第十三話『覚悟を示す』
『駄目だ。潜伏先として想定していた場所は全て調べ終えたが、発見、遭遇はおろか、痕跡すら見つからない』
『隠し通路や特殊な構造もしらみつぶしに探したのでありますが……姫殿下の足取りはつかめず』
「そうか……」
返した声は、思っていたよりも沈んでいた。携帯端末の向こうで、悔し気に押し黙る気配。気を使わせてしまったらしい。
薄いカーテンを透過する朝日は、腹立たしいほどに明るかった。自分にとって天変地異にも等しい出来事も、この星にとっては日常を変えるに値しない、小さな出来事――そう言われているようで、どうしても心の内に波風が立つ。
ガルム・ヴァナルガンド、ヘレナ・レイスのペアに三度目の敗北を喫し、よりにもよって東子をさらわれてから三日。神凪雄二は、自宅であるボロアパートの一室で、皇国警察の面々と連絡を取っていた。
ガルムに人さらいを許すのはこれで二度目。奴を倒すことに躍起になり過ぎていたせいで半ば忘れかけていたが、順次郎のこともまだ助け出せていない。
雄二は戦闘専門。人探しはきちんとした公的機関に任せた方が、ずっと精度が高いはず――その直感に賭けた形だ。
だがその期待をあざ笑うように、ガルムとヘレナ、そして消えた東子の足取りは掴むことが出来ていない。
『政府の方も、未だ宮内庁の関係者が攫われたままだ。過剰想起能力観測機の貸し出しを許可してはくれたのだが……応用してここ数日の国内における鉄脈術の発動を調べてみたが、転移系の鉄脈術を使われた反応はなかった。まだこの国にいるのは間違いないのだが……』
どうやらあの二人は、かなり入念に順次郎や東子の誘拐計画を立てていたらしいと、ここ最近の捜査で確信した。皇国警察は少なくとも、国家の治安を公的に守る立場として相当に強力な捜査力とデータベースを持っている。それを以てしても潜伏先が見つからないとは相当だ。
雄二の目の前で、陽炎のように消えてしまったあの光景が、東子との今生の別れだとでもいうのだろうか。そんなうすら寒い想像が脳裏を掠め、思わず身震いしてしまう。
「せめてあいつらの『目的』が分かりさえすれば……」
おそれは苛立ちとなって、愚痴めいた言葉を吐き出させた。
奈緒がガルムとヘレナの潜伏予想先を割り出せていたように、あの二人の行動には規則性がある。ガルム自身が、何か理由があってこの国に来たと思わせる言葉を口にしているほどだ。
だがその理由が分からない。規則自体は割り出せても、その意味が分からなければ正解を見つけるのは難しい。ましてや見てわかる共通項は全て割り出し、該当する場所の調査も終わったあとなのだ。もっと深く、根本的な部分を考えなければ、正解にはたどり着けない。
『申し訳ないのであります、神凪殿。自分たちがふがいないばかりに……!』
「謝らないでくれ。これはガルムを倒せなかった俺の責任なんだ」
『とにかく、捜査は継続してみよう。何か分かったことがあり次第、真っ先に報告する』
「……悪い、頼んだ。こっちもこっちで探してはいるけど、個人じゃ限界があって」
『任せて欲しいのであります。神凪殿は決戦に備えて英気を養うでありますよ』
電話が切れる。奈緒のいたわりの言葉が脳裏で反響。きっと彼女は、雄二を元気づけるつもりでそう言ってくれたのだろうが――今の自分では役立たずだと、そう言われているような被害妄想を懐いてしまう。
「……くそっ」
悪態は反射的に零れ出た。つぎはぎだらけの布団の上に、振り下ろした拳が突き刺さる。穴の間から羽毛が舞って、ほこりと混じってきらきら輝いた。
その光景を、ぼうっと眺める余裕もない。
「東子……どこに行っちまったんだ……?」
***
「笠原の奪還作戦の失敗に、駅前におけるテロの対応ミス、挙句の果てに東子を攫われるとは――想像を絶する失態だな、神凪」
ところは変わって、聖玉学園辺境、戦術研究室。
執務椅子にどっかりと腰掛け、心底から呆れた、と言わんばかりにため息を吐くのはルートヴィーゲ・玉祖・ヴァインだ。棒付きキャンディーをけだるげに口の中へとつっこみ直すと、ぎろりとこちらを睨んできた。
