第四話『戦う理由』

「記録上最近の成績は良いもんだから、まぁこのくらいの作戦ならなんとかしてくるだろうと期待した今朝の私がひたすら憎い。今すぐ助走を着けてぶん殴りたいくらいだ」

 

 皇都・東京、聖玉区。その中心たる聖玉製鉄師養成学園……通称『聖玉学園』の隅。一般に、戦術研究室と呼ばれる小さな教室で。


「何故ならその結果がこの報告書なのだからなァッ!! おい神凪ィ! どういうことだこれは! 一体! どういう!!」


 雄二と東子は、全力で怒鳴られていた。厳密には雄二だけが怒鳴られていた。それはもう、烈火の如く。執務机に叩きつけられた手が、ばぁんと酷い音を出す。広げられた白い報告書がぐしゃりと歪み、彼女の怒りの大きさを物語ってくる。おおこわ。

 

 太く長いポニーテールに纏められた髪は、その激情を示すように燃えるような真紅。革製の執務椅子に腰を下ろし、机にどかりと上げた足を堂々と組んでいる。これで行儀が悪く見えないのだから、威厳のある人というのはすごい。

 左目を蓋う眼帯と、赤い前髪の下の顔立ちは、東子ほど浮世離れしたものではないにせよ相当に整っている。鋭い目つきも相まって、正に抜身の刃物といった様相だ。

 軍服風の出で立ちに包まれた百七十センチを超える長身は、出るところは出、引っ込むところは引っ込んだ恐るべきモデル体型。今はジャケットとパンツスカートに隠れて見えないが、二の腕と太腿についた筋肉は、豹のようにすらりとしなやか。


 彼女の名前はルートヴィーゲ・玉祖・ヴァイン。

 六皇爵家が一角、玉祖たまのを家の一員にして、聖玉学園の歴史科と戦術実習担当教師。プロ・ブラッドスミスとしては雄二と東子の大先輩にあたる人物。普段、二人にプロとしての仕事を斡旋してくれているのも彼女だ。


 そして――同時に、幼少期の家庭教師だった人でもある。箱入りで、外の世界のことを何も知らなかった東子と、により世の常識を知ることもままならなかった雄二にとって、ルートヴィーゲは「人とは何か」「生きるとはなにか」という、大切なことを全て教えてくれた、姉や母のような女性なのだ。


 当時の恩もあって、雄二はどうにも彼女に頭が上がらない。今みたいに本気で怒鳴られると、渋い顔をしながらも本当の所を話さざるを得なくなってしまう。誤魔化しが効かないのだ、どうにも。


「書いてある通りそのまんまだよ、先生。敵の頭を倒して、笠原のおっさんを回収しようとしたらヴァンゼクスのなんとかいう奴らに妨害された。それ以上でもそれ以下でもないし、どういうこともこういうこともねぇっつーの……そりゃ、やべぇ相手だなとは思ったけどさ」

「馬鹿貴様、どう考えてもそれ以上だ。お前が『やべぇ相手』だと感じた時点で、こっちにとってはよりマズい問題なんだぞ」


 ルートヴィーゲは回転椅子の背もたれに寄りかかると、長い指でかつかつ机の表面を弾く。イラついているときの癖だ。


「後見人としてのひいき目もあるがな。私はお前たち二人を、国内のペアの中でも特に上位に位置すると評価している。そのお前達を軽くあしらうだけでも厄介だというのに……」


 はぁ、とひとつため息をつき、彼女は右腕に取り付けた金色の腕輪……製鉄師用のOICCに指を這わせる。その動きに連動するように、部屋の壁に取り付けられた魔鉄プレートが、ホロディスプレイを投影した。どうやら遠隔操作で魔鉄モニターを起動したらしい。

 雄二はどうにもOICCの日常的活用が下手なのだが、ルートヴィーゲはこういうのが得意なのだ。どこからどうみても若き女軍人、といった風貌なのに、意外と知的というか器用というか……。


