第9話 赤いリングの魔物

私と鏡夜くんの修行の成果が試されたのは、それから二週間ほど経った十月に入った土曜日だった。


私は自室でごろごろとベッドに横になって、鏡夜くんに借りた「変身」という本を読んでいた。すると、夜の9時頃に突然、闇祓い手帳が“ピピピッ”と機械音を鳴らした。魔物の出現の合図である。


「わっ、びっくりした。」


マップの画面に切り替えてみると、裏山の近くで魔物出現を示すポイントが点滅していた。


丁度その時、鏡夜くんからの通話が入った。


「まい。起きてるかい?」


「まだ9時過ぎだよ。さすがに起きてるよ。」


「魔物が出た。学校の裏山だ。今から来られそうかい?」


「うっ、うん!今から向かうね。」


通話を終わり、急いで裏山へと向かう。体感的にも風が涼しく、秋の始まりを告げる虫の鳴き声が聞こえてくる。


「あれ、まだ鏡夜くんは来てないのかな。」


裏山に到着したが、まだ鏡夜くんの姿は見えない。


「魔物の反応は確かこの辺り…。」


見渡すと、風の魔法を特訓していた岩場のあたりで、巨大な影が見えた。


太い四足で立っているが、その大きさは建物の2階くらいまでの高さがある。下あごからはイノシシのような巨大な二本のキバが生えていて、前足をガリガリと地面に擦らせてこちらを見ている。


「あれ…もしかして、こっちに突進しようとしてる?」


その大きな魔物の荒い鼻息が聞こえ、勢いよくこちらに突進してきた。


「わわわわっ…!?」


私は箒にまたがり、慌てて空中へ飛んで逃げた。巨大なイノシシに似た魔物は恨めしそうに空に浮かんでいるこちらを見ている。体はイノシシだが、その顔はどこか人の顔に近い。


「うわぁ、びっくりした。」


冷汗をぬぐって、しばらく空から魔物を見下ろしていると、鏡夜くん裏山に到着するのが見えた。しかし、鏡夜くんはまだ魔物の存在に気づいていないようだ。魔物は鏡夜くんを視認し、猛スピードで鏡夜くんに詰め寄ろうとした。


「危ない、鏡夜くんっ!」


私の声に気づいたのか、鏡夜くんはすぐさま剣を引き抜き、魔物の鋭く尖った堅牢そうな2本のキバを、銀色に光る剣で受けた。


剣と牙のぶつかり合う音が聞こえ、魔物の突進の勢いを殺しきれないと判断した鏡夜くんは、右側に身体を翻してなんとかその突進を受け流した。


「大丈夫!?」


私の問いかけに、鏡夜くんは冷静な声音で「問題ないよ。」と答えた。


体勢を整えたイノシシの魔物は、再び鏡夜くんに正対して突進を繰り出した。

しかし、今度は鏡夜くんの方も魔物の方へと足を踏みだしていた。


そして、もう一つ先ほどとは違ったことがあった。


鏡夜くんの剣が先ほどの銀色ではなく、禍々しい黒いオーラを纏っていることだ。魔物は先ほどよりも、さらに勢いを増して鏡夜くんに体当たりを繰り出す。


鋭く尖った牙が鏡夜くんの目前に迫った瞬間、鏡夜くんはその魔物の突進をぎりぎりでジャンプして避け、すれ違い様に魔物のキバへと、黒いオーラを纏った剣をさっと振り抜いた。


鏡夜くんはとても軽い力で剣を振るったように見えた。


しかし、彼の黒いオーラを纏った黒い剣は、いとも簡単に巨大なイノシシの魔物のキバを切り落とした。


自慢の牙を失ったイノシシの魔物は、鏡夜くんに恐れをなしたのか、彼に背を向け逃げ出そうとした。


「まい!」


鏡夜くんは力強く私の名前を呼んだ。


「うん!テンペスト!」


魔物が逃げ出そうとしているのを察した私は、二つのつむじ風を発生させ、それを動かして魔物が逃げ出そうとしている道を塞ぐようにした。


つむじ風に行く手を阻まれ、魔物がたじろいでいる間に、鏡夜くんは魔物へと詰め寄った。


「四凶の一匹である檮杌。聞いていたよりも、随分と臆病な魔物だな。」


二人とも明らかに修行の成果が出ていた。相手は青ではなく、緑色のリングをつけている魔物だが、それでも凶暴そうな魔物を簡単に追い詰めている。


鏡夜くんはとどめを刺すために、黒い光を棚引かせる剣を振るおうとした。しかし、その時、何者かがそれを妨げた。



“ガキィィィッン!!!”



