第7話 四凶

9月1日、今日は多くの子ども達が気持ちの乗らない一日である。


狂った生活リズムの身体に鞭を打って、朝早くに起床し、たくさんの夏休みの宿題を抱えて学校へ登校しなければいけない。


そうはいっても、いざ学校に着いて教室へ入り、しばらく顔を合わせなかった日焼けしたクラスメイトたちの顔を見ると、つもりに積もった会話がはずみ、とても楽しい気持ちになることも、五年生になった私はよくわかっている。


教室に入り、最初に声をかけてきたのは、やはりゆずであった。


「やっほー。久しぶり!元気してた?」


「元気してたよ。っていうか、ゆずとは先週あったばかりだけどね。」


夏休みの最後の週、ゆずとは一緒にバトミントンをして遊んだ。なので、夏休みの間に彼女がすっかり日焼けしていることにも、さほど驚かなかった。


「宿題全部終わった?」


ゆずの問いかけに、私は昨夜のことを思い出した。


初めての魔物退治を終え、家に帰って時計を見ると、時刻はまだ夜の8時過ぎだった。


「やっぱり異世界にいる間は、時間がほとんど経過しないんだ。」


鏡夜くんから電話を受けて、家を出たのが午後7時45分くらいだった。


家から中学校までだいたい5分くらいで着いた。そこでちょっと鏡夜くんと話をして、魔物を倒して帰ってきたのに、まだこの時間である。中学校までの往復する時間だけで10分はかかるのだから、やはり魔物と遭遇してからは、ほとんど時間が経過していないということになる。


「うん。一応やってきたよ。」


ゆずの問いに、私は昨夜魔物を倒して帰宅してから、なんとか仕上げた読書感想文の原稿を取り出して答えた。


結局疲れていたので、誤字脱字や句読点を多少いじっただけの下書きを、そのまま清書して出すことになった。私の作品は、おそらく読書感想文コンクールには選ばれないだろう。


チャイムが鳴り、担任の先生が教室に入って来るやいなや、今までざわざわと立ち歩いて、夏休みの思い出を語っていたクラスメイトたちは席に着いた。


「みなさーん。夏休みは元気に過ごしていましたか?」


担任の山田先生は、年配の女の先生だ。とっても優しくて、頼りになる二人目のお母さんみたいな存在だ。山田先生は、この夏休みにバンクーバーというところに旅行にいった思い出をみんなの前で話した。


「それでは、みんなからも夏休みの思い出を話してほしいと思います。」


全員発表は、普段の授業ではみんなあまり乗り気は無いのだが、夏休みの思い出は誰しも何か、みんなに語りたいことの一つや二つは持っている。クラスメイトは我先にと、手を挙げて自身の夏の思い出を語った。


「家族と沖縄に旅行に行きました。パイナップルを食べたり、綺麗な海で遊んだり、めちゃめちゃ楽しかったです。つぎは親友のまいと一緒に行きたいなって思います。」


ゆずは案の定、沖縄での出来事を語った。席に座る際、私にウインクをしてきたので、私はにこっと笑って、ウインクを返した。


「家族と海に行きました。父さんが魚をいっぱい捕まえてすごかったです。めちゃ楽しかったけど、クラゲに刺されたのが痛かったです。」


「そうなんですね。鈴木君は海でクラゲに刺されちゃったんだね。みんなも海に入るときは気を付けてね。」


全員の発表に対して、山田先生は短くコメントを返していた。先生のそういう丁寧なところが私も好きだ。


「っじゃあ、まだ発表していない人は…。」


先生が教室を見渡した。クラスで残っているのは、まだ発表していない私と、今日欠席している後藤圭太くんだけである。つまり次は私の名前が呼ばれるのである。


「西森さん。発表できそうかな?」


山田先生は優しい目で私を見ている。30人近い人数が発表している間、何を話そうかと考えていたけど、正直まだ何を話せばいいか迷っている。


「えっ~と、私は…この夏休み、6年生のお友達ができました。図書館に行くと、その子がよくいて、色んな話ができて面白かったです。」


夏休みの特訓は、いつも鏡夜くんが先に裏山に来て待たしてしまっていたので、集合場所を図書館へと変更した。図書館はクーラーが効いていて涼しいし、本好きの鏡夜くんにとっていいと思ったからだ。


