第三話 誰よりも深く繋がっている
夏休みの終わり頃、学校の連絡網で「神代くんが亡くなった」という知らせがきた。転校というのは、病院の院内学級のことだった。ずいぶん後になってから聞いた話によると、脳腫瘍の手術中に容態が急変したということだった。
連絡を受けた母親が、それを私に告げた時、なぜだか私は泣けなかった。死というものの重さは、理屈としてはわかっていた。もちろん悲しくもあった。だけど心のどこかで「そんなわけないじゃん」と思ってもいた。心が理解を拒否しているような感覚。だって、神代くんは「絶対に戻ってくる」と言ったのだ。あの神代くんが嘘なんかつくはずがない、これは悪い夢を見ているんだ。どこかのタイミングで目が覚めて、約束したお手紙が届いてるんだ――そんな気持ちで、いっぱいだった。
クラス全員で出席したお葬式では、泣きじゃくるみんなをボンヤリと眺めることしかできなかった。そんな私を薄情だと責める子もいたけれど、別所くんが「悲しすぎて泣けないことだってあるんだぞ」と言ってくれたおかげで落ち着いた。
そんな別所くんもまた、一粒の涙もこぼさなかった。
葬儀の数日後、別所くんが「二人で話をしたい」と電話をかけてきた。私はそれを了承し、別所くんの家でもある社宅の三角公園に向かった。
セミの声とうだるような暑さの中、別所くんと私は木陰のベンチに座った。
「えっと、この前はかばってくれて、ありがとう」
「いや……ああいうの、翔が嫌がると思ったからさ。それはいいから、俺の話を聞いて欲しい」
別所くんは目を細めて空を見上げ、真上にある大きな白い雲をじっと見つめた。
「頭がおかしくなったとか、思わないで欲しいんだけどさ……あの後、翔がさ、俺のところに来たんだ」
その唐突な告白に、私は目を丸くした。意味を捉えかねて困惑する私に、別所くんは視線を地面へ落とし、ゆっくりと言葉を続けていった。
「俺と翔、家が隣じゃん。子供部屋も隣同士だったんだ」
「うん」
「だからよく壁叩いて合図して、ベランダで喋ったりしてたんだけどさ……葬式の日の夜中、合図通りに壁が鳴ったんだ。ココンコンココン、って」
完全に怪談話だけれど、相手が神代くんというのなら怖さなんてあるはずもない。きっと別所くんも同じ気持ちだったのだろう、語る口調に恐怖は微塵も感じられなかった。
「ベランダに出たら、翔の声がした。いつもの調子で、ベッさーん、って」
「そ、それで、どうしたの」
「どうしたーって、いつもと同じように返事をした。そしたら、僕のこと見える? って聞かれたから、見えねぇよって言った」
それはあまりにも現実味のない話だったけれど、嘘をついているようには思えなかった。別所くんは作り話で他人の気を引くようなタイプではないし、曲がったことが嫌いな人だ。いつだって誰よりそばにいた親友の死を、こんな形でネタにするなんて考えられない。私は半信半疑のまま、ひとまず別所くんの話を受け入れることにした。
「そしたら、何て言ったの?」
「気合が足りないんじゃないの、とか言いやがった。それでつい、どこにいるんだよって聞いたらさ、俺の後ろにいるとか言うんだぜ。それ俺をここから突き落とすヤツだろって言ったら、アイツ普通にゲラゲラ笑って、ベッさん道連れなんてやだよ僕ー、だってさ」
神代くんの口調を真似る別所くんの語り口は、本当に神代くんが喋っているみたいで――すごく会いたくなってしまって、その瞬間「もう二度と会えないんだ」という現実の重みが、胸の奥ではっきりと形になった。
私の目からは涙が堰を切ったように溢れ出し、別所くんが背中をさすってくれた。
「高井……こんな話を聞かせて、ごめん。だけど最後にもうひとつだけ、高井にこの話をした理由だけ言わせて」
その理由をなんだろうと考える間すらなく、別所くんが私を見つめた。その視線があまりにまっすぐで、顔をそむけることができなかった。
「翔、手紙を出しそびれたって落ち込んでた。高井と約束してたって……」
彼はそう言って、脇に置いていたショルダーバッグから、水色の封筒を取り出した。見覚えのある綺麗な字、青のインクで綴られた宛名は「高井ちとせ様」だった。
「おばさんに探してもらったら、日記帳に手紙が挟まってた。だからあの時、翔は絶対にいたんだ」
「いま……は?」
「その後はどんなに呼んでも反応がないから、成仏したのかな」
「……そっか。私も、会いたかったな」
私は糊付けされていない封筒を開け、便箋を取り出して目を通した。別所くんは覗き込むでもなく、ただ黙って隣にいてくれた。
『高井ちとせ様
約束どおり、手紙を書きます!
