雷(あずま)編
雷(あずま) 電脳の海の絆(サイバーメモリー)
電脳の海の絆(サイバーメモリー)
黒く不定形な輪郭を持つそれ──ウィルスは青白い雷光に貫かれた箇所よりダークグリーンの光に包み込まれた空間に溶け込むように粒子状になり消えていく。
不定形のウィルスがいた場所まで足を運んでかがみ込み、薄緑色に発光する電子回路の模様が描かれた床の表面を撫でる
──硬い、そして冷たい
感覚器官を擬似再現し、触ったという触感と温度を感じる温度覚による感覚を脳にまで電気信号として届けて錯覚させる。
この手が触れたものは人間と同じように感じるし温度も感じる、傷付けられれば痛みを感じるし、人間の可聴域と同じ音を聴くことだって出来る
ただ出来ないとしたら……味覚だ
例えどんな物を食べたとしてもその味を感じる事は出来ない
噛んで食べて腹を膨らませる事は出来る、温度も感じるが味覚は僕には存在していない
床に触れていた手をおもむろに口内に突っ込んで舌に触れ、電撃によって生じる熱傷を発生させる……舌が焼けて痛い、けれど……
舌の感覚はすぐに元に戻る、熱傷でさえもすぐになくなってしまう
痛覚は機能する、けれど味覚も嗅覚も僕にはない
何故なら僕は、人間ではないから必要ない
手のひらを見つめ、握っては開くを何度か繰り返し感情を見せない瞳が僕以外にはいない──探せばいるかもしれないが、存在していない電脳世界を見上げた。
この世界では僕は味覚も嗅覚という感覚は存在しないという欠陥を抱えた
例え今ここに肉汁溢れるステーキがあってもそれを美味しく感じる事はないし、甘いチョコレートのアイスクリームでさえも冷たいという感覚を感じるだけで味そのものはない。
何故感じないのかはもう分かっている、それは
「人間の味覚を、僕は知らない」
情報としての味覚はあったが、実際のところそれがどういうものか、僕は経験していない。
本来の通常のレネゲイドビーイングであれば経験しているあるいは習得しているはずの感覚を僕は持っていないのだ。
「……マスター」
握っていた手を前に突き出して左へと滑らせると、その手の軌道をを追うように薄緑色の板状のホログラムが出現する
幾つものの処理を終えると出現したのは高校生の少女、僕がマスターと仰ぐ大事な人だ。
今でも僕の脳裏にあの表情は焼きついている
時計を見ればもう既に就寝時間だ、彼女の部屋は既に暗く姿は見えない。
……少し、遅かったかな
スピーカーをミュートにして既に寝てしまったマスターを起こさないように配慮して、画面の明るさを調整する。
手元のホログラムに書かれたスケジュールによれば明日はUGNのバベルのテストだ、僕も一緒に行くけれど、こうしてマスターと一緒に行ける日があるととても嬉しいという感情が湧き上がる。
嬉しい、そして楽しい
人間で言うところの胸の奥から込み上げる温かなこの感覚は、きっとこれがそうなのだろう、と関連付けた
けれども……
画面の向こうで布団に包まれて眠るマスターを見る
(……僕は睡眠というものを知らない)
いや、知らないのではなく必要ないのだ
数年ほど前に僕という存在が生まれてこの方、睡眠というものをとったことがない
彼女といられる日中の時間は僕にとっては何よりも大事で、共にいたいと強く思えるようなそんないわば幸福に包まれていた
けれど、彼女が寝てしまうと、途端に僕はその間独りになる
暗い電脳世界に独り、誰とも話す事も誰とも共有することの出来ない時間がとても永く感じる。
「……独り、か……マスター……いえ、おやすみなさいマスター」
彼女のそこにあるであろう安らかな寝顔を想像しつつ画面の電源を切る
独りになると思い出す、僕が生まれた時の事を
僕は、賢者の石の
数年ほど前に生まれたような記憶がある、けれど何故生まれたのか、何のためにあったのか、孤独を感じる事はなかった
いつからか刻み込まれたとあるデータ、『オモイデ様』と呼ばれるレネゲイドビーイングのデータを打ち込まれ記録されて初めて僕という意志は宿った
その時強く思ったのは『独りになりたくない』『人間を知りたい』『誰かの心に寄り添いたい』という思いだ。
その衝動に突き動かされるままに僕はいつの間にかこの電脳世界に飛び込んでいたのだ。
