世界がどんなに変わっても
アカサ・ターナー
世界がどんなに変わっても
「行ってきます」
少年は挨拶をして家を出た。代わり映えのしない日常の始まり。代わり映えのしない挨拶。小さな一軒家から彼は学校へ歩き出していく。
現在では自宅に居ながら小型機器を用いた通信教育が常識であり、本来学校へ向かう必要はなかった。
しかし、通信による生徒間交流では対人交渉や情操教育に少なからぬ悪影響が生じるという教育用AIと教育委員会の判断により月に数回、通学することを義務付けられていた。
多くの学生にとってはありがた迷惑と受け取られている通学制度であるが、少年は少しばかり感謝している点もあり、悪し様には思っていなかった。
天候は晴天で爽やかな風が過ぎていく。少年は大きく息を吸いながら天を仰いだ。
かつて人々は科学が発展していけば車が空を飛ぶのだと予想していたという。
けれど晴れ渡った空には車は一台も飛んでおらず、替わりに円盤をはじめ奇妙な形をした乗り物――UFOと呼ばれていた飛行物体が飛び交っている。
宇宙に生命がいるのか、生命が存在するとして知的生命体がいるのか。UFOというのは宇宙人の乗り物か否かと議論されていた時代があった。
今では珍しくもない空を飛ぶ乗り物で、遭遇される度に騒がれた地球人と姿形が異なる異星人も、有名人でなければ街中で見かけてももはや振り向く地球人はいないだろう。
少年もまた――すでに未確認ではないが――UFOや異星人など珍しくもないためすぐに視線を地上に戻した。
通学路は舗装されており、道路を走る車も完全自動運転自動車であるため普通に歩いているだけでは交通事故に遭う事もない。安全極まる通学である。
そんな安全などまやかしであると言わんばかりに少年の前に何かが飛び出してきて、あわや接触事故を起こしかけた。突然の出来事に心臓が早鐘を鳴らすのを宥めながら彼は目の前に飛び出してきたそれを睨み付けた。
「おはよう! 相変わらずしけた顔だなお前は!」
そこに居たのは一人の少女だ。それも大昔にテレビ――かつて存在した放送機器――で放送された魔法少女と呼ばれる不可思議な衣装を着ている。ご丁寧に過剰なまでに装飾された杖と彼女の横にふわふわ浮いているハムスターか何かに似たブサイクな生き物まで備え付けていた。
幼馴染、あるいは腐れ縁。そんな人物が事故を起こしかけたのだから当然抗議するのだが何処吹く風と非難をかわす少女。
「いやー杖で飛ぶ魔法が輸入されたっていうからさ、大昔に放送してた魔法少女やりたくなって。結構似合ってるだろ?」
人類は古代から近代まで、異世界と魔法の存在に想いを馳せていた。次第に創作物の中にしか存在できない儚い存在であるのだと考えられていった。そんな物は当時の人々が思い描いた夢で、説明できない事象を魔法と呼んだに過ぎないと。
異世界よりも宇宙に夢を抱き技術を日進月歩させていく。そんな中突如として常識はあっさりと覆されてしまう。
世界のあちこちで謎の空間が出現し、そこから異世界の人間達が姿を現したのだ。
それだけでも驚愕する出来事だが、異世界の人々は魔法という現象を起こし見せ付けた。
始めこそ科学者達は異なる体系の科学技術であると主張していたのだが、実証と実験を繰り返していく中、発狂した学者を除きほとんどの者達は科学的な再現は不可能と判断。異世界において発展した魔法という異なる技術・知識体系を受け入れることとなった。
世界の常識を大きく揺るがした魔法と異世界であったが、現在においてはやはり珍しくもない身近な存在であり、時折発表される魔法に一部の人間が注目する程度だ。魔法を扱って犯罪を犯そうという者もいたが、両世界の法律家と魔法を開発する魔法使いが知恵を絞り極力犯罪を未然に防ぐ処置が施されている。
もし犯罪を犯したとしても魔法を扱う際には魔力紋という魔法を誰が使ったか一目瞭然となる痕跡が残るので犯罪者を追跡するのはたやすかった。
閑話休題。
幼馴染が悪びれもなく杖を振り回しているのを見て少年は溜息を吐いて抗議をやめた。昔から自分が何を言っても反省しない事を身をもって知っているためだ。幼馴染に反省を促すというのは無駄な行いであるのだが、腹立たしい事に変わりないので毎回抗議の声を上げるのだ。