「これを見ろ」


 ホロウィンドウの内容が変わる。直前まで使用していたのだろうなにかのグラフから、何者かが戦闘をしている映像と、プロフィールと思しき人物データ、それから、二人分の顔写真。


「こいつは」

「さっきのペア……?」

「そうだ。ガルム・ヴァナルガンドとヘレナ・レイス……向こうから名乗ってくれたのが幸いだったと同時に最悪だ。出来れば楽観視したい部分だったからな、敵の正体というのは」


 よくよく見れば、映像に写っているのもガルムとヘレナだ。夕べに見た深紅と漆黒の入り混じった炎が、砂煙の向こうに見え隠れする。

 白い歯を剥き出しにして笑う様はどこか狂気的。ヘレナが人形のように無表情なのも、二人の不気味さに拍車をかけている気がした。


「有名人なのか?」

「少なくとも国防に携わる者の間ではな。お前達にはどちらかといえば国内治安に関連した依頼を回しているから、知らなくても仕方ないが……少なくとも聖銑の黒崎理事長や、聖観の上層部に名前を告げれば目を剥くかため息が出るか、そのくらい厄介な相手だよ」


 千葉に本拠を置く、プロ・ブラッドスミス輩出率第一位を誇る養成学園と、同じく国防戦力としての製鉄師育成に力を入れる福岡の養成所の名を挙げるルートヴィーゲ。黒崎暗音とは面識がある。日本皇国で最も製鉄師に詳しいあの魔女体質者が、ため息を吐くほどの相手……それはつまり、彼我の戦力差が歴然であることと同義。


「神凪、東子、お前達はこの事件から手を引け」

「何でだよ! 遭遇したのは俺たちだ。俺たちが倒す」


 それでも、雄二にはあの二人をつかまえ、順次郎を宮内庁に帰さなければいけない理由がある。依頼未達成扱いで今月の生活費がピンチ、というのもあるし……他にも、色々と。


 それに――『また会う時が来る』という、ガルムの言葉が妙に引っかかる。あの台詞を無視して毎日を過ごしていたら、それこそ、何か極めて厄介な目に遭いそうな気がしてならないのだ。

 

 悔し気に唇をかんでいると、隣で東子が、そっと口を開く。


「それは、相手が海外の製鉄師だから?」

「一番大きな理由はそれだな。特にあのガルムは最悪の手合いだ」


 日本が製鉄師を本格的に育成するようになったのは、ラバルナ帝国崩壊の余波が終息に向かい始めた頃だったという。いまからざっと二十年くらい前……この聖玉学園が開校した、魔鉄暦一〇年がその元祖はじめだ。

 要するに、海外と比べて絶対的にレベルが低いのである。未だ。

 

 無論、日本の製鉄師が皆弱い、というわけではない。あくまで全体の平均に差がある、というだけのこと。そもそも絶対的な人数が、極東の島国と広大なユーラシア全土では違う。

 

 だが――それを抜きにしても、あのガルム・ヴァナルガンドは凶悪な相手であるというのだ。要するに、指折りで格差がある部分……特に強力と言われる海外製鉄師の中でも、特段の実力者ということなのだろう。


「神凪。お前、あの男がヴァンゼクス=マギと言ったのを聞いたそうだな」

「ああ。出身国の話なのかと思ってたけど」

「馬鹿、ライオニアの製鉄師とはワケが違う。ヴァンゼクスの製鉄師が特定の国名を後ろにつけるときは、『独立派だ』と宣言しているのと同義だよ。極めてマズい」


 ヴァンゼクス。

 正式名称、ヴァンゼクス超国家連邦。


 中央アジアからロシア全土、西アジアの一部に東欧と、今現在、ユーラシア大陸でもっとも広い規模を支配している、名実ともに最大最強の超国家ドミニオン。ペルシアにその中枢を置くこの国は、厳密には六つの超国家による連邦としての姿をとっている。

 その六つの国は各々、協力と対立を緩やかに変遷させ、常に情勢を変えていっている、と聞く。経済協力という大義の下に集い、所属国家が密接に協力するライオニア商業国とは確かに真逆の存在だ。


 それでマギというのは、その中でも指折りに武闘派な国家で、元々は戦時中にOI能力者の研究機関が設立した、傭兵団が国を興したものだと聞くが……その、独立派?


