捜索

「だーかーらー、シレーヌだって!」


 朝っぱらから喚きたてる子どもの声に、ジェラールは顔を顰めた。成長期を迎える前の子どもの声はまだ甲高く、叫ばれたりすれば耳にひどく来るのだ。

 薄暗い事務所。散らかり放題の机の向かい側で、朝っぱらから事務所を訪ねてきた甥のジャンが騒いでいる。年の離れた姉の息子だ、弟みたいに可愛いが、朝から元気な子どもに付き合わされるのは、朝は遅めのジェラールには結構キツい。


「昨日見たんだ。倉庫の上に座って、歌うたってたんだ! 銀の髪して、眼も銀色の女で!」

「おいおい、嘘だろ? 寝言を言うには、日が高すぎるぜ」


 朝だが、寝惚けるにはさすがに遅すぎる。しかもこの少年は朝が早いから、この時間に寝惚けているわけがない。


「嘘じゃないってば! どうして信じてくれないんだよ!」

「そりゃ、シレーヌなんて、現実的じゃないからさ」


 シレーヌは、この町をはじめとした海域に伝わる怪物のことだ。岩礁で歌を歌って船乗りを惑わし、遭難させるという。船乗りたちの間では、畏れ敬われている。


「そんなこと言って、ほんとは怖いんだろ!」

「言ったなこのガキ」


 子どもに馬鹿にされ、ジェラールは少し頭に来た。何故この歳になって、幽霊よりも現実味がない怪物などに怯えなければいけないのか。そんな風に見られているとは、舐められたものである。


「ああ、言ったよこのへっぽこ探偵! そんなビビりで探偵が勤まるのかよ!」

「勤まるんだよ。俺はビビりじゃないからな!」

「犬猫捜ししか仕事ないくせに!」


 ……痛いところを突かれた。

 ジェラールは探偵業。その名の通り捜し物の専門家。しかし、ジェラールがこれまで捜してきたのは、逃げ出した飼い犬、或いは飼い猫のみである。もともと捜し物や調べ物が得意ではじめたこの仕事、若輩者がそう簡単に仕事を取ることができないのはわかっていた。だが、便利屋扱いは大変遺憾。

 さすがに物語みたいに事件捜査をしたい、とまでは言わないが、もう少し張り合いのある仕事は欲しいものである。


「なんだよ、せっかく情報持ってきてやったのに、役立たず」


 そこではじめて、ジャンの真意を理解した。彼は、その張り合いのある仕事を持ってきたつもりなのだ。

 それが分かってしまった以上、無下にするわけにもいかず、ジェラールは折れた。自分の巻き毛のブルネットを右手でぐしゃぐしゃと引っ掻き回すと、肩を竦めて甥っ子の頭をぽんぽん叩く。


「……分かったよ。シレーヌについて調べてやる。ただし、マリー捜しのついでになっちまうからな、そこは理解しろよ」


 猫捜しの依頼が入っていた。常連のお客で、報酬は高額。そうでなくとも、仕事を放り出す訳にはいかない。何事も優先順位というものがある。


「……うん」


 自分も働いている所為か、その辺りの理解があるところが、甥っ子のいいところである。

 ジェラールの答えに満足したらしく、帰る、と言って背を向けた。そして、戸口のところで振り返る。


「ジェラール、あいつ、絶対見つけてよね。会社の船も襲われて、仕事ないんだ」

「ああ、任せとけ」


 思わず安請け合いをする。後悔するな、と思いながら、帰る甥を見送った。


「……とは言ったけどなぁ」


 相手はいるかいないか分からない伝説の怪物。いったいどう探せというのだ。


「なんにせよ、マリーを捜さないとな」


 机に大事においてあった黒いソフト帽を被り、椅子に掛けた黒のジャケットと机の上の写真を手に取ると、事務所をあとにした。



   †



「またか」

「今月で何回目だ?」

「もう、何人もやられてる」

「このままじゃ、船が出せない」

「警邏はなにをしているのかしら」




 港の倉庫街が朝から騒がしいのはいつものことだが、今日は普段の何倍もの人間がいて、老若男女、職業に関係なく入り乱れている。船の荷の上げ下ろしをする者たちもいるが、ここに集まっている人間の多くは、野次馬と称される者たちだ。おおかた噂を聞きつけて駆けつけたのだろう。


 この町では、最近恐ろしい事件が起こっている。夜中、この港に停泊している船が襲われているのだ。それも、乗組員が残っている船を狙っている。負傷者多数、死人も出ている。しかし、物盗りではない。犯人も動機も不明。手口も不明。負傷者、死者共に、鋭利な刃物で斬られている、というのが唯一分かっていることだった。

 これがもう今月に入ってすでに4回目。正体不明の殺人鬼に、町の人は怯えるばかりだ。

 都合の悪いことに、今回襲われた船は、甥っ子が雇って貰っている会社の船だった。事情聴取、後片付けなどで必然的に今日の仕事は休み。それどころか、今度はいつ再開できるかわかったものではない。仕事がなければ賃金は入らない。長引けば、生活の危機だ。


