第一話『魔鉄暦三〇年 四月』

 冬はとっくに開けているのに、まだ日が落ちるのはちょっと早い。いい加減春に来てほしいもんだがなぁ、と心の中で呟きながら、トタン板を模した魔鉄のスクラップの中、神凪かんなぎ雄二ゆうじは僅かに白い息を吐く。

 時刻は午後の四時半前。おやつ時にはちょっと遅く、夕飯時にはちょっと早い。そのくせ割とお腹がすく、結構嫌な時間だと思う。雄二は職業柄というかなんというか、ともかく頻繁に体を動かすので、こういうタイミングですぐ空腹になる。今でも自分の意思に反して、ぐぅ、と間抜けな音が鳴る。疑いようもなく、それは自分の腹の奥からの上奏文だ。もっと沢山の飯をくれ、という。


「さっきおにぎりあげたばっかりでしょ」

「うるせー、《製鉄師ブラッドスミス》は頭使うから腹も減るんだよ。仕方ねぇだろうが」


 隣に座っていた相棒が、呆れ気味に指摘してくる。反論の言葉は若干言い訳がましかった。けれどこれ以外に説明のしようがない。イメージを駆使して戦う自分たち製鉄師は、その分脳味噌もたくさん使うのだ。頭のいい方ではないため普段の消費量は少ないが、その分こと戦闘になると頭脳は栄養を求めてくる。

 ちょっと期待を込めた目つきで、相棒の方をちらりと見やる。彼女はもう持ってないわよ、と返答すると、ぷい、とそっぽを向いてしまった。残念。


「こんなに腹ペコキャラだったかなぁ、俺……」


 首を捻る。以前は昼飯にもうちょっと節約しても、ここまでエネルギー不足になることはなかったように思う。これも高校生に上がってから、プロ・ブラッドスミスとして魔鉄犯罪への対処活動に参加することが増えたせい、なのかもしれない。

 今も一応、その仕事の真っ最中だ。丁度瓦礫山の向こうから、待ち合わせ相手であるところの警察機動部隊員がやってくるのが見えた。

 青みがかった墨色の、長い髪をポニーテールにした女性だ。纏っている白い軍服じみたジャケットは、魔鉄犯罪課所属の刑事の証。下げた軍刀は魔鉄製。まぁ、『魔鉄課』に所属しているということは間違いなくOI能力者。一人、ということは製鉄師ではあるまい。おそらくは埋鉄位階ベリードの能力者だ。

 イメージの糸をこの世ならざる存在の世界、霊質界アストラルまで伸ばせるオーバードイメージ体質の異能者……通称OI能力者は、代償として、己のイメージする霊質界の風景を、常に瞳に焼き付けながら生きている。俗に『オーバーワールド』と呼ばれるこの

『歪む世界』は、時として宿主の人生さえも変えてしまう、祝福と呪いの両側面を持つ現象だ。


 それにも例外が二つ。

 一つは、埋鉄位階のOI能力者。彼らはOWを持たない代わりに、OI能力を満足に行使できない。

 もう一つは、自分のような製鉄師ブラッドスミスと呼ばれる、戦闘系のOI能力者。とある理由によってOWが、自分たちは常に異界の景色に苛まれる、といったことはない。


 此度の警官は、前述の通り前者の方であると思われる。製鉄師なら必ず、相棒となる『契約者』が近くにいるはずだから。

 彼女はこちらの姿を見つけると、一瞬、驚いたように目を見開いた。視線の先にいるのは隣に座る相棒の姿だろう。まぁ、無理もない。彼女はこの国で最も由緒正しい家柄……『六皇爵』が一家、天孫家の長女だ。そんな言うなれば『お姫様』にあたる人物が、こんなところで素性のしれない男と一緒に座っていれば、流石の国家公務員も動揺せずにはいられまい。