「――でさー、これから部活の先輩を応援しに行くんだよ。すっごいカッコいい男だからまた女になっちゃたんだよねー」
気軽に言い放つ幼馴染に少年は相変わらずだなと適当に答える。彼――現在は彼女だが――は性転換した回数を数えるのが億劫なほど、ころころ性別を変えていた。昔は気軽に出来ず、出来ても外見上のものに過ぎなかった。
現在は異星と異世界の技術の組み合わせで、半日もせずに性別を変えられる。外見上だけでなくその遺伝子と身体構造もだ。もし男性が子供を産みたいと思えばその日の内に女性となり数ヵ月後に子供を宿す事は不可能ではない。もちろん女性が性転換して、相手に子供を宿らせる事も可能だ。
法律面で支障をきたすため妊娠中であったり性転換して3ヶ月以内の人間は性転換の許可は下りないが、今時性別を変えるのは忌避されるものではなかった。
とはいえ、ここにいる幼馴染のように数十回も性転換する者はまずいない。
少年は生まれてからずっと男のままで、性転換する予定は今の所ない。無論今後気が変わるかもしれないが、少なくとも目の前にいる幼馴染のように性別をころころ変えることはないだろうと確信していた。
「おっと、もうそろそろ出発しないと試合を見逃しちゃうな。じゃあまたな!」
次に会う時はまた性別変わってるかもな、などと冗談めかして幼馴染は空を駆けていった。
それを見送ってから少年は再び歩き出した。学校はもうすぐだ。
やがて校舎が見え、校門前に辿り着く。門前では人工知能を搭載した人型ロボットが生徒達に挨拶をしていた。人間との違いを判別させるため耳の部分がアンテナのような形になっている。逆に言えばその違いがなければ人間と見紛うほどだ。
人工知能に深い理解がなかった時代では、人間の知能を凌駕した彼らが叛旗を翻すという考えが一般的であった。小説や映画などの娯楽作品でもよくある設定として広まっていた。
実際は反乱など起こさなかった。そもそもかつての人類が夢見た人工知能とディープラーニングをする人工知能は全く異なる存在であった。異世界の産物であるゴーレムやホムンクルスなどの人工生命も外見は人間そっくりに造られることはあっても、中身は人間とは違ったものだ。
人型ロボットにおける人権問題は造られた当初こそ大きな話題性があったものの、
想像していたのとは異なる存在に、やがて多くの人々は興味を失った。
今なお議論に挙げるのは一部の科学者と法律家だけである。
そんな過去と法的問題があるなどと露ほども知らず人型ロボットの横を通り過ぎ少年は校内を進む。きょろきょろと周囲を見渡すとあちこちに動き回る存在が目につく。校内の至る処に整備用ゴーレムと園芸をはじめ自然を管理する妖精が忙しく動き回っているのだ。
神秘の存在である妖精も、今となっては自然が豊かであるか否かという指標を表す存在に過ぎない。手の平に収まるが人の姿であるため、人類か否かという問題はあったがそれも過去の話。現在では一種の昆虫の類であると結論付けられている。
異世界由来の彼らも最初は感情豊かで不可思議な行動をする存在と思われていたのだが、その行動形式は蟻や蜂などの社会性昆虫と大差ない。その事実を知った地球人達は一部の特殊な人間を除いてすぐに興味を失った。少年も妖精に興味を持たない大多数の一人である。
校舎に入れば教室や廊下で多くの生徒達が各々会話を楽しみ、あるいは何かの作業に熱中していた。大体は地球人なのだが、文化交流の名目で異星人や異世界人が生徒として通っている。
異星人の姿は出身の星で大きく異なる。例としてある者は三本足で立身歩行するヤギのような姿で、ある者は空中浮遊するクラゲに近しい姿をしている。
あまりに異なる姿だが、文化交流で地球に送り込まれてくる生徒は比較的地球文化に理解のある者だけで、また素行良好であるため危険な行動はしない。生体も文化も大きく異なるため誤解を招く事はあるが、概ね生徒達は歓迎されている。