物凄い衝撃音とともに、砂埃が舞い上がった。


「えっ…、一体何が起きたの?」


砂埃が立ち消えると、そこには鏡夜くんとイノシシの魔物の他に、もう一人の人影が見えた。


それは身長が二メートル近くある、とてもがたいのいい大男で、人と同じように二本の足で立っているが、背中には6つの羽のようなものが生えていて、胸からも6本の筋肉質な腕が、左右に三本ずつ生えている。


それぞれの腕が中国の剣、長刀、槍、斧といった武器を握っていて、それらで鏡夜くんの剣をはじき返したようだった。


「全く…私のペットを可愛がってくれちゃって、どうお礼をしたらいいかしらっ?」


粘着質のある男にしては比較的高い声でそう言うと、6つの武器を持った大男は、鏡夜くんに六本の武器を振り抜いた。


「っつ!?」


鏡夜くんは6つの武器で繰り出された一撃を、一本の剣で防ごうと試みたが、すべてを防ぐことはできず、槍は鏡夜くんの左太ももへ突き刺さり、彼の左手首はあっけなく切り落とされてしまった。


「鏡夜くんっ!?」


鏡夜くんは、苦痛に顔を歪ませながらも、後ろに飛び下がってその魔物から距離をとった。


「まい、逃げろっ!」


鏡夜くんは私の方に振り向かずにそう叫んだ。


「そんなっ!?鏡夜くんはどうするの?」


「僕はこいつを…なんとかして倒すっ!!」


突然の襲撃だったとは言え、鏡夜くんに一撃で深手を負わした。そんな相手に一人で勝てるのだろうか。相手はどう見ても余裕な雰囲気を漂わしている。


「無茶だよっ!一緒に逃げようよ。」


私の叫びに、鏡夜くんは返事をしてくれなかった。


「なかなかいい目をしているねぇ。君も私のペットにしてあげようか?」


6本の腕をもつ魔物は、気味の悪い笑みを浮かべて鏡夜くんに語りかけた。


「お前のペットになるつもりはないよ…。その6本の腕に、6枚の翼…、四凶の混沌だな。そしてその赤いリング…、お前を倒せば10点は堅いわけだ。」


6本の腕を持つ魔物は、その首に赤いリングを身に着けていた。


確か…赤いリングは伯爵クラスだ。本当に鏡夜くんは勝てるのだろうか、深手を負ってもなお、鏡夜くんは立ち向かおうとしている。私はどうしたらいいのだろう…。ここにいても、鏡夜くんの足手まといになるだけかもしれない…。だけど…、私は…………。



「鏡夜くんっ、私も一緒に戦う!」


驚いた表情の鏡夜くんの隣に、私は箒に乗って駆け寄った。


「ちょっと…、駄目だってば。こいつはかなり危ない魔物だってことくらい、まいでもわかるだろ。」


「そんなのわかるよ。だからこそ、一緒に戦いたい。一人で何でも背負い込むのは鏡夜くんの悪いところだよ。それに私だって、自分の身は自分で守れるくらいには修行したから。」


きょとんとする鏡夜くんに、私は笑って言った。


「一緒に強くなろうっていったでしょ?」


その言葉を聞いた鏡夜くんは、少し下を向いて「あぁ、そうだったね。」と笑って、力強い表情で顔を上げた。


「よし、まいはあのイノシシの魔物を倒してくれ。」


「うん。わかった!」


鏡夜くんのお願いに、大きな声で私は答えた。


「僕はこの腕がいっぱい生えたおっさんを倒すから。」


「誰が……おっさんですって…?」


腕が6本生えた混沌という名の魔物は、鏡夜くんの言葉に怒ったような表情を見せて切りかかった。魔物の六本の武器には、鏡夜くんの剣の黒いオーラと同じように、赤いオーラのようなものを纏っている。鏡夜くんは攻撃を上手く躱しながら、反撃を繰り出している。


彼らの戦いに巻き込まれないように、私は距離をとって、檮杌という名のイノシシの魔物と向き合った。


イノシシの魔物は、私へと狙いを定め、勢いよく突進してきた。


それを箒に乗って避けて、テンペストの魔法を唱える。つむじ風が魔物へ向かって放たれたが、イノシシの移動スピードの方が速く躱されてしまった。


再びこちらに突進してきたので、私は空高く舞い上がり距離をとった。すると、イノシシの魔物は、混沌を相手に戦っている鏡夜くんへ狙いを定めようとした。


「あんたの相手は私でしょっ!テンペストっ!」

ノシシの魔物に向けてつむじ風を放つ。それに気づいてイノシシの魔物は、私の魔法を避けてもう一度こちらに向き直った。


このままでは拉致があかない。イノシシの魔物は前足で地面を掻きながら、こちらに突進する予備動作を始めた。私は覚悟を決めて、杖を握りしめた。


魔物は猛スピードでこちらに駆けてくる。鏡夜くんに切り落とされたとはいえ、まだ半分ほどその折れたキバは残っている。それで跳ね飛ばされたり、重い巨体でおしつぶされては一たまりもない。


