第十二話『レーヴァテイン《下》』

 製鉄師以外には、あまり知られていない話であるが――実は鉄脈術には、二種類の起動パターンがある。


 一つは無詠唱ハースブラッドと呼ばれるものだ。普段雄二や東子が使っているのと同じ、起動句を唱え、ときには術の名を示すことで、己のイメージを固める方法。

 起動は一瞬、効果は絶大。多くの局面において、製鉄師が戦闘で使うのはこちらのやり方だ。


 しかし今、ガルムとヘレナが執り行おうとしているものは、もう一つの方法だった。工房全体を震わせる、このこそがその証。これこそが、鉄脈術の……そして製鉄師の、究極的な意味での『本来の使い方』なのだと、雄二は製鉄師になったその日に、ルートヴィーゲから教えられた。


 即ち、製鉄師が『鋼の魔術師』と呼ばれる理由。

 契約した魔女のことを、『鋼の巫女』と呼ぶ理由。


 魔術師も巫女も、悪魔であるか神であるかは別として、超常存在、あるいはそれらの住まう世界へと語り掛ける力を持った者たちだ。実際にそういったモノが住んでいるのは冥質界カセドラルであるから、自分たち製鉄師ではなく超能力者コネクターの領域になるのだろうが……言葉のあや、というやつである。


 要するに、魔術師たちと重ねているのだ。

 魔鉄を触媒に、霊質界という幽世と交信する製鉄師の姿を。


 そして古今東西、超越した世界に接続し、その力を引き出すためには、『向こう』に語り掛けるための祝詞が必要だと相場が決まっている。鉄暦時代の神話から、つい最近のファンタジー小説に至るまで。


 その祝詞は一貫して、こういう特徴を持つ。

 即ち、簡略化されていない、長い術理である、と。


 有詠唱フォージブラッド、と名付けられたこの起動法で鉄脈術を発動したとき、それは無詠唱のそれよりも遥かに強力な性能を発揮する。


 鉄脈術は、魔鉄鍛造スヴァルトとはまた違った意味で、イメージの鍛冶だ、と言われる。製鉄師の見るオーバーワールドと、その世界に対して魔女が懐いたイメージ。その両方を混ぜ込み、製鉄し、この世に生み出す空想の鍛冶。


 ならばその製法がより綿密で、より精巧であれば。

 より完成度の高いイメージを、二人一組の鋼の魔術師が、懐けているのなら。


 あるいは――その有詠唱鉄脈術は、無詠唱のそれから隔絶した、全く別物の技になっていても、おかしくはない。


「――精錬加速、いざや世界、その価値をば問い正さん」

「精錬許可、あそびあそばせ九曜世界」


 込められた意味の僅かに異なる起動句が、ガルムとヘレナの口から零れる。普段ならすぐに、ヘレナを中心として、霊質界の鉱脈が伸びるはずだが――今はそれが、殻のような形で二人を覆っていた。


「愚かなり。秩序に眩んだ隻眼の王。枯れ行くばかりの世界樹に、汝は意味なくしがみつく。残されたまなこに写る景色、かつて聞いた巫女の詩。成就の時はここに来たれり。この身、さきがけなればこそ」


 ガルムの低い声が木霊して、陽炎のごとく世界が揺れる。脈打つ坑道の色は、マグマを思わす深い赤。


「冬が来る。夜が来る。霜が降る。焔が狂う。黄昏はより赤く、行く末はより昏く。黄金こがねの時代は既に閉じた。この言の葉が、あるべき姿を塗り替える」


 これまで聞いてきた舌足らずな口調とはまるで違う、やけにはきはきとした言葉づかい。

 予言を告げる巫女のように、ヘレナ・レイスは祝詞を繋ぐ。


 噴きあがった炎が、鉄脈の内へと吸い込まれては消えていく。最初は卵のように思えたその殻が、今はまるで太陽の『核』のようだ。コロナの噴きだす方向は逆だが、形状と発する輝きはよく似ている。