「そうなんですね。どんな話をしたんですか?」


山田先生は、私にもう少し詳しく話してほしいらしく、コメントではなく質問を投げかけてきた。


「えっ~と、魔法とか、魔物とか…そんな話ですっ。」


思いがけない質問に焦ってしまい、闇祓いに関する言葉が出てしまったが、山田先生は「なるほど…。読んだ本の話について、二人でお話していたんですね。」とほほ笑んだ。


クラスのみんなも、ただの物語の話だと思ったのか、特に不審がるような顔をする人はいなかった。」


欠席していた人以外、クラス全員の夏休みの思い出発表は終わり、始業式の日はたくさんあった夏休みの宿題の提出作業で半日を終えた。始業式が午前中で終わるのは、まだ通常のリズムに身体が順応していない子どもへの配慮だろう。


学校が半日で終わる日は嬉しい気分になる。平日のお昼のワイドショーを見ながら、お家で食べる昼ごはんは、どこか特別に美味しいと感じるのはなぜだろう。


帰り道で、ゆずから「仲良くなった六年生って誰なの?」と質問された。隠すのも変だと思ったので、私は正直に「白銀鏡夜くんって子。」と答えた。


「白銀…?知らないな。結構、6年生にも友達いるけど、聞いたことないや。」


確かに…、私たちの学校の5年生と6年生は、高学年同士で協力して行う学校行事が結構多い。しかし、私も7月末のあの一件があるまでは、彼の存在を全くと言っていいほど認識していなかった。


午後からは特に用事がなかったので、“一緒に特訓しよう!”と鏡夜くんにメッセージを送った。


二十分後くらいに、鏡夜くんから“OK。っじゃあ、いつもの図書館で。”と返信がきた。


図書館に着くと、鏡夜くんは本の返却コーナーにいた。私の姿に気づいてないようだ。


後ろから忍び寄り、私は鏡夜くんを驚かせようとした。鏡夜くんの一メートルくらい後ろまでそっと近づいたとき、「こそこそ何してるの?」と鏡夜くんは振り返りもせずに私に言った。


「なんだ、気づいてたんだ…。」


悪戯を失敗した私は、つまらさそうにして鏡夜くんに言った。


「そこの鏡に君の姿が見えたからね。」


鏡夜くんの指さした方向を見ると、確かに大きな映し鏡に私と鏡夜くんの姿が見えた。


「そうえば、鏡夜くんはちゃんと鏡に映るんだね。」


意外そうに尋ねる私に、鏡夜くんは「当然だろ。」と言い放った。


「いくらヴァンパイアの力を仮想の力で使っているといっても、僕はれっきとした人間なんだよ。」


言われてみれば確かにそうか。鏡に映らなかったり、太陽の光を浴びて苦しんでいたりしたら、とてもじゃないが日常生活なんて送れない。


「あっ、でも…仮想の力を使い過ぎたら、本当にヴァンパイアそのものになっちゃう人もいたらしいよ。」


「えっ、それは困るね…。」


「あまりにイメージが強すぎて、身体も心も、ヴァンパイアそのものになった人がいるとか…まぁ聞いた話だから本当かどうかわからないけど。」


なるほど、もし私が本物の魔女になっても、そんなに困ることはないだろう。魔女になったからって、別にヴァンパイアみたいに苦手な物ができたり、鏡に映らなかったり、困ることは特になさそうだ。そう考えると、魔女の仮想の力でよかったと思えた。


