第7話

 様子をうかがいながらそろりと歩きはじめる。ベランダのガラス戸の近くまで行くと、都合のいいことに半分ほど開け放たれていた。オイラは急いでサッシュのところまで行き、部屋の中を不安気な面持ちで覗き込んで気配を確認する。そして必死になってレールを乗り越えて室内に入った。

 そこは広々とした洋室。壁に沿うようにして二メートルほど中に足をはこんだとき、突然スリッパの騒々しい音と共に、ひとりの女性が右手に洗濯カゴをぶら提げて出現した。当然予期していたことだからそれほどの愕きはなかった。女性はおそらくここの奥さんであろう。痩せっぽちでお世辞にも美人とはいえなかった。顔を見ると、面長で目が細く、そこいらの草むらにいるオンブバッタそのものだ。オンブバッタはメスのほうがオスよりも一・五倍くらい体が大きいのだが、この夫婦もそうなのだろうかとよけいなことを考える。顔の表情からすると、ここの奥さんは、相当なヒステリーの持ち主じゃないかと推測した。

 幸い奥さんはオイラの気づいたふうもなくせわしげにベランダに出て行った。洗濯物を干しに行ったのだ。こうバタバタ動かれたんでは落ち着いて観察するどころではない。まさか後ろにくっついて歩くわけにもいかず、頃合いを見計らってさらに奥へとすすんだ。

 キッチンにあるカウンターを昇り、少し高い位置から部屋の中を見廻す。その洋室はキッチンとダイニング、それに居間がひとつになっていた。居間にあたる部分にだけ豪華な毛足の長いカーペットが敷き詰められ、ソファーやサイドボードなどの調度品にはなかなかの気品が見受けられた。サイドボードの中には何本もの褐色の液体の詰められた高級そうなビンが整然と並べられていた。ひょっとしてあれがどんな味がするのかひどく興味が涌いた。住み処に戻ったら真っ先に爺っちゃんに訊いてみようと思った。

 オイラにとって家具の良し悪しはどちらでもよかった。ただ、それらを見ることによってそこに住む人間サマの嗜好や生活水準がわかるというものだ。

 カウンターを降りて居間を横目で見ながら次の部屋に向かう。ドアの下の小さな隙間から体をもぐり込ませると、その部屋も洋室。いまのところ畳の部屋はない。

 部屋の雰囲気からするとおそらく夫婦の寝室として使われていると思われた。ベランダに向かって左側に洋服ダンスと整理ダンス、それに大きな三面鏡。その反対側にはダブルベッドの夜を待つ気怠い姿が目についた。

 のんびりと部屋の中を散策していたとき、いままでベランダに出てたはずの奥さんがいきなり部屋に入って来て、窓のカーテンを少し閉じ加減にすると、開いたままになった三面鏡の椅子にどかりと腰を降ろした。

 オイラをまったく気づいてない奥さんは、三面鏡の引き出しをおもむろに開けると、中からサボテンの棘を集めたような形をしたものを取り出して髪の毛を梳かしはじめた。何度もそれで髪を撫でつけ、ようやくそれが終わると今度は顔を鏡に近づけ、目を大きく見開いたり細めたり、少し横を向いたりしたあと思いついたようにニヤニヤと薄笑いを浮かべる。想像を絶する奇妙な光景としかいいようがない。前に鏡があるからいいようなものの、これが何もないところであればまさに狂気の極みだ。人間サマの女性というのは誰もがこんな仕草をするのだろうかと疑問に思えてならなかった。



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