 とはいえ、よくよく考えればこちらの素性も分かるはずである。雄二と彼女の間にある『契約』は良く知られているところであるし、顔も知られているはずだ。ぶっちゃけ雄二自身、たまにテレビをつけると自分の間抜け面が写っていて度肝を抜かれることがある。光の角度を変えると一瞬、銀色のメッシュがあるように見えるぼさぼさの黒髪と、長い前髪の下の面倒くさげな顔。もうちょっと写真うつり良くしろよな俺、なんてことをいつも後から思うものだ。


「失礼、貴君らが応援のペアで間違いないな?」

「えーっと、はい。多分」

「聖玉学園所属、神凪雄二、天孫東子ペアです。間違いありませんか?」

「しばし時間を。今照合するから……うむ、間違いないな。本官は皇国警察魔鉄犯罪課、第二起動部隊隊長の六道りくどう梨花りかである。神凪殿、東子姫殿下、本日はよろしく頼む」


 告げられたのは、予想通りの所属と予想外に可愛らしい名前だった。機動部隊長、ということは、それなりに実力のある戦士ということなのだろうが……それを伺わせないほどに美しい見た目が特徴的だ。

 年のころは二十代半ばか。すらりとした長身が、白い制服とよく似合う。肌もきめ細やかで、コートの胸部を内側から圧迫する量感など、警官よりもモデルと言われた方が納得できるかもしれない。

 あれだな、一昔前なら、「美しすぎる女刑事」とか言われて取材が殺到したやつ――なんて思っていると。


「……どこ見てるのよ」

「いてっ、いててててっ、見てない、どこも見てないって!」


 相棒の伸ばした小さな手が、思い切り脇腹をつねってくる。

 その様子を不思議そうに眺めながら、梨花は現状を報告してくる。


「現在、我ら機動隊は、ここ数か月名を上げている魔鉄犯罪グループと交戦中だ。向こう側の多くは非OI能力者か、ただの埋鉄位階だが、唯一リーダーのみが製鉄師と推測されている。また、知っての通り、人質が一名、身代金の要求の為に囚われている……そこで貴君らには、我々が雑兵を殲滅している間、向こう側のペアの相手、及び人質の救出を頼みたい」

「了解」

「案内、お願いします」


 手短に切り上げると、世間話もなく梨花はくるりと方向転換。学生製鉄師であることについてとやかく言われるかとも想像していただけに、若干拍子抜けだった。こんななりでも一応プロだ、文句を言われる筋合いはない、と対抗する準備とかしてたのに……まぁ、嫌味は言われないにこしたことはないのだが。仕事ができるならあとはなんでもいい、と思っているタイプの人なのだろう。

 魔鉄犯罪課の警官の中に時たまいる、プロ・ブラッドスミスに対する悪感情を持った人でもないようだ。国から戦闘系製鉄師としてのライセンスを与えられている雄二たちプロ・ブラッドスミスは、ときとして警察と同じ事件に介入する場合がある。自分たちの縄張りに入り込まれることを嫌うタイプの警官とは、どうしても折り合いが悪いのだ。


 最も、単純に彼女が思っていたよりストイックだっただけかもしれないが。何せ先程から会話の一つもないのだ。ずんずん進んで行ってしまうので、身体的には大分キツイ。戦闘となれば話は別なのだが、基本的には体力が無い方なのだ、雄二は。

 おまけに今は空腹の絶頂である。ぎゅるぎゅる腹が鳴ってしかたがない。


「あー、駄目だ。やっぱ昼飯足りなかったなこれ。ケチるんじゃなかった」

「足りなくても動けるようにして」

「馬っ鹿お前、そうは言っても減るもんは減るんだよ」


 食欲は人間の三大欲求のうち、最も迅速かつ強力に生命維持へと接続する、重大なものである。例えどんな食事嫌いであっても、空腹に抗うのはほぼ不可能なほどだ。なんせあらゆる人間の出資の内、最も高額かつ高頻度なのは食費だというのだから救えない。