「ところで何の本かりてたの?」


「あぁ、月と六ペンスというお話さ。」


「ふーん。なんか難しそうな話を読んでるね。」


「そうでもないさ。六年生にもなれば、だいたいの言葉の意味はわかるし、漢字だって読める。今の僕には、少し背伸びをしたくらいな小説を読むのが丁度いいのさ。まいは最近は何読んでるの?」


「私は魔女とか魔法使いとかのお話を結構読んでるよ。」


「それはいいことだね。魔女のイメージを膨らませるのも特訓の一つだね。」


鏡夜くんは、「っじゃあ、裏山で特訓しに行こうか。」と言って、一緒に外に出た。


鏡夜くんは最近、剣での攻撃力を鍛える特訓をしているようだ。この間の戦いで、キョンシーという魔物の身体が固くて、なかなか剣で切ることが出来なかったらしい。


自分の身体を鍛えて、基礎体力をあげる特訓と、ヴァンパイアの持つ怪力の力をより引き出せるように、ヴァンパイアにもっと近づくイメージの特訓をしている。


そして私は、今度は火の元素の魔法を使える様に練習をしている。最初は杖の先から手持ち花火くらいの火しか出せなかったけど、最近やっと火の玉らしきものを打てるようになってきた。


明日から学校は給食も始まり一日授業になる。夕方には特訓を切り上げて、私たちは家へと帰った。


翌日、学校に行くと、今日もクラスメイトの圭太くんは欠席だった。ゆずにその話をしてみると、「二学期早々に夏風邪でもひいたんじゃないの?」とあまり気に留めた様子ではなかった。しかし、その後も圭太くんの欠席は続き、結局二学期が始まった最初の週は一度も彼が学校に来ることはなかった。


「クラスメイトが学校に全然来ないんだけど、なんでだと思う?」


金曜の学校が終わって、裏山で特訓をしているとき、ふと鏡夜くんに尋ねてみた。


「さぁ、今時高学年にもなると、不登校なんて珍しくもないだろう。特に理由もなく学校に行きたくないことだってあるさ。」


「そうかなぁ。」


「そもそも学校に行かなくてはいけないなんて、誰が決めたんだい。学校を休んでも他にどうしてもしたいことがあれば、そっちを優先したらいいし、どうしても行きたくない理由があるなら、別に無理していくこともない。」


「そうはいっても、やっぱり学校には行かないと駄目だと思うけど…。」


「先生たちだって、その圭太くんとやらのお家に電話をしたり、家庭訪問したり、色々頑張ってるだろう。まぁ無理やり学校にこさせようとしても、逆効果だしね。クラスで彼をいじめてるやつとかはいるのかい?」


「クラスでいじめ?そんな様子は見たことないけど…圭太くんはそんな目立つタイプじゃないからな…。そうえば、鏡夜くんも学校では目立たないタイプなの?」


私は始業式でのゆずとの会話を思い出した。


「僕が目立たないタイプかって?うーん、そうだな。僕はどちらかというと、目立たないようにしているタイプだよ。クラスの中で目立っても、いいことよりめんどくさいことの方が多いからね。僕はめんどくさいのは嫌いなんだ。」


なんとも鏡夜くんらしい回答だった。きっと鏡夜くんなら、勉強もできるし、運動だってよくできるだろう。それをあえて目立たないようにするのは、私からしたらよくわからないけど、能ある鷹は爪を隠すっていうことなのかもしれない。ちなみに最近本を読んで知った言葉だ。


