全部酒のせい ヨル・スズネの場合

・あのままリンが何も起こさずに、四人全員樹の里で穏やかな生活を送っていたらというifストーリー

・ヨル×スズネ、ほんのりシンヤ×コハル

・いちゃいちゃしてるだけの話です

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 シンヤとコハルが熱烈に口付けを交わしているのを見かけて、スズネは酒と熱に融かされた思考をぎこちなく巡らせた。


「仲良しですねぇ」

「いつもああなんだよね」


 既に普段の理性がぐずぐずに崩れている状態では、呂律も上手く回らない。ケラケラと軽い笑い声を零したスズネの隣で、笑いを含んだヨルが上機嫌そうにそう呟いた。

 大広間に酒の匂いが充満していることも、己がその匂いを纏っていることも、今のスズネには理解ができない。この宴会が本来どのような目的を持っているのか、彼女にとって最も重要な事柄が朧げに脳裏を横切っては曖昧に消えていく。夢のような心地の良さが、酔いと共にスズネの体を呑み込んでいた。


「お二人は恋人同士なんですか?」

「そうだよ、いつの間にかそうだった」

「キスしてますもんねぇ」

「キスしてるからねぇ」


 何処か間の抜けたような声が、ヨルとスズネの間を行き来した。頬をほんのりと赤らめて面白そうに微笑むヨルは、その垂れ目がちな瞳をゆっくりと瞬かせている。

 宴会が始まった直後、ヨルは酒を飲むのをやけに躊躇っていた。スズネが一度勧める事に曖昧に笑って一口、という飲み方をしていたので、不思議ではあったのだが、どうにも彼は酒に強くないらしかった。一杯を呑み切ったところで無防備な態度をとりだしたヨルを見て、スズネは内心酷く驚愕したことを覚えている。その後、酔っぱらったヨルが次々と勧めてくる酒を律儀に飲み干していたら、スズネも酔っぱらって、今ではこの有様だ。

 見事に酔っ払った二人は、普段ならば有り得ない距離感で隣に座り込んでいた。肩が触れあうのは勿論、時折息が交わるほどの至近距離で互いの瞳を覗き込んだりする。何となくそうしていることが心地いいなと思ってしまえば、その感覚を拒絶するだけの倫理感や理性は残されていなかった。


「さみしかったりしますか?」


 スズネは、ヨルの瞳を見つめながら尋ねた。普段は何かを見通すような静けさと優しさを訴えている彼の瞳は、今は熱に浮かされてどこか遠くを見据えている。青と緑が混じった美しい色の瞳が、ぼんやりと惚けたようにスズネを見つめて、それから僅かに困った色を浮かべて細められた。


「たまに」


 懺悔するような、密やかな声だった。酒で呂律を奪われている言葉の中で、やけにそれだけが明瞭さを持っている気がする。そう呟いたヨルが静かに目線をスズネから外して、手元の杯からちびりと酒を飲む。その姿がいじけた子供のように見えて仕方がない。

 双子の幸せを願い、好敵手或いは最高の友人と称せる相手を素直ではないなりに応援して、その傍らで、どうしようもない疎外感や一抹の寂しさを抱えているのだろう。そして、ヨルはそれが消化できないのかもしれない。後者の感情は二人にどれだけ好意を持っていても消せるものではない。寧ろ、好意的であればあるほど生まれやすくなる感情だ。

 普段のヨルならば微笑んで誤魔化すであろう部分が、酒によって露出している。そして、普段ならばさり気無く慰めるくらいの気遣いを見せるスズネもまた、酒に酔っていた。


「そっかぁ。よしよし、ヨルくんには私がいますから」

「あ」

「うふふ、大丈夫ですよぉ」


 ヨルの手元から盃をひったくったスズネは、近くの机にそれを置くなり、彼の背に腕を回した。されるがままにその抱擁を受け取ったヨルが、僅かに肩を跳ねさせる。それでも抵抗の様子を微塵も見せない彼の態度をいいことに、スズネはさらにその腕に力を込めた。

 密着し合った身体が温い。スズネの体温とヨルの体温が服越しに混じり合うのを感じながら、スズネはヨルの後頭部に手を回す。そして、ふわりとしていて所々で跳ねている銀灰色の髪の毛を無遠慮に撫でつけた。