 魔鉄が食べ物にも変質するならなぁ、と、OI能力者の加工次第でどんな姿にでも変わる、魔法の金属のことを想起する。今やこの世界のほぼあらゆる物質と置き換わり、『魔鉄器時代』をもたらした異界の金属は、しかし何故か食べ物にだけは変貌してくれない。有機物にならないわけではないのだが……。


「それに、俺は成長期なんだっての。お前と違って」

「……悪かったわね、今後一切成長しない幼児体形で」

「別にそこまでは言ってねーだろ……」


 単純に女子と男子の成長期の時期差について述べたつもりだったのだが、どうやら我がパートナーにとっては特大級の地雷だったらしい。

 淡く青系統の光を帯びる、純銀のようなミディアムボブ。不機嫌そうに細められた瞳は、これまた純銀色で、磨き上げた鏡を思わせる。僅かに桜色を帯びた頬は柔らかそうで、実際つつくともちもちとしていてとても気持ちが良い。

 雄二の肩ほどまでしかない小さく細い体躯は、少なくとも、彼女の十五歳、高校一年生という年齢を思えば、少々成長が不足している、と言わざるを得ない。すぐ腹を空かす雄二に対してよりもずっと、彼女の方に「本当に食べているのか」と聞くべきのような気がしてならないほどだ。

 けれどそれは、彼女自身の努力では抗いがたい不足である。


 何せ相棒――天孫あめみま東子あずまこは、生まれながらにしてこの見た目での成長停止を運命づけられた、《魔女体質アールヴァ》の女性なのだから。


 物質界マテリアルの上位に存在し、あらゆるものの意志や霊的側面といった『存在』を司る異界、霊質界アストラル。三層世界論の定義に則るならば、物質界の法則は霊質界には原則として通用しない。老いる、という概念が、霊質界には適用されないのだ。

 故に物質界にその身を置きながら、存在位相の一部を霊質界に預けている、とされる魔女体質の女性は、基本的に十代前半でその成長を止める。髪が伸びたり、僅かに身長が変化したりたり、といった細かい成長や、生理現象は継続するというから、厳密には『外見年齢が変わらなくなる』、と言った方が正しいのかもしれないが。


 ある程度年を経た魔女ならこれを嬉しく思う人もいるらしいが、少なくとも年若い魔女の多くにとって、まるで幼女のような見た目はコンプレックスだ。普段は気にしない相棒も、こうして、いわば『大人の女性』と比べられると不機嫌になる。


 魔女は別段、普通の人と隔絶した存在ではないのだ。風邪は引きにくいが引かないわけではないし、たまには怪我もすれば、お酒に弱い魔女もいる。ちょっと特別なこと以外は、全然普通の女の子。だから比べられれば傷ついてしまう。

 よって今のは雄二の不注意。完全に自分の責任だ。


「……ごめんて」


 不機嫌な顔を継続する相棒をなだめにかかる。しかし東子はまたそっぽを向くと、一言ぼそりと告げて来るだけ。


「別に。怒ってない」


 面倒くさいなこいつ。

 本心が漏れかける。どこからどう見ても、この銀髪合法ロリはお怒りである。

 一応、東子は雄二にとって、十年近い交友関係がある、所謂『幼馴染み』というやつにあたる人間だ。いくら雄二が自他ともに認める察しの悪い唐変木で、東子が思考の分かりづらい年頃の異性とはいえ、流石に言葉の内に孕んだ怒気くらいは読み取れる。


「悪かったってば」

「だから怒ってないって言ってるでしょ」


 取り付く島もないとはこのことだ。東子は小さな体に静かな怒りをわかして、すたすたと先を行ってしまう。駆け足気味にその後ろに到達すれば、直ぐに彼女も歩調を早める。中々追いつくことが出来ない。

 どうやら、予想以上にへそを曲げてしまったらしい。どう対処したものか。

 