「……それの何がまずいんだ?」

「馬鹿か? 馬鹿なんだな? さては貴様の脳味噌は失敗した冷凍茄子よりもスカスカだな?」

「馬鹿雄二ですみません……」

「東子が謝る必要は何もない。全てはこのスカポンタンが私の担当授業世界史全ての回において空腹に喘いでいるかぐーすか寝ているかの二択につきまっっったく内容を頭に入れていないことが悪いのだからなァ!!」

「いでっ、いででででっ、先生、アイアンクローは駄目、アイアンクローは駄目だってば!」


 伸ばされたルートヴィーゲの腕が、雄二の首根っこを強くつかむ。この人この細い腕のどこにこんな力が……! いやまぁ、腰からつるした真っ赤な鞘の魔鉄刀は飾りではないので、当然これだけの腕力はあってしかるべきなんだけれども!


「た、体罰反対……」

「そう思うなら授業を真面目に聞け。今ここで貴様の糠よりも手ごたえのない頭によーく噛み砕いた知識を叩き込んでやる。そこに座れ、歴史の授業だ」


 ぜーはーと息を荒くしていれば、パイプ椅子への着席を指示される。入れ替わるようにルートヴィーゲは立ち上がると、壁に張られた世界地図へと近づいていく。


「神凪。今日は何年の何月何日だ」

「魔鉄暦三〇年の四月十五日……だったはず」

「そうだな。では、その『魔鉄暦』というのがどういう由来を持っているのか、当然語れるだろう」


 えーっと、何だったかな……と、記憶領域を掘り返す。


「魔鉄器文明の開幕……これまでの鉄器文明から、魔鉄を基盤にした新しい文明社会に人類が到達したー、だとかなんだとか、そんな感じじゃなかったっけ。で、それが三十年前のヴァンゼクス超国家連邦成立に端を発してるとかいう」

「お前にしてはよく覚えているな。感心感心」


 一体自分はどれだけ駄目生徒だと思われているのだろうか。いや実際大分駄目な生徒ではあるのだけれども。この間の、高等部に上がって初めてとなる世界史の小テストでは、雄二の得点はクラス最低だった。


「ではそのヴァンゼクスは、何故成立することになった? そもそも超国家とはなんだ? 言ってみろ」

「えっ!? え、ええーっと……」

「もう限界か、馬鹿め。真面目に授業を聞いていないからこうなる」

「いやっ、超国家が何かぐらいは分かるんだけど、こう、言葉としてまとまらないと言うか……東子は分かるか?」

「もう、このくらい常識でしょ、馬鹿雄二……超国家ドミニオン。通常の国が一つの指揮系統の元に集う様に、数多の国が統一の政権を編み、国をも同一の殻で蓋う連合形態だったはず」

「正解だ。同様の形式のものは、鉄暦時代の歴史書を捲ればいくつか散見できるのだが……今、盛んにこの名前が使われているのは、ある勢力の影響だ。神凪、鉄脈術に携わる者なら、必ず知っている名前だぞ?」


 流石にそのくらいは分かる。今日何度も、それが関わる力を使い、見て、体感したところなのだから。

 

