第4話 特訓
“ピピピピッ!”“ピピピピピッ!”“ピピピピピッ!”
久しぶりに時計のアラームの音で目が覚めた。昨日の夜、万が一でも寝坊しないように、朝の七時半にアラームをセットしておいた。
「……眠い。」
アラームを止めて、もう一度布団の中に潜り込もうとした時、今日から鏡夜くんと特訓を始める約束をしていることを思い出した。
「二度寝してるばあいじゃないっ!」
私は勢いよくベッドから飛び起きた。一階のリビングに降りると、お母さんが私を見て、「あら、今日は早いじゃない。」と言いながら、お父さんのカバンを持っていた。お父さんは丁度今から仕事にいくところで、鏡を前にネクタイをきゅっと締めている。
「おはよう、まいちゃん。今日はどこかにお出かけかい?」
鏡を見たまま、お父さんに尋ねられた。
「うん。ちょっと、特訓してくるよ。」
あっ、しまった。思わず口が滑ってしまった。
「特訓?それは楽しそうだね。お父さんも昔は色んな特訓をしたものだ。」
…よかった。お父さんは何の特訓?とまでは聞いてこなかった。たぶん、何かの遊びのことだと思っているんだろう。
「朝ごはんできたから、今食べちゃいなさい。」
お母さんがフライパンから目玉焼きをお皿に移し替えていた。
「はーい。」
お父さんを玄関で見送って、芸能界だとか、どこかの事件だとかのニュースを見ながら、私はゆっくりご飯を食べた。食べ終わった食器を自分で洗って、パジャマを着替えて支度をする。五年生になってから、自分の食べた食器は自分で洗うし、自分の着た服はちゃんと自分でたたむ。家庭科で色んなお手伝いの仕方を習ったから、今ではお風呂洗いも洗濯ものを干すことも、お母さんと一緒ならアイロンをかけることだってできる。
学校の裏山には、八時半に出発したら余裕を持って着くことができる。私は宿題の算数プリントを一枚だけ解いてから家をでた。
やはり鏡夜くんは難しそうな本を読みながら、木陰で待っていた。昨日会った時は半分くらいのまで読み終わっていたが、もうほとんど最後に近いページまで読み終わっている。
「おっ、来たね。」
私が砂利を踏んだ音に気付いて、鏡夜くんは目を本から離した。
「何の本を読んでいるの?」
「これかい?カフカ・フランツの『変身』だよ。ある日目が覚めると、自分の身体が毒虫に変わっているなんて、なかなかすごい想像力だよね。」
「どくむし…?ムカデとかげじげじとか、気持ち悪い虫のこと?」
私が尋ねると、鏡夜くんは「正確には虫かどうかもわからないんだけどね…。背中には甲羅があり、複数の細い足があって、湾曲にふくらんだ腹に変わっていたらしい。」と本をぱらぱらめくりながら答えた。
「朝起きて自分が虫になっているなんて、ちょっと怖すぎてイメージできないや。」
私が思ったことをつぶやくと、鏡夜さんは「ふふっ、僕もそうだよ。」とほほ笑んだ。
「でも、『仮想の力』を思うように操るには、自分がその力を使えるところがはっきりとイメージできないといけない。君にとって、『仮想の力』を発現できるほどにイメージできたのは何だったかな?」
先生が発問をするように、鏡夜くんは答えを知っているはずの質問を私に尋ねた。
「私がイメージできたのは…魔女だ。」
「そうだったね。君は魔女をイメージして、空を飛んだ。君にとって、魔女に関することで、他にイメージできることはあるかな?」
「うーん。魔法を使うとか…。」
「それは…どんな魔放だい?」
「え~っと、炎が出るとか。」
「もっと具体的には…?」
「具体的に?うーん…難しいな。」
頭を抱える私に、鏡夜くんは「まぁ無理に言葉にする必要はないけどね。」とほほ笑んだ。
「しかし、確固とした強いイメージを持っていることはとても大切なんだ。いざ魔物と戦うっていう時に、しっかりイメージを持てていないと、『仮想の力』は使うことができないからね。」
そう言うと、鏡夜くんは大きな黒いカバンから、黄色い表紙のスケッチブックを取り出した。
「今日の特訓は、“魔女のイメージをしっかりと作ることだ。”」
「魔女のイメージをしっかり作る?」
「言葉でもいいし、それが難しいなら絵で描いてもいい。君のもつ魔女のイメージをしっかりとした形にするんだ。」
なるほど、そのためのスケッチブックか。
「これは餞別だよ。好きに使うといい。」
鏡夜くんはスケッチブックと色鉛筆を私に手渡した。
「僕はそこの木陰で本を読んでいるから、もしイメージができたら教えてくれ。」
