ハロウィンナイト
冨田秀一
第1話 夜の学校に現れるヴァンパイアの噂
「やっぱりやめようよ…。夜の学校に忍び込むなんて…。」
前を行くクラスメイトのゆずを呼び止めた私の声は少し震えていた。
「大丈夫だってば。夏休みのこんな時間なら、先生たちも絶対いないし…。」
どうして夜の小学校に忍び込むなんてこと思いつくんだろう。ゆずは私の言葉を軽く流し、校舎内をどんどん進んでいく。
ゆずが夜の学校に忍び込む計画を考えたのは、五年生の一学期の終わりの調理実習の時だった。ご飯と味噌汁を作るだけの簡単な実習。それが終わって、先生に家庭科室の窓を閉めるように頼まれたゆずは、家庭科室の一番奥の窓が壊れていて、鍵をかけられないことに気が付いた。
「……。先生、全部の窓閉め終わりました!」
「ありがとう。鍵もかけてくれた?」
先生の問いに対して、ゆずは「はい!もちろんです!」と元気に返事した。
運動場の隅の方にある通称『生き物ランド』の桜の木の裏には、誰が開けたのかは知らないが、子ども一人がくぐれるくらいの大きさの穴があいている。私とゆずはそこから夜の学校に忍び込み、壊れている家庭科室の窓から校舎内に潜入した。
夜の学校に忍び込んだ目的は、とある噂の真相を突き止めるためだ。
「夜になると…私たちの小学校に、吸血鬼が出るらしいね。」
「六年生の人が見たんだって。すっごいイケメンなヴァンパイアらしいよ。」
一学期の終わりを告げる終業式の日、私たちの学校ではその噂で持ちきりだった。
忘れ物を取りに来ようとした六年生が、夜の学校の校舎の窓にヴァンパイアの恰好をした人影を見たという。私はあまりそんな噂は信じない方だけど、ミーハーのところがあるゆずは、その噂の真相を確かめに親友の私を誘って今に至る。
「何の音もしないね…。」
図工室前の廊下を歩きながら、ゆずは耳をそばだてるようにしながらぽそりと呟いた。恐々と私も周囲の安全を確かめながら歩を進めた。
「そりゃそうだよ…。ちょっとゆず、遠くの方までいかないでよ。」
廊下の窓からは図工室の中が見えた。中庭の街灯の灯りで、壁に掛けられたゴッホやモネ、色んな有名の画家の肖像画が見える。なんでみんなぶすっとした顔で写っているんだろう。もっとニコって笑った表情をしたらいいのに…。
「あれ…?ゆず…?」
図工室から廊下へと視線を戻すと、前を歩いていたはずのゆずの姿が消えていた。
「ちょっと…、ゆず?冗談はやめてよ…。」
きっとそこの廊下の角を曲がったところに隠れて、私を驚かせようとしているんだ。廊下の角のところから、人の気配もする。私は逆にゆずを驚かせてやろうと、忍び足で廊下の角まで近づいた。廊下の角から私は一気に姿を現して、「わあっ!」と声を出して驚かせた。
「うわぁっ!?誰だよ!?」
確かに廊下の曲がり角の先には人がいた。しかし、その声は私の聞きなれたゆずの声ではなく、もっと低い男の子の声だった。
「あれ!?ゆずじゃない…!?」
目の前に現れたのは、私よりも少し背の高い男の子だった。男の子にしては少し長い銀髪の髪、黒いジャケット…いや背中の生地が長いからマントっていうのか。手には白い手袋をはめていて、腰には長い剣のようなものをぶら下げている。
廊下の角からいきなり登場した私に驚き、あっけに取られたように口をあけて私を見ている。彼の口からは、長い八重歯が月の光に照らされている。
「ひっ…、もっもしかして…、ヴァンパイア!?」
どう考えてもやばい状況だ。とにかく逃げなければ…。反対方向を向いて走りながら、助けを呼ぼうとした瞬間、私の口はやわらかい布で押さえつけられた。
「こらこら、でかい声出すのは止めてくれよ…。びっくりするじゃないか。」
先ほどのヴァンパイアの恰好をした男の子の声だ。どうやら私の口は彼の手でふさがれているようだった。でも、私と彼の間にはある程度の距離があったはずだ。そんな一瞬で私の口をふさぐなんて、普通の人間にはできっこない。