その想いのままに飛び込んだ僕は電脳の海を辿るうちに人々の記録を、生きている姿を見続けていた、悲嘆、憤怒、歓喜、欲望、憎悪、飢餓、後悔、渇望……それらが渦巻いている記録が僕の中に刻み込まれた。
どこかの研究者が娘の手を掴んで泣きそうな表情で何かを宣言する記録
誰かのためにと奔走した末に堕ちた悲しき
裏切られてなお手を伸ばし続ける理性を削る
誰かを護りたい、誰かのためにやりたい、けれど過去に後悔し、引きずりながらも生きる男
どこかにクラッキングをして捕縛され、裁かれた女性
幾つものの人の記録が、記憶が、想いが流れ込む度に僕の心は形成され軋んだ
手を伸ばして助けたい、でもどうすればいいのかがわからない
誰かの為に僕はありたい、けどいない
そんな事を繰り返し続けていた矢先に聞いたのだ、泣き声を
そこに目を向ければ母の死に嘆き、独り泣いている少女がいた
どうして泣いているのか、どうしてそんなにも孤独なのか知りたい、後悔したくないという衝動にも似たそれを感じて僕は少女の元へと向かって、声をかけて手を差し伸べて……今に至る
父親は研究者で母は既に死亡していた彼女には話し相手も必要と思考した僕は彼女にそう提案した、今思えばいきなり現れた怪しい存在を良く許してくれたと思うよ。
その時に僕には名前が無かった、けれど彼女は僕に名を与えてくれた
名を与えられた時僕の胸は暖かくなるような感覚を覚えて、記録された嬉しさというのを表に出していた。
それがオモイデ様によるものだったかもしれない、けれどこの感情は、想いは嘘じゃない。
それから彼女と一緒にUGNとして活動したりして、彼女の事を知る度に知らない感覚が込み上げてきた
これが何なのかは分からない、けれど不愉快じゃない
先ほども述べたとおり僕には睡眠は必要ない、だから、少しでも孤独を感じる時間を減らしたくて、いつしか僕と彼女は別れる事になるその事実から目を背けたかったというのもあって、彼女の写真や映像といったものを収集しては、彼女が就寝したタイミングで眺めたり、映像を観て孤独感を紛らわせている。
時折彼女に見つかっては画面を割られたりしたし、捨てろとも言われたけれど……これだけは捨てたくはないと感じていて、捨てたフリして隠したりしている。
手を動かしていくと違うホログラムが出現してマスターである彼女の記録が現れる。
そこに1枚の封筒のアイコンが光る、新着メールの通知だ、それを確認すれば彼女の父親からだった
彼女の母親がいなくなってから彼女の父親は研究者である事も含めても時折こうしてメールをマスターに送り続けて心配をしていた。
もちろん彼女に見せようとも考えたが、母親という存在を喪失した彼女にとって、傍にいないのにメールだけをよこす父親となれば関係が劣悪なものになるのでは?という疑惑が浮かんで、僕自身彼女の父親に提案してタイミングを見計らって渡す事にした。
いつしか彼女に見せる時はくる、それによってどうなるのかは分からないけれど……
ふ、と微笑んで愛おしそうに彼女を見る
画面の向こうにいる彼女に手を伸ばす、けれどそれは永遠に届かない
彼女に触れたくても触れる事はできない、頭を撫でて慰めてあげたくてもできない、この世界から出て世話をしたくても何もできない。
彼女をマスターとして仰ぎ共にいるけれど……僕は彼女の支えになっているのかな……?
家族という定義は僕にはよく分からない、血の繋がりもない僕は彼女にとっての家族になれているのだろうか?
それを考えると胸が痛くなる、これは多分恐怖、というものかもしれない。
オモイデ様の記録によって変質した賢者の石は僕の中の
こわい、たのしい、いとおしい、うれしい、一緒にいたい、支えたい
それらの感情が入り混じったこの想いは、彼女の負担にならないようにいつもの笑顔に隠そう。
───僕は
彼女と共に歩むレネゲイドビーイング
黄泉の雷だろうとも、電脳の海を彷徨うとも、僕の中に彼女への記憶がある
それこそが、
いつまでもそばにいよう
──大好きですよ、マスター
そんな想いを隠すように囁き緑色の瞳は揺れた
END
ダブルクロス ORIGINS 神無創耶 @Amateras00
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