いきなりだけど、高井さんにあやまらなきゃいけないことがあります。
実は今、大学病院に入院してます。言えなくてごめんなさい。
夏休みの間に手術をするけど、早く戻れるようにがんばります!
ベッさんが毎日来てるから、高井さんも一緒に来てくれたらうれしいな。
(だれにも言わないつもりだったけど、母さんがベッさんにバラしてた)
でも今ボウズだから、カッコ悪いんだよね。見ても笑わないでね!
絶対に、元気になって戻ってくるよ。そしたら僕とデートしてね。
どこで何するか、いっぱい考えておくから、楽しみにしてて!
心はいつだって一緒にいるからね。
僕は高井さんのことが大好きです!
神代翔より』
そこにしたためられた想いはきらめいていて、鮮やかに残る彼の気配がただ愛しくて、私は彼を一生忘れないと決めた。たとえ死ぬまで一人で過ごすことになろうとも、神代くんと一緒に生きていきたい――そう、強く願った。
「私、神代くんのこと、死ぬまでずうっと好きでいる……ひとりぼっちになったって、これからもカノジョのままでいる!」
生まれたての決意を口にすると、別所くんは空を見つめながら「一人じゃないよ」と言った。
「俺が一緒にいてやるから、高井は死ぬまで翔を好きでいればいいよ。もしもみんなが翔を忘れても、俺たちだけは、ずっと翔を覚えていような」
寄り添うような言葉が嬉しくて、私は素直に頷いた。
そして人目もはばからず、手を繋いで、二人で泣いた。
――あの日から私たちは、誰よりも深く繋がっている。それと同時に、すごく曖昧な関係のまま、年齢だけはいい大人になってしまった。
今よりも別所くんの存在が膨らめば、私の中の神代くんはただの「過去」になってしまうだろう。みんなはそれが当たり前だって言うけれど、その選択は私たち二人にとって、本当に正しいことなのだろうか?
私がそんなことを考えている間、別所くんもずっと何かを考えていたけれど、長い沈黙のあと「わかったよ」と諦めたように呟いた。
「ごめん、もう余計なことは言わない。今までどおり、付き合ってるフリを続けながらのルームシェアなら受けてくれるか?」
「え、ええっと……」
「俺、家事も一通りできるしさ。カタログスペックだけならそこそこ自慢できるし、いちおう医者だから急病も安心だぞ。家に置いてて損はないだろ?」
いつになく熱弁、完全にゴリ押しだ。何が何でも一緒に暮らすぞ、という気概すら感じる。後半は、別所くんにしては珍しいことを言い出したけど……それは事実だけれど、それも「そこそこ」とか「いちおう」は省いていいんだけど、自分でこんなことを言っちゃうなんて思わなかった。
確かに別所くんは誰の目にもはっきりとわかる「イイオトコ」なんだ、いわゆるスーパーダーリンとか言うやつだ。顔は面長だけど整ってるし、よく笑うし、身長は百八十センチを超えちゃったし、やたら手足は長いし、子供の頃から運動神経もいいし……トドメに現在の肩書きは小児科医(大学病院勤務・二十七歳・独身)ときてる。地元の友人たちの間では「メガ進化」とか言われる始末で、こっちは隣を歩くだけでもコンプレックスを刺激されてしまう。どうにか逃げ出さずに済んでいるのは、普段の彼がスペック自慢なんかするタイプじゃないからだ。つまり今は、それだけ必死ということなんだろう。ここまでなりふり構わなくなる理由なんて、たったひとつしか思いつかない。
「そんなに、私のお部屋に住みたい?」
からかうように言うと、別所くんは苦笑いを浮かべた。
私は昨晩この人に、分譲マンションの一室を購入することを打ち明けたのだ。
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