第6話 2

 オイラたちは冬の間でも暖かい日があれば活動をするが、啓蟄を過ぎる頃になると気温も段々と上昇してくるので、本格的に動き出すのはその頃からになる。

 まだ本来の春と呼べる季節になるまでには少し間があるのだが、あちこちではすでに草木が芽吹きはじめている。そんな春の兆しを眺めていると、凍傷になりそうなほど冷ややかだった心の中が徐々に雪解けとなって和みを覚えるのだった。

 気の早いタンポポなどはすでに黄色な花冠を天空に向け、燦々と降りそそぐ太陽の光を目いっぱい受け止めている。オイラたちの季節がすぐそこまで訪れているのだ。

 これまでは少し距離を置いたところから人間サマの生活を覗ってきたのだが、きょうからはもう少し近くまで行ってじっくり観察をしようと思う。

 そこでまず手はじめに、最初に訪問する部屋を一階のいちばん西側と決めた。それは、もっとも住み処から近いという簡単な理由でしかなかった。

 といっても、庭の隅からその部屋まではオイラの歩速からすると比較的時間がかかる。何も直線に歩けばわけない距離なのだが、そうは思うようにことははかどらない。人間サマからするとちっぽけに見える石ころでも、オイラにとっては動かすことのできない巨大な岩なのだ。それらのいくつもを迂回しながら歩くのだから、当然のこと時間を費やすことになる。

 ――やっとの思いで目的の部屋の下に着いた。

 これからやっかいなコンクリートの壁をよじ昇り、さらにベランダを横切って部屋の中に侵入するつもりなのだが、このコンクリートの壁を昇るのがまたひと苦労。平地を歩くというわけにはとてもいかない。下手に足でも滑らそうものなら真っ逆さまに墜落をし、嫌というほど地面に体を強打し、打ち所がわるければ命を落とす結果になりかねない。

 オイラは壁に足をかけてゆっくりと昇りはじめる。ベランダまでは約一メートルの高さがある。壁面はザラザラとして昇りづらいように思えるが、これが結構歯止めになって都合がいい。中ほどまで来るとようやく慣れてきて、いくらか気持に余裕が出てきた。そうなると、今度は体より気持が先走ってしまう。昇りきるまでそれを押さえるのにひと苦労した。

 やっとのことで登りおえると、ひと息つきながら周囲の気配を覗った。見渡すところ人影はない。しかし、誰もいないとなるとこれまた具合がよくない。何のために汗水垂らしてここまで足を伸ばしたのかわからなくなってしまうからだ。

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