第3話 私の決断

翌日の朝は、私の気持ちと同じような天候だった。どんよりとした黒い雲が空を覆い、先ほどからぽつぽつと雨が降っている。昨日は一睡もできなかった。晩御飯もあまり喉を通らなかったけれど、お父さんとお母さんを心配させたくなかったから、無理やりにでも飲み込んだ。それでも、やはり気持ちが顔に出ていたようだ。


お母さんは「どこか具合が悪いの…?」と心配してくれたけれど、「別に、何でもないよ…。」と答えてすぐに自分の部屋に上がった。お父さんも、次の日仕事に行く前に「何か困ったことがあったら相談してね。」と、私に内緒話をするように優しく言ってくれた。泣きそうになるのを我慢して、私は「何も困ってないよ。」と無理やりな笑顔を作った。一瞬、お父さんは困ったような顔をしたけれど、「そうか…言いたくなったらいつでもいってね。いってきます。」とほほ笑んで玄関を出て行った。


鏡夜さんとの約束の時間にはまだ早かったけれど、家にいても暗い気持ちになるから、近くの図書館へと出かけた。お母さんは「本当に大丈夫?なんかあったらすぐ連絡いれるのよ。」と言って、サンドウィッチを持たせてくれた。大丈夫ではなかったけれど、どうやって説明していいかわからなかったし、自分がどうしたいのかもわからなかった。


図書館までの道のり、水たまりを踏んでしまって靴の中がびちょびちょになった。暗い気持ちのまま図書館の端っこの席に座り、読みかけの本を手に取って読んだ。だけど全然内容が頭に入ってこない。確かこの本にも魔女が出てきたはずだ。これまでもたくさんの魔女が出てくる本を読んだ。たまに悪い魔女が出てくる時もあるけれど、私が好きなのは、可愛くて、素敵な魔法を使う魔女だ。私はそんな素敵な魔女になれるのだろうか…。もしも魔物に負けて、死んでしまったら…。


“ピローンッ”


暗い気持ちに沈みこみそうになっていた時、スマホの通知がなった。ロックを解除すると、そこにはゆずからのメッセージが届いていた。


“まいー。私は今、家族と旅行で沖縄に来ています。沖縄はあっついよー!だけど、海はきれいだし、マンゴーもパイナップルも美味しいし、すっごく素敵なところだよ。初めての飛行機も、目の前に白い雲が浮かんでてすごかった。降りる時に耳がキーンってなったけどね。”


そして飛行機の窓から撮った大きな雲の写真と、綺麗なエメラルドグリーンの海の写真が送られてきた。


“今はまだ難しいかもだけど、もう少し大人になったら一緒に沖縄いこうね!…いや、お母さんやおばあちゃんくらいの年になっても、一緒に色んなところにお出かけしようね!”


ゆずからのメッセージを見た瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ落ちていた。

そうだ…。私とゆずはこれからもずっと一緒だ。お母さんやおばあちゃんの年齢になったって、私たちはずっと幸せに過ごすんだっ!魔物だかなんだか知らないけれどっ、そんなものに私たちの幸せをなくされてたまるかっ!