そう言うと、すたすたと鏡夜くんは大きな松の木の下に行ってしまった。
「えーっと、どうしたらいいんだろうか…。」
私はとりあえず、日陰にあるベンチに腰を下ろした。どうしようかな…。とりあえず、魔女の絵を描いたらいいのかな。
スケッチブックを開くと、一つの穢れもない真っ白な紙が視界に広がり、そこからは新しい紙の臭いがした。恐る恐る黒の鉛筆で、魔女のイメージを形にしていく。
最初はおっかなびっくり描いていたけど、だんだんと自由帳に落書きをしているような気持ちで楽しく描き上げた。
「できたっ!」
喜々としてスケッチブックを持ってくる私に、鏡夜くんは「できたかい?」と本から目を離した。今はもう先ほどとは違う本を読んでいるようだ。
「どうかな?頑張って描いたのだけど…。」
図工の先生に絵をみせるような少しどきどきした気持ちで、私はスケッチブックを鏡夜くんに手渡した。表紙をめくった瞬間、鏡夜くんの顔が少し曇ったように見えた。
「どれどれ?……え~っと。うん…。そうだね…、なかなか…独特の絵のセンスを持っているみたいだね…。」
図工の先生にも、似たようなことを言われたのを思い出した。「君の絵はパブロ・ピカソのキュビズムみたいだね」って褒められたことがある。キュビズムとか、いまいち意味がわからなかったけど、ピカソは確か有名な画家だし、きっと絵が上手だと褒められていたのだろう。
「なんか…、魔女らしきものの絵に、矢印を引っ張って、色々とコメントがついてるみたいだけど…なにこれ?」
「あっ、それはですね…。私の絵だけじゃ上手く伝わらないとこもあると思って、説明をつけてみました。」
「箒らしきものに、矢印で時速一万キロって書いてるんだけど?見間違いかな?」
「あっ、一万キロであってますよ!」
けろっとした表情で言う私に対し、鏡夜さんは“本気かこいつ?”って感じの訝し気な
顔だった。
「まい…時速一万キロってどんな速度か分かってる?」
「え?いや…新幹線と同じくらい?」
きょとんとした顔で私が答えると、鏡夜くんは呆れたように言った。
「いやいやいや、新幹線は時速300キロくらいだよ!ウルトラマンと同じくらいの速さだ!そんな速さで生身の人間が飛んだら、君の身体は八つ裂きになって物理的に死ぬよ?」
「えっ…。そうなんだ。」
「あとはなにこれ…?なんかの呪文?」
「あぁ、それはどんな魔法がつかえるかなって…。」
「呪文一、はっぴーかーにばる…唱えるとみんな幸せになって世界は平和になる…?」
「みんな平和にできるんですよ。すごく素敵な呪文じゃないですか?」
「呪文二、ですとろいえぶりしんぐ…?唱えると敵をみんなやっつける…?まいは僕のことを馬鹿にしてんの!?」
「いやいや、真面目に考えたよっ!」
鏡夜さんは、私が吹き飛ばされるんじゃないかと思うほど、大きなため息をついた。
「全然なっちゃいない。そんなこと本気でできると思うのかい?」
「えっ、どういうこと?イメージしたら、何でも叶うんじゃないの?」
「そんな便利な力なら、誰も魔物と戦うのに苦労なんかしてないさ。『仮想の力』にだって、できることとできないことがある。」
鏡夜さんは、せっかく私が描いたスケッチブックを閉じてしまった。
「例えば、ヴァンパイアといえば、どんな力を持っていると君は想像する?」
「えっ…。うーん、人の血を吸うとか。」
「そうだね。他には?」
「なんか人よりも力が強くて、あとはなかなか死なないとか?」
「その通りだ。多くの人がイメージするヴァンパイアの力。僕はそれをもっと強いイメージにして、魔物からエネルギーを吸い取ったり、普通の人よりも強い力を持っていたり、ダメージを受けても多少は回復することができる。」
「おぉ、なるほど。」
「ヴァンパイアが手からビームを出して、敵をやっつけるなんて想像できないだろう?」
「そう言われると、確かに…。」
「『想像の力』は、ある程度みんなが持っているイメージを、霊能力の強い人が強く想像することで実現できる力なんだ。だから、魔女の仮想の力を使うんだったら、その力はみんながイメージする魔女ができることに限られるし、その力は、君の霊能力とイメージ力で、相手に与えるダメージや効果は変化する。」
なるほど、自分の勝手なイメージだけでは、『仮想の力』は使えないのか。みんながイメージできることで、私が強く想像したからあのとき、学校の箒で私は空を飛べたんだ。