「そうなんだ。今度6年生のクラスに遊びにいってもいい?」


私がそう尋ねると、鏡夜くんは少し驚いたような顔になった。


「えっ、なんで?」


「いや、学校ではどんな様子なのかなって。」


「別にいいけど、休み時間も本を読んでるだけだよ。」


「そうなんだ、気が向いたらまた遊びにいくね。」


「せっかく目立たないようにしてるんだから、あまり大きな声で僕の名前を呼んだりしないでよ?」


鏡夜くんが、少し困ったような顔をしていたのが面白かった。


次の週の月曜日、教室に入ってみると、朝から教室の中は大パニックだった。


「ちょっと、まい!大変なことになってるよ。」


「えっ?一体どうしたの?」


教室を見渡すと、クラスメイトのみんなは、教室の窓から運動場の様子を見ているようだった。


「学校の運動場がめちゃくちゃになってるの。」


ゆずに手を引かれて、教室の窓から運動場を見てみると、運動場の地面は大きくえぐれていて、大きな穴がいくつもあいていた。


「うわっ、何これ…。」


“キンコンカンコーン、校内放送です。児童のみなさんは、朝の仕度が済んだ人から教室で静かに過ごすようにしましょう。繰り返します…”


一体何が起きたのだろうか。何かの工事があって、ショベルカーで地面を掘り起こしたとか…?いや、でもなんでそんなことするんだろう。先生たちもどこか慌てているようだった。


「みなさん席に着きましょう。こら、窓から顔を出してはいけません。」


担任の山田先生が教室に入ってきた。窓側にいた子ども達はしぶしぶ自分の席へと着いた。


「先ほどの放送にもあったように、今日は運動場では遊べないので、休み時間は教室で静かに過ごすようにしましょう。」


先生の言葉に、クラスメイトたちは「え~っ、なんでっ?」と不満の声を口にした。


「大きな穴があいてるところに落ちたら大変でしょ?ほら、授業を始めますよ。」


山田先生は、どうして運動場に大きな穴が出来たのか、その理由については話してくれなかった。


お昼休み、私は鏡夜くんのいる6年1組の教室へと足を運んだ。


やっぱり、上の学年の教室に足を踏み入れるのは緊張する。教室の入り口の近くで、ちらちらと中の様子を覗っていると、後ろから「何してるの?」と声をかけられた。


別に悪いことをしているわけではないのだけれど、反射的に「ごっ、ごめんなさい。」と私は謝ってしまった。振り向くと、そこには見慣れた姿の黒髪で眼鏡をかけた姿の鏡夜くんが立っていた。


「なんだ…。鏡夜くんか。」


「なんだとはなんだい。僕に用事があったんじゃないのかい?」


あっ、そうだ。運動場の穴の件について聞きに来たんだった。


「運動場の穴のこと、鏡夜くんはどう思う?」


「やっぱり、その話か。僕も最初は運動場の工事か何かかと思ったけど、先生たちも理由は分かっていないようだからね。」


それから鏡夜くんは、周囲の子に聞こえないように声の大きさを落とした。


「ひょっとすると、魔物の仕業かもしれない。詳しくはまた別の場所で話そう。」


そう告げると、鏡夜くんは1組の教室の中へと入っていってしまった。他の男の子に声をかけられ、何やら楽しそうに話している。


私は自分の教室へと引き上げた。魔物の仕業かもって鏡夜くんは言っていたけど、魔物が暴れるのは異世界での出来事だから、現実世界の物には影響しないって話だったはずだ。なのにどうして、現実世界の運動場がめちゃくちゃになっているのだろう。


学校に帰って、夕方ごろに鏡夜くんからメッセージが届いた。


“今日の夜、学校で会えるかい?”


私は“うん。大丈夫だよ。”と返信を送った。


夕飯を食べ終えて、夜の学校へと向かう。箒に乗って、部屋の窓から飛び立つのも、慣れてきた。外に飛び立つと、夏真っ盛りの八月よりは、虫の鳴き声も少し大人しくなっているように聞こえた。


学校に着くと、鏡夜くんは既に運動場の中に入って、何やら調べ事をしているようだった。運動場中心の穴は新しい土をかぶせて塞がれていた。そこだけ色が違って、少しふっくらと膨らんでいる。


