夏夜を歩く

Zearth

夏夜を歩く

夏が来れば思い出す。あの夜のことを。



あれは大学生3年生の頃だった。


うわべだけの友達関係、退屈な講義の毎日、建前だけで付き合って別れた彼女。

全てがくだらなく思えた俺は、何かを変えようと思って髪を真っ青に染めた。


だが、髪の色が変わったくらいで何か良くなるわけでもない。

俺は相変わらず鬱々とした毎日を過ごしていた。


そんな中、ある時1人の女が声をかけてきた。


「ねえ、君。マリンブルーとは良い髪の色してるじゃないか。夏色だね。」



変な奴に絡まれたもんだ。適当に答えて受け流しておくのが正解だろう。




「京都は海が遠いからな。みんなに手軽に海を見せようと思ってさ。」


と俺は適当なことを言って誤魔化した。


すると、彼女は

「殊勝な心がけでよろしい。ところで、私と夏夜を歩かないかい?」


カヤを歩く?なんじゃそりゃ。そんな思考が顔に出ていたのだろう。

彼女はこう続けた。


「夏の夜のことよ。夏色ヘッドのくせに知らないのね。取り敢えず、今晩お迎えに上がるわ。あなたの家はどこにあるの?」


こんな奴に家を教えたらどうなるか分かったもんじゃない。


そう思いながらも、退屈な日常がどうにかなるんじゃないか、そんな気持ちもあって教えることにした。




「○○通りにある**ってマンションの523。ほんとに来る気?」


「当たり前じゃない。そんな髪色してるんだから、どうせあなたバイトも何もしてないでしょ?」


図星だ。









気だるい暑さが残る中、大学から家に帰った俺は肉と野菜を炒めただけの、料理とも呼べない晩飯を胃に放り込み、くだらない情報だらけのsnsに目を通しながらあの女を待った。


しかし、9時を過ぎても10時になっても現れやしない。


「からかわれたか。」そう呟きながら寝る準備をしているとインターホンが鳴った。


「はい。俺ですけど。」


「やあ。約束通りお迎えに参ったぞ。さあ、行こう。」


「何時だと思ってんだよ。てか、夏夜を歩くって何すんだよ。」


「夏の夜を適当に散歩して、お酒飲んで帰るだけ。」



たしかに、そいつの手にはコンビニの袋が握られていた。



「なんじゃそりゃ、しょーもねえ。まあいいや。今から下行くから待ってろ。」


人はこれを深夜徘徊と言う。

夜中に酒を持って歩き回るなんて、職質されること請け合いだ。


頭の中で愚痴りながら階段を降りると、エントランスにTシャツにデニムのラフな格好をしたあの女がいた。


「やあ、ちょっと早かったかな?」


「いや、おせーよ。深夜徘徊の相棒探しのために俺に声かけやがったな。」



「まあ、そう言わない。はい、これあなたのお酒ね。

共に夏夜を歩こうぞ。」


そう言って彼女は500mlのビール缶を渡してきた。


2人でビールを飲みながら、他愛もない話をして薄暗い道を歩くだけ。

想像していた通りのくだらない遊びだ。


ただ、いつも通っている見知った道の違った顔や、月に照らされてできる建物の影の中を歩くのは少しだけ気持ちが良かった。



「どう?結構良いもんでしょ?」

少し笑って彼女は言った。


「虫がいなけりゃもっと良いかな。」

俺は言った。





「君も強情だなぁ。」










それから、1〜2週間に1回のペースで彼女は俺の家のインターホンを押して「夏夜を歩くぞ。」と

言いにきた。



決まって彼女は片手に酒を持って現れ、それを2人で飲みながら取り留めもない話をして夜道を散歩する。

ただそれだけだった。


お互いに自分自身のことはほとんど話さなかった。


そんな関係が2ヶ月続き、大学生の長すぎる夏休みも終わろうとしていた。


そして今日も彼女は現れる。


「やあ、こんばんは。夏夜を歩きましょう。」


「そろそろ来るかなと思ってた。行くか。」



すこしだけ、ほんのすこしだけ彼女が来るのを待ち遠しく感じ始めていた。


お互いのことはほとんど何も知らないけれど、彼女とお酒を飲みながらするどうでもいい話は、つまらない日々を忘れさせてくれた。



「今日のお酒は、いつものビールじゃないの。だから、私のとっておきの場所に座って飲みましょう。」


そう言う彼女に案内された場所は、木々の間から月明かりがカーテンのように差し込む幻想的な所だった。

こんなに美しい所があったなんて。

俺は息を飲んだ。




「どう?気に入った?今日のお酒はこれよ。」


そう言って彼女は瓶を2つ出した。


「うわ、ジンかよ。またとんでもねえの持ってきたな。あとこれは……ライムジュース?」


「そう、この2つを混ぜるの。ギムレットって言うんだけど。」

彼女は紙コップに酒を注ぎ、俺に渡しながら言った。


「紙コップでカクテルとは風情もクソもないな。」


「私の心なんだから、ありがたく頂きなさいよ。」


「まあいいや。いただきます。」




美味かった。

しかし、ジンは俺には強すぎたみたいだ。いつもなら聞かないような事を彼女に聞いてみたくなった。



「なあ、どうしてあの時俺に声かけた?」


「さあ、どうしてかしらね。」


「俺、もう少しだけ君のことを知りた…」



「あなた、酔ってるわね。良い子はそろそろ寝る時間よ。帰りましょう。」


「…そうだな。いつもより遅いし、家まで送るよ。」


「結構よ。あなたこそ気をつけて帰りなさい。」


「そうか。またな。」


「さようなら。」







そこから「また」は無かった。


すこし涼しくなり、夏休みが終わった。


彼女は、もう大学からいなくなっていた。

誰に聞いても「知らない。」としか返ってこなかった。


その日の帰り道、なんとなく彼女のとっておきの場所に寄ってみた。

明るいうちに来てみると、ただの木と汚いベンチがあるだけだった。


どうして彼女があの時俺に声をかけたのか、どうして大学を辞めたのか、俺にはわからない。



しかし、これだけはわかる。




彼女はきっと、今もどこかで夏夜を歩いている。





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