鏡夜さんは頭を掻いて、少し悩むような素振りをして、「プランを変更しよう。」と告げた。
「君は実践的に学んだ方が習得がはやそうだ。そこに木の棒があるだろう。それを杖だと思って握ってみて。」
私は言われたようにしてみせた。先が曲がっていて少し不格好だけど、魔女の杖だと言われたら、そう見えなくもない枝である。
「そもそも魔法は、西洋の四大元素、東洋の五大元素をもとにするイメージが強い。どちらかというと四代元素の方がさらに一般的だろう。」
「何の話ですか?」
「まぁあまり気にしなくていいよ。火・水・土・風の四つの魔法があるとして、一番イメージしやすそうなのはどれだい?」
火・水・土・風…その中でイメージしやすいもの…。
「なんとなくだけど、風がイメージしやすいかも…。」
「っじゃあ、目を瞑って風の魔法をイメージしてごらん。君の杖から風の魔法が放たれる。どんな魔法かは、君にまかせるよ。」
風、どんな風がいいだろう…。たんぽぽの綿毛を飛ばすような、ふわっとした優しい風?いや、私は魔物と戦わなくちゃいけないんだ。そんなのじゃ、怖い魔物を倒したりなんかできない。私自身や周りの人たちを守ることなんてできない。
「おっ、イメージが固まったみたいだね。」
鏡夜さんは、静かに目を開けた私の目を見てそう言った。
「よし。君のイメージした魔法を、あそこの大きな岩にめがけてぶつけてみて。」
私たちの学校の裏山には、山の斜面に大きな岩がたくさん埋まってある。その中でも一番大きな岩に私は狙いを定めた。
呪文は……そうだ。一学期のとても天気が悪い風の強い日に、確か英語の先生が、「今日みたいなひどい天気のことを、英語でこう言うのよ。」って教えてくれた。
私は木の枝を巨大な岩へと向けて、その言葉を大きな声で唱えた。
「テンペストッ!!!」
呪文を唱えた瞬間、まさに大嵐の雨の中、風圧で押される窓をこじ開けて、一気に強風が部屋になだれ込んでくる時のような音がした。
杖の先が光り、目の前には私と同じ大きさほどのつむじ風が生まれた。それは次第に渦を巻いて、近くの落ち葉や小石、周囲の空気を巻き込みながら大きくなり、風が空気を切る音も鋭さを増していった。それは山の斜面にある5m近い岩にぶつかり、激しい衝撃音とともに消え去った。
「うわっ…、なんかすごいの出た…。」
びっくりして私はその場に腰を落とした。
「竜巻…とまではいかないけれど、なかなかいい威力のある魔法だったね。」
鏡夜くんは私の肩をぽんと叩き、「よくできました。」と笑った。
それからは二人の都合がつく日は毎日、図書館で集合してから学校の裏山で特訓をした。
「ダメだね。全然イメージに集中できていない。」
集中できなかったときは、私の杖からは春のそよ風のような優しい風が吹いた。それはタンポポの綿毛を巻き上げ、儚げに消えていった。
「いつでもきちっと魔法が出せるようにならないと、いざ魔物が目の前に来た時にできなかったらどうするんだい?」
「…ごめんなさい。」
「いや、謝る必要はないよ。君が頑張ろうとしているのは僕だって分かっている。でも、だからこそ、僕も君を絶対に合格させるために厳しいことだって言うからね。」
「うん、ありがとう。でも、なんで…そんな私に協力してくれるの?」
「そりゃ、僕は君の推薦者だしね。君が落ちると僕の面子にも関わる。」
「推薦者…?」
「あぁ、まだ説明していなかったね。」
鏡夜くんが“コホンッ”と咳ばらいをしてから語った。
「何かのきっかけで『想像の力』を発現できた人は、国際闇払い連盟にマークされる。そして既に闇祓いである人が派遣され、その人が闇祓いとしての資質を持っているかチェックするんだ。まいの場合の推薦者は、まいが力を発現した時、たまたま近くにいた僕にあたる。」
「鏡夜くんが私を試験に推薦してくれるんですね。」
「そうだね。僕が推薦すると決めたから、君はすでに受験資格を持っている。あとは、試験の当日に、僕以外の三人の闇祓いの人たちの目の前で、君は『想像の力』を示さないといけない。三人中二人が合格を認めたら、晴れて君は正式な闇祓いだ。」
試験の概要を聞いて、私は先ほどよりも気を引き締めて特訓に取り組んだ。
実際、鏡夜くんは結構スパルタだった。できなかったときは、できるまで何度も繰り返さないと許してくれない。厳しかったけれど、それは私のことを真剣に考えてくれてのことだった。もしもの時に、うまく力がつかえなくて魔物に負けてしまうと、もう二度と幸せを感じることはできなくなってしまう。推薦者だからっていうのもあるかもしれないけれど、とにかく鏡夜さんは、本気で私のことを鍛えてくれた。
