第三話『鉄脈術/リアクター』

『オラオラオラァ!! どんどん行くぜ!!』

 

 鋼の巨人に設けられたスピーカーから、製鉄師の声が轟く。丸太の束ほどもありそうな剛腕がたわみ、勢いよく振り下ろされた。

 風の軋む音。引き裂かれた大気はそのまま衝撃波となって、竜巻にも似た突風を引き起こす。飛び散った魔鉄片が巻き込まれて中空を舞う。いけない、視界が悪くなってきた。


 ぶわり、と砂煙の向こうから、武骨なガントレットが姿を見せた。雄二と東子をぴったりと狙って撃ち込まれたそれは、『ギガンテス』の右腕だ。鉄脈術は術者のイメージを反映する。妙にディテールの細かい造形に感心しながら、雄二は東子を抱えてそれを避ける。


 すぐ後ろの地面に着弾。ズズン、という重苦しい音と共に、足下が強く揺れる。垂らした『再世の髄液』で無理矢理足場を作り、そのまま水面の上を滑るように移動、回避。

 間髪入れず、左の腕が降ってくる。これもリバース・ゲインの上を滑って避ける。が、今度は敵も諦めなかった。がりがりがり、と地面を削りながら、可動範囲外になるまで拳が追いかけて来る。


『このっ……ちょこまかと……っ!』


 苛立つ声が漏れて聞こえた。

 だが決定打が無いのはこちらも同じだ。彼我のサイズ差は反撃のしにくさに直結する。苦戦、という程ではないにせよ、仕留めるのには苦労しそう。

 第一、逃げ回ってばかりというのも中々疲れるものなのだ。そうこうしている間にも、雄二の頭は霊質界へのアクセスの為に全力で働いているわけであるし。

 

「防げない?」

「厳しいな。鍔迫り合いになったらこっちが不利だろ」

 

 東子の一言は、先程戦闘員との交戦に使った盾を活かせないか、という問いだった。ノータイムで首を振る。流石のリバース・シールドとはいえ、あれほどの一撃を真正面から受け切れるほど強固なものではない。真面目な話、銃弾弾ければいいなー程度のノリで考案した技だし。確かに一々避けるより効率は良い気がするけど。


「でも『盾』なら、そのままかもしれない」

「あー、まぁな」


 先の一戦、攻撃の無効化の為に銃弾を融解させた場面を思い出す。あれを敵の腕に対して適用できれば、色々と効率的に戦えるように思う。


 実際、体勢を整え、次の一撃の準備を始める身の丈三メートルの巨人は、銀剣で追い詰めるよりは一撃で倒した方がいいように見える。敵の性格的にも、追い詰めていくよりかは一発で力の差を見せつけた方が降参を引き出しやすい気がした。

 その結論には、相棒も同時に達していたらしい。彼女は念を押すように、もう一度似たようなことを口にした。


「『削る』よりは『溶かした』方が早い」

「んじゃ増量しますか……時間稼ぐわ。逃げるぞ」

「ん」


 東子の短い返事に合わせて、雄二は再び、オーバーワールドを物質界に引き下ろす。リバース・リングの体積が増す。普段は目視できない静謐な流動が、水量が増したことによって見えるようになり出した。

 より速く、より勢いよく。

 

 その間にも、打ち下ろされる『ギガンテス』の拳を避け、脚によるストンプをかいくぐり、一体どういう原理なのか胸の装甲から射出される追尾ミサイルを攪乱しては振り切って、ときたま迎撃してはまた次の攻撃を避ける。


「ち、ちょっとー! 大丈夫なの!?」

「順次郎小父様、うるさい!」

「ちょっと黙っといてもらえると助かる!」


 いわゆる戦略的撤退というやつを繰り返していると、外野からブーイングが飛んできた。じたばたともがく人質、笠原順次郎その人である。作戦の意図というのは、当人でないと分からないものだ。彼には悪いが、もうしばらくそこで宙づりになっていてもらうしかない。これでもそっちに衝撃が行かないように立ち回っているんだから、むしろ感謝してほしいくらいだ。いや流石にこれは横暴か。

 大丈夫なのか、というのは、「本当に助けてくれるのか」という問いかけではなく、「このまま逃げていて勝てるのか」「いつか限界が来るんじゃないのか」という労りからくる問いだ。彼も彼でこっちを心配してくれているわけで――。


「どうしよう……このまま戦闘の余波に巻き込まれて吹っ飛んだりしたらどうしよう……というか皆なんか僕に対する扱い雑じゃない? 本当に人質にする必要あったの僕……?」


