天野さんは傘が好きすぎる。

石田灯葉

天野さんは傘が好きすぎる。

佐野さのくん、こんにちは!」


 雲ひとつない快晴の日のこと。


 下北沢しもきたざわ駅の改札を出ると、頭上に輝く太陽に負けんばかりの眩しい笑顔で、天野あまのさんがこちらに手を振って近づいてくる。


 いな


 手に持った傘を振って近づいてくる。危ない。


「……今日もそれ持ってきてるの? こんなに晴れてるのに?」


 あまりにも呆れた僕が「こんにちは」も「待たせてゴメン」も言わずに指摘すると、


「はい、これは佐野くんへのメッセージですよっていつも言ってるじゃないですか」


 なんて、微笑みとともに返してくる。


「メッセージねえ……」


 一見いっけん、僕と同じ高校二年生には見えないほど小柄な体躯たいく小顔こがおの天野さんは、だがしかし大きな瞳をキラキラと輝かせながら、


「私は将来、こう・・なりたいんです!」


 と、傘を掲げて宣言するのだった。


「傘のように雨から人をまもる存在になりたい、ってこと?」


「あはは、そんな高尚こうしょうなお話じゃありませんよ」


 天野さんは笑顔で返してくる。


 ふむ。理解できない。


 でも、理解できないのはいつものことだ。


 僕は天野さんから、この数ヶ月もの間、ずっとこの『メッセージ』とやらを送られている。


 雨の日も晴れの日も、部室にこの傘を持って来て、机の上に置いたり、扉の前に立てかけたり、ホワイトボードのペン置きに吊るしたり、僕の視界にこれ見よがしに配置するのである。(机の上に置いた時はさすがに僕も注意したけど)


 時折ときおり、「そろそろ分かりましたか?」なんて、じーっと見つめて言われるものだから、僕はその度にかぶりを振ることになってしまう。


 今日もいつも通り分からないだけなのだから、あんまり深く考える必要もないだろう。


「それじゃあ、行こうか」


 僕が歩き始めると、


「はい!」


 と、天野さんは元気よくついて来てくれた。




 たった2人のミステリー研究会部員である僕と彼女は、休日である今日、謎解きゲームをするために下北沢の街にやってきていた。


 念のため断っておくが、『彼女』と言っても恋人という意味じゃない。『おんな』という意味においての『彼女』である。ミスリードを誘っているわけではないので、誤解なきよう。


 今日参加するのは『街歩き謎解きゲーム』で、下北沢の街を歩きながら街のいたるところに掲示されているクイズや暗号を解いていき、全てに答えるとゲームクリアとなり、ちょっとした景品を貰うことが出来る、というものだ。


 要するに、謎を解きながら街を歩くゲームである。


 つまり、荷物はなるべく減らしたい、と、普通は思うものである。


 なのに、天野さんは傘を持って来ている。わざわざ。


 分からない。理解できない。解読できない。


「天野さんってもしかして、紫外線とか気にするタイプ?」


「不正解です。紫外線を気にするのでしたら、日傘を持ってくるはずでしょう? 私が持って来ている傘を、ちゃんと、よーく、見てください。これは日傘ではないのです」


「はあ」


 不正解、と言われても、別に僕はクイズに回答したつもりはないのだけど。


「ですが、着眼点はいい感じです。日傘ではない、ということはこの場合とても重要なことなのです!」


「さいですか……」


 はからずも着眼点を褒められる。


「まあ、本当は開いた方が分かりやすいのですけどね……。さすがに晴れた日にこういった傘を開く勇気は私にはないのです。あと、解読していただいた時に開きたいと言うのもあります」


 もはや何を言っているのかまったく分からない。が、気になってしまう。


 ただでさえ謎解きを遊びに来たと言うのに、今日も今日とて僕はこの天野さんの傘の謎を並行して解読する必要があるみたいだ。




 脱出ゲームの受付を済ませると、やたらと猫なで声で話すお姉さんから、謎の答えを書くためのシートと近辺の地図が渡された。


 地図には謎が掲示されているところにマークが付いており、それぞれの場所に行くと、そこには雨に濡れないようラミネート加工された問題文が掲示されているというわけである。