猛スピードでイノシシの魔物は私めがけて突撃してきた。もう既に10メートルほど先まで魔物が近づいている。


もはや私には避けるのは無理だ。精一杯のイメージを膨らませ、私は魔法を唱えた。



「テンペストッ!!」



風が私の立つ場所を中心に、空気を切る音を立てながら巻き起こった。私の周囲を囲う風の壁だ。以前、火を吹く鳥である魔物を倒した技である。


私の視界は勢いよく吹き荒れる風で塞がれた。しかし、その風の壁を、“ギギギギギッ”と音を立てながら、イノシシの魔物のキバが突き抜けてくるのが見えた。


駄目かもしれない…。


風の壁といっても、風の勢いを超える攻撃をかき消すことはできない。このままだと押し潰される。目前に迫る大きなキバに私は目を瞑った。しかし、その魔物のキバが私に届くことはなかった。


キバが風の壁を突き抜けたところで、魔物の巨体はつむじ風にぶち当たり、空へと高く舞い上がっていった。キバが私の頭をかすめたが、なんとか無傷で済むことが出来た。


イノシシの魔物は空高く舞い上がり、そのまま地面に落下した。“ドシンッ”と大きな音を立てて地面に落ち、身動きができないところへ、私は全力で再度テンペストを放った。


私の渾身の一撃をもろに受けたイノシシの姿の魔物は、灰のように崩れ去っていった。


こちらの勝負が一段落ついて、すぐに私は鏡夜くんの戦いの行方を確認した。


鏡夜くんは身体中に無数の傷を受けて、至る所から出血をしていた。その一方で、混沌という魔物も、6本あったはずの腕は、3本が切り落とされ、残る腕の武器を使って戦っている。二人とも肩で呼吸をしており、文字通り死闘という言葉がふさわしい勝負だった。


「ハァ…、ハァ…、なかなかやるわねぇ。」


「はっ…、お褒めに預かり…光栄だよ…。」


鏡夜くんの切り落とされた左手首はなんとか再生していたが、もう他の傷を直すほどの霊力は残っていないようだった。先ほどまで黒いオーラを纏っていた剣は、今は元の銀色の剣に戻っていたし、相手の魔物の剣も同様に、赤いオーラが消えている。二人とももう限界に近そうだ。


「そろそろ死んでくれるかしらぁぁぁ!?」


魔物は再び赤いオーラを残る三つの武器に灯した。そして鏡夜くんも、渾身の力を振り絞って、闇のオーラを剣に纏わせた。二メートル近い巨体と、まだ160センチにも満たないであろう小さな身体が交差した。


お互い残る力の全力を今の一太刀に込めていた。


鏡夜くんと魔物はお互い背を向け合ったまま、数秒が経過した。先ほどまでは耳に入らなかった虫の声が聞こえるほど、あたりは静けさが立ち込めている。


二人の身体が交差した瞬間の、一瞬の攻防を制したのはどちらなのだろう…。



「……。」


鏡夜くんは、無言のままその場に倒れ込んだ。


「鏡夜くんっ!」


私は急いで鏡夜くんに駆け寄った。肩から胸にかけて大きな切り傷があって、そこから赤い血が流れだしていた。


「駄目だよっ!死んじゃだめだっ!」


私は両手で懸命に彼の傷を押さえた。


「大丈夫よ…。お嬢ちゃん…。」


元六本の腕があった魔物はそう言って、静かにこちらへ振り返った。よく見ると、魔物の6本の腕は全て切り落とされており、心臓のあたりに大きな斬撃のあとがあった。


「その子の勝ちよ…。私はもう消滅する…。異世界から現実世界に戻る間に…、その子が死なない限り…、彼は大丈夫よ…。」


そう告げると、その魔物は灰のようになって崩れ落ちた。


黒い靄が消えていき、異世界から現実世界に戻っていくのを感じた…。


イノシシの魔物が暴れてぐちゃぐちゃだった地面は、もとの平たい状態に戻り、鏡夜くんと魔物が切り合った場所に落ちていたたくさんの血だまりは、水が蒸発していくように消えていった。


