第2話 魔物と異世界と仮想の力
“ミーン、ミンッミンッ、ミーン!!”
夏休みの朝は、目覚まし時計のアラームじゃなくて、アブラゼミの鳴き声で起こされる日が多い。それか、お母さんの「夏休みだからって、いつまで寝てるのっ!?」という大きな声で起こされるかのどちらかだ。
目が覚めて手のひらサイズのピンクの目覚まし時計を見ると、時刻は朝の九時前だった。リビングに降りると、お父さんもお母さんも既に仕事に出かけていた。大人は夏休みも仕事しないといけなくて大変だな…。
家族でいつも夕飯を食べるテーブルには、目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコン、食パンが乗ったお皿がおいてある。その傍にはお母さんの書置きメッセージが添えられていた。
“夏休みだからって、あんまり寝てばかりじゃ駄目だぞっ!昨日はちょっとお疲れみたいだったから、今日は許してあげるけどね。お昼は冷蔵庫に昨日の残りがあるから、チンして食べてね。”
いつも忙しそうにしているのに、こういうところもマメなお母さんだ。テレビのチャンネルをつけると、夏休みを家で退屈している子供向けられたアニメの再放送が流れていた。それを見ながら、お母さんの作ってくれた朝食を食べる。
夏休みの宿題を少し頑張って、冷蔵庫のご飯をチンして食べた後、鏡夜さんとの約束の時間に間に合うように学校に向かった。
正門の近くの大きな桜の木の下の影で、鏡夜さんと思われる人物は静かに本を読んでいた。
「すっ、すみません!鏡夜さんですよね…?ごめんなさい、お待たせして…。」
鏡夜さんと思われる人物は、私の声で本から目を離し、夏のギラギラした太陽に照らされる私の顔を見上げた。
「いや、僕もさっき来たところだよ。」
私と一つしか年は違わないはずなのに、大人っぽい穏やかな声で鏡夜さんは答える。
「えーっと、本当に…鏡夜さんですよね。」
私がそう尋ねたのも無理はない。昨日見た銀髪でヴァンパイアの仮装をした男の子と、今目の前にいる男の子は、かなりタイプが違う…というか、髪の色がまず違う。長さはやはり男の子にしては長めだけど、艶のある黒い髪だ。襟のついた青色のシャツを着て、眼鏡をかけている。
「あぁ、もちろん鏡夜さんだとも。普段はこんな格好だよ。昼間にあんな恰好してたら、不審者に間違えられちゃうでしょ?」
「えっ、でも…髪の毛は?」
「あぁ、あれはウィッグだよ。簡単にいうとカツラだね。」
「ウィッグ…?なんでそんなのを…?」
どうしてそんな物を被ったりしてるんだろう…。いまいち要領が掴めない。
「僕のヴァンパイアのイメージに近づくためさ。色々説明すべきことが山ほどあるから、ちょっと場所を移そうか。」
私と鏡夜さんは学校の近くの喫茶店に入った。
「ホットのブラックを一つ。まいは何飲む?」
メニューを渡されたけど、喫茶店なんて一人で入ったことのない私はあたふたしながら、「抹茶ラテを一つ…。」とオーダーした。
「さて…、何から話そうか…。」
鏡夜さんは腕を組みながら少し頭をひねり、何かを考える仕草をしている。
「あの…、昨日の真っ赤な鬼は、一体何なんですか。」
「あぁ、昨日のあの鬼かい。日本の妖怪、西洋の妖怪、悪霊、怪物、それら全てをまとめて『魔物』と僕らは呼んでいる。」
「魔物…ですか?」
「あぁ、怪物や悪霊などの魔に潜むものが、魔の者、魔物と呼称されるようになったのは、僕たち闇祓いが、正式に政府の管轄組織になってからだよ。」
普段聞きなれない単語を、私は必死に頭で整理する。
「えーっと、闇祓いっていうのは…。」
「昨日少し説明したと思うけど、闇祓いは世界の国々を守るために結成された組織だ。いわゆる秘密結社かな。薔薇十字やイルミナティ、うーん、フリーメーソンっていったら分かるかな。」
残念ながら、どれもよくピンとこない…。
「ようするに、世間の人には知られてなくて、陰でこそこそと、何かを企んでるグループの一員ってことですか。」
「まぁ概ね正解だよ…。そう言われるとちょっとイメージ悪いから弁明するけど、一応世界のトップレベルの人たちには知られているれっきとした組織だ。秘密になっているのは、普通の人たちには魔物が目に見えないからだよ。」
普通の人には見えない…。そうえば、昨日私もあの鬼の姿を最初は見えなかった。
「最初私はあの鬼…魔物が見えなかったんですけど、どうして途中から見える様に…。」