 1つ目の謎は、こんな謎であった。


『みぎたのたみちをたまったすぐすすめた』


「これはまた、古典的というかシンプルというかですね……」


「……駄作だね」


 天野さんと僕はその紙の前で呆れて声を出す。


「おれ、わかったー!」


 と、横で小学生くらいの少年がガッツポーズを決めている。


 ああ、ふたつほど、大切なことを伝えそこねていた。


 ヒント① 先ほどの暗号は吹き出しに入っている。

 ヒント② その吹き出しの主は、たぬきである。


 ミステリーの基本は、『謎を解くための最低限の鍵は最初にすべて読者に示されている』ということなのに、ミス研副部長ともあろう僕が、大きなミスを犯してしまうところであった。これで大丈夫。


「んん、ここまでわかりやすいと違う要素があるんじゃないかと疑いたくもなるね……」


「ですね、暗号を話しているこの愛らしい動物は狸じゃなくてムジナなんじゃないか、とか……」


「ムジナって?」


「狸のことです」


「狸じゃん」


「ですねえ……」


 謎が簡単すぎて不満なのであろう。


 すげなく返すと、天野さんは傘で右側の道を指す。


「それじゃ、行きましょうか」


 答え合わせすらすることなく、僕はうなずく。


 たぬきと漢字で書いてちょっとごまかしたりもしてみたが、なんのことはない。


『たぬき』=『た抜き』ということで、暗号は、


『みぎのみちをまっすぐすすめ』


 と読めるのである。


「えらく簡単だったね」


「同じくらい簡単な謎に気づかない鈍感どんかんさんもいるのですから仕方ないです」


 不満を引きずっているのか、むすっと天野さんが言う。


「なんか、怒ってる?」


「べたつたにですー」


「天野さんはたぬきじゃないからそれは暗号として成立していないよ」


「……うるさいですね」




 他にも色々な謎を解いていき、あっという間に最後の謎へとたどり着いた。


 ……どの謎も拍子抜けするほど非常に簡単であった。


 最初はミス研である自分たちが謎に慣れすぎているだけなのではないかと思っていたのだが、それを差し引いても、それはもはや『謎』ではなく『なぞなぞ』であると言って差し支えない問題ばかりであった。