 ……いや、分かっている。分かってはいるのだ。この銀色の相棒に機嫌を直してもらう方法自体なら、雄二は既に知っている。何せ十年来の付き合いだ。何をすればこいつが喜んで、何をしたら笑顔になるのか、そのくらい分かっているつもりだ。幼馴染みとして、共に戦場へ立つパートナーとして、そして……一人の男として。

 だがその内容が果てしなく恥ずかしい。雄二は別に、ものすごく人の扱いに長けているとか、逆に何も意識せずに恥ずかしいことをするりと出来てしまうような、そういう類の人間ではない。


「……ったく……」


 けれど、東子の怒った顔を、あまり長いこと見ているのも辛い。彼女には、どちらかといえば笑っていて欲しいタイプなのだ、雄二は。


 そういうわけで。

 ちょっと躊躇いがちに右腕を伸ばして、ぽん、と銀色の頭に手を置いてみた。


「あ」


 驚いたように、クリアシルバーの瞳がこちらを見る。それを合図に、雄二はくしゃくしゃと東子の頭を撫でまわした。生糸を思わす純銀の髪が乱れていくが気にしない。

 小さな瞼が、気持ちよさそうにそっと細められる。


「これで良いんだろ」

「……ん」


 彼女は柔らかそうな頬をそっと桃色に染めて、そっぽをむいてしまった。どうやら照れているらしい。

 子ども扱いしないで、って言いそうなもんだけどなぁ……不思議に思いながらも、雄二は東子の頭を、「もういい」と言われるまで撫でまわし続ける。手を離す時には、もう東子は怒った様子をみせていなかった。満足してもらえたようだ。


 しばらくすると、進行方向に廃工場と思しき建物が見えた。辺りをタワーシールドや防弾チョッキといった魔鉄器で武装した、機動隊の警官たちが隊列を組みつつ取り囲んでいる。

 その一角。梨花と同じ白い制服を纏った女性警官が、近づく雄二たちに気付いて振り返った。


「六道殿!」


 ぱぁっ、と茶色の髪の下に快活そうな笑顔を浮かべ、彼女は上司の名前を呼ぶ。年のころは十代の終わりくらいか。雄二たちと、実はそう変わらないようにも見える。右手首には銀色の過剰想起体質者登録証OICCが巻かれていた。未契約のOI能力者らしい。


「七星か。哨戒ご苦労」

「六道殿こそ、お疲れ様であります! えーっと、そちらが応援の?」

「ああ」


 フランクでありながらどこか厳めしい、不思議な口調。小走りに近づいてきた彼女は、こちらを見ると勢いの良い敬礼をしてきた。


「初めましてなのであります! 自分は皇国警察魔鉄犯罪課、第二機動部隊隊長補佐官の七星奈緒。以後、お見知りおきを――って」


 その視線が、雄二の隣……奈緒の勢いに面食らう、東子の顔に集中する。ヘーゼル色の瞳が瞠目に見開かれ、方はぷるぷると震え出した。


「……も、もしかして東子姫殿下でありますか」

「そ、そうですけど」

「~~~~っ! か、感激であります! 自分、天孫家の方とお会いするのが夢でありましたので……! あ、握手して頂いてもよろしいでありますか!」

「え? は、はい」

「うわぁぁあああああああありがとうございますなのであります! ありがとうございますなのであります! 自分、この手もう一生洗いません!」

「いや流石に洗えよ」


 反射的に冷静なツッコミを入れてしまう。東子の手を握るまでの動きが全く見えなかった。早すぎる。随分とキモ……いや、面白い人だ。所謂限界オタクというやつだろうか?