「炎の内に壊れよ秩序。混沌よ、紅き地獄に産声を上げろ。さぁ我が徒よ、月と太陽さえ燃やし、滅ぼし、昏き世界に我らの明日を創り出そう」


 その言葉尻を拾って、もう一度、ガルムが歌う。

 工房の床を支配する霊質界の風景……彼の呼び出した地獄の炎が、讃えるように勢いを増した。


「「――今、この時代を焼き尽くす」」


 二人の声は、今一つに。

 二人の心も、おそらくは一つ。


 起動句と鉄脈術の名前。そして、有詠唱起動のための祝詞――その全ては、初めて相棒と契約したとき、数秒間の自動展開と共に、使い手の脳裏に刻みつけられるものだ。

 そこに込められた意味は全て、彼らの垣間見ていた歪む世界オーバーワールドを、如実に、そして二人の価値観で言い表す、特別なものだ。要するに、異界の風景に二人が願った、その全てが編みこまれているのである。


 ガルムとヘレナの詠唱は、秩序の黄昏を描いていた。

 炎の内に沈む世界、そのイメージに、どうして二人が『滅び』を願ったのかは、今の雄二では推察すら叶わない。


 けれど鉄脈術の在り方が……ガルムの言葉を借りるなら、『この世界を終わらせる』ための姿を、取っていることだけは、理解できる。


 このままにしておくのはまずい。

 今更になって、その思考が働いた。『再世の髄液』の質量を増やして、攻撃の準備をする。


「駄目」

「っ……」


 その行動を、腕の中の東子が咎める。彼女のクリアシルバーの瞳は、「無駄に注意を割かないで」、と告げて来ていた。


 ガルムとヘレナを包む『殻』は、その隙間から赤と黒の炎を噴き出し続けていた。不用意に刃を放っても、あれに迎撃されてしまうだけだろう。むしろその隙を疲れて鉄脈術を叩き込まれたらお終いだ。

 

 黙って見ているわけにはいかない。

 さりとてここで手を出せば、次の行動に対処できないかもしれない――。


「《振鉄ウォーモング》」


 雄二の逡巡を、あざ笑うように。


「『この黎明に崩れよ世界、ラグナ・ローゲ・落日の黄昏はここにありレーヴァテイン』」


 ガルム・ヴァナルガンドは、その切り札を解き放った。


 明滅が激しくなる。ルビー、あるいはガーネットの原石が、今にも零れ落ちてきそうだ。採掘マイニングの言葉の通り、鉄脈術はときとして採石に例えられるが、この光景を見ると正に――

 

 ――いや、違う。

 あれは宝石ではない。中に鋼の魔術が詰まった、上位世界の卵ではない。


 血管だ。尋常ではない図体の中を流れる、

 それに気づいたのは、噴きあがった炎が筋肉のごとく、鋼の核を包んだあとだった。バキリ、と、何かが割れるような音と共に。


 直後、熱風と溶岩をまき散らして、その『殻』が爆発した。


 工房の天井が、壁が、床が粉々に破壊され、突風と共に大空へと吹き飛ばされる。

 残っていた資料のことごとくは熱波の中で焼け落ち、あるいは溶かされてしまう。


「きゃぁっ!?」

「東子……っ」


 防護壁ごと工房の外へと弾き飛ばされる東子に、無理矢理手を伸ばす。吹き荒れるの風中、彼女の細い腕を掴んで勢いよく抱きしめた。きゅっと背中に回された手を守るように、『髄液』を盾上から球形に変形、熱と風をしのぐ。


 霊質界由来の空間振動と、物質界にまで波及した熱風が収まり切るまでに、およそ三十秒余りが必要だった。

 徐々に徐々に、ブレた視界が回復していく。


 最早一面の荒野と化した、天津麻羅派の工房跡。


 そこに――二つ目の太陽が、していた。


 直径三メートル近い足。同じくらいの太さの腕。緩く湾曲した山羊、あるいは牛のような長い角に、大きく輝く青色の瞳。本物の太陽を覆い隠しつつある、見上げんばかりの巨体。