「あの、佐野くん。私一つ気づいたことがあるのですが……」


「うん、僕はもっと前から気づいてるよ」


「まだ何も言ってません!」


 そんなこと、言わなくてもわかる。


 ヒント① 問題が簡単すぎる


 ヒント② まわりに子供、もしくは、親子連れが多い


 ヒント③ 天野さんは小柄で童顔である


「もしかして、これ、お子さま用の謎解きゲームなのでは!?」


「もしかしなくても、そうだろうね」


 受付のお姉さんがやけに優しくルールを説明してくれた理由が明らかになった。


 うん、謎が解けるって気持ちいいな。


「ひどいです……私、頭脳は大人なのに……」


「いやそれ、見た目は子供ってこと、認めちゃってるから」


「あのお姉さん、バーローです……」


 はあ……と天野さんは深くため息をつく。


「まあ、気を取り直して最後の問題を解こうよ。ほら、全部解いて受付に持っていくと風船もらえるってさ」


「い、いりませんよ!」


 大声で否定する天野さん。


 はいはい、と、いなしながら、僕は最後の謎を読む。


『「みきくけこ」これなーんだ?』


 ふむ。


「……佐野くん、これ、分かりますか?」


 今の今までやんややんやと言っていたくせに、いきなりおしとやかにそんなことを訊いてくる。


「うーん、『かがみ』じゃないの? 『か』が『み』になってるから」


「そうですよね、簡単に分かりますよね……」


 なんだか分からないけれど、天野さんが頬を赤くしてうつむいている。


「あれ、もしかして、天野さん、これ分からなかった?」


 頭脳も子供なのでは? と、僕が茶化すと、


「そんなわけないじゃないですか! 一瞬でした! もはや、問題文を読む前から解けていたようなものです!」


「ふーん……?」


 問題文を読む前から解けているようなもの、とはいかがなものだろうか。頭脳だけでも大人のセリフとは思えない。


「ほんとですよ!? 私が嘘をついたことがありますか!?」


 まあ、たしかに嘘をついたことはないけれど。




 僕らはシートにすべての答えを書いて、受付に戻る。


 お姉さんがにっこり笑いながらくれた風船は断り、駅へと向かう。


 じゃあ受付に戻らなくてもよかったんじゃないか、とは思ったが、些末さまつなことであるので気にしない。断るために行ったのだろう。天野さんはそういう人だ。


「それにしても、佐野くんはあの最後の問題が分かったのに、私のメッセージが分からないんですね」


「最後の問題って、『かがみ』のこと?」


「そうですそうです。トリックは同じなのです」


「え、そうなの?」


 それは結構なヒントをもらった気がする。


「……ちょっと言い過ぎましたね。まあ、今、解読されちゃうと恥ずかしいので、家で考えてみてください」


 そんな風に言われると、やっぱり気になってしまう。


 そもそも、今日は難題を解読する気概きがいで下北沢まで出向いたにも関わらず、謎がお子さま向けで不完全燃焼気味なのである。


 腕を組んで頭の中でヒントをまとめてみることにした。


 ヒント① 天野さんは『こう・・なりたい』らしい(傘になりたい?)


 ヒント② 『日傘』ではないことが重要(着眼点がいいと言われた)


 ヒント③ 本当は開いた方が分かりやすい(勇気がないので割愛かつあいしてもいい程度のこと)


 ヒント④ 『かがみ』の問題とトリックが一緒(「○が○」というトリック?)


 ヒント⑤ 目の前で解読されると恥ずかしい内容(じゃあ今言うなよな)


 そのヒントを並べて、うーん、とうなる。


「え、なんで腕なんて組んでるんですか!? 今ここで解こうとしてます? ダメですよ! 帰ってからにしてください!」


 いきなり焦り始める天野さんを無視して、考え続けた僕は。


 はた、とその『答え』に気付き。


「え……」


 心臓は突然大きな音を立てて暴れはじめ、耳までも真っ赤に熱くなる。


「天野さん、もしかして……」


「佐野くん……解読しちゃいましたか……?」


 天野さんの顔も真っ赤になってしまっている。


「うん、多分……」


 間違っていたら、とんでもなく恥ずかしいけれど。


「そ、そうですか……。それで、『答え』は……?」


 天野さんが上目遣いで訊いてくる。


「えっと、僕はまだ16歳の高校生なので」


 ごくん、とつばを飲む。


「『それ』を前提に、お付き合いするってことでどうだろうか……?」


 ……言ってしまった。


 大丈夫だろうか?


 焦りと興奮で、思考がいつものように追いついてこない。


「……佐野くん、一個とばしてます」


「へ?」


 僕は腑抜ふぬけた声を出してしまう。


「私が訊いたのは、問題自体の『答え』です」


「……あ」



 * * *


 問題自体の答え合わせといこう。


 まず、ヒント①「天野さんは『こう・・なりたい』らしい」


 ここから導き出されることは、『天野さんは現状こう・・ではない』ということだ。『こう・・なれない』理由があるのかもしれない。


 次に、ヒント②「『日傘』ではないことが重要」


 日傘ではない傘。対極にある概念は、『雨傘』であろうか、と思った。


 続いて、ヒント③「本当は開いた方が分かりやすい」

 

 雨傘を開く、と言うと、色々な方法がある。もちろん、普通に考えれば、傘を広げるということであろうが、他に、漢字をひらがなにすることも、『開く』と言う。まあ、これは答えが分かった後に気づいたことなのだけれど。