 六皇爵家は、二千年以上前、この国――日本皇国を開闢したと伝えられる最も古い家系だ。以後、六家が協力し合いながら、この国を統治、運営してきた。

 鉄暦末期に政治が民主制に移行した後も、六皇爵は特別な家柄として国の中心に位置していた。確か憲法上は、国のトップは天孫家の当主、ということになっていたはず。

 

 そして現在の天孫家当主は、東子の実の兄――雄二にとってはもう一人の幼馴染みに当たる、天孫あめみま青仁せいじだ。半ば儀式的な存在ではあるが、他国に言うところのロイヤルファミリーであることに変わりはない。


 当然だが、コアなファンというのはどこにでもいるもので……目をキラキラさせて東子の手を離そうとしない奈緒も、きっとその内の一人なのだろう。


「七星、そのくらいにしておけ、姫殿下も困っている」

「はっ、も、申し訳ないのであります」


 苦笑気味の梨花が声を掛けたことで、奈緒はようやく東子を解放してくれた。名残惜しそうな彼女の様子に、思わず内心笑いがこみあげて来てしまう。


「なんか……もう疲れた気がする……」

「大変だなお前も」

「あなたは暢気すぎ。今のが敵の製鉄師だったらどうするつもりだったのよ」


 げしっ、と太腿を蹴られてしまった。痛い、痛いってば。


 だが東子の言うことにも一理ある。それどころか二理、三理くらいあるかもしれない。奈緒の動きは速すぎて、全く目で追うことができなかった。もしも彼女に匹敵する速度を持った製鉄師と、戦場で相まみえたなら……その時雄二は、相手の攻撃を裁き切ることが出来ないかもしれないのだ。

 これは鍛錬のメニューが増やされそうだぞ。雄二は辟易しながら心の中でため息をつく。


 ……敵の製鉄師と言えば。


「そういや俺たち、実はターゲットと人質の顔知らねぇんだよな……なんか隠しておきたいのか、スポンサーの方六皇爵家も全然情報くれなくて」

「ああ、まぁ……何となく察せるな。七星、以前奴らが送ってきた映像を見せてやれ」

「了解しました。お二方、これがその映像であります」


 奈緒がバックパックから、大ぶりのタブレットを取り出す。MACROMETHISマクロメーティス社製の最新モデルだ。儲かってんなぁ、などと思いつつ、表示された映像を覗き込む。

 

 そこには魔鉄器の防具に身を包み、銃器を携えた男が一人。隣には似たような装いにパンクファッションをあわせた少女。恐らくこの二人が、リーダーだという製鉄師だろう。なにやら活動資金にするための金を寄越すようにと、脅迫の文言を放っている。

 その奥。銃器を突き付けられた先には、魔鉄鋼糸でぐるぐる巻きにされた、ひょろ長い背格好に黒ぶち眼鏡の、冴えない男性が写り込んでいた。年齢は四十代の終わりだろうか。


 見覚えのある人物だった。

 というか知り合いと言って良いレベル。


「……笠原のおっさんじゃねぇか!! なんで縛り上げられてんだこんなところで」

「本当に運が悪いわねあの人……攫われるの、これで何回目?」


 六皇爵家と政府を繋ぐ、宮内庁の職員だった。雄二も東子も、幼少期からときたま世話になっている。腰が低く気の弱い人物なのだが、人が良く、仕事もできる優秀な人材である。


 そんな笠原氏にはある問題点があった。

 実は彼、とてつもない『巻き込まれ体質』なのだ。それこそ、その手の冥質界接続者カセドラル・コネクターなんじゃないかと疑われるくらいに。

 雄二が覚えている限りでも銀行強盗の人質になること三回、内閣の重要人物と顔を間違われて海外の過激派製鉄師から命を狙われること二回、偶然現場の近くを通りすがったがために、魔鉄犯罪グループに誘拐されること五回――今回がその六回目と見える。


「あー、くそ、そういうことかよ。勅令タイプの依頼だったのはこれが理由か」

「政府関係者の救出作業ともなれば、事後処理含めて厄介事になるのは必然。事前に説明してたら絶対に参加を拒否される……けど、現場でそのことを知れば私たちは『当事者』として参加せざるを得なくなる。ほんっと性格悪い作戦。誰が考えたのかしら」


 東子と二人、天を仰ぐ。

 笠原は仮にも政府関係者。どちらかというと政治に関わるというよりは、六皇爵家のお目付け役……悪い言い方をすれば監視役に近いが、それでもこの国の中枢に関わる人間で在ることに変わりはない。