 ――心配してくれている、んだと思うのだが。実際、敵製鉄師が順次郎を人質として活用する気配は特にない。本当に身代金目的だけで誘拐したらしい。雄二は自分が頭が悪い方だという自覚があるが、向こう側も大概な気がする。


 なんにせよ、今は順次郎おっさんの愚痴に付き合っている暇はない。何せぎらりと輝くガントレットが、がりがり地面を削って近づいてきているからだ。速い。今まで一番かもしれない。おまけに繰り出してきた位置が正確だ。背後は壁、左右は腕の動きで簡単に追尾が出来、前に進めば追尾ミサイルの射程範囲。

 よくできた包囲網だ。左右前後、簡単に回避できる位置がない。恐らく、この一撃で仕留めにかかるつもりなのだろう。


『はっはー! どうよ、俺たちのデストラクト・クロー!』

『聖玉区五丁目の裏路地で頂点に立った必殺技だよ! こいつをくらってお寝んねしてな!』


 必殺技とか言っちゃってるし。絶妙に急造感のある技名なのが失笑を誘う。やっぱりそこらへんのゴロツキか何かなのでは? というか五丁目で二か月くらい前にあった暴行騒ぎの犯人あんたらかよ。

 一瞬これだけの一撃を編み出せるくらいだし、思ったより頭いいんじゃないか、と思いかけた自分の方が馬鹿だったらしい。


 まぁ、どうあれ焦ることのない相手であることは変わらない。必殺技というのは往々にして対処手段が普通にあって、別の製鉄師なら兎も角、雄二はそれをとることが出来るわけだが。

 なので特別取り乱すこともなく、足下の流水を使って跳躍。唯一の逃げ場である上空を活用する。 


『隙だらけだコラァ!!』


 無論、それは敵の方も予想がついているはずだ。

 胸部のメタルアーマーが変形、内部のミサイルポッドが露出する。閃光と煙の尾を引きながら、弾頭の尖った追尾ミサイルが射出された。ヒュン、と小気味よい音と共に大気を引き裂き、空を駆ける雄二の背を追ってくる。


 中空であれを回避するのは中々手間がかかるな、と内心で毒づく。無論、できないわけではない。『再世の髄液』を解き放って、方向を転換すればいい話ではあるのだが……それよりも、ここで決めに行った方が効率的に思えるのだ。


 リバース・リングに意識をやる。そのチューブ直径は、当初の三倍近くまで太くなっていた。うん、十分な量だろう。

 今なら、行ける。


 ところで鉄脈術とは、製鉄師と魔女、二人が一丸となって取り扱う、正に『二人で一人』の術式だ。敵の鉄脈術も魔女がリアルロボットを思わせる鋼の巨人へと変身し、製鉄師がそれを操縦する、という方式を取っている。片方だけでは使い物にならない。


 それは自分と東子にとっても例外ではない。

 雄二のOWは、ただ粘性の溶解液に満たされ、溶かされゆくだけの世界。そんなものを地上に下ろしたところで、本来、コントロールなど出来るはずもない。雄二ができることは、ただどばどばとこの奇怪な液体を物質界に溢れさせることだけなのだ。

 それを東子側が精密に操作することで、普段雄二はスラスター代わりのジェット噴射に具足、盾に剣と、様々な形で『再世の髄液』を取り扱えている。厳密には雄二の方でも多少なりともコントロールが効く――実際この戦闘中にも、何度か雄二自ら髄液を操作した場面がある――のだが、やはり東子が手ずから調律した方が、圧倒的に精度が違う。

 

 全ては彼女の努力の賜物、感謝してもしきれない部分。

 だからたまには、自分の方でも甲斐性を見せなくては。


 雄二にできるのは、『髄液』の体積を増やすだけ。

 コントロールは基本、東子の仕事。


 ならば――ただひたすら髄液の量を増やし続けて、東子の手に負えないほどまで嵩増ししたら、どうなるのだろうか?