 煌々と燃え上がる炎は、獅子のたてがみ、あるいは狼の体毛のごとし。

 燃え盛る炎の世界ムスペルヘイムがヒトの姿を取るというのなら、きっとこの姿が正解だろう。


 これがガルムとヘレナの鉄脈術、その真の姿。

 自分たちを核として、炎の巨人を顕現させる離れ業。 


 獄炎の魔神スルト。ずっと昔、どこかの神話で読んだ名が、突然脳裏に反響する。


「な、んだ、あれ……」


 逃げ伸びた警官のうち、誰かがそう、震える声を搾りだす。


 無理もあるまい。溶岩の巨人は、二十メートル近い異常な身の丈を誇っていたのだから。

 いまや見る影もない工房の天井は五メートル前後だった。単純計算で四倍の全長――工房の中になど収まるはずもない、あまりにも威圧的な姿。


「雄二!」

「はっ――」


 警告に反応したときには、もう目の前に赤い腕があった。ガガァアアアアン!! と轟音を響かせて、防御球体がマグマの拳と激突する。当然、吹き飛ぶのはこちら側だ。滞空の最中に防壁を解除し、リバース・リングを浮遊形態に移行。東子を横抱きにし、僅かに地上から浮いた位置を駆け抜ける。


「駄目、振り切れてない」

「くそっ、もう次の行動に移ってんのか!?」

「っ、雄二危ない! 巳の刻の方向!」

「うおっ!?」


 右斜め後ろに、大きく広げた掌が炸裂。こちらを捕らえようとして放たれた一撃のようだ。だが……いくらなんでも動きが速すぎる! 先ほどの殴打攻撃の硬直時間が、まだ残っているはずなのに。

 

 巨人に変身する鉄脈術なら、この二人組と初めて戦ったときに捕らえた魔導犯罪者のペアも使っていた。だが、彼らの変じたリアルロボット風味の機体は、あくまで物理法則の範疇内で動いていたし、その動きも、なんというか『巨人らしい』ものだったといえる。


 この炎のヒトガタは違う。改めてガルムの、鉄脈術の『上手さ』に舌を巻く。彼は理解しているのだ。鉄脈術は、霊質界の風景を物質界に引きずり下ろす術理。

 つまり鉄脈術そのものは、霊質界の法則で動くのだ。


 そして霊質界は存在の世界。イメージ次第でいかようにも変容する、可能性と流動の世界。だからこそ自分たちOI能力者は、オーバーワールドとして一人一人違う景色を垣間見るわけだが……ともかくとして。


 鉄脈術が、物理法則に従わなければならない理由など、本来どこにもないのである。

 ただ自分たち製鉄師が、物理法則の範疇内でしか、術の姿をイメージできていないだけ。


 重量。機動の限界。負荷。残身のような形で発生せざるを得ない硬直。

 物質界で活動するのならば避けて通れない全ての現象を、ガルムはイメージで上書きできるのだ。


『鬼ごっこは終わりだぜ、兄弟』

「ぐぁっ」

「あ、つっ……!」


 だから速い。ガルムの転じた巨人は、即座に雄二と東子に追いついた。


 熱い。巨人の身体は、すべて溶岩と火焔で構成されているらしい。指の一本一本が、その内に半透明の熱流を循環させていた。


 もともとガルムたちの鉄脈術は、地獄の風景を地上に投影する、「地形降霊型」とでもいうべき術式であったらしいが……どうやら今は、それを無理矢理ヒトガタに纏めているらしい。炎の世界が人の姿をとったなら、という雄二の推測は、あながち間違っていなかったと見える。


「このっ……放し、やがれ……ッ!」


 もろとも握りつぶされてしまった『再世の髄液』を再び展開。あの手この手で拳を攻撃してみるが、その拘束を振り払えない。

 東子が魔鉄の加護の強化に全力を回してくれているらしい。雄二の体が焼けこげるようなことは無かったが……この熱感覚だけで、大やけどを負ってしまいそうだ。


 おまけに精神的苦痛は体力を奪う。ただでさえ鉄脈術の維持に脳領域を使っているのに……アストラル・ボディの疲労が、物質界の肉体にも反映され始めた。二人そろって息が上がってきてしまう。