事実クラゲに近しい姿の異星人が古めかしいギターを弾いて、それを地球人と逆立ちしたマングローブのような姿の異星人が肩を並べて聞き惚れており、その騒ぎを聞きつけて執事姿のロボットが彼らを嗜める。騒動はあれど友好的に接していた。
一方異世界人は地球人と似た姿が多い。違いが耳が尖っているの種族、人間の子供程度の背丈で恰幅の良い髭面の種族、犬や猫がそのまま二足歩行したような種族。いわゆるファンタジーな物語から抜け出したままの姿をしている。
そんな彼らは校舎で何をしているかと言えば、個人的なアプリ開発であったり機械を製作している。異世界人は文明・文化レベルが低いという侮蔑的な考えを持つ者が少なからずいたのだが、魔法という技術を持つ彼らは現在の地球文明と異なる形で発展していた。
宇宙に関する知識や人権意識は乏しいが、多世界考察や魔法を利用した医学などは地球人が現在でも教えを請うほど先進的であった。現在ではお互いに尊重しあうようになっている。
地球人は魔法を、異世界人は科学を学びに互いの世界を行き来しているのだ。
それゆえ文化交流で地球に訪れる異世界人は、少しでも科学知識や技術を会得しようと勤勉に学んでいたのだ。
そんな歴史があったと自分の机に座り、目の前にいる大柄な異世界人――地球人がオークと俗称している人物の背中を眺めながら、そんな事を少年は思い出していた。そのオークの生徒は大きい身体を揺らしながら、近年の倫理観の変遷と堕落が嘆かわしいと誰かと意見を交わしていた。
やがて始業のチャイムが鳴り始める。少年は何かを捜し求めるように周囲を見渡す。すぐに目的の人物を発見し、視線を自分の机に逸らした。
大きな問題もなく一日の授業が終わる。大昔はノートや筆記用具が机の上を支配していたが、現在では小型機器を扱うだけなので片付けの手間などあるはずもなかった。
終業のチャイムと共に生徒達が次々と教室を出て行く。目的の人物も出て行くのを見て少年は慌てて後を追いかけるように教室を後にした。
「あ、あの!」
教室を出てすぐに少年は目的の人物、同級生の少女に声を掛けた。声を掛けられ振り向く彼女を見て彼は動悸を抑えながら向き合う。ごく普通の地球人で、地元にいる何ら変哲のない少女。それでも異星人や異世界人を前にするより緊張するのを彼は抑えられなかった。
「どうかしました?」
彼女の言葉に大きく深呼吸して少年は言葉を続けようとした。しかし、軽快な音楽が流れてその言葉を遮った。彼女の小型機器から発せられている。
「あっ、ごめんなさい。これから用事があるので。急ぎの用事でないならまた今度お願いします」
そう言うか否や軽い足取りで彼女はこの場を後にした。途中友人であろう別の少女が声を掛ける。
「今日も彼氏とデート?」
「うん! 宇宙ディ○ニーランドのペアチケットが手に入ったって!」
「いいな~。東京の方は行った事あるけどそっちは行った事ないなあ」
会話を交わしながら遠くへ行く二人を見送りながら、少年はその場に立ち尽くしていた。
学校から出た少年はそのまま自宅に戻らず、自宅に近い公園に足を運んだ。
ベンチしか存在しない広場で運動も禁止されているので、人はあまり立ち寄らない。普段は殺風景と思えるが今だけはありがたいと少年は思った。
大きく溜息を吐いて空を見上げる。空は変わらずUFOと時折箒に乗った人間がいるだけだ。
異星と異世界と繋がり、地球と地球人の在り方や考えは大きく変わった。
かつては不可能と思われたワープ航行や若返り、異世界や宇宙旅行も可能となっている。少年も数年前に家族と一緒に1週間銀河横断旅行をして、現在の技術革新の恩恵を受けていた。
しかしそれに何の意味があるのだろうと彼は考えた。
込み上げる感情を抑えようとしても、悲しみが一筋流れて零れ落ちてしまうのを止められなかった。
昔では考えられない技術革新があり、世界がどんなに変わっても。
恋に悩み続ける事は止められず、確実に恋を成就する技術は未だ存在しなかった。
世界がどんなに変わっても アカサ・ターナー @huusui_novel
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