花火

梅宮香緒里

咲いて散った花

『ごめん、別れてもいいかな』

夏休み直前の日曜日。机の上に置いていた携帯が鳴った。暇を持て余していた俺の目に飛び込んできたのは衝撃的な文字だった。

「なんで?」

『前みたいに成哉のことを愛せなくなった』

俺はしばらく考えてから指を動かした。

「俺はまだ美蘭が好きなんだ。もう一回チャンスがほしい」

『ごめん、もう決めたの』

それ以降、いくらメッセージを送っても彼女から返信が来ることはなかった。あまりにあっけない終わり方だった。

泣かなかった。ただわずかな虚無が胸を刺した。

半日窓の外をぼんやりと眺めているうちにやがて日が沈んだ。俺はカーテンを閉めると机の上にあった自作の夏休みの計画表を破り捨てた。きれいにマス目が書かれ、何色ものボールペンで彩られていたA4の紙は小さな紙切れになってゴミ箱の中に投げ込まれた。


「あんた夏祭り行くの?」

夏休みが始まって一週間くらい経った頃、突然の母親の問に俺はしばらく考えてから頷いた。どうせクラスのやつも行くのだろう。行くだけ行ってそいつらと騒げばいい。

クラブがあった去年と比べると今年の夏はとても暇だった。わずか一週間が一ヶ月のように感じる。去年と比べて、だ。

日々をただいたずらにすごしてようやく訪れた夏祭り当日。クラスのLINEは朝から夏祭りの話題でもちきりだった。特に男子のグルには、誰が誰を狙っているのかの話で持ちきりだった。おそらくは女子も同じだろう。別の学校の元カノとはおそらく会わないはずだ。もし見かけたら俺は全力でその場を離れる。

夏祭りだからといって別に浴衣を着るつもりもない俺はいつもどおりのTシャツをクローゼットから引っ張り出し、ついでに若干ヨレヨレの短パンも横に並べる。

軽くシャワーを浴びて外にも出ていないのになぜか出てきた汗を流す。3分くらい床に滴り落ちる水滴を眺めたあと体を拭き、ついでに髪も乾かすとコンタクトをはめる。こういうときに限って大体コンタクトがうまくはまらない。悪態をつきながらようやくはめると時計を見上げた。なかなかいい時間だった。

部屋に戻り、財布とスマホをポケットに押し込むと家の外に出た。昼間の暑さとは打って変わって、夕方の涼しい風が家の前を吹き抜けた。壁に立てかけた自転車を起こすと鍵を外してまたがる。ブレーキを握って外してを繰り返し、特に必要はないものの、別に悪いところがないことを確認すると俺は地面を蹴り、家の前の坂を下って行った。


家から大体20分くらいで夏祭りの会場に着く。特に外から人が来るわけでもない内々の夏祭りだ。同じクラスの男子たちと並んであちらこちらの夜店を覗いていく。毎年同じ店のはずなのに毎年美味しそうに見えてしまうのはやはり食べ物の誘惑というやつか。

「ごめん、俺ちょっとこっちで見てくるわ」

「お、彼女?」

「だから別れたって言っただろ」

「知ってる知ってる。わりぃわりぃ」

絶対反省してなさそうな友人の笑顔を見て俺は夜店が並ぶ通りから外れて人のいなさそうな場所に向かった。

「去年はここにあいつもいたのにな…」

見覚えのある場所にたどり着き、俺は少し感傷的な気分になる。周りに誰もおらず、音すらも少し抑えられている場所だからかどんどん考え込んでしまいそうだった。

「あれ、柴宮先輩?」

だが、そんな物思いは一瞬で区切られた。

振り返ると見覚えのある女子が立っていた、水島実乃梨。去年俺が陸上部だったときに好きだったやつだ。もし美蘭に告白されてオッケーしていなければもしかしたらこいつと付き合ってたかもしれない。

「どうしたんだ?」

「ちょっと…みんなとはぐれちゃって…」

体の前で手を合わせうつむきながらぼそぼそと話す。いつものショートとは違って少し長くなった髪を肩のあたりで一つにくくっていた。珍しい髪型に引き込まれそうになる。

「柴宮先輩こそ、ここで何してるんですか?」

「ん?俺はここで花火見ようと思って」

「ここで、ですか?でも見えます?」

「案外見えるもんだよ。一緒に見るか?」

なぜか口をついて出た言葉は自分でも驚くようなものだった。

これで無理ですとか言われたらすぐさまに花火大会から帰ろう。

だが、俺の覚悟とは裏腹に、彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。

「え?あ、えっと…えー…え?え、あ、はい。」

面白いぐらいに迷ってから彼女は頷いた。やっぱりこいつはカワイイって不意に思ってしまった自分がいた。

「あの、先輩…」

俺がそばにあった石段に腰を下ろすと彼女はその前に立った。

「どうした?」

途中で買ってきたたこせんをかじりながら俺は聞いた。だが、彼女は「あの…」とか「その…」だけでなかなか本題に入らなかった。

「これ、食べるか?」

袋の中に入っていたりんごあめを実乃梨に突き出すと彼女は目を輝かせて頷いた。

半ば強引に隣に座らせると無理に聞き出さずに少し味気のない、たこせんをかじり続けた。


「先輩!あの!」

りんごあめを食べ終わったのだろう彼女が立ち上がり、もう一度こちらに向き直った。

「どうした?」

「好き…です…。付き合って…もらえませんか…?」

俺を呼んだときとは全く違う、蚊の鳴くような声に一瞬時が停止する。頭を下げたままの彼女の顔はわからないが、ずっと握ったままの両手が震えていた。

それを見たとき何かがスッと落ちた気がした。俺の心の中に巣食っていたなにかが。

答えを考えたけれど、思いついた答えは一つしかなくて、それ以外の答えがどうしても思い浮かばなかった。

ゆっくりと立ち上がると、下げたままの彼女の頭にそっと手を置いた。

驚いて顔を上げた彼女に俺は満面の笑顔で言った。

「いいよ」

その直後に大きな音が響き、今年一発目の花火が空を彩った。

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花火 梅宮香緒里 @mmki_ume

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