しかし、端の方はまだ、今日中に先生たちも塞ぎきれなかったのか、赤色のコーンで入れないように区切られていた。


「鏡夜くん。」


鏡夜くんは平然とコーンの中に入って、地面を触っていたが、私の声に気づいて振り返った。


「やぁ。夜遅くに呼び出してすまないな。」


「いや、それは大丈夫だけど…。お昼に言っていた、魔物の仕業ってどういうこと?魔物が出現しても、それは異世界の出来事だから、現実世界に影響はないんじゃなかったの?」


私は疑問に思っていたことを素直に尋ねた。


「そのことなんだけどね。確かに魔物が出現した際、その近辺は異世界に変わるから、そこで魔物が暴れても、現実世界には影響がない。ただし、魔物本体じゃなくて、魔物がこちらの世界にある人や物に乗り移って暴れた際、それは現実世界に物理的に影響を与えるんだ。」


「ということは、今回は魔物がこちらの世界の誰かに乗り移って、その人の身体を使って運動場で暴れたってこと?」


「まぁその可能性が高いという話だね。」


調べたい事が終わったのか、鏡夜くんは持っていた土塊を穴の中に捨てた。


「僕はそっちの専門家じゃないから絶対とは言えないけれど、この辺の土には魔力の気配が残っているようだ。それにこんなにたくさんの穴、普通の人間が一夜で掘るには少し無理がある。」


赤のコーンで仕切られていたところから、鏡夜くんは出てきた。


「僕はもう少しここに残って調査をするよ。もし、身の回りで変わったことがあったら、僕に教えてくれ。」


「うん、わかった。私も色々調べてみるね。」


それからは運動場に大穴ができるといったような、大きなニュースは特になかった。

何か変わったことといえば、大穴が見つかったその週の金曜日に、ずっと欠席だった圭太くんが学校に来たことぐらいだ。


しかし、彼の表情はどこか暗く、午前中の授業も受け終わらないで、「体調が悪い。」といって早退していってしまった。


「それだけじゃなくて、口調とか、目つきもなんか怖い感じになってたよ。」


その件について、鏡夜くんに相談してみると、「それは魔物に憑かれている可能性があるね。」と言って、学校が終わった夕方から圭太くんの家を尋ねることを提案した。


圭太くんの家は、学校から十五分ほど歩いたところにある一件屋だった。インターホンを押すと、「どちらさまでしょうか…。」と圭太くんのお母さんらしい、少し弱々しい声が聞こえた。