「僕は君に、危害を加えるつもりはないよ。叫ばないって約束してくれるなら、この手を放すけど…約束してくれるかい?」
私の口元を押さえている少年の手は、人間の手とは思えないほど冷たかった。でも彼の声は、先生が子どもをなだめるような、どこか温かい優しい声だった。
その声を聞くと、なぜか私の心から恐れは消えていき気持ちは和らいだ。彼の問いに、私は黙って頷いた。
「手荒なことをして悪かったね。でも、あまり大きな声で叫ばれても困るから、仕方なかったんだ。」
申し訳なさそうに、ヴァンパイア姿の少年は頭をさげた。
「いっ、いえ…。あなたは…噂のヴァンパイアなんですか…?」
緊張した声音で、私はおそるおそる尋ねてみた。
「六年生だけじゃなくて、五年生にまで噂が広がっているのか…。全く、桃子のやつ…。」
学校内でヴァンパイアの噂を広めたのは、確か六年生の桃子というその人だ。噂を広めた人を知っているということは、彼もこの学校の生徒なのだろうか。そうえば、銀髪にヴァンパイアの姿だから気づかなかったが、六年生の男の子に、彼に似た顔の人がいたような気もする。
「もしかして、あなたはこの学校の生徒ですか?」
私の声はもう震えていなかった。ヴァンパイア姿の彼は、視線を私に向けて答えた。
「そうだよ。六年一組の白銀鏡夜だ。色の白と銀で白銀、鏡に夜と書いて鏡夜。君の名前は?」
「私は五年二組の西森まいです。方角の西に森で、まいはなぜか知らないけれど平仮名です。」
彼の丁寧な自己紹介に応じて、私も自分の名前をどういった文字で書くのかまで説明した。
「なんか…銀とか鏡とか、ぴかぴかした名前ですね。」
私は思ったことをぽろっと口にしてしまった。人の名前にあれこれ言うのは、少し失礼だったかもしれないと、言ってしまってから後悔した。
「ははっ、面白いことを言うね。えーっと、西森さんでいいかな?」
「うーん…、みんな私をまいって呼ぶので、下の名前を呼び捨てで構いませんよ。」
「そっか。僕の名前は、なかなか皮肉のこもった名前らしいよ。銀とか鏡とかってヴァンパイアはあまり好まないからね。そんなことより、まいは他にもっと尋ねたい事があるんじゃないのかい?」
鏡夜さんの言葉に、私はずっと聞きたかった質問をした。
「そうですね…。あの…ちょっと言いづらいのですが…。今日はハロウィンじゃないですよ。ハロウィンは十月の最後の日です。なんでそんな恰好を…?」
今日は七月の最後の日だ。夏真っ最中にヴァンパイアの仮装をするなんて、ちょっと鏡夜さんは頭がおかしい人なのかもしれない。
「うん…そうだね、そう思うのも無理はないね。」
鏡夜さんは自身のマントを、パタパタとたなびかせて語り始めた。
「そもそもハロウィンとは何なのか、君は知っているかい?」
「えっ、外国のお化けに仮装するお祭りじゃないんですか?それでお菓子をもらう…。」
私の知る限りでは、ハロウィンはみんな楽しそうに仮装をして、いろんな人からお菓子をもらいにいくといったお祭りのはずだ。
「うーん、半分正解で、半分不正解ってとこかな。」
鏡夜さんは、今度はマントの赤いリボンをいじりながら語っている。
「もとはというと、ハロウィンはケルト民族って人達の儀式だったんだよ。十一月の前日に悪霊がやって来て、作物に被害をあたえたり、子どもをさらったりしていた。」
「へえーっ、そうだったんですね。」
私が思っていたよりも、鏡夜さんは頭がよさそうだ。色んな知識を持っている人を…博学?とかって言うんだっけ。
「村にやってくる悪霊たちを追い払うために、ケルト民族の一部の人たちは、ヴァンパイア、フランケンシュタインや狼男とか、色んな怪物に仮装をして、その怪物の力を借りて悪霊たちを追い払っていたんだよ。」
鏡夜さんは、次は腰にぶら下げた剣みたいな物をいじりながら語った。