 舌打ちしながら、野次馬たちに背を向ける。

 遠ざかる人だかりから、悪魔の仕業だと叫ぶ声がする。それどころか、神の怒りを買ったのだと言う者までいた。まったく想像力に長けていることだ。

 ジャンは、シレーヌの仕業と言っていた。銀色の髪に銀色の瞳の女。銀色の虹彩の人間などいないから、ジャンが言う通りなら、本当に化物の仕業ということになる。

 人間にせよ、化物にせよ、どうして船乗りたちを襲うのか。海運会社の陰謀だろうか。だが、それでは船乗りを殺す必要などない。快楽殺人鬼? いや、その説も無理がある。人を殺したいのなら、船の上だけを舞台に選ぶ必要はない。


 ……まあ、なんにせよ、今は猫。マリーを見つけなければ、ジェラールのほうが明日の生活に危機が訪れる。


 マリーは白い猫だ。それはそれは綺麗な毛並みで、種類は忘れたが、その名前を聞いただけで高そうな猫だった。飼っているのは、当然金持ち。ここらの貿易企業の社長の娘が飼っている。

 そんな、人の身からしても羨ましい生活を送っている猫だが、しょっちゅう脱走を繰り返し、街でするのはゴミあさりに喧嘩。綺麗な毛並みを汚したり、乱れさせたりことが大好きなのである。

 そして昨日も、春の暖かさにでも誘われたのか、ふらっと家を出ていったらしい。朝に出ていって、昼過ぎになっても帰ってこなかったからどうにかして、と依頼主は夕方に飛び込んできた。行方不明になってからもう一日が経っている。もはや手遅れな気もするが、少しでも綺麗なうちに見つけ出さないと、せっかく見つけてもお叱りを受けてしまうだろう。


「ほら、おいでー」


 何処かに猫はいないかと、人通りの少ない所を捜し回っていると、奇妙な光景を見つけた。先程野次馬のいた倉庫街の中心から少し西側に来たところである。

 背の高い青年が、倉庫の屋根の方に手を伸ばし、何者かに話しかけているようだった。見上げてみれば、納得、子猫が屋根の上から下を見下ろして、怯えているようだった。登ったのはいいが、降りられなくなったのだろう。彼はそれを助けようとしているのだ。


「大丈夫、お兄さんが受け止めてあげるから。勇気出して」


 青年は、ジェラールに気付いた様子もなく、懸命に猫を説得していた。亜麻色の髪の、純朴そうな青年だ。この辺りでは見ない顔である。


 背が高いばかりで細く、とても身体能力が高そうには見えない青年であったが、助けてもらう方は優しい説得に心が動いたらしい。屋根の上の猫がおずおずと端の方へと足を踏み出した。そして、足元を強く蹴って飛び降りる。

 倉庫は二階建ての建物よりも少し高い。猫が落ちる様を見て、ジェラールは肝が冷えた。はらはらしながら、落ちていくのを目で追っていく。

 宣言通り、青年は猫を受け止めた。


「ほら、大丈夫」


 猫の両脇に手をいれて抱えあげる。それから、顔を覗き込むと、優しげな笑みを浮かべた。

 見事な彼の救出劇に拍手しそうになったのだが、その猫が白いことに気が付いてしまえば、それどころではなくなった。

 依頼主の猫の毛は白いのだ。


「あー! あんた、その猫」


 思わず声をあげ、ジェラールは青年に詰め寄った。そんなジェラールを青年だけでなく、猫まで不思議そうに見ているのが、なんだか奇妙だった。

 一見自分が不審者であることに気づき、ジェラールは、探偵だと名乗ってから、懐から写真を取り出した。そして、青年に事情を説明して、猫を引き渡すように願い出た。

 猫と一緒に写真を覗き込んでいた青年は、説明を聞いたあと、しばらくして口を開いた。


「こいつ、あんたが捜しているのと違うと思うよ」


 思わぬ言葉に、愕然とした。


「こいつは雑種で、そんな純血とは全然違う。それに、こいつは雄」


 雑種とか血統とか言われても、ジェラールには全然分からない。写真と目の前の猫を見比べてみても、よく似ているから、やはり分からない。しかし、そんなジェラールでも違うと確信が持てた。捜しているのマリーは雌猫だ。