 魔鉄の加工技術も。

 ただ異界の風景を見る呪いに過ぎなかったOI能力を、この時代を生き抜く異能へと昇華させたのも。


 異界の風景をこの地に下ろす、鋼の魔術を確立したのも、全て、全てこの超国家の成した大偉業なのだから。


「ラバルナ……『統一超国家ワールドエンド・ドミニオン』ラバルナ帝国だろ。世界で初めて人類を統一したっていう」

「そうだ。このラバルナ帝国が、広大な地球を統治するために採用した国の在り方――それに『超国家』という名前を付けた。それがことの発端だ」


 今から、七十年以上前。

 アナトリア地方に興ったラバルナ帝国は、その時代にはまだ誰も持ち得なかった魔鉄器と、鉄脈術という圧倒的な技術及び軍事力によって、瞬く間に世界を征服した。

 戦争から日常生活、そしてOI能力者に対する価値観の変化まで。この世のありとあらゆるものの在り方が、ラバルナの手によって『刷新』された。


 人類は、鋼の代わりに魔鉄を使うようになり。

 理論の代わりに、イメージを使うようになった。


 軍と軍の戦いは最早旧時代のそれとなり、今や戦争とは、一組か二組の製鉄師と製鉄師が激突し合うものを指す。なんせたった二人で戦略兵器を上回る戦果を出せるのだ。当然、そちらを使った方が効率がいい。


 そうとも、ラバルナ帝国は、人類に『魔鉄文明』という新たなスタンダードをもたらしたのだ。超国家という概念も、例外ではない。


「三十五年前――帝国が滅びた折、ブラッド・カタストロフという大混乱があった。経済、治安、自然……あらゆる全てが大きく動乱した。そんな混沌の時代に一つの区切りを着けたのが、ヴァンゼクスの成立だった。ラバルナの後継国家になる、という目標を掲げた六つの超国家が手を結び、ユーラシア大陸の動乱を一気に鎮めたんだ。力とはそのまま抑止力になる。ラバルナ帝国と酷似した、超国家による超国家の支配……正に『帝国に最も近い超国家』の存在は、ブラッド・カタストロフを集結させ、十年後、ライオニアによる世界経済の掌握が完了した際、ただちに戦争を終わらせるだけの下地を作った」


 ――ラバルナ帝国の崩壊後。

 帝国が独占していた製鉄師と魔女の契約技術や、魔鉄加工に関する技術は、帝国へと派遣されていた技術者たちや、そもそもの帝国本土から逃げ伸びてきた人々の手によって世界中に広められることとなった。

 特に変幻自在、万能の物質であるところの魔鉄は、日常のあらゆる素材となり替わり、『魔鉄器時代』と呼ばれる新時代をもたらすに至ったほどだ。

 

 だがそれから暫くは、大きな動乱が続いた。日本でも聖玉ができるまで続いた《原風景ワイルドエイジ》と呼ばれる戦争期に、多くの命が奪われたという。今でも、関東における製鉄師たちの拠点があった千葉には、《〇世代ワイルドエイジ》の戦没者記念碑が立てられている。


 その混乱は、聖玉開校よりも僅かに前、西ヨーロッパにライオニアが成立したことで、もう一つ、北アフリカに居を構える巨大な超国家との睨みあいの構図が確定。日本に戦火が飛ぶような、世界大戦規模の戦いはなくなった。


 要するにヴァンゼクスは、ユーラシアの平和を支える巨大な柱のうち、特に重要な一本なのである。


「そんなヴァンゼクスだが……ただでさえ数多の勢力が集って生み出す超国家。それをさらに幾重にも束ねているんだ。一枚岩なわけがない。当然だが、中には様々な思惑を持った者達がいる。マギ傭兵国もその中の一つだ。ヴァンゼクスの中枢、連邦の中心たるブザイ王国と対立関係にある……まぁ、『過激派』とでも言えばいいか」


 実際、時たま見かけるワールドニュースでは、マギの製鉄師団が小国を襲撃、滅ぼしてしまった、などという悲惨なものも見聞きする。国際批判が集まらないのは、あの国がそれだけ重要な立場にあるからだろう。


 前述の通り、マギは元々、OI能力研究者たちの集団だ。今でもその研究は続いていて、日々新しい発見が成されているという。

 実際、OI能力者や魔女に関する研究結果の殆どは、マギの科学者たちの成果なのだ。


 ――それだけの組織が、もし、世界秩序を破壊する側に回るとしたら?