「仮装をして悪霊と戦う人達は、基本的に霊感が強い人たちで、今でいう悪魔祓い、霊能力者やゴーストバスターなんかに変わっていった。僕たちは闇祓いという、一つのれっきとした職業として、今でも悪霊から人々を守るために活躍しているんだよ。」
立て板に水のように、鏡夜さんはスラスラと語った。
「それって…本当の話ですか…?」
悪霊を追い払うとか、霊能力とか…そんな話信じられない。
「信じるも信じないも人それぞれだけどね。でも僕の家族はみんな闇祓いだし、まだ半人前だけど、僕だって今こうして、立派な闇祓いになるために頑張っているんだ。」
私は鏡夜さんが、嘘をついてるようにも、頭がおかしい人のようにも見えなかった。
「それはそうと…何でまいは夜の学校なんかにいるんだい?」
「えっ…。」
そうだ。驚きの連続で、大切なことが頭から離れていた。
「あのっ…!ゆずっていう名前の女の子見ませんでしたか?」
私たちが校舎に入った家庭科室から、鏡夜さんと出逢ったこの廊下まではずっと一本道だ。私の前を歩いていたゆずも、鏡夜さんに会っている可能性は高い。
「いや、誰にも会ってはいないけれど…。」
鏡夜さんがそういった瞬間、校舎の二階から女の子の悲鳴が聞こえた。いつも隣で聞きなれた声、校舎の二階から聞こえた悲鳴はゆずの声だった。
「今の悲鳴は…?」
「ゆずの声ですっ!!」
ゆずに何かあったのかもしれない…。鼓動がバクバクと早く脈打つのを感じながら、私は校舎の二階への階段を駆け上がった。
二階の廊下は非常口の薄暗い照明に照らされていた。一番手前の音楽室の扉が開いている。きっとゆずはこの中にいるに違いない。私は音楽室に駆け込んだ。暗い音楽室の窓側に大きなグランドピアノが置かれている。月明りで照らされたグランドピアノの上には、力なく腕をだらりと垂らしながら、ゆずが仰向けになって倒れていた。
「ゆずっ!?」
ゆずに駆け寄ろうとした瞬間、鉄と鉄がぶつかるような衝撃音とともに、もの凄い風圧を感じ、私はその場にへたりと座り込んでしまった。
「えっ…?」
見上げると、腰に下げていた剣を抜き、空中から振り下ろされた何かを、剣で受け止めるような姿勢で鏡夜さんは立っている。何が起きたのかわからず唖然としていると、もう一度激しい衝撃音が聞こえた。物凄い大きなバットで、私の顔すれすれを誰かが思い切り素振りしたような風圧を感じた。鏡夜さんは私を庇うようにしながら、必至な形相でその衝撃に耐えている。
「早くっ…逃げろ!」
「嫌ですっ!ゆずを連れていきますっ!」
ゆずに這ったまま駆け寄ろうとすると、何か大きな手で掴まれるような感触がし、私の身体は空中に浮かび上がった。いや、間違いなくそれは巨大な手だった。私の身体をそのまま包み込めるほどの真っ赤な禍々しい手。私の身体と同じ太さくらいの腕の正体に目をやると、そこには音楽室の天井に届きそうなほど巨大な身体の鬼がいた。
「くそっ…。」
鏡夜さんが顔をしかめるような表情をした。何かから私を守ろうとしてくれていた鏡夜さんは、この鬼から私を守ろうとしてくれていたんだ。国語の教科書で読んだ、力太郎が振り回すような大きな金棒で、恐ろしい形相をした真っ赤な鬼は、鏡屋さんを押しつぶそうとしていた。トゲのついたその金棒を、鏡夜さんは必死に剣で受け止めている。
「おらぁっ!」
何とかそれを押し返した鏡夜さんは、私を掴まえている鬼の左手に切りかかった。コウモリの模様がついた輝く銀色の剣は、鬼の左手をスパッと切り落とした。その瞬間、私は真下にまっすぐ落ちる重力を感じたが、床に落下する前に鏡夜さんに抱きかかえられた。
「わかっただろ!いいから早く逃げろっ!」
子どもを叱りつけるような表情で、鏡夜さんは私に言った。
「いっ、嫌です。だってまだゆずが…。」
青白い顔で意識を失い、ピアノの上に横たわるゆずへと私は駆け寄った。
「大丈夫っ!?ゆずっ、目を覚ましてっ!!」
血の気の無いゆずの顔はとても冷たかった。しかし、彼女を抱きかかえると、弱々しいながらも彼女の心臓が脈打ってるのが分かった。
“ガキィィンッッッ!”