「せっかく見つけたと思ったのになぁ」


 肩を落とす。振り出しに戻ってしまった。この町、海に面して魚がよく取れる所為か猫の数が多いので、捜し出すのにかなりの労力がいるのだ。

 いつ仕事が終わるのか、見通しがつかない。

 仕事仕事、と言い聞かせ、写真をしまい、詫びと礼を行って去ろうとした。


「……倉庫街の東の方に行ってみたら、見つかるんじゃない?」


 突如、青年が思わぬ事を言った。


「……は?」


 ジェラールは唖然とする。青年は言いにくそうに頬を掻きながら続けた。


「捜してる猫。マリーだっけ? そこに行けば見つかるかも」

「なにを根拠に」

「えっと…………そこで、猫をたくさん見たからさ」


 確信持って言っている割に、目が泳いでいた。そうでなくとも怪しい証言だ。倉庫街の東側など、海上貿易に関わっている者でもなければ近づかない場所だというのに。

 嘘を吐いても仕方がない。だが、どこか胡散臭い。いや、何かがおかしい気がした。


 追及を避けるためか、じゃあ、と言って、青年は立ち去る。ジェラールは黙って見送った。どうせしつこく訊いても、答えてはくれないだろう。それに、今重要なのはマリーの保護である。


「行ってみるか……?」


 なにやら怪しいが、どうせ捜さなければならないのだし、それもいいかもしれない。


 ……行ってみると、本当にそこに捜していた猫がいたのだから、全く奇妙なことである。




 猫を引き渡し、報酬を貰って、町の通りを歩いていると、偶然か先程の青年とすれ違った。


「見つかった?」


 こちらに気付いた青年は、気になっていたようで声を掛けてきた。


「ああ。お陰様で」


 見つけたときは、まさかと思った。お蔭で毛が汚れる前に、依頼主に返すことができたし、時間も余った。スーツも猫の毛以外の汚れはない。彼には本当に感謝だ。


「また逃げるかもね。常習犯なんでしょ? 家じゃあ結構不自由な思いをしてるのかもね」

「不自由?」

「束縛を嫌う猫だから。人に頼むくらいだから、相当可愛がっているんだろうけど、少し自由にさせないと、ストレスが溜まる。

 また捜すことになるだろうけど、少し時間を掛けてやってよ。一日、二日も遊べば満足するからさ。場所は今日行ったところが大半だろうし」


 あまりに詳しいそれに、ジェラールはただただ感心した。猫の写真を見るだけでそこまで判断できるとは。


「……すごいな。おたく、猫研究家?」


 ジェラールの知識がないのはもちろんだが、青年があまりに詳しすぎる。よほど好きでなければ、その知識は得られないだろう。まさか本当に研究家なんてことはないだろうが、獣医かブリーダーか、その辺りのことはしているのではないだろうか。


「いや、小さな喫茶店をやってる」


 予想に反し、平凡な職業だった。


「喫茶店?」


 ジェラールは脳内でこの町の喫茶店を地図に落とした。どこも昔からある古い店。最近、新しい店ができたとは聞いていない。もちろん、引き継ぎの方もだ。


「この街じゃない」


 やはり旅行者か。だが、喫茶店の経営者がこの町に来る理由も思い当たらない。ここは、物は多いが、観光には向いていなかった。


「食器を買いに来たんだ」


 合点がいった。ここは海の向こうからたくさん物が入る。海外産の食器もその1つで、人気の輸入品だ。


「そしたら、ここ最近たくさんの人死にが出てる所為で、まだ品が入ってこないみたいで」

「ああ」


 珍しい物らしく、諦めるには惜しいという。それで、仕方なく滞在しているという。居残るのも無料ではないだろうに、余程の物なのか。


「なにが起こってるんだ?」


 噂を耳にしていないらしい。宿の従業員は教えなかったのか。そうでなくとも、出歩いていれば噂は聞くだろうに。この町の人間は特に娯楽に飢えていて、噂話は盛んにおこなわれているのだが。


「俺も詳しくは。夜中に船乗りが襲われてるってことくらいしか知らない。凶器は刃物。……知り合いのガキが、シレーヌがやってるとか言ってるけど」

「シレーヌ?」


 青年は首を傾げた。この町の人間でないから、知らないのだ。


「伝説に出てくる怪物だよ。海に出てくる女の人妖で、歌で惑わし、船を沈める」


 そこまで伝えると、青年は合点のいった表情を浮かべて、


「ああ、セイレーン」


 今度はジェラールが首を傾げる番だった。


「俺の故郷ではそう言ってたんだ」


 どうやら彼も海育ちであるらしい。異国でも似た話があるのだと、少し感動した。


「で、なんでシレーヌ?」


 殺人事件が伝説の怪物の話と関係しているのが不思議なようだ。ジェラールは、甥に聞いた話を繰り返す。


「歌がうまくて、銀色の髪に銀の眼で、おおよそ人間らしくなかったって……」


 そこで、青年の顔色が変わった。


「銀の髪に、銀の眼……」


 呆然と青年は呟く。心当たりがあるのだろうか。ジェラールは言葉を切ったまま青年を観察した。緑色の眼があちこちにせわしなく動いている。


「……まさか、ね」


 有り得ない、と彼は呟いた。


「なにか知っているのか?」


 尋ねると青年は否定した。だが、とてもそうとは思えない。今狼狽していたのは明らかだ。


「でも、関わらない方がいいと思うよ。命が惜しければ、ね」

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