「でぇりゃぁああッ!!」

『うぉおっ!?』


 答えは一つ、『決壊する』。

 膨張したリバース・リングが崩壊する。膨大な量の『再世の髄液』が、ミサイルを巻き込みながら零れ落ち、そのまま巨人までもを洗い流した。相手ペアの悲鳴が響く。中々酷い絵面だが、なんとか上手く行ったらしい。


 これが先程から、雄二と東子が企んでいた戦術である。


 戦闘員たちと戦った時のように、リングを剣代わりにして装甲を切り裂いても構わなかった。正直な話をするならば、『髄液』を剣代わりにして使用するにはもっと様々な使い方があるし、壁をぶち抜いた時のようにパイルバンカーめいた使い方もできる。それを使って敵を追い立てる作戦も考えることには考えた。


 だがこうやって、敵の隙をついた一瞬で、押し流してしまうのが最も威力がある、と判断したのだ。二人の鉄脈術を頭から被る。それはああいう手合いにとっては、もっとも恐ろしい結末をもたらすだろうから。


 ただ、この作戦には一つ、欠点があって。


「やっべ、落ちる」

「えっ? ちょっと、きゃぁぁぁああああああ――――ッ!?」


 殆ど工房の天井近い場所に滞空していた二人の身体が、ぐらり、と傾いたと思えば地上に向けて高速落下を始めたではないか!

 理由など想像するまでもない。

 足りなくなったのである。飛翔のためのリバース・ゲインが。


 そもそもの話、雄二が飛翔能力を得ていられるのは『再世の髄液』が噴出している間だけである。エアボードのように反重力で浮いているわけではなく、原理としては鉄暦末期に若干流行ったというジェットスキーの類に近い。

 ならばそのジェット用の水が無くなれば、滞空できなくなるのは道理である。


 そして今さっきの激流攻撃で、雄二はリバース・ゲインを全て使い切ってしまった。今、二人を支える銀色の液体は、自分たちをリングの形で取り巻いてなどいないし、足下にも噴水や池を形成してはいない。せいぜいその辺に雫として水たまりを作っている程度である。


 これはまずい。別に落ちても《魔鉄の加護》があるので死にはしないが、痛いものは痛い。むしろ怪我をしない分、鈍い衝撃が生理的に気持ち悪くてどうにもならない。

 慌てて鉄脈術を回す。霊質界の景色を採掘しては、この世界に向けて放出する。数秒もしないうちに、なんとか着地の衝撃を和らげるだけの『髄液』が出た。


 ゆっくりと着地していく。あーよかった、間に合って。


「急に止めないでよ馬鹿雄二! 死ぬかと思ったじゃない!!」

「悪い、あとで埋め合わせするから」


 パートナーに適当な謝罪を飛ばすと、彼女はぽかぽかと胸板を叩いてくる。小さな拳は全く痛くないのだが、涙目で頬を膨らませるさまがどうにも愛らしくて心臓に悪い。

 ……幼馴染みで、妹みたいなもので、魔女体質だから見た目が幼いとは言えども、彼女は同い年の立派な女の子なのだと、どうしても時々意識してしまう。

 それはこういう、気が緩んだタイミングであることが多くて……って、そんなことをしている場合ではない。


 ざっと視界を見渡す。いた。施設の端っこ、ねばねばとした銀色の液体に覆われ、上手く起き上がれていない鋼の巨人。あの図体だ、一度ひっくり返ったら、起き上がるのは中々難しいだろう。ロボットにありがちなスラスター系統も見受けられなかったし。


『てめ、この……起こしやがれ!』

『あんた、さっさと操縦桿倒しな! そんな体たらくじゃいつまでも起き上がれないよ!』


 じたばたする様が妙に可笑しくて、戦場だというのに思わず笑いが漏れてしまう。

 どうやら、大勢は決したと見えた。


「ふー……とりあえずなんとかなったな。東子、大丈夫か?」


 肩の力を抜き、腕の中の相棒に安否確認。

 

 ところが。

 普段ならすぐに何かしらの反応をよこす彼女が、今日ばかりは押し黙ったまま。一体どうしたものかと視線を落とすと、銀色の少女はお姫様抱っこをされたまま、お姫様と呼ぶにはあまりにもよろしくない、ふくれっ面を続けていた。どうやらまだ怒っているらしい。


 ……いや、ちょっと待て。

 これは怒ってるのと……もう半分は、悩み?