先ほどよりも一段と、さらにもの凄い金属音と衝撃が起こった。
腕を切られて怒った鬼は、金棒をもの凄い速さで激しく振り回している。それを鏡夜さんは、全て避けずに受け止めていた。いや、鏡夜さんは避けられないんだ。もし一つでも避けたら、後ろにいる私たちが鬼の巨大な金棒に潰されてしまう。私たち三人は、教室の角に追い詰められるような状況になっていた。
鏡夜さんの表情が苦痛に歪む。鬼の重い一撃が振り下ろされるごとに、鏡夜さんの体力は確実に削られていった。私は鏡夜さんが力尽きていくのを、ただただ見ていることしかできないのだろうか。鏡夜さんは、私たちを守りながら戦っている。完全な足手まといだ。
私たちがここから抜け出せれば…、そうはいっても、激しい攻防を繰り返す鬼と鏡夜さんの横を、ゆずを背負って通り抜けるなんてとてもじゃないができない。きっと通り抜けるまでに、鬼の金棒で潰されて死んでしまう。
何かできることはないかと、私はあたりを見渡した。近くにあるものは…教室前面の黒板、白と赤と青色のチョーク、音楽の先生がいつも使ってる指揮棒、ユズが横たわっていたグランドピアノ、教室の窓側の角におさまるようにピタッと置いてある掃除ロッカー…。
「そうだっ!」
私は、もうこれしか方法がないと思った。自分にできるかどうかなんてわからない。だけど、できるできないじゃない。ただできると信じてやるしかなかった。
仮装をすることで、その力を得られるんだったら、もしかしたら私にだって何かできるかもしれない。ハロウィンの仮装…ヴァンパイア、ミイラ男、オオカミ男…どれもちがう。もっと自分がイメージしやすいもの。不思議な力を得るというイメージが仮想できるもの。私が仮装できるものは…!
掃除ロッカーを開けて、先生がいつも使っている藁でできた大きな箒を取り出した。そして、先生がいつも使っている指揮棒を掴む。
私は急いで教室の窓を開けた。夏の夜の生温かい風が教室に入り込んでくる。ゆずを背中にかつぎ、箒にまたがった。
「私はっ…!魔女だっ!!」
地球の重力から解放されたように、ふわっと私とゆずの身体は地上から浮き上がった。そのまま箒に乗って、頭をかがめて窓から外に出た。
ひゅうっと夏の夜の風が下から吹き上げたが、今下を向いたら怖さで驚いてしまうだろう。でも、確かに箒にまたがって空を飛んでいる。
「鏡夜さんっ!私たちはもう大丈夫ですっ!」
私は二階の窓の外から、大声で鏡夜さんに呼びかけた。それに気づいた鏡夜さんは、ちらっとこちらを振り向いて、「…でかしたっ。」と笑った。
そこからは一瞬の出来事だった。大きく振りかぶった鬼の金棒を、さっと最小限の動きで躱した鏡夜さんは、目にもとまらぬ速さで剣を振りぬいて、鬼の右腕を切り落とした。
「まったくボコボコと、よくもまぁサンドバッグにしてくれたものだ…。うちの学校の後輩たちの前だし、もっとスマートに戦いたかったんだけど…。」
両腕を失った鬼は、たじろぐように後ずさりしている。
「まぁいいか…。激情に任せただけの攻撃には、重さが足りないよ。覚悟を持った思いのこめられた一撃は、もっともっと重いんだ。」
鏡夜さんは床に落ちていた鬼の金棒を拾った。
「ここは人間たちの世界だ。地獄に戻って…静かに眠れ。」
大きく振りかぶった金棒を勢いよく振り下ろした。床に叩きつけられた鬼の断末魔が聞こえ、鬼の身体は灰のようになって崩れ去っていった。
音楽室の中は水を打ったように静まり返っている。鬼が完全に消滅し、さっきまで冷たかったゆずの体温が、だんだんと上がっていくのを背中越しに感じた。
ゆずをかついで箒に乗っている私は、外に出た窓をもう一度くぐり、音楽室の中に入った。
「おつかれさま…。びっくりしたよ。まさか空を飛んじゃうとは…。」
鏡夜さんは涼しい顔で、私を見つめながらそう言った。しかし、その額には大粒の汗をかいている。かなり無理をさせてしまったようだ。
「えっ…えっと…。何がどうなっているのやら…。」
巨大な鬼に襲われて、鏡夜さんが助けてくれて、なんか箒で空飛んじゃって…夢でもみているのだろうか。頬をつねる私に、鏡夜さんは「夢じゃないよ。」とほほ笑んだ。
「今日は疲れたろう。早く帰りな…。詳しくはまた後日、ゆっくり話そうか。」
鏡夜さんにそう言われ、私は一人で家路へとたどり着いた。