「もう、子供じゃないんだから」

「ヨルくん見た目は私より年下に見えるから子供みたいなものです」

「見た目はでしょ? 実際どうか分からないのに」

「可愛いから子供みたいなものですよ、ふふ」

「なにそれ」


 スズネの口から漏れだす言葉に、ヨルは僅かな笑い声を落とした。笑う度に小さく揺れる肩が腕の中にあるのが、何だかとても嬉しいことに思えた。スズネもくつくつと笑い声を零しながら、その手でわしゃわしゃと髪の毛を撫でる。遠慮のない手付きに彼の髪の毛は普段よりもさらに跳ねてしまっていたが、それを気にする感覚は両者共に残っていなかった。

 ヨルが数拍置いて、スズネの腰に手を回す。それによってさらに密着した身体にスズネが目を見開けば、耳元でヨルが熱の籠った声で囁いた。


「でも、これからはキミがいてくれるんだね」

「そうですよ」

「僕のこと一人にしない?」

「しませんよ」

「そっか」


 その声音に乗せられた感情は、悪夢を見た直後、それは夢だと告げられた子供の安堵によく似ていた。胸を擽られるような、その傍らで心臓を握りしめられるような感覚になったスズネは、そのまま安心させてやるようにヨルの背中を優しく撫でる。スズネは決して必要ではない接触をしない。相手の迷惑になることをいつでも考えるからだ。

 でも、これは必要ではない接触ではない。だって、ヨルがこんなにも幸せそうだ。

 酒に酔わされながらも、自分の中ではそんな理論が通っていた。泥酔した自分を納得させるのは容易なことで、その言葉に頷いたスズネは、そのまま暫くヨルを抱き留めていた。喋ることを止めたせいか、抱き合っている故の安心感か、或いは酒が回り切ったのか、眠気が込み上げてくる。

 ふわ、とスズネが欠伸を零した後で、ヨルも同じように欠伸をした。うつったね、という声が重なるのは、殆ど同時だったように思われる。


「寝る?」

「寝ますかぁ」

「……部屋までいくのめんどくさいね」

「めんどくさいですね」

「このまま寝ちゃう?」

「寝ちゃいましょう」


 酔いと眠気に強襲された二人の脳内は、何処までも本能に忠実であった。

 腕の中の温もりを離したくない。何より眠い。今すぐ寝たい。

 そんな本音に従った結果、二人は部屋に向かうという意欲すら捨て去って、その場に抱き合ったまま倒れこむ。その際、シンヤがコハルを抱きかかえて大広間から姿を消すのがスズネの視界の隅を掠めたが、最早そんな光景は情報として処理もされなかった。

 既に床で倒れこんでいる使用人がいたおかげで、今更二人が横になっても誰もそれを咎めない。何処からか聞こえてくる複数の寝息が目立つのは、大広間に静寂が訪れた故である。


「明日起きたらびっくりしちゃうなぁ」

「どうしてです?」

「こんな風に誰かと寝てる上、その相手がキミだから」

「私でもいいじゃないですか。それとも、コハルちゃんとかシンヤさんがよかったですか? そうやって相手を選ぶの、『しつれい』って言うんですよ」

「『しつれい』な意味ではないけど……ふふ、まあいっか」


 全部酒のせいだもんね、と言い訳のような言葉を吐いて、ヨルが目を閉じる。眼前の表情が酷く穏やかであることを確認したスズネは、むっとするフリすら忘れて、口元に微笑を湛える。


「私が一人にしませんから」


 寝かしつけるように呟いた言葉が、彼に届いたかは定かではない。その一言を最後に、スズネの意識も夢の世界へと飛び立ったのだ。

 大広間で抱き合ったまま、ヨルとスズネは穏やかに寝息を立て始めた。



◆ ◆ ◆



 重い瞼をゆっくりと開く。ぼやけた視界と寝起きの思考が定まるにつれて、スズネはまだ寝ていたいと主張する瞳を大きく見開くこととなった。


「えっ」

「……おはよう」

「よ、あ、……ヨル、くん?」


 普段、目覚めたら真っ先に飛び込んでくるのは枝で編み込んである寝具の壁である。しかし、その日はそれよりももっと色鮮やかな――朝日を浴びて眩しそうに、そして酷く気まずそうに細められている、青みがかった緑の瞳が、スズネを覗き込んでいた。

 何故ここにヨルが。驚きすぎて悲鳴すらあげられなかったスズネに、ヨルは申し訳なさそうな視線をひたすらに注いでいた。

 咄嗟に飛び退きかけたスズネは、そこで初めて自分の身体が動かないことに気が付く。自分の腕がヨルの背中に絡み付いている上、ヨルの腕もスズネの腰に回されている。横たわった身体同士がどうしようもなく密着していて、おまけに足まで絡んでいる。到底身動きをとれる状態ではなかった。