「……東子?」


 嫌な予感がして彼女の顔を覗き込むと、やわらかそうな頬をお餅みたいに膨らませながら、相棒は静かに呟いた。


「……駅前のパフェ」

「は?」

「だから! 駅前のスイーツ屋さん、あそこの一番高いパフェで許す」


 ああ、うん。予想通りだった。

 つまるところ、さっきの『埋め合わせはするから』という言葉を受けて、その内容について塾抗していたのである、彼女は。

 しかもこういうとき、東子はとびっきりシビアで、自分の受けた仕打ちをカバーするに足りるだけの条件を投げてくる。

 

 参ったな、聖玉駅の辺りどこも高いんだよな、『蜃気楼』のパンケーキあたりの美味くて良心的な値段のやつにしてくれればよかったんだけど、と、聖玉区指折りの喫茶店を思い浮かべながら冷や汗を流してしまう。正直な話、今月の貯蓄は中々厳しいのだ。途轍もない額の収まった財布を持つお姫様あいぼうと違って、雄二の方は常日頃から金欠である。学生の身ながらプロ・ブラッドスミスとして働く理由の一端にも、資金難の解決を掲げているくらいだ。


 ……無論、それだけではないのだが。

 そしてその『資金難の解決以外の理由』のことを思えば、雄二は東子の願いには逆らえない。


 仕方ない、自分の発言には自分で責任を取るのが男というものだ。


「ああもう、分かったよ!」

「ん」


 短い返答がくる。ぴょん、と腕の中から飛び降りた相棒は、どこか上機嫌に見えた。どうやら機嫌を直してくれたらしい。


 何とか許された安息に、ほっと一息をついていると、


『ぎ、ぎゃぁあぁあああっ、とけっ……溶けてるぅぅうっ!?』

『あ、アタシたちの腕があぁああっ!』


 リバース・ゲインと格闘していた『ギガンテス』から、悲壮な叫び声が聞こえてきた。

 見れば、銀色の粘液に浸された部分から、鋼色の装甲がじゅうじゅう音を立てて崩れ始めているではないか。

 どうやら――ようやく、効果が表れ始めたらしい。


「悪いな、そういう内容なんだわ、俺たちの鉄脈術。ほっとくとそのままこいつみたいなぷよぷよした液体になっちゃうけど、いいよな?」


 つんつん、と『髄液』のリングをつついてみる。


『ひぃっ!?』

『な、なんだって!?』

「だって投降するつもり、ないんでしょ。それなら最初の勧告の段階で武装解除してたはずだし」


 わざわざああやって、彼らを『髄液』の中に突っ込んだ理由こそがこれだ。

 雄二と東子の鉄脈術。見た目こそ水銀のそれだが、その本質はどちらかといえばスライムに近い。それも鉄暦時代の国民的ゲームに出てくるような雑魚の方ではなく、古典テーブルトークに出てくる強い方のスライム。


 即ち――外敵を融解し、捕食する魔物。

 雄二の霊質界に対する認識が生んだのは、そういう埒外の法則なのだ。


 そしてこういう、タイムリミット系の術というのは、得てして今回のようなチンピラ上がりの相手には極めてよく効く。強烈な大義があるわけでもなく、自らが生きるために犯罪に走った相手には。

 なにせ彼らにとって一番大事なのは自らの命。それが文字通り水泡に帰すと告げられたら、彼らはもう、立ち向かうことなどできはしない。


 数秒もしないうちに悲鳴が上がった。


『わ、分かった! 負けだ、俺たちの負けだ!』

『降参する、降参するよぉ!』

「その言葉が聞きたかった」


 作戦成功である。うん、良かった良かった。

 雄二は東子の銀色の頭を、じっと見つめる。視線に気づいた彼女が、こちらを振り向いた。

 クリアシルバーの瞳を見つめる、雄二の意図を理解してくれたのか。

 無表情なその口もとが、そっと微笑みの形をとってくれた。



 ***



「全く……手古摺らせおって……」

「大人しくお縄についてもらうでありますよー」


 鉄脈術を解除したリーダーと契約魔女が、遅れてやってきた警官たちの手でぐるぐる巻きにされていた。魔鉄ワイヤーを幾重にも束ねた拘束具は、生半可な攻撃では破壊できまい。無論、鉄脈術を使われてしまえばそこまでなのだが……まぁ、基本的には鉄脈術は、相棒同士が視認できていないと使えない。護送から勾留まで、別々の車と刑務所が使われるのだろう。実際、目の前で製鉄師の方が先に外へと連れ出されていた。


 こういうとき、鉄脈術の発動を阻害するような装備があれば楽なんだけどなぁ、と思ってしまう。もちろん、それがあると自分たちの戦闘にも支障が出てくるので、できれば出てきてほしくないというのも正直なところなのだが。