 ヒント④「『かがみ』の問題とトリックが一緒」


 これがクリティカルなヒントになった。

 『雨傘』をひらがなに開くと、『あまがさ』となり、これを『かがみ』のトリックで導くと、『「あま」が「さ」』となる。


 ヒント⑤「目の前で解読されると恥ずかしい内容」


 これでほぼ確信に変わる。


『「あま」が「さ」になりたい』


 つまり、答えは、これだ。


『「天野あまの」は、「佐野さの」になりたい』


 それは、ミス研部長の彼女らしい、偏屈なプロポーズだった。


 * * *



「えっと、天野さんは、なんで、僕なんかのことを……?」


 一個『答え』をすっ飛ばしてしまった僕は、照れ隠しも含めて、そんなことを天野さんに問うていた。


「雨で帰れなかった私に、そっと、雨傘を差し出してくれたのがきっかけです」


「……それだけ?」


 確かに、覚えている。


 6月のことだ。


 梅雨にも関わらず天野さんが傘を忘れてきていたので、僕の傘を天野さんに貸したことがある。相合傘は恥ずかしいので、僕は走って帰ったが。


「佐野くんが、差し出しながら言ったのですよ。『天野さんさえ、嫌じゃなければ』って」


「それが……?」


「普通の方なら普通なのですが、私はミス研の部長なのです! あんな何かの伏線みたいな言われ方をしたら、その真意を考えてしまいます!」


「伏線みたいかなあ……」


 いや、どう考えても、考えすぎだ。


「それで、帰って考えたのです。佐野くんから与えられた謎について……。そして私は、はたと気づいたのです。『雨傘あまがさ』『天野さんさえ、嫌じゃなければ』……つなげたら、あれ、佐野くんって私と結婚したいのかな? って!」


「いや、それは飛躍しすぎだよ」


 せっかくの良いムードに申し訳ないが、突飛な天野さんの発言に僕が冷静にツッコミを入れると、


「はい、一晩で我に帰りました」


 と、照れ臭そうに笑う。


「でも、佐野くんもミス研部員ですので、万が一ということも考えて、意味ありげに雨傘を佐野くんに見せつけてみたのです。佐野くんがそういう意味で私に傘を差し出したのであれば反応するかな、と思って。あ、もちろん、佐野くんに返した傘と別のやつですよ!」


「それで、僕が全然反応しなかった、と……」


「はい、もう、それは本当に全然反応しなかったですね……。どんな反応するかなって佐野くんのことをずーっと見ていたら、傘が関係ない時も私、佐野くんのこと目で追ってることに気づいて、それで、あー私、佐野くんのこと、好きなんだって……」


 顔をまた赤くして、天野さんが髪を指でくしくしとかす。


「……間違ってないよ」


「……へ?」


「僕が、天野さんに傘を貸した理由」


「……!! やっぱり、『雨傘』に暗号を!?」


「い、いや、それはない!」


 僕が慌てて否定すると、天野さんは唇を尖らせる。


「じゃあ何が……?」


「……天野さんのこと、好きだったから、貸したんだ」


 天野さんの瞳が見開かれる。


「え……?」


「傘を貸した時には好きだった。……それは、間違ってないから」


 ああ、心臓がうるさい。


「ちょっと、佐野くん、いきなり、素直にならないでください……」


 恥ずかしそうに、だけど、嬉しそうに、天野さんは目をそらす。


「ねえ、天野さん」


 僕は、大切なことをあらためて、訊く。


「……それで、『答え』は?」


「『答え』ですか?」


「結婚を前提に付き合ってくださいって、言った答えを聞いてない」


 僕はやっとの思いでそういうと、天野さんは満面の笑みで傘を開いてこちらに向ける。


「正解だったらこれをやろうと思ってこの柄の傘を買っていたのです!」


 その傘には、大きな丸印まるじるし


『あと、解読していただいた時に開きたいと言うのもあります』


 そういえば、そんなこと言ってたな。


「正解というか、OKです、という意味になっちゃいましたけど」


 傘の脇からひょこっと顔を出して、天野さんは照れ臭そうにはにかんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天野さんは傘が好きすぎる。 石田灯葉 @corkuroki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