アイスブルーの瞳の中には、もはや怒りさえも見て取れなかった。誰かを見捨てる一歩前の表情であると、雄二は古くから知っている。
そして今回、彼女に見捨てられるのは自分であることも。
「とくに最後のが最悪だな。六皇爵会議と宮内庁は連日てんやわんやの大騒ぎ。陛下の温情に感謝しろよ。お前があの方のお気に入りでなかったなら、今頃物理的に首が無いぞ」
思わず閉口してしまう。おどける余裕がなかった、というのもあるのだが、あの男ならばそのくらいやりかねない、と知っていたからだ。
日本皇国、その事実上の頂点――現『天孫』、
本来、皇国の政治は『天孫』を頂点とする六皇爵会議が、政府に委託する、という形で執り行われる。そのため、『天孫』そのものに常用できる権限はさほど多くないのだが――彼はその全てを、妹を害するものを滅する、そのために使う覚悟があると、以前から公言しているほど。東子の洋服を汚した侍従が、何の感動もなくその日のうちに全財産を没収されたときは震えあがったものだ。法治国家じゃなかったのかこの国。
雄二はなんやかんやあってあの男に異常に気に入られているため、その矛先が向いたことはなかったが……今度ばかりは例外かもしれない。
「実際、お前の首を切り落とすべきだ、という声も会議では多く聞く。今は上位の各家で抑えているが、突破されるのも時間の問題だ。このまま東子が戻らなかった、ともなれば、誰もお前の処刑を止められん」
二重の意味でぞっとする話である。自分の命を喪うのも、東子を喪うのも嫌だ、絶対に。
「何とかする」
「何とかする?
ふん、と鼻で笑うルートヴィーゲ。対照的に、雄二の方は一瞬、言葉に詰まってしまう。何をどう言い返せばいいのか、すぐには見当がつかなかったから。
彼女の言葉は至極真っ当なものだった。今の雄二では、鉄脈術の起動はできない。それどころか、《魔鉄の加護》で身体能力を戦士並みに拡張している都合上、まともな戦闘さえもできやしないのだ。
――鉄脈術は、契約を交わした製鉄師と魔女が、二人で放つ鋼の魔術。
当然、二人の距離が引き離されすぎると、発動ができなくなってしまう。魔鉄犯罪者を別々の牢屋に拘留するのもそういう意味。鉄脈術が使えなければ、《魔鉄の加護》も発動しない。製鉄師はただのOI能力者、魔女はちょっと頑丈な銀髪合法ロリに留まってしまう。
多くの場合、鉄脈術の発動できる限界の距離は『目視可能な距離』と言われている。中には例外もあって、例えばヴァンゼクスの
だから今の雄二は無力。ちょっと戦い方を知っていて、魔鉄を曲げられるくらいの、普通の男子高校生にすぎないのだ。
――それでも。
「それでも何とかする。してみせる」
「……」
強情な教え子に、いよいよ愛想をつかしてしまったのか。
ルートヴィーゲは暫く、押し黙ったままだった。目線を合わせてくれもしない。
どのくらい、そうしていただろうか。
「……なぁ、神凪。いや、雄二」
静かに口を開いたルートヴィーゲは、一度、雄二を呼び直した。
驚いて、青色の目を覗き込んでしまう。
彼女は公私の切り分けが、いうほどしっかりしている方ではない。しかしそれでも、公平を期そうとするタイプの人間だ。東子はともかくとして、雄二の方は『弟子』として特別視しない――聖玉学園に入ると決めたとき、そう告げられていた。
しかし今、彼女は昔のように、雄二のことを名前で読んだ。
それはつまり、これからいうことの全ては、お前の教官、担当教師、お前の上司としてのルートヴィーゲ・玉祖・ヴァインの言葉ではなく、お前の
「悔しいのは分かるが、今回ばかりはやめておけ。このまま飛び出していけば、お前は死ぬぞ」
「そのくらい予想がつく」
「分かっているならどうしてやめない。皇爵家は既に各家の直属製鉄師を野に放った。正直私も楽観視しているというか、そうであってほしい、と願っているだけの節はあるが……それでも、この私をしてそう思える程度には、東子はそう遠くないうちに発見されるだろう。状態はともかくとしてな」