「こんにちは。クラスメイトの西森です。」「同じく白銀です。」と、鏡夜くんはしれっと嘘をついた。


「あら…、もしかして、圭太を心配してきてくれたの?ちょっと待ってね。」


玄関が開く扉がして、圭太くんのお母さんが出てきた。


「ごめんね。ちょっと、まだ圭太は調子が悪いみたいで、部屋から出てこれないんだけど…。」


「あの、一言だけでいいんで、扉越しにでも圭太くんとお話しできませんか?」


鏡夜くんは圭太くんと面識がないはずだけど、さも当然のように下の名前で呼んで、話がしたいとお母さんに申し出た。


「えっ、そうね…。わかったわ。上がってちょうだい。」


圭太くんのお母さんに案内されて、私と鏡夜くんは彼の部屋の前まで案内された。お母さんは「お茶を淹れてくるわね。」と下の階へと降りて行った。


鏡夜くんは一体、圭太くんと何の話をするのだろう…。


「圭太くん。聞こえるかい?初めましてだけど、僕は君の味方だ。もし困ったことがあるなら、今日の夜、小学校に来てくれるかな。きっと解決してあげる。」


鏡夜くんはそれだけ言うと、「ほら、まいも何か言って。」と手招きした。


「えっ、えっと…。同じクラスの西森です。私も早く圭太くんが学校に来れる様にがんばるので、今日の夜…学校で待ってます。」


圭太くんからの返事はなかったが、お母さんから冷たい麦茶を一杯だけご馳走になって、そのまま帰宅した。


「圭太くん来てくれるかな…。」


「さぁね。でも、もし彼が魔物に困っているなら、今夜きっと来てくれるだろう。」


鏡夜くんと別れたあと、今晩に備えて夕飯を早く食べ終えて学校へと向かった。


「今日も鏡夜くんは早いね。」


鏡夜くんはやはり、私より先に学校へと到着していた。


「まいと別れた後、そのまま学校に向かったからね。」


「えっ、そうだったんだ。」


鏡夜くんのお家の人は心配していないのだろうか…。


「そんなことより、僕らの言葉が通じて、圭太くんとやらが来てくれたみたいだよ。」


「えっ?」


鏡夜くんの視線の先を見ると、運動場の真ん中に後藤圭太くんの姿があった。


「よく来てくれたね…。そして、今までよく頑張った。」


鏡夜くんの言葉に、圭太くんは目から大粒の涙をこぼした。


「圭太くんはずっと、彼に取り憑いた魔物と戦っていたんだ。自分の身体を乗っ取って、暴れようとする魔物を心の強さでなんとか抑えてきた。先週の運動場の大穴は、魔物の破壊衝動をどうしても抑えきれなくって、しかたなく魔物に自身の身体を委ねたんだ。」


「そうだったんだ…。」


「それでも、せめて周りに被害が出ないように、学校の運動場という場所を選んだ。魔物がある程度力を発散し、圭太くんはもう一度、魔物の力を心で抑え込んだ。」


圭太くんは、少し苦しそうな表情になっている。今もなお、魔物の力を抑え込もうとしているようだ。


「でも、もう大丈夫だ。魔物の力を解き放っていい。あとは僕たちがなんとかする。」


鏡夜くんがそう言い終えると、圭太くんは苦しそうな声をあげ、その場に倒れ込んだ。


「圭太くんっ!?」


「近寄っちゃ駄目だ。まい、魔物が出現する。構えて。」


鏡夜くんの声に従い、私は杖を構えた。


圭太くんの背中から、ぬぅっと禍々しいオーラが出て、それは大きな獣の姿へと変化していった。太い4本の縞模様の腕で地面にすっくと立ち、長く鋭いキバが口元からは上下にそれぞれ2本ずつ生えている。その生き物は、まいが動物園でしか見たことない、虎の姿に近かった。しかし、動物園で見たそれよりもずっと大きく、背中には大きな白い翼が二枚生えている。


「うわっ、羽の生えた虎?」


「あれは窮奇という、やはり中国の魔物だよ。腕のところの輪が見えるかい?」


その魔物の右腕を見てみると、青いリングが嵌められている。


「青色の腕輪みたいのしてる!?」


「あぁ。ちょっと手ごわい相手になるだろうね…。僕が前に出るから、まいは援護してくれると助かる。」


「わかった!」


鏡夜くんが剣を抜いて切りかかると、窮奇は羽を広げて空に飛び立って距離を取るように後ろへ下がった。わたしはその隙に、風の魔法で圭太くんの身体を安全なところまで運んだ。


「意外と臆病なのかな?」


鏡夜くんが挑発するような言葉を言うと、窮奇は咆哮をあげ、鏡夜くんに襲いかかろうとした。窮奇の振り降ろされた右腕を、鏡夜くんは躱してその腕を切り上げる。


しっかりと力のこもった一撃だったが、窮奇の太い腕は切り落とされることはなかった。鏡夜くんの攻撃に臆することなく、窮奇は左腕を鏡夜くんに振り下ろした。

大きな衝撃音とともに、土煙が舞った。


「鏡夜くんっ!」


あの大きな腕で踏みつぶされては、私だったらひとたまりもない。風で土煙が流されると、窮奇が振り下ろした太い左腕を、銀色に輝く剣で防ぎ、なんとか踏ん張って耐えている鏡夜くんの姿が見えた。