「あぁ、まいは、鬼を見える様になった瞬間を覚えているかい?」
鏡夜さんの問いに、私は昨日の出来事を思い出す。あれはたしか…。
「確か…私が鬼に掴まれたときです。」
「そうだね。人の中には、生まれ持って霊感の強い人と弱い人がいる。霊感の強い人が魔物と出くわして、直接的な接触を経験すると、それがトリガーになって霊能力が覚醒することがあるんだ。」
なるほど…。ということは、私は霊感が強い方なのだろうか。
「まいの親戚の人に、霊感が強い人はいるかい?」
「あっ、そうえば…私のおばあちゃんが霊感が強かったらしいです。お父さんとお母さんはそうでもないと思うけど…。」
「多分まいの霊能力は、おばあちゃんから引き継いだんだろう。隔世遺伝といって、まいの両親に霊感がなくても、おじいちゃんやおばあちゃんに霊感があれば、孫の世代にそれを引き継ぐことがある。」
なんかまた難しい言葉がでてきた。でも、大好きなおばあちゃんから霊感を引き継いだのなら、それはちょっと特別で、とても嬉しいことだ。
「なんにしても、まいは霊感を覚醒させて、仮想の力を得た。」
「『仮想の力』って?」
「仮に想像すると書いて仮想の力…。つまり、イメージする力のことだよ。稀に霊感の強い人は、イメージしたことを現実にする力を持つ。それが『仮想の力』だ。ちなみに、僕がヴァンパイアの仮装…こっちは服装の仮装だけど、ヴァンパイアの恰好をしていたのは、イメージする力を高めるためだ。」
なるほど。仮想の力…というのを私は持っているらしい。昨日私がイメージしたもの…私は学校の箒を魔女が空を飛ぶ箒、指揮棒を魔女の杖だとイメージした。
「ということは、私は魔女だって仮想することで、昨日箒で空を飛べたってことですか。」
私の言葉に、「察しがいいね。五年生にしては賢いじゃないか。」と鏡夜さんはブラックコーヒーを口に含んだ。少し馬鹿にされているみたいで嫌な感じだけど、鏡夜さんは知識も経験も私より、ずっとたくさん持っているみたいだ。よくブラックコーヒーなんて苦いのを飲めるなぁ…大人みたいに見える。
「それにしても、いきなり空を飛べるなんて、昨日僕は本当に驚いたよ。仮想の力を使えるなんて、すっごく珍しいんだ。霊感があるだけじゃなくて、すごい想像力、イメージする力が必要だからね。」
どうやら私が仮想の力を使えたことは、結構すごいことのようだ。力があるというなら、それを何か素敵なことに使ってみたい。もう一度空を飛んでみたい…。そんな思いが頭をかすめた。
「もしよかったらだけど、まいも闇祓い国家試験を受けてみないか?」
「…へ?闇祓い国家試験?試験なんてあるんですか?」
間の抜けた返事を返す私に、鏡夜さんはとても大切な秘密を告げるように、声を落とした。
「もし、君がもう一度『仮想の力』を使いたいと思うのなら、この試験を受ける必要がある。」
「えっ、そうなんですか。勝手に使ったらダメなんですか?」
「そりゃ、そうだろう。『魔物』の存在も、『仮想の力』の存在も、一般の人たちには知られていない。自分たちには目に見えない魔物がいるなんて情報が明らかになると、みんなパニックになるだろう。『仮想の力』だって、それを誰かが好き勝手に使ったら、みんな混乱して世界の秩序が乱れる。」
「も、もし…勝手に力を使ったら…どうなるんですか?」
恐る恐る尋ねた私の質問に、鏡夜さんはわざと怖がらせるような冷ややかな声で答えた。
「そうだね。自分の力をコントロールできないまま無理に力を使ったり、自分の欲望で勝手に力を使ったりする人は、他の闇払いたちから追われる立場になる。もし捕まったら、死ぬまでずっと…暗くて冷たい牢屋で過ごすことになるだろうね。」
「えっ…。」
「力を持つものには、常にそれに応じた責任が付きまとうんだ。」
鏡夜さんは真剣な表情だ。彼の声からは少し重々しい声音がした。
「君なら受かると思うよ。素質があると思う。それに正式な闇祓いなるとメリットだってたくさんある。」
メリット?どんないいことがあるのだろう。闇祓いになるということは、昨日見たこわい鬼みたいな『魔物』と戦うってことだろう。それに見合うメリットなんてあるのだろうか。
「魔物にはそれぞれランクがあるんだ。昨日見た鬼、オーガとも言うけれど、あれの首には緑の首輪がされていただろう?」
そう言われるとそうだった気がする。薄暗くてよくわからなかったけれど、確かに何か首輪みたいなものがついていた。