私の胸の中で眠る鏡夜くんも、傷がだんだんと塞がっていき、私の服や手にこびりついた鏡夜くんの血も魔法のように消えていった。


どうやら完全に現実の世界に戻ったようだ。しかし、鏡夜くんは目を覚まさない。


「ちょっとっ!鏡夜くんっ!」


肩を揺さぶったけれど、彼の返事はない。


「駄目だよっ、死んじゃ嫌だよっ!お父さんとお母さんを生き返らせるんでしょ!こんなとこで死んじゃだめだよっ!」


異世界で死んでしまうと、もう二度と幸せを感じることができなくなってしまう。残る一生を、永遠に辛い気持ち、悲しい気持ちだけを抱えて、絶望して日々を生きることになる。


私は泣きじゃぐりながら、鏡夜くんの肩を揺さぶった。彼の白い顔を見ると、生気が無いようにも見える。私の涙が彼の白い顔へ、ぽつりと落ちた。すると、鏡夜くんの長いまつげの上のまぶたが、ピクリと動いたような気がした。


「鏡夜…くん…?」


長い眠りから覚める様に、鏡夜くんは顔をしかめながら瞼を開いた。寝起きのようなうめき声をあげ、それからゆっくりと起き上がった。


「うっ…、あっあれ?混沌の魔物は…?」


ぼんやりとした目で、鏡夜くんは私が泣いていることに気づいたようだ。


「なんで…まいは泣いてるの?」


「よかった…、生きてた…。」


私は鏡夜くんの胸に顔をうずめた。


「もうっ、めちゃくちゃ心配したんだからっ!死んだかと思ったっ!ばか~っ!!」


「ごっ、ごめんっ!大丈夫だからっ、僕はちゃんと生きてるからっ!」


鏡夜くんは泣きじゃくる私に、慌てた様子で謝ってくれた。


「心配かけたね。本当にごめん…。」


反省した様子で、鏡夜くんはもう一度、今度は頭を下げて私に謝罪した。


一しきり謝罪の言葉を聞いた後、私が「本当に死んでない?幸せ感じてる?」と何度も問いただすと、鏡夜くんは「大丈夫だよ。まいが心配してくれて嬉しい。」と笑顔で微笑んでくれた。


その幸せそうな笑顔を見て、私もようやく心からほっとした気持ちになった。


「うん…。生きてたから…よかった。」



皇さんの言葉を思い出した。


“一番大事なのは、危ないと思ったら無理せず、異世界の外にすぐ逃げることだ。”


今回は本当に危なかった。混沌の魔物が現れた時、本当は私たちは逃げるべきだったのかもしれない。鏡夜くんは、混沌の魔物を倒せると思ったから、この場に残ったのだろうか、それとも私を逃がすために、一人魔物と立ち向かおうと決意したのだろうか。


「混沌は、僕が倒したんだよね?」


「うん、そうだよ……。どうして、最初のとき、私と一緒に逃げなかったの?」


「そりゃ…、あいつから二人で逃げられるか、わからなかったからだ。僕があいつらを相手していたら、君は間違いなく異世界の外まで逃げ切れる。」


鏡夜くんはうつむきながら言った。その言葉に嘘はない。だけど、私にはまだ他に理由がある気がした。


「それだけ…?」


私がそういうと、鏡夜くんはうな垂れて静かに答えた。


「うん…、ごめん…。正直いうと、それだけじゃなくて…、僕はあいつらを倒して、ポイントを稼ぎたかった。そんな気持ちも…ちょっとあった。」


鏡夜くんの声には力がなかった。可哀そうだと思いつつも、私は言葉を続ける。


「やっぱり…そうだよね。鏡夜くんが、少しでも早く百点を達成して、神様に願いを叶えてもらいたいことも…知ってるよ。」


お父さんとお母さんを生き返らせたい…。もし私が鏡夜くんの立場なら、私だってそうしたいと願うだろう。



「だけど、そのために鏡夜くんが死んだら…なんの意味もないじゃないっ。そんなの絶対駄目だよっ!鏡夜くんのご両親だって、そんなこと願ってないはずだっ!」


私はまた泣きそうな気持ちになった。いや、泣きながら鏡夜くんに訴えていた。


「ごめん………。」


鏡夜くんは、悲しそうな顔でただ私に「ごめん。」と謝った。


そして「もうこんなことはしない。」と私に言ってくれた。自分たちの実力以上の、本当に危ない敵が現れたときは、私と共に一緒に逃げることを約束してくれた。それを聞いて、私も少し安堵の気持ちが心に戻った。


「遅くなったね…。帰ろうか。」


「うん。もう一人で残って魔物と戦うのはなしだよ?」


「わかったよ。これからは、一緒に戦うか、一緒に逃げるかのどっちかだ。」


「そうだよ。わかればよろしいのだよ!」


私が少し偉そうな口調でそう言うと、それが可笑しかったのか、思わず鏡夜くんに笑みがこぼれ、それを見て私も笑顔になった。

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