「なんだ…。全然…臆病じゃないじゃん。」


鏡夜くんはさらに力を込めて、剣で窮奇の腕を振り払った。少し分が悪いと見た窮奇は、大きな羽を広げて空に高く舞い上がり、くるっと空で一回転すると、落下する勢いをつけて手足の爪をたてて鏡夜くんに体当たりをした。窮奇の四本の腕を、なんとか横っ飛びで鏡夜くんが避けると、窮奇は再び空に舞い上がり、体当たりを繰り返した。


「まいっ!僕がおとりになっているから、この次、体当たりしてきた時、窮奇にテンペストをぶつけてくれ。」


「わっ、わかった!鏡夜くんはちゃんと避けてよっ!」


私がそういうと、鏡夜くんは親指を立ててOKという合図をした。


窮奇は獲物である鏡夜くんが疲れるのを待っているようだ。次こそはと唸り声をあげ、空高くから鏡夜くんに狙いを定めてすごいスピードで降りてきた。


「テンペストッ!!」


私は鏡夜くんが今いる位置。つまり窮奇が体当たりをしてくる地点に向けて、風の魔法を放った。杖の先からつむじ風が発生し、それは運動場の砂を巻き上げながら、鏡夜くんのいる方向へと真っすぐに進んでいった。


鏡夜くんはぎりぎりで私のテンペストを横っ飛びで避けたが、窮奇は空高くから勢いをつけてしまったのが災いし、私のテンペストを真正面から受けた。私の魔法は窮奇の巨体を10メートル以上ふっ飛ばし、かなりのダメージを与えたようだ。


“ガァァァァッ!!”


ふっ飛ばされて地面に倒れた窮奇だったが、むくりと起き上がり、今度は私の方を睨みつけて咆哮した。どうやら完全に怒らせてしまったようだ。


「どうしようっ!?私の魔法じゃ倒しきれなかった!」


鏡夜くんに助けを求める様に叫ぶと、「いや、十分よくやった。」という鏡夜くんの声が、窮奇の上から聞こえた。


私の魔法をくらって、窮奇が倒れたすきに、鏡夜くんは空高く飛び上がって、落下する勢いをつけて窮奇の首めがけて剣を振り下ろした。


振り下ろされた鏡夜くんの一撃で、窮奇の頭はその巨体から切り離され、力なく地面に落ちた。


これで一件落着と思ったその瞬間、首を失った窮奇の巨体が、大きくその左腕を振り上げようとするのが見えた。


「あっ!危ないっ!鏡君っ!」


「えっ?」


鏡夜くんは、頭を落としたはずの窮奇が、左腕を大きく振りかぶっているのを見上げた。しかし、空高くから剣を振り下ろした反動でまだ動けないようだ。私の魔法もこの距離じゃ間に合わない…。


もう駄目だと思ったその時、空気を切り裂く音が聞こえた。空から、何か黒い斬撃のようなものが飛んできて、振り上げた窮奇の腕を切り落とした。



「こらこら、最後まで油断しちゃ駄目だよ。」



どこかで聞いたことがある声だった。再びその黒い斬撃が飛んできて、今度は窮奇の身体を真っ二つに切り裂いた。


「皇さんっ!?」


鏡夜くんは驚いた表情で、斬撃の飛んできた方向を見ている。私もその方向を眺めると、校舎の上に、前見た時と同じスーツ姿の皇さんの姿があった。彼の持つ剣には、何やら黒いオーラが纏われている。


皇さんは校舎から飛び降りると、コウモリの姿に変化して、私と鏡夜くんの間に飛んできた。コウモリから再び人の姿に戻って降り立つと、私のほうを見てにこりとほほ笑んだ。


「よくやったね。まいちゃん、なかなか魔法を使いこなせるようになったじゃないか。」


皇さんは、今度は少し険しい顔になって、鏡夜くんの方に振り返った。


「鏡夜、前言ったことを覚えてるな?もし誰かを守って戦うなら、お前はもっと強くならないと駄目だ。今回の敵は騎士クラスの魔物だが、このままじゃ、失った人を取り戻すどころか、さらに大切な人を失うことになるぞ。」