「あの首輪はサタンへの忠誠の証で、あのリングをつけている『魔物』を倒すことで僕たちはポイントがもらえるんだよ。」
「えっ?サタンって確か、すごい強い悪魔とかでしたよね…。それに、ポイントって?」
次から次に知らないことが出てくる。そりゃそうか…。私は普通の人が知らない未知の世界、秘密の世界に足を踏み入れようとしているのだから。
「サタンはまいの言う通り、絶対的な悪の存在、空中の権を持つ君、不従順の子らの中に働いている霊とかって聖書では言われているけれど、簡単にいうと悪の親玉だと考えてくれたらいいだろう。サタンと戦っている相手がいるとしたら、それは誰だと想像する?」
私は頭をひねったけれど、サタンと戦っているのは誰かって言われても、すぐに答えは出てこなかった。これまでの話からすると、魔物と戦っているのは闇祓いの人たちのはずだ。
「うーん、闇払いの人たちなのでは?」
「そうだね…。半分正解で、半分間違っているかな。」
鏡夜さんは、よくこのフレーズを多用するようだ。相手を全て否定するのではなく、相手の意見を半分受け入れて、半分を否定する。この言い方は、どこか彼の人柄を表しているようにも思えた。
「確かに闇祓いの人たちは、サタンの手下である魔物と戦っている。けれど、僕たちは別にサタンを倒そうとしているわけじゃないんだ。サタンと戦っているのはね…神様だよ。」
とてもシンプルな答えだった。サタンという存在がある以上、神様だって存在したって何もおかしくはない。
「神様はサタンを滅ぼしたいけれど、そう簡単には上手くいかない。サタンは悪そのものだから、それに付き従う悪い魔物もどんどん増えて、悪の勢力が膨らんでいった。そこで神様は人間たちの力を借りることにしたんだよ。」
私がイメージしていたよりも、ずっと規模の大きな話になってきた。鏡夜さんが私をからかって嘘をついているのかなと思ったが、話の筋は通っているようだし、何よりそんなでまかせを私に説明するメリットが全く持って存在しない。
「サタンには到底歯が立たない人間だが、その手下の魔物には対抗し得る力を持つ者がいることを知った神様は、人間に交換条件を差し出した。」
「交換条件…?」
「倒した悪魔の強さに応じて、倒した人間にポイントを与える。そのポイントが百点を超えたら、好きな願いを一つだけかなえられる。」
「好きな願いを一つだけ…。」
それは多くの人間にとって、とても魅力的なメリットだろう。誰しも生きている限りは、何かしらの欲望を抱えて生きているということは、まだ小学生の私にだってよくわかる。
「お願いって何でもいいの?」
「そりゃ、相手は神様だからね。何でも願いをかなえてくれるだろう。きっと…。」
“死んだ人間を生き返らせることだって…。”
何でも願いをかなえてくれる…。鏡夜さんは最後にぼそっと何か呟いたが、私にはその言葉は聞こえなかった。
「あの…。大体の事情は分かってきたんですが。いくつか私から質問があります。」
そう言って手を挙げた私に、「はい。まいさん、質問どうぞ。」と先生が指名するように鏡夜さんは言った。
「昨日学校の音楽室が、めちゃくちゃになったと思うんですけど大丈夫でしょうか?あと昨日家に帰った時、私が感じていたよりも、時間がぜんぜん経過していなかったのはなぜ?」
私は疑問に思っていたことをそのまま質問した。「あー、そのことね。」と鏡夜さんはコップの中身を混ぜるように回しながら答えてくれた。
「まず一つ目の質問だけど、昨日いた鬼が暴れていた音楽室は、僕たちが今生きている現実の音楽室じゃなくて、仮に創造された音楽室なんだ。」
「はい?」
説明がよくなかったと鏡夜は、少し頭をかたむけた。
「えーっと、そもそも魔物っていうのは、異世界に存在する生物だと認識してほしい。それはいいかな?」
「うーんと、はい。魔物は異世界の存在…。」
頷いた私を見て、鏡夜さんは話を続けた。
「異世界の存在であるはずの魔物がどういうわけか、こちらの人間の住む世界に顔を出すことがある。その時に、本来相容れないはずの別の空間同士がぶつかって、時空の歪みが生まれるんだ。…ここまで大丈夫かい?」
「まぁ、なんとか…。」
なんだか難しい話だなっ、という気持ちが顔に出ていたようだ。鏡夜さんは本当かな?と訝し気に私の顔を見てから説明を続けた。