 まぁ、二人とも戦意は喪失してたみたいだし、もういいか……と納得しておく。さて、人質の解放に向かわなければ。


「うっうっ……このまま僕は一生ここに宙づりなんだ……干物になって工場が解体される日を待つんだぁ……」

「だぁぁもう、今下ろしに行くからもうちょっと待てって」


 早合点にしくしくと涙を流す順次郎をなだめながら、彼の釣り下げられた機材に近づいていく。それにしても本当に不運な男だ。一体どこをどう歩いていたらこんな目に遭うと言うのか。前世でどんな悪行を積んだのだろう。


 ワイヤーに手を伸ばすと、丁度後ろの方から奈緒と敵側の魔女の会話が聞こえてきた。なにやら拘束具の締め付けがきついらしく、色々と文句を言っている。


「はいはい、続きは署の方で聞くでありますよ。今はさっさと歩くであります」

「……ああもう、分かったよ刑事さん。分かったから引っ張らないでおくれ……あー畜生、こんなことなら政府関係者にゃ手を出さないんだった」

「ん……?」


 メンバーたちからは姐さんとでも呼ばれていそうな彼女の、豪快な悪態と共に零れた言葉が妙に引っかかる。「ちょっと!? せめて下ろしてからにしてぇぇええ!!」と叫ぶ順次郎を放置して、雄二は東子と奈緒に拘束された、リーダーの魔女へと近づいた。


「ちょっと待て。じゃぁあれか、あんたら、まさか狙って笠原のおっさんを誘拐したのか?」

「あ、ああ……元々、宮内庁の関係者を攫ってきたら融資してやる、って言ってきたやつらがいてさ。そいつらよりも高い金を払ってくれるかと思って、政府の方にも身代金要求の動画を出したんだ。そしたらあんたらが釣れちゃって……もう大損害だよ全く」


 ぷんすかと悪態をつくリーダーの魔女。幼い見た目のせいで気の毒になってくるが、よく考えればこいつらのせいで罪なき人々もまた、同じくらいの損害を被っているのだ。せいぜい刑務所の中で反省してほしいところだが……今はそれより、言葉の内容が気になる。


 順次郎が偶然攫われたわけではない。しかもその誘拐を指示した人物が、彼らの裏にいる……それは中々衝撃的な事実だった。

 政府の関係者を狙う、ということは、何かしら特殊な意図があることを意味する。同時に相手は、順次郎に手を出せば自分たちのような六皇爵家と関わりの深い製鉄師が襲撃してくると、理解していた人物のはずだ、とも分かる。

 そしてそれは、そのまま自分たちを「返り討ちにできる自信がある」ということを意味するのだ。


 恐ろしい話だ。これでも一応、並の製鉄師はおろか、日本国内のそれよりもレベルが高いとされる海外の製鉄師とも渡り合える自負があるのだが……。


 なぁ、元の依頼主ってのは、どういう奴だったんだ――そう問おうと、口を開きかけた、そのときだった。


「――なんだァ? もう祭りは終わっちまったあとかよ」


 低く、粗雑な声が、降ってきた。


「誰だ……ッ!?」

「っ! 雄二、あそこ!」


 鋭く叫んだ東子が、左手を掲げて指をさす。

 それは雄二の背後、順次郎の釣り下げられた重機の上――開けられた天窓のすぐ下だった。

 

 逆光に照らされて、二つの人影がある。

 

 一つは、背の高い男の姿。白いファーの取り付けられた真紅のレザージャケットを纏っている。狼のたてがみのように立てられた真っ白な髪の下、日陰になった顔で青い瞳だけがぎらぎら輝き雄二の姿を射抜いて来る。

 

 もう一つは、人形のようなドレスに身を包んだ少女だった。月光に中てられたような、とはああいう色を言うのだろう、脱色した様な白銀色の髪をロングストレートになびかせている。瞳の色は血のような赤。小柄な体躯は魔女の証。しかしその外見は、成長停止年齢の中でも最も早い、のそれをしていた。


 ひぃっ、と、魔鉄犯罪グループの魔女から悲鳴が上がる。まさか、あれが『依頼主』……!