それは言外に、命の保証はない、と言っていることと等しい。あるいは命は無事でも、死よりも酷い目にあっているかもしれない。想像したくもない話だが、可能性はゼロではないのだ。そして東子が、この国の皇女で、かつてラバルナ帝国と呼ばれた国家、その皇帝の血を引く彼女に待ち受ける運命とは、雄二の予想を遥かに上回るほど苛酷なのかもしれないのだ。
「そしてもし、彼女が五体満足で帰ってきたならば――」
「言わなくても分かるよ。今度こそ天児屋が俺たちの契約を断ち切らせる。俺の処刑は止めてくれてるけど、あいつは俺の味方じゃない。正直、俺が東子を見つけたとしてもあやしいレベルで、今、俺の信用は地に落ちてる」
そんな過酷な道を、雄二が一緒に歩いて行くことは、おそらく許されはしない。彼女と出会ってから、彼女と『どこにもいかない』と約束をしてから、ずっと、ずっと続けていた耐久戦も、終わりを迎えてしまうのかもしれない。きっと雄二は東子と引き離される。この契約を断絶させられて、あの粘液状の世界を再びこの視界に映す羽目になるのかもしれない。
それでも、何もしないよりはずっとずっとマシだ。
「俺は東子を探すよ。それで見つけて、今度こそガルムを倒す」
「馬鹿か貴様は。馬鹿なんだな!?」
ルートヴィーゲが声を荒げる。珍しくその感情を抑えきれなかったのだろうか。革製のベルトで左腰に吊るされた鞘が、ギャリンッ、と鈍い音を立てた。
瞬きの隙さえなく、雄二の首筋に、真紅の刃が添えられている――目にもとまらぬ抜刀。殺してでもお前を止めるという、彼女の覚悟。
「私はこれでも、お前たちが、お前たち二人でいられることを願っているが――どちらか、あるいは両方が命を落とすよりはずっとマシだ! 私はお前を過大評価しているが、それでもお前はあの男には勝てない! せめて近衛クラスの――」
「それでも俺が倒す!!」
だから自分も、覚悟を示さなくちゃいけない。
ルートヴィーゲを納得させられるほどの、覚悟を。
「ああそうだよ。馬鹿だよ。大馬鹿野郎だよ! 敵の力量を見誤って返り討ちにされて、あまつさえ相棒を攫われるような出来損ないのクソヤロウだ!!」
情けない。なんて情けない話なんだろう。自分で振り返っていて嫌になる。これでも国内じゃ強い方なのだと、自信過剰になっていた我が身を恥じなければならない。それが分かっているのに、あの白髪の二人組を倒すのは自分だと、息まいている己の愚かさの、なんと酷いことだろうか。
けれど東子は、そんな雄二を信じると、そう言ってくれた。
ガルムを倒す手立てがあるのなら、それを見せてほしい、と。雄二のことを馬鹿と罵るかどうかは、それから考える、と。
「
まだ、東子から「あなたは戦わないで」とは言われていない。
それはとどのつまり、東子はまだ、雄二のことを信じてくれている、という証拠に他ならない。
だったらあいつも、雄二を待っている。雄二が、あの日交わした約束のように、自分を救いに来てくれるのを待っている。
この先の未来を、二人で一緒に歩いて行けると、そう信じてくれている。
「頼むよ、先生。チャンスをくれ。これで最後でもいい。俺に……俺に、
「っ――」
最後は、殆ど叫んでいるのと同じだった。口の端から飛んだ唾が、僅かに手の甲を汚す。もしかしたら今、泣いているかもしれないくらい。
そんな雄二の姿に、何を思ったのだろうか。ルートヴィーゲの頬は引きつっていた。アイスブルーの瞳の奥に、激情の炎が見える。怒らせた。それはもう、間違いなく。
だが、赤色の刀は、雄二の首に傷を負わせることはなかった。この場から動けないようにするための、手ひどいダメージを与えてこなかった。
代わりに、チン、と小さな音。青銅を思わす装丁の鞘に、刀身が消えていた。
「勝手にしろ……! 私はもう、責任を負わん」
座ると同時に執務椅子を回転させ、ぐるりとそっぽを向くルートヴィーゲ。
その背中に、雄二はひとつ、呟いて。
「――ありがとう、先生……
彼女の肩が震えるのを見届けないまま、戦術研究室をあとにした。
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