そのおかげで最初の一週間で、風の魔法の“テンペスト”は安定して威力のある魔法を打てるようになった。
その次の週、鏡夜くんは藁でできた大きな箒を持ってきた。
「空を飛ぶのも風の魔法の一つだ。きっと鬼を倒したときにできた君なら、これはすぐにできるだろう。」
鏡夜くんの言う通り、空を飛ぶ特訓を開始してすぐに、私は空中へと浮かんで、コントロールもかなり上手くできるようになった。きっと空を飛ぶことへの憧れは昔から強かったから、イメージもしやすかったのだろう。
風の魔法をある程度マスターして、試験までの最後の週の初日は、他の大元素である火・水・土の魔法の練習をしたけれど、うまくイメージできなかったのか、水の魔法は杖の先から水鉄砲のようなものしか出なかったし、火の魔法は杖先から手持ち花火のような火花が散っただけで、土の魔法は地面からモグラが飛び出したように、目の前の地面がぼこっと膨らんだだけだった。
「やっぱり、どりあえず試験が終わるまでは、風の魔法だけに集中した方がいいかもね。」
試験まで三日を切った後は、他の元素の魔法の練習は切り上げて、風の魔法をより正確にできる様に練習した。
「よし、これだけ力をコントロールできるようになったら、試験は大丈夫だろ。」
「…ふぅっ。ほんとうですか!?」
「よく頑張ったね。試験はいよいよ明日だ。今日はもう切り上げて、明日に備えて早く寝ること。」
「はいっ!ありがとうございました。」
家に帰ると、お母さんは庭のプチトマトに水をあげていた。すくすくと育ったプチトマトは、夏の太陽に照らされて完熟した真っ赤な実をたくさん実らせている。そばに近づくと、植物の青臭いにおいがした。
「お母さん、ただいま!」
私に気づいたお母さんは、シャワーで水を上げるのを止めて、「おかえりなさい。」とほほ笑んだ。
「今日は早かったわね。最近よくお外で遊んでいるから、すっかり日焼けしたね。」
「うん。新しい友達ができたからね。」
「あら、そうなの?どんなお友達?」
「うーんとね…。なんか大人っぽくて、かっこいいんだよ。」
「へぇー、もしかして、まいちゃんの好きな男の子?」
お母さんは、少しいじわるそうな顔で笑って聞いてきた。
「えっ?好き…なのかな?よくわからないけど、すっごくいい人だよ。」
「そっか。まいちゃんは恋愛っていうのをまだ知らないんだね。」
「恋愛ぐらい知ってるよ!男の子と女の子が好き好きってチューしたりすることでしょ?」
そう言うと、お母さんは「ふふっ」と笑って、私の頭を撫でてくれた。
「そうね。好きな人ができるとね、その人を見るだけで、胸がドキドキしたり、すごく嬉しくなったり、一緒にいるだけで幸せな気持ちになったりするんだよ。」
男の子を好きになるとか、そういった気持ちはまだよくわからない。そうえば、一度鏡夜くんに抱きしめられた時は、胸がドキドキしたけど、あれはきっと驚いたからだろう。鏡夜くんは面白い話をしてくれるし、一緒にいて楽しいし、だけど恋愛とかそういうのではないと思う。少なくとも、きっと今はまだ…。
難しそうな顔をしていた私に、お母さんは「まぁもうちょっと大人になったら分かるようになるよ。それより、スイカ冷やしているから食べようか。」とシャワーのホースを片づけた。
「やったー!」
お母さんその言葉だけで、私の心は幸せになった。今はきっとよくわからない恋愛よりも、夏に食べる冷たいスイカの方が、私を幸せにしてくれるに違いなかった。
キンキンに冷えたスイカは、甘くてみずみずしくてすごく美味しかったけれど、明日の試験でお腹を壊してはいけないから、二切れまででやめておいた。
今日の夜9時からは、昔のジブリ映画がテレビでやるらしい。でも明日は試験だから、お母さんに録画してとお願いして、早く眠ることにした。
闇祓い国家試験に無事に合格することが、今の私にとっては一番大事なことだ。じっかり自分のできるベストを尽くさなくては。
いつもより早くベッドに横になったけれど、緊張しているのか、なかなか眠りにつくことはできなかった。それでも我慢して、目を閉じてゴロゴロしていたら、いつの間にか眠りについていた。
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