第2話 気仙沼・第18共徳丸
岡崎由美子が東北の被災地で自分の経験を話す機会は思わぬところからやって来た。被災地の遺構の保存を考えているグループが、原爆ドームの保存運動を現地で調べ、参考にするために広島にやってきているという記事を由美子は見ていた。
中国新聞社の記者から由美子に、会って話して欲しいとの連絡が入ったのである。保存に反対であった由美子が、賛成になった経過が参考になるのではと記者は思ったようである。以前、新聞社の特集で由美子はインタビューを受けたことがあった。それを、その記者は覚えていたのである。
保存の会のリーダーは由美子の話を聞いて、是非現地に来て皆に語って欲しいと要請したのである。
「原爆ドームの写真は何度も見て知っていました。しかし初めて広島に来て現地で見るのとでは思いは遥かに違います。私たちが聞いてきた話として話すより被災された人の直の話の方が参考になると思うのです」と、50代の女性のリーダーAさんは、由美子に言ったのである。
Aさんは釜石市の鵜住居(うのすまい)地区防災センターで娘さんを亡くしている。
遺族連絡会の中は保存には賛否両論があり、自分としては是非残して欲しいと願っていると語った。
由美子は東京駅から東北新幹線に乗り換えた。東京までは高校の修学旅行で来たことがあるが、そこから北は初めてであった。広島から出たといえば後は、万博の時である。関東平野は思ったより広く、関東ローム層の土は広島の土の色とは違って黒いのが珍しかった。車窓に点在する防風林に囲まれた人家も珍しかった。見知らぬ土地で、上手く自分の思いを伝えられるのか、由美子は近づくにつれ緊張が増して来たのである。
会から旅費と宿泊費を出すとAさんは言ったが、由美子は語られる機会が与えられたことに感謝していると固辞した。旅費は辞退し、Aさん宅に泊めて貰うことになった。
釜石に行く前に、何が何でも気仙沼のあの船を見ておきたいと思っていた。一関で降り、大船渡線で気仙沼に入った。災害があるまでは、気仙沼と言えば森進一の歌に出てくることしか知らず、宮城県ではなく、岩手県だとばかり思っていた。あとリアス式海岸で海に面していることぐらいしか知らなかった。
気仙沼漁港を初めとした市内の各漁港は、三陸海岸での沿岸漁業・養殖漁業、世界三大漁場「三陸沖」での沖合漁業、さらに世界の海を対象にした遠洋漁業の基地として機能し、関連する造船から水産加工までの幅広い水産業が立地する港町である。
人口はピーク時には9万人を超えていたが、現在は7万人を割っているとか。
災害の新聞は1年分取り置いた。そして息子にいろいろ訊いていると、息子がパソコンをプレゼントしてくれ、〈ネットで検索〉を教えてくれた。今ではそれぐらいの知識は頭に入っている。気仙沼市の死者・不明者は1400人程である。
船が打ち上げられている鹿折(ししおり)地区は、津波に襲われたうえに震災当夜には大火災が発生して、一帯が焼けつくされた。あの海が燃えている光景にはテレビといえ、由美子は涙したものである。ネットの画像で見た災害直後の積み上がっていたがれきや、焼け焦げた車の残骸の山も、今ではすっかり片づけられ、震災後に建てられたと見られる一部の仮設の建物を除けば目の前には広大な「空き地」が広がっていた。
第18共徳丸は全長60メートル、総トン数は330トンもある大型巻き網漁船で、港から750メートルも離れた市街地まで運ばれた。ほかに何もない中で一際大きく巨大な姿を真夏の青空を背景に見せていた。
カメラやスマートフォンで写真を撮る人が船の周りに多くいた。観光気分の浮かれた雰囲気はなく、人々は船体の前に設けられた簡易な祭壇に手を合わせていた。由美子も写真を撮りながら、これほど津波の脅威を語るモニュメントにふさわしいものはないと思った。建物ならそこで死んだ人もあり、遺族の感情もあろうが、この船では誰も死んではいない。
当初、市は保存の方向であった。船の持ち主も市の意向に添うつもりであったが、見るのがつらいとの市民の意向を無視できないと撤去を申し出てきた。市は船主の翻意を促そうと市民のアンケートを取ったところ、7割が撤去に賛成であったので解体を了承したという。9月から解体は始まる。
なぜ、この時期にアンケートを取ったのだろう。原爆ドームだって5年経過した時点でもアンケートを取れば撤去になったであろう。市が本気で保存を考えたのなら何故、船主から買い上げなかったのだろうか。その上で住民にその必要性を粘り強く説明すべきではなかったのか。跡地を公園にするという。何も周囲に建ってはいない今、特別邪魔でもない。急ぐ必要があったのだろうか?由美子は〈時期の早いアンケート〉という手法に割り切れないものを感じた。
住民の声を聞くと言う名分で、何か行政の責任を放棄しているのだはないだろうか。今ではなく、もう少し遠い時間の中で思考する責任が行政にはあるのではないか。現地で船を見ながら由美子が思ったことであった。
近くの仮設に住む人に聞いてみた。男性は「うーん、どうだろう。(保存施設を)つくるのは簡単だけど、維持管理にどれだけお金がかかることか。それなら早い復興に回すべきじゃないかな」。それ以上多くを語らなかったが、被災経験を呼び起こさせる大型船をいつまでも残しておきたくないのかもしれない。逆に、仮設商店街で商売を営む女性は「私はぜひ残してほしい」ときっぱり言い切った。「船がなくなったら、誰も鹿折に来なくなってしまうから」。人それぞれの生活があり、現実があるのだ。
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