てやつだ、雄二くん……やっぱり、君は――」


 東子の身体を中心として、銀色の導管が伸びる。環状線状に広がったそれは鉱脈だ。霊質界アストラルに広がった、自分と雄二、二人のイメージを宿した宝石たち。それらの眠る、鋼のゆりかご。


 精錬開始マイニング、と声が聞こえた……そんな気がした。


精錬許可ローディング我が血脈は汝のためにマイ・ブラッド・ユアーズ


 応えるように東子は唱える。目覚めを告げる言葉を。


 同時に、眠っていた鉱石たちの全てが、一斉に励起した。どろり、と解けるように、鉱脈は銀色の水流へと変化を遂げる。


 まるで引き合うように、『再世の髄液』は扉の向こうへと駆け抜けていく。


 同時に、ドォン!! どいう重苦しい音が、砲身を収めたのどこかで響いて。


「東子ォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ!!!」

「雄二……っ!」


 自分を探す相棒の声が、確かに届いた。

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