青天の霹靂

緊迫したアイの声。

「…はい、はい、わかりました。昼間に倒れてから今日病院で血液検査だけして帰宅してます。結果はこれから…いえ、初めてです。はい、すぐに。はい」

アイは、#8000番のこども救急ダイヤルの指示を仰ぎ、やはりすぐに救急の受診をするようにと助言されているようだった。アキトを抱いて階段を下り、保険証やサイフを持ったアイが俺につづく。リンはこの騒ぎの中でもぐっすりと眠っている。

「…お父さん?どこ行くの?怖い」

熱にうなされながらアキトが俺に聞いた。

「アキト、ごめんな。変わってやりたいよ。先生に診てもらって元気になったら遊ぼうな」

唇が青くなっていくアキトは頷いたかどうかわからないほど小さく顔を動かした。目は虚ろだった。アキト、死んじゃったりしないよな。神様…泣きそうになる俺にアイが声をかけた。

「パパ!リンを頼むね。落ち着いたら連絡するから。あーもう車のキー忘れた!」

ダイニングのキャビネットに引っ掛けてあるキーをひったくって、弾かれたようにアイとアキトは救急病院へと向かった。

アイから長めのLINEが入ったのは朝5時を過ぎた頃だった。

「とりあえず熱が下がるまでは入院することになった。私はアキトにつきっきりになる。期間はとりあえず1週間くらいだって。期間はその後の病状によって延びるかもしれないって。大変だけどふたりで乗り切ろう。これから不安だけど昨日ユウゴと話せてよかった。私の着替えとアキトの着替えを持って恵愛会総合病院に来てくれる?病室はまだ決まってないから明日受付に聞いて。リンにも話しておいて」

声が聞きたくて、俺はすぐに折り返しの電話をかけたけれど、アイは出なかった。代わりにLINEが届く。

「リンが起きちゃう。それに病室で深夜の電話は禁止。リンは7時まで寝かせてあげて、8時半までに幼稚園に送ってあげて。無理そうなら仕方ないけど休ませて。それじゃ明日ね。お互い頑張りどころだよ、パパ」

アイ、こんな時にもリンのことまで気にかけている。俺は不安に押しつぶされそうだったけれど、それはきっとアイも同じだ。アイの言う通り頑張りどころだ。アキト、心配だよ。治ってくれよ。


朝、目が覚めてアイとアキトの姿が寝室にないことに気づいたリンはこの世の終わりのように大泣きし始めた。

「リン、いい子だからお父さんの言うことをよく聞いて。お兄ちゃんは今病気で、元気になるためにお医者さんのところに行ってるんだ。ご飯を食べて準備ができたら会いに行こうね。お母さんも一緒にいるよ。お父さんがリンと一緒にいるから大丈夫」

噛んで含めるように言い聞かせるが、リンは混乱して泣きじゃくっている。

「いやなのー!リンちゃんお母さんがいい!お母さんと寝るのー!」

今まで俺が子どもへ目を向けてこなかったことを咎められているような気がして胸がぎゅっと痛くなった。こんなこと初めてで、不安で、逃げ出したくなった。サエちゃん…こんな時に幼馴染のことを思い出してしまう自分に心底嫌気がさす。


『ほら、やっぱりお前はサエちゃんのところに戻るべきじゃないのか?ここにいるべきなのはお前じゃないんだよ』


ふいに、聞き覚えのある男の声が聞こえたような気がした。振り払うように気を取り直し、やっとの思いでリンを着替えさせる。見よう見まねで作った朝食を出してみたけれど、リンはまったく口をつけなかった。ぐずぐずとすすり泣きながらぶんぶん首を振っていやいやを繰り返す。テーブルを叩いて主張するリンは、目玉焼きのケチャップでせっかく着替えた服を汚してしまった。

「あぁ、もう!」

うっかり出てしまった俺の声にびっくりして再びリンが泣きじゃくり始める。必死になだめながらまた着替えさせた。洗濯は帰ってきたらやるか。そうだ、幼稚園を休ませるって連絡しないと。って、電話番号は?アイにLINEで園の連絡先を教えてもらい、とりあえず先生に状況を伝える。ついでに俺の会社にも。朝ってこんなにバタバタするんだな、もう幼稚園には休ませるって言ったから急ぐ必要はないのに。


病室に着くと、大きな柵のついたベッドの中でアイとアキトが眠っていた。点滴が繋がれて痛々しい姿だった。

「お兄ちゃんとお母さん今日帰ってくる?今日はリンちゃんと寝るの?」

リンが俺に尋ねた。

「リン、お兄ちゃんとお母さんは、お兄ちゃんのお熱が下がるまで病院にお泊まりすることになったんだ。でもお父さんがリンと一緒にいるから何も心配いらないよ。お兄ちゃんもお母さんも大丈夫。少しだけ寂しいけど頑張ろう」

再び火がついたように泣き始めるリン。病室は個室ではないし、他の患者親子のために俺は目を覚ましたアイに荷物を託してリンをだき抱えて家路についた。

家に向かう車の中で、リンは泣き疲れて眠ってしまったようだ。後部座席の寝顔は4歳だというのになんだか赤ちゃんみたいに見えた。リン、まだ小さいのにこれまで何もしてやれなかった。ごめんな、リン。

その後アイからかかってきた電話によると、血液検査の結果、幸いにも特に悪い数値は出ていなかったようだ。気を失ったのは脳貧血の可能性が高く、予後の悪いものではなさそうだという診断が下り、熱さえ下がれば退院でよいだろうとのことだった。ひとまずほっとした。

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