気付いたとき、私は傘もささずに学校へと走っていた。雨は午前中よりも少し強くなっていたようだけど、走っている間は顔にぶつかる雨粒も全く気にならなかった。

小学校の正門の近くには、桜の木の下で傘をさしながら、昨日と同じように難しそうな本を読んでいる鏡夜さんの姿があった。


「おっ、覚悟は決まったのかい?」


私が水たまりを足で弾く音に気付いて、鏡夜さんは本から目を離して言った。昨日よりも本のページはかなり進んでいる。


「覚悟なんて……、できてないかもしれない。」


私は自分の声が震えているのに気が付いた。


「だって…怖いよっ!怖い魔物と戦うのだって、幸せがなくなっちゃうことだって、全部すっごく怖いっ!」


雨が頬を流れていくのと同じくらいに、私の頬には涙がたくさん流れていた。


「だけどっ!魔物かなんだか知らないけどっ!何もせずに、何も知らないままっ、ゆずと私の幸せがなくなっちゃうのはもっと怖いっ!!」


鏡夜さんの方をじっと見た。彼は傘をさしたまま、じっと私を見つめている。歯がガチガチ鳴りそうなのをかみ殺して、私は雨を吹き飛ばすような大声で言った。


「だからっ!!わたしはっ…自分のこともっ…!ゆずのこともっ…!!ぜっっっったいに守れるようなっ!!素敵な魔女にっ!私はなりますっ!!!!!!」


高らかに宣言した私を見て、鏡夜さんはにやっと笑った。そして次の瞬間には、「よく言ったっ!」と言って駆け寄り、震える私の体を抱きしめた。


「……えっ?」


「君はやっぱり強い心を持ってるね。それに聡明だ。君ならきっと素敵な魔女になれる。それに何も怖がらなくて大丈夫だっ!僕が君を守るよ。」


男の子になんか、ぎゅっと抱きしめられたことがない私は、雨でぬれてさっきまで震えるほど寒かったのに、一気に体が熱くなるのを感じた。


「あっ…あのっ…!」


「うんっ?どうした?何やら顔が赤いけれど…雨でぬれて風邪を引いたのかい?」

鏡夜さんは慌てて肩にかけていたカバンから、ふわふわしたタオルを取り出した。

「熱が出たら大変だ…。」といいながら、鏡夜さんは私の頭を、濡れた子犬をふいてやるようにわしわしと拭いた。


「いやっ…、そうじゃなくて…。」


「どうしたんだい?」


「だからっ…。ちょっと…恥ずかしいです…///」


両手で私の頭をふく鏡夜さんの顔は、私の顔のすぐ目の前にあった。近くで見ると、鏡夜さんは、とっても大きな瞳をしていて、その中に星が散りばめらているようにきれいに輝いている。


「あっ…ごめんっ!つい僕は…熱い思いや、素敵な心を持った人の姿を見ると、つい自分も熱くなっちゃって、距離感がわからなくなっちゃうんだよ。」


我に返って少し恥ずかしそうにする今の鏡夜さんを見ると、彼もまだ年相応の子供らしい男の子なんだなって気持ちが湧いてきて、つい私は笑みがこぼれてしまった。


「すまない。でも、僕は君の熱い言葉に感動したんだ。君が魔物にやられないように、幸せを奪われないように、僕も全力を尽くす。ただそれだけだよ。」


「あっ、ありがとうございます!」


「今日はもうお家に帰りな。濡れたままだと本当に風邪を引いてしまう。詳しくはまた後日…、ちなみに、まいは自分のスマホを持ってるかい?」


鏡夜さんの問いに、私は「はい。」と答えて、ピンクのスマートフォンを手渡した。


「最近の子どもはもうスマホ持ってるんだなぁ。」


「鏡夜さんだって、子どもじゃないですか。」


私が突っ込むと、鏡夜さんは「君よりは一年大人だよ。」といじわるそうに笑った。


「たった一年だけじゃないですか。」


少し頬を膨らませて私は不満気に言った。


「まぁまぁ、はい。僕のアカウント登録しといたから。闇祓い国家試験について詳しいことは、またスマホで連絡するよ。こういった事務連絡みたいなものは、テキストで説明した方がわかりやすいからね。それじゃまた、気を付けて帰ってね。」


「はい。ありがとうございました。」


鏡夜さんに背を向けて帰ろうとすると、「あっ、最後に一つだけ。」と呼び止められた。


「えっ、何ですか?」


「君の言うことにも一理ある。僕とまいは、たった一年しか違わないんだ。これからは鏡夜って呼び捨てでいい。」


「鏡夜……くん。」


「まぁ呼び捨てにしにくいなら、くん付けで呼んでくれていいよ。鏡夜さんと呼ばれるよりはベターだ。あと敬語も使わなくていいから。」


鏡夜さんは大人っぽいから、敬語で話してもいいと思うのだけれども…。まぁこれからは鏡夜くんって呼ぶことにしよう。


「っじゃあ、今度こそさようなら。まい。」


「うん。さようなら。鏡夜くん。」


家路まで帰る途中で、雨はやんで遠くの空には少しだけ晴れ間も見えた。私の心も重たいどんよりとした気持ちはなくなっていて、どこか軽やかな気分だった。


家に帰ると、お母さんが玄関で出迎えてくれた。びしょ濡れの私をみて、とても驚いた様子で「なんでこんな濡れてるの!?風邪ひいちゃうじゃない!」と、慌ててバスタオルを持ってきた。洗濯したてのバスタオルで、心配そうな顔になってわしわしと拭いてくれるお母さんを見て、私は嬉しくて笑顔になった。