皇さんの言葉に、鏡夜くんはうな垂れて「…すみません。」と小さく言った。


「今回の敵は四凶の一匹の窮奇だったな。」


皇さんの言葉に、私は「四凶?」と思わず声に出した。


「四凶は、中国の魔物の中でも、特に大きな被害を出してきたと言われる四匹の魔物たちだ。最近、この辺りで中国の魔物が多く出没していることからしても、残りの三体の魔物たちがこの辺で出没してもおかしくない。」


さっきの窮奇のような魔物がまだ三体もいる…。鏡夜くんの指示でなんとか私の攻撃が当たって、鏡夜くんがとどめを刺したと思ったら、まだ襲ってくるほどの強い魔物。あんな魔物がまだ三体もいるんだと思うと、私は背筋がぞっとした。


「鏡夜、お前はどうしたい?」


皇さんは、鏡夜くんに尋ねた。何を尋ねたのか私には分からなかったけど、鏡夜くんは顔をあげて、強い眼差しで皇さんを見ている。


「僕は…もっと、強くなりたい。自分のことだけじゃなくて…、僕の側にいてくれる大事な人たちも守れるように、もっと強くなりたいっ!!」


力強く答えた鏡夜くんに、皇さんは「そうか。」と言ってほほ笑んだ。


「幸い、私はこの辺にしばらく滞在することが決まっている。鏡夜がよければだが、昔みたいに鍛えてやってもいいけど…どうする?」


皇さんの提案に、鏡夜くんは「ぜひっ!よろしくお願いしますっ!!」と頭を下げた。


「というわけで、しばらくこいつは預かっていくけど…。まいちゃんはどうする?もし誰かに教えてほしかったら、他の闇祓いの誰かに私からお願いしてもいいけど…。」


「えっ…。」


皇さんのいきなりの提案に、私は少しだけ戸惑った。どんな人に教えてもらうのか、ちょっと不安だ。だけど、今までも鏡夜くんに助けてもらってばかりだし、自分ももっと強くなりたい。誰かに魔法の使い方を教えてもらえるのなら、その方がいいはずだ。


「わっ、私も、よろしくお願いします!」


私の答えに、皇さんは「おーけー。」と微笑を浮かべた。


「後のことは何とかしとくから二人は早く帰りな。」と皇さんは言って、窮奇に憑かれていた圭太くんを肩に担いで帰っていった。


「鏡夜くん、大丈夫…?」


私が鏡夜くんに駆け寄ると、「あぁ…すまなかった。」と鏡夜くんは謝った。


「えっ、鏡夜くんがなんで私に謝るの?」


私にはどうして鏡夜くんが謝るのか理解できなかった。


「僕は…君に偉そうなことを言っておきながら、まだまだ力不足だ。一人で魔物を倒せるようになって、少し調子に乗っていたかもしれない。まいを危険な目に合わせてしまうこともあった。」


鏡夜くんは伏し目がちに、少し肩を落として私に言った。


「そんなことないよ!鏡夜くんは、私に『想像の力』の使い方を教えてくれたし、いつも私を魔物から守ろうとしてくれた。実際、私は今までどこもケガしてないし、全部鏡夜くんのおかげだよ。」


鏡夜くんはこれまで、私に十分すぎるほどのことをしてくれた。何も私に謝る必要なんてない。私は鏡夜くんを元気づけられる言葉を探した。



「だから…これからは、一緒に強くなっていこうよ。お互いがお互いを守れるように、それだけじゃなくて、もっと多くの人を守れるように。」


笑顔で言った私の言葉に、鏡夜くんは少し目を丸くして顔をあげた。


「ふふっ、そうだね…。ありがとう、まい。一緒に強くなろう。」


鏡夜くんの表情に笑顔が戻って、私は一安心した。

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