そう、あれは本当に不覚だった。


まさか本当に次の日学校に来るとは夢にも思わなかったから、久しぶりにスカートを履いて登校したのだ。


「……ん」


いつものように朝日につられて目を覚ます。どうも長い夢を見ていたようだ。

幼馴染が魔王で、わけのわからない場所に連れて行かれて、そんなことは現実にあるわけないのに、あんまりにも太郎が役にハマっていたから、危うく現実と夢の境がわからなくなるところだった。


柔らかな寝台ベッドから上半身を起こしながら、華子はどこかホッとため息を吐き出した。


まだはっきりしない目元をこすり、いつものように顔を洗いに洗面台に向かう。

けれどいつもならすぐそこに床があるのに、なかなか床にたどり着かない。


もぞもぞしながらようやく床に足がつく。


そこでやっと覚醒した。


「……ココハドコ。ワタシハだれ」


ありがちな台詞を吐き出しながら、華子は肩をすくめて深く深くため息を吐き出した。


「夢じゃなかったか」


もう一度突きつけられた現実を、右から左に投げ捨てたいが、そうもいかない。

とりあえず華子を慰めてくれるのは、この美しい調度品たちであるのは間違いない。


(……それにしても、あたしはいつベッドに入ったの?)


長椅子ソファで眠ったまでは覚えているが、寝台に入ったのは覚えていない。

異世界に来て眠れる神経の図太さを持ち合わせている自分なので、途中で起きて寝台に潜りこんだのかもしれないなと、華子は自分のことながら呆れた。


そうすると今は何時なのだろう。

大きなカーテンの隙間から漏れ出る光からするに、朝なのか昼なのか。

どっちでも良いが夜でないことは確かなようだ。


それにしてもと華子は思う。


「トイレ、行きたい」


整理的欲求その一だ。

起きてからすることと言ったらそれだろう。


整理的欲求その二はもちろん空腹を満たすこと。

昨日の昼過ぎから何も食べてないからか、お腹は凄まじく空いている。


まずはこの部屋からトイレを探すことから始めようと、華子は寝室の出口であろう扉へ向かった。


そして扉を出たまでは良かったのだ。


「ーーあら、やっと起きましたのね。待ちくたびれてよ」


「あ、すいません」


高飛車な物言いに思わず謝る。


そこにはたわわな果実を2つぶら下げた美女が、長椅子ソファに腰掛けて優雅にティーカップ片手にこちらを見上げている姿があった。


「えっと…、どちら様でしょう」


美しい黄金の御髪は緩やかなウェーブを描き複雑に結われ、床につきそうなほど長い。吸い込まれそうな空色の瞳が瞬きをするたびにまつげが揺れる。透き通るような白い肌が唇の赤を強調させ、妖艶な美女という言葉がしっくりきた。

ぱっくりと開いたV字の襟元からは、あふれんばかりのメロンが覗き、黒いタイトなドレスは膝下ではあるが、横に大きなスリッドがあり、組まれた足のふとももが露わになっていた。


はっきり言って目のやり場に困る。


「わたくしはレダ。ターロイドの母よ」


美女ーーレダの言葉を聞きながら、華子はポカンと口を開けたまま固まった。

それはこの人が母親で驚いて固まっているわけではなく、遠く日の記憶を呼び覚まさせたからだ。


『ーーそういえば、太郎くんのお父さんとお母さんって何してるの?』


いつも不思議に思っていたことだった。

華子が(嫌々)訪ねても、決まってワルムが出迎えてくれたあの大きな邸。

あとは数人のお手伝いさんなどしか見たことが無かったための、素直な疑問だった。


『………、いねぇよ』


少しの沈黙のあとそれだけ答えてくれた太郎に、その時どれだけ最低なことを聞いてしまったのかと、華子は自分を恥じた。


少し考えればわかることだったのにと。


だから太郎が口が悪いのも捻くれているのもすべて呑み込んで、それからは少しだけ優しくしてあげるようにしたのだ。


それなのに何故だろう。

目の前には母親と名乗る人がいる。


(待って。うん、ちょっと待って)


理解がまったく追いつかない華子は、正直言って今にも叫び出したいくらいだ。


(この人が母親?ん?んん?じゃあ何、わたしはずっと騙されてなの?)


たしかに鼻筋やら、輪郭やら似ているところがある。


たしかに彼はいないと言っただけだけれど、華子が勘違いしているのは絶対気がついていたはずだ。そうすると、太郎は知っていた上で何も言わなかったということか。


「…ちなみにお父さまはご健在で?」


「失礼ねあなた。わたくしの夫は今も健在よ」


「ハハ、ですよね!すいません」


聞かなくてもわかっていたことなので、もう驚くまい。

ただ、ここまで来ると怒る気にもならないし、騙されてしまった自分にも落ち度はある。


今ごろ楽しそうに笑う奴の顔が目に浮かんで、ぐっと手のひらを握りしめた。


それと同時にお腹の中から盛大に虫がなく。


「……」


「……」


「…お腹減っているのね」


笑ってくれた方がどんなに楽だったろうか。


「……とりあえずトイレの場所を教えて下さい」


肩をすくめて、華子はポツリと呟いた。


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