『オレに『こいつ』を使わせたんだ。せいぜい、それだけの価値をみせてくれよ』


 ジャック・オー・ランタンのそれを思わせる、カリカチュアライズされた巨人の顔。内から炉心の光が漏れる口をにんまりと歪めて、ガルムはけたけたとこちらを挑発する。


 詠唱での鉄脈術起動は、無詠唱のそれと比べて体力、精神力を共に大きく消費する。個の姿になるだけでも、流石のガルム・ヴァナルガンドとはいえ相当な労力が必要だろう。費用対効果は期待させろということらしい。どこまでもバトルジャンキーな……。


 だがその本心、意図するところは、恐らくは全く別の場所にある。

 何故なら。


『……まぁ、それも無理な話らしいがな』

「く、そ――」

「雄二……!?」


 既に雄二の思考は、ブラックアウトの過程に突入していたから。

 ガルムの炎の腕は、熱に当てられたあいてから体力を奪うらしい。悲鳴を上げる東子の方も、クリアシルバーの瞳が霞みかけていた。


 視界が高速で歪む。投げ捨てられたのだ、と気付いたのは、自分の頭が大地と激突する音と、それから糸の切れた人形のように倒れ込む己の体を、視界に捕らえたあとだった。


「雄二、しっかりして、雄二!」

『おっと、黙ってもらおうかオヒメサマ』


 赤く大きな手が、ぎゅっとその内に力を籠める。あう、とか細い声。いかな魔女とはいえ、その本質は一人の女の子だ。苦しいものは苦しい。


「やめなさい、放して……っ」

『そういうわけにはいかないの。あなたは、わたしたちのためにひつようだから』

「あ、ぐっ……!」


 巨人の内から、ガルムではなくヘレナの声がする。また下の舌足らずな口調に戻ったそれは、しかし今までとは違って、はっきりとした意思、断固とした決意が宿っている。

 締め上げられた東子が、苦悶の声と共に脱力する。意識を失ってしまったらしい。


「あず、まこ……」


 危険だ。この二人は東子を使って、何かこの世界にとって、とてつもなく邪悪なことをしでかそうとしている。

 雄二は別段、物凄い善人というわけではないし、人類愛に満ち溢れているわけでもないが――その邪悪が東子を傷つけるものならば、話は別だ。

 

 だが体がいうことを聞いてくれない。熱にやられきった四肢は満足に動かず、ただ僅かに痙攣するだけ。動け、動けよ、と内心で怒声を上げても、狂った体は沈黙したまま。まるで体組織の全てが焼き尽くされて、死んでしまったかのようだ。

 これじゃぁ数日前の二の舞だ。

 同じ相手に、同じように負けるのか、俺は。


『おっと』


 その怒りを代弁するかのように、巨人の頬を銃弾が掠めていく。

 魔鉄で覆われた鋭い流線形は、OI警官たちが持っていた銃のそれとは別の弾丸。どうやら専用の者であるらしい。


 七星奈緒が、大型の魔鉄銃を構え、炎の巨人を狙撃していた。


「お二方から離れるのであります、この外道……!」

『そうさせてもらおう。こいつを頂けば、あとは何も用事はないからな』


 だが、ガルムは余裕を崩さない。巨人化の鉄脈術を励起させている今、二重の意味で奈緒の銃弾は効かない。それがもたらす余裕だろうか。

 あるいは、単に目的を果たした達成感からか。


 燃え盛る巨体が、背を向ける。たてがみめいた灯火が、今は魔王のマントかなにかのように見えた。


「待て……待てよ、ガルム・ヴァナルガンド……ッ」

『あばよ兄弟――次はあの世で逢おう』


 その言葉を遺して。


 炎の巨人は、解けるように姿を消してしまった。

 内部にいたはずのガルムとヘレナ。そして、囚われたままの東子を連れて。


「ち、く……しょ――」


 三度目の敗北に噛みしめた唇が、ぴりぴりとした鉄の味を伝えて来るのとほぼ同時に、雄二の意識は薄れ始める。口が動かない。思考が止まる。耳に届く梨花と奈緒の叫び声が理解できない。

 戦い過ぎた。こんな時だというのに、限界が来てしまったらしい。今すぐにでも、東子を追いかけなければいけないのに。


 ――必ず、必ず助ける。すぐに追いつく。だから悪い、今は待っていてくれ。

 闇へと落ちゆく意識の中、雄二の脳裏に浮かんだのは、そんな情けのない謝罪の言葉だった。

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