「あーあ、拍子抜けだぜ。久しぶりに暴れられると思ったのによぉ」

「つまんない、つまんないの。これじゃぁからだがなまっちゃうね」


 予想以上に幼い、金糸雀のような綺麗な声で、少女は随分と物騒なことを言い放つ。そっと彼女が手を掲げれば、青年がその手を執る。

 

 まずい、鉄脈術リアクターが来る――そう思ったときにはもう遅い。青年の瞳が鋼の色に輝き、異界の景色が地上に顕現した。


「うぉっ……!?」


 ――それは焔だった。焼け付くような強烈な深紅と、終焉を思わす漆黒の炎。

 地獄の火焔と表現すれば、きっと丁度ぴったりだ。


 渦を巻く獄炎はそのまま人の腕の形を取り、己の真下、機材に巻きつけられていた、魔鉄のワイヤーを断ち切った。

 そのまま断面から銀色の糸をむんずと掴み、ハングド・マン――要するに順次郎をぽいと放り投げる。


「う、うわぁあっ!?」

「おっさん!」

「順次郎小父様!」


 宙を舞う順次郎。雄二と東子が動き出した時には、彼の身体は、白い青年の肩に担がれていた。今の滞空でついに気を失ってしまったらしい。スーツに包まれた細身の全身はぐったりしていた。

 

 そんな宮内庁職員の姿に満足したのか――青年は一つ頷くと、くるりとこちらに背を向けた。まさか逃げるつもりなのか。だとしたらマズい……!


「お前……ッ! 何者だ、待ちやがれ!」


 宮内庁関係者の誘拐を指示したのがあの二人だとすれば、彼らの目的は順次郎、ということになる。彼はあれでも、六皇爵家の情報について多くの事を知る者。その順次郎を狙った、イコール、皇爵家の、雄二や東子も知らないような機密を求めているということに等しいのだ。


 ここで止めないと、大変なことになる。

 直感的に、リバース・ゲインの斬撃を飛ばす。リングから撃ち放たれた銀色の水滴が、剃刀のような刃を形成、敵を切り裂かんと飛翔する。


 白い、西欧系の顔立ちが振り向いた。

 ニィ、と獰猛な笑みを浮かべ、青年はおどけるように言い放つ。


「オイオイ、話の途中に攻撃はひでぇよ兄弟。名前を聞くなら、せめて名乗ってから始めさせてくれや」


 青年の腕、雄二が狙ったその場所に、黒い炎が燃え盛っていた。雄二の飛ばした刃はそれに阻まれ、そのまま燃やされてしまったではないか。

 効いて、ない……ッ!! 戦慄と同時に一歩後退。手ごわい。こいつはこれまで戦ったどの製鉄師よりも、強い――!


「オレはガルム・ヴァナルガンド。ヴァンゼクス=マギから来た」

「へれな・れいすだよ。しょぞくはおなじく。よろしくね」


 白髪の青年……ガルムは、そう名乗ると再び焔を飛ばす。だが、次のターゲットは雄二ではない。工場の天井、ずらりと並んだ天窓だ。

 ガラスを模した、無色透明に加工された魔鉄が、赤色の炎の前に砕け散る。


「こいつは貰っていくぜ。オレたちの『計画』に必要なんだ」

「計画だと……? ふざけんな!」


 一応の身内だ。黙って攫わせるわけにはいかない。雄二は『再世の髄液』を脚と右腕に纏わせると、ガルムを一発殴り飛ばすべく疾走を開始する。

 

 それとほぼ、同時に。


「雄二、駄目ッ! 引き返して!!」


 東子の悲鳴に近い叫びが、ぎりぎりで耳に届いた。反射的に足が止まる。


 直後、もしも相棒の声がなければ雄二がいたであろう場所に、異常な勢いで炎の壁が屹立した。奈緒や警官たち、犯罪グループの検挙の為に工場内に入って来ていた人々からも悲鳴が上がる。それだけ、炎の強さと規模が大きかった。


 ファイアー・ウォールなどという言葉のなんと生ぬるいことか。北欧の方の神話に出てくるという、火焔の世界と氷の世界を分かつという裂け目を思い起こさせる絶対的な断絶。赤と黒の渦巻く壁は、まさにその領域に極めて近いものだった。


 めらめらと煌めくそれに、笑うガルムが照らされる。


「嫌だねェ、兄弟。そうせっかちになるなよ。そう遠くないうちに、ゆっくり話す機会がくるだろう。そんときにしようぜ」

「またね、すいぎんのおにーさんとおねーさん」


 ヘレナの赤い瞳が、自分と東子をそれぞれ見据えた。ぞっ、と背中を撫で上げる悪寒。何故だろう、この少女から、驚くほど冷たい『何か』を感じる。


 その正体を確かめようとした、その時には。


「くそっ、逃げられた……!」

「なんなの、今の……」


 爆風と共に、ガルムとヘレナの姿は消えていた。


 あとにはただ、絶句だけが遺された。


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