学校に忍び込んだのは、たしか夜の七時すぎくらいだった。あれから、かなり時間が経ったはずだ。こんな夜遅くまで帰らなかったのがお母さんにばれたら、カンカンになって怒られるに違いない。
私のお家は、とても鮮やかな緑の屋根であること以外は、ごく普通の町中にありそうな一軒屋だ。お家の窓からは、リビングのオレンジ色の照明が漏れている。きっとお父さんも、お母さんも心配しているはずだ…。私は恐る恐る、玄関の扉を開けた。
「……ただいまぁ。」
「何時まで外出歩いてるのっ!?」というお母さんの怒号を予期していたが、お母さんは「あら、もう帰ってきたの?」と穏やかな表情で出迎えてくれた。
きょとんとする私に、お母さんは不思議そうな顔で尋ねた。
「今日はゆずちゃんと町内の盆踊りに行ってたんでしょう。もう盆踊り終わったの?」
可愛らしい動物たちがいっぱい描かれた、リビングにある掛け時計を確認すると、時刻はまだ夜の七時五十分だった。
「うっ、うん。まぁ…そんな感じ。」
ぎこちない私の返事に、お母さんは少し怪訝な顔をしたけど、「さっき沸かしたところだから、早くお風呂入っておいで。」と言って、台所の洗い物を始めた。
温かい湯船につかりながら、先ほどの夜の出来事を思い返す。
あれはやっぱり夢だったんじゃないだろうか。普通に考えたら、鬼とかヴァンパイアだとか、魔女とかそんなものが存在するわけない。でも、あの鬼に掴まれたときの痛み、箒で空を飛んだ浮遊感、どれも全部本物だったと思う。ゆずはあれからどうなったんだろう…。鏡夜さんがなんとかするからって言っていたけど。
お風呂から上がり、髪を乾かして自室へと入った。机に置いてある指揮棒が目に入った。音楽室の先生の指揮棒だが、握りしめたまま家まで持って帰ってきてしまったものだ。
「やっぱり、現実だよね…。」
自分の頬をつねってみる。当然だけどやっぱり頬は痛かった。
“ピローンッ”
指揮棒の隣に置いてある私のスマホが鳴った。五年生から塾に通うようになり、母が防犯のために、と持たしてくれたスマホだ。小学生の私にはまだ早いとも思うけど、塾の送り迎えでお母さんと連絡を取り合うのに使ったり、ゆずと楽しくメッセージのやり取りをしたりするのにとっても便利だ。
「誰からだろう…。」
スマホのロックを指でスライドして解除すると、画面にはゆずからのメッセージの通知がポップアップされた。
「あっ、ゆずからだ…。」
“まい!今日はほんとごめんっ!体調がよくなかったのか、部屋でずっと気絶してるみたいに寝てたらしくて、さっき目が覚めたの…。盆踊り一緒に行くって約束してたのに…本当にごめんっ!”
ゆずからのメッセージには、私への切実な謝罪の気持ちがこめられていた。町内の盆踊りの日に、学校に忍び込むという計画を立てたのは、ゆず本人のはずだ。しかし、文面を見る限りでは、ゆずは私と盆踊りに行くつもりだったらしい。それにずっと部屋で寝ていたというのもおかしい。今日の夜七時に、確実に私とゆずは出会ったし、盆踊りではなく学校に忍び込んだはずだ。
「一体、何がどうなっているのやら…。」
とりあえず、ゆずには“全然大丈夫だよっ”という旨の返信をした。その後何度も、“本当にごめん、怒ってない?”という不安そうなメッセージがゆずから届いたので、自分が全然怒ってなんかないという気持ちを文面で説明するのに骨が折れたが、十数回の同じような内容のメッセージのやり取りを経て、なんとか理解してもらうことができたようだ。
「明日のお昼に学校で、って鏡夜さんは言ってたけど…本当に来るのかな。」
明日学校に行ったらどうなっているのだろう…。今は夏休みだけれど、多くの先生たちは次の学期の準備や、飼育小屋のうさぎや植物のお世話などで、毎日学校に来て仕事をしているらしい。きっと、音楽室は鬼が暴れてめちゃくちゃになっているままだろうから、明日先生たちが学校にいったらパニックで大騒ぎするはずだ…。
そんな不安が頭をよぎったけれど、自分の思っている以上に疲れていたのか、ふかふかのベッドに横になっているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。
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