「本来異世界の住人であるはずの魔物がこちらに現れた時、こちらの世界でも、あちらの世界でもない異空間が出現する。昨日僕たちが鬼と戦っていたのは、その異空間での出来事なんだ。」
「なっ、なるほど…。いまいちよくわからないです。」
私が目を丸めてそういうと、鏡夜さんは頭を抱えて「まぁ…いいか。」とうな垂れた。
「とにかく、見た目はこちらの世界と全く同じだけれど、魔物が現れるのは現実とは別の場所の出来事。だからそこで物が壊れても、こっちの物は何も変化しないし、時間の進み方もこちらとは違うんだ。わかった?」
「分からないですけど、とにかく音楽室は大丈夫で、時間はゆっくり進んでたってことですね?」
「ようするにそういうことだ。」
鏡夜さんは、なんとか分かってもらえたという表情で、安堵したように笑った。
「それで…、闇祓い国家試験はどうする?受けるかい?」
「えっ…。」
いきなりすぎてどう答えたらいいのかわからない。戸惑う私に、鏡夜さんはわかりやすく説明してくれた。
「君には今二つの選択肢がある。一つは、闇祓い国家試験を受けて、自分の力を使って魔物と戦う。もう一つは、二度と『仮想の力』を使わないと今ここで約束して、ただの人間として今まで通りの生活を生きる。」
「いや、そう言われたって…。私にはどうしたらいいか…。」
困惑する私に、鏡夜くんは少し考える時間をくれた。
「僕は闇払い国家試験を受けることを勧めるね。昨日ゆずって子が危なかったように、『魔物』は人間にも害を与える。自分の力を堂々と使って街を守り、自分の願いを叶えることだってできる。そして僕が普通に学校に通っているように、異次元空間での出来事だから、今までの生活にもそこまで大きな支障はないよ。」
つらつらと言う鏡夜さんに、私は少し苛立ちを覚えた。彼の説明には大事なことがぬけている。
「もしも…、異次元空間で…死んでしまうようなことがあれば、どうなるんですか?」
鏡夜さんは、喫茶店の窓から見える遠くの山に目をやった。少し彼の瞳が暗くなった。
「そりゃあ…死ぬよ。といっても、生命としての死じゃない。あくまで精神の死だ。」
精神の死…?なんだそれは、という私の心中を察したかのように、鏡夜さんは説明した。
「精神の死っていうのはね。心を失うってことだ。友達と話して楽しいとか、美味しい物を食べて幸せだとか、そういったプラスの感情をもてなくなる。残るのは悲しいとか、辛いとか、いわゆる絶望だけが胸に残る。」
えっ…、そんなの絶対に嫌だ。いくら願いが叶うからって、特別な力がつかえるからって、異次元空間で死んだら、現実世界で幸せを感じらないなんて嫌だ。鏡夜さんに告げるべき答えは決まった。
「私は二度とこの力を…」
そこまで言った私の言葉を、鏡夜さんは途中で遮った。
「ごめん。あと一つ言うことを忘れていた。ひどい事件を起こした犯人がよく、『魔がさした』っていう言葉を使うだろ。あれはまさにそのままの意味だ。魔に捕らわれた人間は、生きる希望を見失って、他人にひどいことをしてしまったり、もしくは自分にひどいこと…いわゆる自殺だね。そんな行為をしてしまうんだよ。」
そこまで言うと、鏡夜さんはコーヒーを一口含み、私の目をじっと見て続きを語った。
「そして残念なお知らせだが、一度魔物と関わった者は、今後も数年は魔に捕らわれやすい。つまり、まいもゆずも、当分の間は魔物に狙われる可能性が高くなる。」
その言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になった。私もゆずも、これから魔物に狙われる可能性が高いだって…。そんなのどうしたらいいんだ。
「そんなのっ…!だったら、私はどうしたらっ…?」
「だから僕は最初から言ってるじゃないか。闇祓い国家試験を受けることを勧めると…。自分も、その周りの人たちも、与えられた力を使って自分で守る。そして自分の願いを叶える。それが一番の選択肢だって言ってるんだよ…。」
鏡夜さんの言っていることはわかるけれど、闇祓いなったら危ないこともいっぱい経験するだろう…。一生幸せを感じられないなんて嫌だ。
「そんな…、今すぐには決められない…。」
今にも泣き崩れそうな私の表情を見て、鏡夜さんは「もし試験を受ける覚悟ができたなら、明日、同じ時間に学校に来て。」と告げ、二人分の飲み物のお会計を済ませて帰ってしまった。
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