「さて、ここで問題だ。もしもそんな過激派によってかの国が分裂し、本当に新しい勢力が台頭してしまったら? ヴァンゼクスはその存在自体が抑止力だ、ということを念頭に置いて解答しろ」


 ルートヴィーゲのアイスブルーの瞳が、じっとこちらを見据える。分かってる。流石の雄二も、今ので完全に理解した。


「……世界の均衡が、崩れる」

「そうだな。仮初の平和は崩れ去り、世界は再び戦の渦へと堕ちるだろう」

 

 一つ頷き、赤髪の女教師は再びどかりと執務椅子に背を預けた。そのままくるくると椅子を回転させ、投影したままのホロウィンドウを睨みつける。


「ガルム・ヴァナルガンドは独立派の中でも指折りに有名な男でな。独立という大義よりも、それによって導かれる戦火の未来を望んでいる根っからの狂人だ。フン、ある種のバトルジャンキーだな、ここまで至ると」


 祭りは終わった後かよ、という、ガルムの言葉を思い出す。心底から残念そうだったあの口調。とてもではないが、常人の思考回路が紡ぐものではない。


「おまけに、鉄脈術の位階は振鉄ウォーモングと来た。全く、属性盛り過ぎなんじゃないか」

「振鉄! マジかよ」

「純正だそうだ。マギに残っていた記録によれば、元のOW深度も振鉄だとさ」


 眩暈がしてきた。ここに来てようやく、あの白髪の製鉄師が恐ろしく強力な敵であるという事実を飲み込めた気がする。


 OI能力者には、その能力の度合……厳密には、『どれほど規模の大きい、即ち構成要素の多いOWが見えているかどうか』について、『OW深度』という等級が設けられている。

 一番低いのが構成要素ゼロ、OWの見えない埋鉄位階だ。ただ単にOI能力が使えるだけ……それもさして質のよろしくないものだと聞く。

 次が製鉄位階スティールオン鍛鉄トラインと続き、最後の一つ、つまり最も重篤、日常生活に致命的な影響を及ぼすほどのOWが、振鉄位階ウォーモングの冠を与えられる。


 そして鉄脈術の位階とは、殆どそのまま、このOW深度と等しい。中には訓練によって鉄脈術の位階を上げた製鉄師もいるそうだが――現に目の前のルートヴィーゲがそうだ――、基本的には『OWの重篤さ』……その人物の生きにくさ、人格形成までにかかった負荷と、それによって生み出された歪みは、鉄脈術の『格』に比例する。


 ガルム・ヴァナルガンドは振鉄位階だという。

 戦いを引き起こす者ウォーモンガー

 その意図を込めて名付けられた位階に座する者が、真っ当な生活を送ってこれたとは考え難い。あまりにも強烈なOWが、彼の人生を狂わせて来ただろうから。

 

 そして凶悪なOWは、そのまま強力な鉄脈術になる。

 雄二と東子の『再世の髄液』さえも焼き尽くした地獄の炎……あれも、彼らの力の一端に過ぎないのだ、恐らく。


「これで理解したろう。今回の相手はこれまでのとはワケが違う。もしも仕留め損なった果てに、マギがヴァンゼクスから独立できるだけの成果を奴が国へ持ち帰ってしまったなら……大惨事どころの騒ぎではなくなる。それでも仕事を続ける、と言えるか?」

「……」


 できる、という返答は、のどに詰まって出てこなかった。

 この一言が持つ重圧を思えば、生半可な覚悟で口にできるものではない。製鉄師として、幾ばくかの修羅場をくぐってきた身ではあれども、神凪雄二は所詮、十五歳の少年にすぎない。一人で背負えるものには、限界がある。


 ――けれど。 


「私は、受けても良いと思う」

「ほう」


 二人でなら、その限界はずっとずっと先になる。


「今の私たちじゃ、確かに勝つのは難しいかもしれない。敵は振鉄位階だし、順次郎小父様は人質だし、何より実戦経験の数が足りないわ、多分。けど――」

 