 万一彼が攫われたことが民衆に伝われば、色々と面倒くさいことになるだろう。

 

 要するに、雄二と東子を製鉄師として支援する、六皇爵家の上層部は。

 この事態が広まる前に、迅速にことを収めよと、そう言っているのである。

 全く、無茶言ってくれるぜ。


「貴君らの困惑は良く分からないが……とにかく、役者は揃った。迅速かつ慎重にいくぞ。七星、全小隊に告げろ。突入開始だ」

「り、了解であります!」


 梨花が墨色のロングポニーを揺らして、号令をかける。指示を受けた奈緒が慌ててタブレットを操作すれば、データが送信されたのか、他の位置に陣取った警官たちも動作を開始する。


「神凪殿と東子姫殿下は、本官の部隊と共に突入、そのまま製鉄師の相手を頼む」

「了解」

「分かりました」

「よし、では行くぞ――第二機動部隊ニバンタイ、突撃!!」


 梨花の号砲が、轟いた。


 がしゃぁぁあああん!!

 強烈な破壊音が、同時に響く。OI警官の一人が、廃工場の壁に向かってバズーカを撃ったのだ。敵グループが組んだと思しきバリケードごと吹き飛ばされた工場の壁は、コンクリートめいた姿から、どろりと溶けた魔鉄のそれへと姿を変える。

 

 警棒めいたブレードや盾を構え、警官たちは開かれた穴の向こうへと突入していく。隊列を崩さずに雪崩れ込んでいく様子はある種の爽快感さえあった。流石、集団戦向けの訓練を積んでいるだけのことはある。


 では、その反対。

 少数戦はこちらに任せてもらうとしよう。


「そいじゃぁお仕事開始と行きますかぁ」

「もうちょっと気合入れなさいよね、馬鹿」


 くい、と拳を横に突き出す。東子の小さな握りこぶしが、その表面を叩いてくれた。


 うっすらと口を開く。腹の奥から響かせるように。あるいは、この世界そのものに響かせるように。

 ――もう一つ上の位相、霊質界まで届くように、祝詞を紡ぎ、張り上げる。


精錬開始マイニング汝が血脈を我に捧げよユア・ブラッド・マイン

精錬許可ローディング我が血脈は汝のためにマイ・ブラッド・ユアーズ


 東子を中心にして、不可視の鉱脈が伸びた。そんな風景が、この世ならざる景色を映す、雄二の瞳に投射される。

 

 同時に、瞳の裏へと雄二のイメージする霊質界の景色が

 どろりと重い、粘性の液体に包まれた風景。不気味に泡立つ、無色透明と銀色で満ちたその世界は、雄二と東子、そして現実そのものとの垣根を溶かし、融かし、解かしていく。

 とかされきった世界は渦を巻き、形を変え、そして全く別のものへと再創造されては、新たな同胞を求めて『侵略』を開始する――。


 その象を、雄二は剥き出しにした己の……厳密には、その表面に塗られた、魔鉄コーティングの中へと込める。


「東子」

「ん」


 伸ばした手で、東子の身体を引き寄せる。出来るだけ優しく引っ張ったつもりだが、小柄な彼女は勢いよく雄二の腕に収まった。なんだかまた一層軽くなったような気がする。こいつ、本当にちゃんと飯食べてるんだろうな。


 場違いな心配をしながら、雄二は東子の纏う黒いセーラー服……自分と東子が通う、聖玉学園の女子用制服の襟元をぐいと掴み、彼女の真っ白い首を露にさせた。

 

 そしてそのまま、しゃぶりつく。

 いや、『かぶりつく』、と言った方が良いかもしれない。

 