 喉から声になれなかった音がした。スズネの発した妙な音を聞いて、ヨルは現実から目を背ける様に目を閉ざす。


「なっ、なんで、こんな!」

「……酒って怖いね」


 スズネの驚愕の一言に、ヨルはそれだけ言って返した。

それを聞いて慌てて周囲を見渡したスズネは、ここが大広間であることを知る。それから、順に昨晩の記憶を脳内で探った。

 無礼講と称して宴会を開いたこと。ヨルが酒に酔って、その次にスズネも酔ってしまったこと。シンヤとコハルばかりが仲良しなのは寂しいか、と問い、彼が口にした返答にどうしようもない感情が沸いて、無理やり抱き寄せた上に頭を無遠慮に撫でたこと。そのまま眠くなって、二人で抱き合いながら眠りについたこと。

 酔っぱらった己の言動を思い返したスズネは、昨晩は酒で赤く染まっていた頬をサッと蒼くした。


「ご、ごごごご、ごめんなさい!」


 それから慌てて腕を背中から解く。わざわざ律儀に起床を待ってくれていたらしいヨルは、それを受けて落ち着いた様子で絡みあった足と腕をスズネから退けた。

 気まずい沈黙が両者の間で流れる。ちらほらと起きて活動を始めている使用人達の好奇の視線が注がれるのが、その気まずさを煽っていた。


「本当に、なんてお詫びしたらいいのか、私あんな、本当にすみません。生意気っていうかなんて言うかもう、ほんとに」

「いや、僕も酔ってたし、軽々しく触れてごめん」

「いえヨルくんが触れるのは問題ないんですけど私がヨルくんに触れるのはなんていうか、あああもう本当にごめんなさい……」


 片手で顔を覆ったヨルの姿を見て、スズネが眉尻を下げる。気まずさと羞恥のせいで、顔を見ていられない。俯いたスズネは、近くに転がっている酒瓶を静かに持ち上げて、抱き抱えた。


「……お片付けします。主催の責任というものがありますから」

「……僕も手伝うよ」

「で、では、ヨルくんはあっち、私はこっちで」

「了解」


 ぎくしゃくとしたやりとりでさえ、心臓が破裂しそうになる。目が覚めてすぐに間近で絡みあった視線も、細められた瞳も、まだ身体に余韻を残している穏やかな体温も、全てがスズネの鼓動を速くした。

 酒瓶を拾うという簡単な動作にさえもたついてしまうのは、恐らく、二日酔いをしているなんて理由ではない。頭は全く痛くなかった。


「――スズネ」

「はいっ!?」


 ヨルの微かに掠れた声に名を呼ばれ、スズネは勢いよく背筋を伸ばした。同時に腕から滑り落ちていった二本の酒瓶が、床とぶつかってごとりと大きな音を立てる。その後、数秒黙り込んだヨルは、蚊の鳴くような、耳を済ませていないと聞こえない程度の声音で、呟いた。


「嬉しかったよ。昨日の」

「え?」

「僕を一人にしないっていうの」

「……お、お役に立てたなら、いいんですけど」

「嬉しかったからつい、甘えちゃった」


 ごめんね、と添えられた言葉に、思わずスズネはヨルの方へ視線を滑らせた。ヨルはスズネの背中を向けていたが、ちらりと見えた耳が僅かに赤い。酒はとっくに抜けたはずなので、その赤みの正体はそれ以外ということになる。

 スズネの心臓はそれまでで一番速くなった。酒が回っていたときよりも確かな熱が全身を支配する。そのまま硬直したスズネは、目を伏せて、それから言い訳するように呟いた。


「……全部、お酒のせいですから」

「……うん」

「だから、もしヨルくんが甘えたくなったら……もし、相手が私なんかでよければ、また、お酒を飲みましょう」


 今度は二人で、という言葉は、口にした直後で後悔した。ヨルが黙り込んでしまった数秒が、永遠のように長く感じられる。落とした酒瓶を拾いあげたスズネの手は、僅かに震えていた。


「……今度は最初から自室にいた方がいいと思う。酔って眠くなったら移動が大変だから」


 ぽつりとヨルが呟いた言葉に、スズネはぎこちなく頷いた。それが承諾の意を込めて放たれた言葉だということくらい、分かる。胸の内に広がった安堵が、スズネの頬を赤く染め上げる。

 今度は瓶を落とさないようにと腕に力を込めたスズネは、小さく笑みを浮かべて、静かに「そうですね」と呟いた。

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