 東子が、そっとこちらを見つめていた。透き通った銀色の大きな目に、雄二の顔が写り込む。


「あなたが迷ってるってことは、勝てると思っている。そうでしょ」

「……ああ」

「だったら、私は雄二を信じる。だって私の相棒だもの。適当なこと言うはずがない」


 信頼してくれているのか。

 それとも、『自分と組むなら、適当なんてぬかさなくて当然』と、そう思っているだけなのか。

 どちらにせよ銀色の相棒は、こういう場面でいまひとつ頼りない幼馴染みの背中を押してくれた。こういうとき、本当に敵わねぇなぁ、としみじみ思ってしまうのである。


 そんな自分たちを、面白くなさそうにみやって。


「フン、ここ一年でまた一段と信頼関係が太くなったな。ついに付き合いだしたか? 今どこまで言った。手繋ぎデートか? マウストゥマウスか? それよりもさらに先か?」

「な゛っ……」


 変な声を上げて、天孫東子は全身を硬直させる。みるみるうちに首元から耳先までが真紅に染まった。銀色の髪からは湯気も立ち昇っているように見える。


「ば、馬鹿っ……そんなわけないじゃない!」


 顔を真っ赤にしたまま、東子は駆け足で部屋を出て行ってしまった。オートスライドのドアがぷしゅっ、と間抜けな音を出すのを、雄二は呆気にとられて眺めるしかない。


「ふむ……今の反応はキスだな。吊るしあげられる覚悟はいいか、神凪」

「げっ、今のもアウトなの」

「当然だ馬鹿め。この世に蔓延るリア充、須らく滅すべし。特に貴様のような十代からして不純異性交遊に励む猿は即刻切除だ切除!」

「別に不純なことはしてねぇだろ不純なことは!」


 反射的に声を荒げてしまう。余りにも言い分が理不尽過ぎた。


 ルートヴィーゲ・玉祖・ヴァイン、二十七歳。

 この女、恐ろしく仕事はできるのだが、反面致命的に恋愛ができない。人生で彼氏彼女共に一度もできたことがなく、そのくせ結婚願望は人一倍という実に救えない状況だ。


 当然、鉄暦時代のスラングで言うところの『リア充』には並々ならぬ憎悪を懐く。その中に雄二が入っているのかどうかは別として、時々今のように執拗に黒い視線が向けられることがあるのだ。


「キスしたんだろう? 有罪だわ有罪」

「してねぇっつーの! 大体、俺と東子は……そんなんじゃ……」


 思わず、口ごもってしまう。

 雄二と東子は、別段『そういう』関係ではない。確かに幼馴染だし、実の家族よりも相手の事を知っているような間柄だし、この国においては殆ど恋人関係とも等しい、製鉄師としてのパートナー同士であるわけだけど。

 ……少なくとも互いに、嫌いなわけでも、無関心なわけでもないわけだけど。


「するならさっさとしておけ。出来なくなるかもしれないんだろう」

「……それは」


 尻すぼみになった言葉を聞きとがめられたか。打って変わって、ルートヴィーゲの言葉からは剣呑さが薄れ、別種の厳しさが込められるようになっていた。


「ふん、何年お前を見てきたと思ってるんだ。此度の仕事、普段のお前ならば大人に任せたところだろう。いくらお前が自信家で、それに見合うだけの力があるとはいえ……あいつを危険な目に晒すかもしれない、そんな道は選ばなかったはずだ」


 うぐ、と答えに詰まる。確かに……製鉄師として聖玉区の治安を守りたいと願う理由は、やっぱり、東子が日々を過ごす街に平和であってほしいからだ。ここ最近受けている以来の傾向も、どちらかといえば製鉄師よりもOI犯罪者を相手にしたものが多い。