 何故なら。

 雄二のイメージに呼応して、『牙』の役割を手に入れた魔鉄の歯は、そのまま、東子の白い肌につぷりと食い込んだのだから。

 彼女の頬が桃色に染まる。甘い吐息が薄く漏れ、びくり、と肩が大きく震えた。


「なっ……」

「な、ななななな何をしているでありますか!? 破廉恥であります!!!」


 梨花と奈緒の動揺の声が耳に届く。が、努めて無視。こっちだって恥ずかしいのだ。別に吸血鬼でもないのに、パートナーの首筋に牙を突き立てるだなどと。全く、いったいどういう趣味をしているのかと己のオーバーワールドに問いかけたくなってしまう。


「ん、ぅ、ぁあっ……はぁんっ」

「ぷはっ」


 牙を抜くと、耳まで真っ赤になった東子がよろめいた。下着の黒い肩ひもをうっすら覗かせ、彼女はキッとこちらを睨みつける。


「はぁーっ、はぁーっ……ねぇ、毎回これやるの、そろそろ卒業しない?」

「仕方ねぇだろうが、これが一番イメージの収斂に役立つんだから」


 ぶっきらぼうに返してしまう。だって本当なのだから仕方がない。東子の、厳密には彼女のアストラル・ボディの中にされた、雄二のオーバーワールドは、その性質――『侵食』を強くイメージさせる行動をとらないと、こちらの世界に降りてきてくれないのだ。

 まぁでも、時間をかければその限りではない。実際、毎回毎回首筋に噛みついたり、指先の血を舐めとったり、そういう行動をとるのは雄二としても恥ずかしい。


「東子がどうしても嫌ならやめるけど」

「……別に、そうは言ってないでしょ」


 ところが相棒から返ってきたのは、ちょっと意外な容認の言葉だった。なんだか今日のこいつは調子が変だぞ、と思いながらも、雄二は口もと――東子の肩口から零れ落ちた、彼女の血を拭い取る。 

 白い首筋を伝う血は、そのままぽたり、ぽたり、と地面に落ちた。地上に咲いた紅い花……ある意味で美しく、ある意味で壮絶なその光景に、製鉄師ならざる二人から困惑の声が零れた。


「な、何がどうなっているでありますか」

「姫殿下、血が――なに?」


 梨花の言葉が途切れる。見れば、彼女は驚きに目を見開き、固まっていた。


 無理もあるまい。その視線の先、地上に小さな水たまりを作っていたはずの東子の血が。


 どろり、と、水銀を思わす粘性の水流へと置き換わり、一気に質量を増したのだから。


「はっ――」


 乱れた衣服を正した東子が、ふわり、と右手を振るう。同時に粘性の奔流は勢いを増し、ぐるぐる、ぐるぐると、雄二と東子、二人を囲んで渦を巻く。

 まるで魔法。

 御伽噺の幻想を思わす、普通人の常識を逸脱した奇跡的光景。


 だがこれが、『製鉄師の常識』だ。

 そうとも。ああ、そうだとも。これは魔法だ。魔鉄を触媒として霊質界と物質界を繋げ、魔女を門としてこの世界へと歪む世界オーバーワールドを顕現させる、OI能力の究極形。

 製鉄師がその名で呼ばれる理由そのものにして、霊質界を通る幻想の鉄脈ブラッドマインから、宝石をこの世界へと呼び出す術式。


 これこそが《鉄脈術リアクター》。

 魔鉄器時代と題された、鋼の時代に覇を唱える、新時代の魔術、魔法。


 雄二はそっと東子を抱きあげる。細く白い腕が、こちらの首筋に絡みついて来る。

 伺った東子の首には、もう牙を挿し込んだ後はない。キスマークを思わす唇のあとこそまだあるけれど……うん、今回も上手いこと塞がってくれたらしい。


「行くぜ東子。しっかり掴まってろよ!」

「そっちこそ、離さないでよね馬鹿雄二」


 相棒の声が、耳に届くや否や。雄二は、強く地面を蹴り上げる。


 同時に、ダンッ!! と、激流が大地を打つ強烈な音がして。

 雄二と東子は、水流に乗って天空へと躍り上がった。

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