「あら…この子ったらなんで笑ってるのかしら。もう、心配かけてこの子は~!」そう言いながら、お母さんは私の脇をこちょこちょとこそばしてきた。


「ちょっとっ、やめてっ!はははっ!駄目だってっ!ごめんっ、おかあさん!」


私がこしょばくて笑っているのを見て、お母さんはほっとした様子で私の頭をなでた。


「昨日から元気が無さそうだったけど…もう大丈夫みたいね。すぐあったかいお湯くんであげるから、早くお風呂いっておいで。」


「はーい。」


玄関で濡れた靴下を脱いで、そのまま洗面所に向かった。洗面所にある大きな鏡に自分の像が写った。きっと髪がびしゃびしゃだし、昨日寝不足だったから疲れた顔をしているかなと思ったけど、鏡に映った自分の顔はどこか晴れ晴れとした、悪くない顔をしていた。


湯気が立ち込めるお風呂に入り、身体の芯までゆっくりとぬくもった。お風呂に入るという文化を作った日本人は偉いなぁ。


お家に帰ってから、すでに私は多くの幸せを感じている。

お母さんが玄関で出迎えてくれて、濡れた体を拭いてくれて、こしょばされたのはちょっと嫌だったけど、お母さんがお風呂を汲んでくれて、あったかいお風呂にゆっくりつかって、私は今、幸せを感じている。


これからもずっと幸せを感じて生きていきたい。だからこそ、私は強くならないといけない。


お風呂から上がると、私のスマホが緑色のランプを点滅させていた。誰かからメッセージが来ているというサインだ。鏡夜くんからだろうか。


ロックを解除すると、見慣れないアイコンの人からのメッセージがポップアップされた。可愛らしいトイプードルのアイコンの横には、Kyouya Shirogane という名前がある。あまり鏡夜くんらしくない可愛いアイコンだが、確実に鏡夜くんからのメッセージであった。



“闇祓い国家試験についての連絡”


・試験の日程は八月二十日の土曜日。

・試験の会場は北野生田神社の敷地内。

・試験の合否はとにかく、自分の『想像の力』を上手く使えるかどうかで決まる。

※それまでに一緒に特訓してあげるけど、一人で勝手に『想像の力』を使ってはダメ。

取り急ぎご連絡まで、何か質問があればどうぞ。



「本当に業務連絡みたいなメッセージだな…。」


もうちょっと可愛らしく、絵文字とスタンプとか使ってくれてもいいのに。でもまぁ、それは鏡夜くんには似合わないか。


“どうしてトイプードルのアイコンなんですか?”


質問どうぞと書いてあったので、最初から気になっていた質問を送ってみた。すると五分ほどたって、鏡夜くんから返信がきた。


“家のペットのケルベロスです。そんなことよりも、もっと他に質問するべきことがあるだろう。”


くだらない質問に、律儀に犬の名前まで教えてくれるところが鏡夜くんらしい。ケルベロスという名前に思わず笑ってしまった。なんでこんなに可愛いトイプードルなのに、そんな強そうな名前をつけたのかが気になったけど、それを尋ねると怒られそうだったから、他の質問をした。


“『想像の力』の特訓っていつやるの?”


私が質問を送信すると、今度はすぐに既読のサインがついた。


“なるべく早いほうがいい。できるなら、明日からがんばろう。”


明日からか…。努力して力を上手に使えるようになるなら、もちろん私だって一生懸命がんばりたい。


“明日、夜は塾があるから、午前からなら大丈夫だよ。よろしくお願いします。”


メッセージのあとに、ネコがお辞儀をしているスタンプを送った。


“っじゃあ、明日の朝九時に学校の裏山集合で。僕はちなみにネコより犬派です。”


メッセージのあとに、犬がお辞儀をしているスタンプが送られてきた。鏡夜くんはどちらかというとネコっぽいけど、犬の方が好きなんだ…。


今日はお父さんが早く帰ってきた。夕飯は私の大好きなお母さん特製カレーライスと唐揚げだった。三人家族そろって夕飯を食べる。やっぱりこんな幸せが続くことは素晴らしいことだ。


ついつい夏休みは夜更かしをしてしまうことが多いけど、その日は明日に備えて早く眠ることにした。一体どんな特訓をするのだろう。まるで自分が本の中の主人公になったような気持ちがして、少し胸がどきどきした。けれど、今日も一日がんばったから、布団に入って横になると、いつの間にかぐっすりと眠ってしまっていた。

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