 ……そんな指摘をしてくる、ということは。

 多分、バレている。


天児屋あまごやから、お前と東子の契約を絶たせろ、という指示が出ている」

「……ッ」

「図星か。焦っていた理由はそれだな」


 六皇爵家の一つ、その名前を出された瞬間、雄二の方はびくりと跳ねる。そしてルートヴィーゲに……雄二が六皇爵家と親しくしていられる、生命線にも等しい人物に、その指令が下ったということも、うっすらと嫌な汗をかかせるのに十分だった。


 製鉄師と魔女にとって、その契約は殆ど一生ものだ。

 製鉄師は一度OWのない生活に慣れてしまえば、もう元の歪む世界には戻れない。魔女を失った製鉄師の中には、あまりの衝撃にOWそのものが変質してしまう者もいるほど。

 魔女だって、一度契約によってアストラル・ボディを開通されてしまえば、二人目、三人目との契約は事実上不可能となってくる。存在が脆くなってしまえば、OWを受け止めることも難しくなるからだ。


 それを絶たせろ――その命令は事実上、対象から人生そのものを奪い取れ、という内容に近い。


「何年も前から定期的に出されている指令だ。そしてその度にお前は、東子と共に国を守るために必要なペアであることを示してきた。お前のOWを思えば、パートーナーは東子の他にあり得ない。国防に益がある製鉄師を抱えておきたいのなら、お前たち二人の関係には口出しをしないのが吉だ。お前は、事あるごとにそれを証明してきたわけだ」


 机の上に乱雑に置かれた報告書――雄二と東子が、昨年度の三月から、四月の頭にかけて達成した以来のリストを、彼女は冷徹に、冷酷に、しかしどこか悼むように、焦るように、眺めていく。


「だがお前はここ最近、目の覚めるような活躍をしていない。依頼の達成率が良い、とは言ったが、それは裏を返せば簡単な仕事しかこなしていないことと同義だ。天児屋の当主は狡猾だからな……すぐにでもお前の足を掬おうとしてくるだろう」


 脳裏に東子とは別の、もう一人の幼馴染みの顔が浮かぶ。六皇爵の実質的な世話役である家系の出で、あの手この手を使って東子と自分を引き離そうとしてくるあいつのことだ。今月、何か目新しい成果を残せなければ、容赦なく『用済み』の烙印を押してくるに違いない。


 それだけは避けたい。

 避けなければ、ならない。


「俺は」


 瞼を閉じる。

 今はもう、そこに渦を巻く『再世の髄液』はない。侵食と、誘拐と、再創造の景色はない。異世界の風景は、東子が全部持って行った。持って行って、くれた。


 代わりにあいつは雄二にくれた。神凪雄二が彼女と出会わなければ、絶対に得るはずのなかったあらゆる全て――『幸せ』という名の、当たり前の毎日を。


 だからどうしても、それと同じだけの恩返しがしたい。

 自分を、『人間』にしてくれた相棒に。


 それが雄二の戦う理由。

 彼が製鉄師として、ガルム・ヴァナルガンドを倒し、笠原順次郎を取り戻さなくてはいけない理由。


「俺は東子を幸せにしてやらなくちゃいけない。そのためには、今の立場がどうしても必要なんだ。こんなところで止まっているワケにはいかない」

「……フン」


 ルートヴィーゲからは、呆れたような声が返ってくるだけだった。どうやら、この問答には興味を失くしたらしい。


「今日はここまでだ。さっさと帰れ、お姫様がお待ちだぞ」

「……ああ」


 指差された戦術研究室の入り口に向け、雄二もくるりと踵を返す。実際、東子を外に置きっぱなしだ。一応天孫家の娘。学校でも人気者なわけで……もう放課後とはいえ、一人で放っておくと色々と話しかけられて彼女も迷惑をしているはずだ。助けにいってやらねば。

 

「ところで本当に何もしていないんだな? その唇に罪はないわけだな? 残念だ、今日こそお前のその減らず口ばかり叩く唇を縫い合わせられると思っていたのに」

「引きずるのかよその話題!!」

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